第9話
「随分と、新しい店が増えたね。」
そう話しながら、清水寺から八坂神社の方に抜ける石段を歩く。
ただ観光旅行者だけを相手にしたような感じじゃない洒落た店構えのお店を見ていると、不思議と京都らしさを感じない。
ここが金沢だっていえば金沢だし、鎌倉だっていえば鎌倉にいると勘違いしても違和感がない。
そんな奇妙な感覚で歩いていると、高台寺あたりに来て視界が開けると、右手に山が急に迫ってくると同時に、ここが京都であることを思い出した。
京都は、街中を歩くのも楽しいけれど、何と言っても東山の裾の南北に続く道を、ゆっくりと歩くのが楽しい。
「そういえばさ。あたしの学生時代の友達の旦那さんが、先週に、亡くなったんだって。それほど親しくなかったから、お葬式には行かなかったんだけれど、まだ若いのに可哀想だよね。」
「へえ、何歳だったの?」
「たぶん、55歳ぐらいだよ。若いよね。」
「病気か何かで?」
「うん、心筋梗塞で、急にだそうよ。」
「それは、大変だね。」
「だよね。でも、子供がいたから、少しは心強いよね。あれで、子供がいなかったら、立ち直れないよ。うちも、茉莉子がいてくれて良かった。」
「おいおい、それじゃ、僕が死んでも、茉莉子がいるから悲しくないってことなの?」
「そうよ。あなたが死んだら、茉莉子と楽しくやるわ。」
「まあ、楽しくやってくれるなら、いいけどね。」
「はは。冗談よ。でも、あなた、本当に死なないでよ。」
「そんなこと知らないよ。人間いつ死ぬかなんてわかんないだろ。」
「あたしも、いつ死ぬか分かんないもんね。」
怜子は、ペロっと下を出して見せた。
「そうだ、今、終活って流行ってるそうね。2人で、やってみようか。」
「終活って、聞いたことあるけど、何するの。」
「たとえばさ、お葬式はこうして欲しいとかさ。遺産はこうして欲しいとかさ。そんなこと決めておくんじゃない。」
「ふうん。無意味だなあ。」
「何で無意味なのよ。」
「無意味というより、嫌いという方がいいかな。だって、死んじゃった後のことだよ。どうでもいいじゃん。」
「でもさ。後に残った人の事を考えたらさ、自分の気持ちを残しておいた方がいいんじゃないの。お葬式だってさ、簡単にするとか、盛大にするとかさ、あたしも迷うじゃん。どうしたらいいかって。」
「まあ、不安なのは分かるけどね。でもさ、嫌なんだなあ。もう死んじゃったんだよ。それじゃ、もうこの世は諦めなきゃ。死んじゃって、この世にいないのに、あの世からさ、この世の人に、あーせー、こーせーって、指図するのって、どうなんだろう。死んでも人を束縛したいのかって話なんだ。残された人もさ、もうこの世にいない人に、自分の行動を強制されたくないと思わない?」
「ええっ。そんなの寂しいじゃん。あなたも意外と薄情なのね。もう、あたしなんか、ずっと泣いてるんだよ。あなたが死んで、あたし泣いてるのに、知らんぷりなんだよね。あなたって。」
「だって、死んじゃったんだから仕方ないでしょ。って、まだ死んでないでしょ。」
「だから、もしだよ。もし死んじゃったときの話だよ。あなたって、冷たいって言ってるの。」
「じゃ、怜ちゃんは、もし、怜ちゃんが死んだら、僕にどうして欲しいわけ。」
「そうねえ、、、もう死んじゃってるわけだしさ、、。財産ももってないもんね。そうだ、お葬式はさ、うーん。ちっさなお葬式でいいや。あなたと茉莉子がやってくれればいい。そうだ、茉莉子と2人で泣いてくれればいい。」
「へえ。僕も泣かなきゃいけないんだ。」
「ちょっと待ってよ。あたしが死んでるのに、泣いてくれないわけ。」
「いや、たぶん泣くよ。でも、それは怜ちゃんが泣いてくれっていうから泣くんじゃない。自然に泣いちゃうんだ。たぶん、泣くと思う。たぶんね。自然の事だから断言できないけど、普通は泣いちゃうだろ。」
「何か、気に入らないなあ。でも、泣いてくれるんだからいいか。それじゃさ、みんなね、終活でエンディングノートって書くんだって、それやる?」
「もう、それは何なの。」
「あのね。日ごろの感謝の気持ちとか書いておくんだって。それでね、死んだら、それを開封して読むの。どう?感動するでしょ。」
「感謝の気持ちは、生きてる間にした方がいいんじゃないの。死んでから言われてもさ。」
