迷宮都市の歩き方 ~奴隷と始める異世界生活~

綿貫瑞人

第1話 転移

 剣と魔法の世界。


 それは多くの人が一度は憧れる世界。

 数々の物語が語られ、自分もそんな世界を冒険してみたいと考える。

 しかしそれらは所詮幻想であって、現実ではない。


 そのはずだった――


 だがいま僕の目の前にはその幻想だったはずの世界が広がっている。

 照りつける太陽の下、広場の正面には白亜の列柱に囲まれた神殿らしき建物が聳え、周囲に開かれた露店には風変わりな服装をした人々が群がっている。

 がちゃがちゃと音を立てる鎧や剣を身に着けた騎士のような男に、身の丈以上の杖を持った魔法使いのような格好をした老人、豪華な装飾品を身につけた異国の女性など。

 あちこちで張り上げられる声に混じって、ガタガタと響いてきた音のほうへ視線を向ければ石畳で舗装された路面を馬車が駆けていくが見える。

 馬車が過ぎ去ったあと、すこし乾燥した空気のなかに肉の焼ける匂いと、香辛料の香りが漂ってきた。


 もちろん遊園地テーマパークに来たわけじゃない。

 十