「だから、死んでから、それを読んだら、ぐっとくるのよ。こんな風に、あたしのことを思ってくれてたんだってさ。」
「でも、その書いた手紙って、本当のことかどうか分かんないよ。大体、そんなのは、良いことしか書かないし。わざわざ、気分の悪くなること書かないもんね。普通はさ、ありがとうとかさ、あなたと結婚できた良かったとかさ、書くんだろう。そんなことで感動するかな。」
「もう、本当に、天邪鬼だよね。女はね、それで感動するの。でも、そう言われれば、生きている間に、感謝の気持ちとか言った方がいいかもね。あなた。ハイ、どうぞ。」
「ハイ、どうぞって、何なの。僕はいつも感謝してますよ。」
「ホントかな。それも、手紙と同じじゃん。本当かどうか分かんない。」
「もう、兎に角ね、就活は要らないよ。エンディングノートも作らない。僕が死んだら、後は好きにやってくれ。」
「もう、詰まんないな。そんなに真剣に考えなくてもいいじゃん。楽しいかなって思っただけだもんね。」
そう言って、すぐに「今、あなた、好きにやってくれっていったよね。それって、好きにやれっていう強制じゃない。ねえ、それって、あたしに強制してる?」
「あはは。怜ちゃんも、ひねくれものになったもんだね。これは僕の負けかな。」
「そうでしょ。まだまだこれから、ひねくれちゃいますよ。」
と言って、笑った。
そんな他愛もない話だけれど、僕がもし、エンディングノートを書くとしたら、何を書くのだろう。
怜子への恨みだろうか。
怜子への感謝の気持ちだろうか。
本当のことなんて書けないし、本当の気持ちが、今の僕にはわからない。
突然、終活なんて言い出したけれど、怜子にしてみても、果たして突然だったのだろうか。
普段から、何かの不安を感じて、そんなことを考えていたのかもしれない。
僕がいなくなってしまうことへの不安。
漠然としか考えられないだろうが、実際に起こりうる別れに対する不安を感じているのかもしれない。
それなら、方便にでも、終活に付き合ってあげるべきだったのだろう。
たとえ、本当のことを書いてなくても、怜子への感謝をしたためた手紙を書いてあげるべきだったのだろう。
或いは、死んでからも、束縛されることで、僕と繋がっていたいという感情なのか。
それは、愛というものじゃないだろう。
おそらくは、僕との別れの寂しさを紛らわす代用薬に近いものだろう。
だけれども、終活なんて、やればやるほど虚しくなるだけだ。
いくら死んだ後のことを約束したって、いくら死んでから感謝の気持ちを伝えたって、いつかは空っぽの自分に気が付かなきゃいけないのである。
独りぼっちであることに気が付かなきゃいけないのである。
丸山公園を抜けて八坂神社まで来た。
参拝なんてそっちのけで、スマホで自撮りをやっている女の子たちが、はしゃいでいる。
不思議なことに、その声が心地良く聞こえるというのは、こんな年でも僕が男である証拠なのだろうか。
それにしても、今時のスマホときたら、もうパソコンと同じ機能が、あんな小さなもののなかに詰まっているんだもの、スゴイねと思う。
今の子供は、ダイアル式の電話の掛け方を知らないという。
このテクノロジーの進歩って、尋常じゃない。
電話だって、僕の小さいときは家に無かった。
でも、今は1人に1台のスマホだ。
これから、どうなっていくんだろうか。
そんなことを考えると、今この文明の利器を使えているということが不思議で仕方がない。
進歩が、ここに来て、加速している、そのスピードが急過ぎるのだ。
例えば、今から100年前を考えたら、大正の頃だ。
スマホどころか、電話は裕福な家庭にはあったかもしれないが、庶民には手の届かないものだっただろう。
テレビも冷蔵庫も、なかったに違いない。
100年といったら、僕のおばあちゃんが90歳まで生きたから、彼女の一生分の時間の長さだ。
その時間でスマホまでたどり着いた。
これが200年前だと、どうだ。
江戸時代だ。
まだ、チョンマゲで、電気だってないし、ガスもない。
僕のおばあちゃんの一生の2回分とプラスの20年だ。
たったそれだけサカノボッタら、もうスマホの影も形もない。
東京へ行くんだって、安藤広重のような風景の東海道を歩いて行かなきゃいけなかったんだ。
そんなことを想像すると、この進歩のスピードは、普通じゃないと思うのだ。
果たして、これから僕のおばあちゃんの一生分の未来になったら、どんなテクノロジーの世界になってるのか、楽しみで仕方がない。
とはいうものの、僕は、その時には死んでしまって、この世には存在してはいないのではあるが。
もう、跡形もなく僕は存在しない。
そして、怜子も茉莉子も存在しないだろう。
誰も存在しない。
「ねえ、イノダに寄って帰る?」怜子が言った。
「いいねえ。どっちに行く?本店か三条店、どっちがいい。」
僕は、昔から三条店に行くのが好きだった。
広い店内の1番奥に、丸いドーナツの形をしたカウンターがあって、そのカウンターでコーヒーを飲むのが好きだった。
ドーナツのカウンターの中の男性スタッフがネルの大きな袋でコーヒーを淹れているのを見るのが好きだった。
ただ、最近は、広い店内の入口付近にもテーブルを設置していて、あの独特の雰囲気がなくなってしまったのが残念だ。
「本店に行こうか。なにか急にフレンチトーストが食べたくなったから。」
「わあ、いいね。あの砂糖を見たら、テンション上がるよね。じゃ、あたしはサンドイッチ。」
イノダのフレンチトーストは、厚めのトーストを油で揚げて、その上に白砂糖を、ビックリするぐらい乗せてある。
身体には、どう見たって悪いのだけれど、旨いのである。
ただ、コーヒーに関しては、僕はイノダのコーヒーは好みじゃない。
酸味が強すぎるのだ。
それに比べて、大阪の丸福のコーヒーは、あの煮だしたような濃い味のコーヒーは、酸味が無くて、何と言っても僕の好みである。
ただ、雰囲気はイノダだ。
昔からやっているお店ということもあって、有名作家や、有名なミュージシャンが、通った店である。
喫茶店だけれど、少し気取って入るお店だ。
あの丸福のコーヒーをイノダで出してくれないものかと思う。
それでは、イノダじゃなくなるか。
「ああ、美味しい。」怜子は、分厚いコーヒーカップを両手で包み込むように持って僕に言った。
「でも、酸っぱいね。」
「あ、また言った。気に入らないんだったら、別のもん頼めばいいのに。」
「いや、気に入っているよ。でも、酸味が強いなって思って。」
「だから、好きじゃないんでしょ。いつも言ってるよ。」
「いや、好きだ。酸っぱいコーヒーは嫌いだけど、イノダのコーヒーだけは別なんだ。」
「ふうん。これから何回言うんだろうね。ここで、『酸っぱいね。』ってセリフ。」
「そんな言ってるかなあ。」
「言ってるよ。毎回。でも、この雰囲気いいね。」
イノダは、入ってすぐのスペースは、椅子と丸テーブルが、ホテル風で、ちょっと高級感がある。
でも、いつもは禁煙席を頼むので、奥にある昔からのシックな旧館に案内されることが多い。
昭和初期のインテリアのスペースは、大きな窓ガラスから差し込む日差しも、どこかよそ行きで、時おり昭和の黴臭さを鼻孔に感じる風がカーテンを揺らす。
僕は、怜子を見つめた。
屈託のない笑顔は、怜子の財産だ。
隣のテーブルに、80歳ぐらいの老夫婦が座った。
身なりのキッチリとした感じは、お芝居でも見に行くのだろうかと想像していたら、奥さんが、「もう、そんなことをして。そんな細かいこと気にしてたら、精神病になるわ。あなたオカシイよ。もう、やめなさいよ。」と怒り出した。
旦那さんを見ると、背中を丸めて、オシボリで一所懸命にテーブルの上を几帳面に上下左右に拭いている。
「わたし、ビーフサンドにするわ。あなたは何にする。」
奥さんが、メニューを見るなり、あっさりと決めてしまった。
旦那さんは、その言葉を聞いているのか無言で、メニューを見ていた。
そして、言った。
「今頃、ビーフサンドなんて食べたら、晩御飯食べられない。」
「もう、そんな事考えてるの。多かったら残したらいいし、美味しそうじゃない。それより、あなた、早く決めてよ。」と急かす口調が強い。
可哀想だなあと思って、怜子を見ると、怜子も隣の会話を聞いていたようで、ちょっと肩をすぼめてみせて、クスリと笑った。
こんな夫婦の関係でも、ここまで一緒にいると、幸せなのだろう。
見ている僕は、ハラハラするのだけれども。
最後のコーヒーの一滴を、目を細めて飲んだと思ったら、怜子が言った。
「あたし、今、しあわせ。」
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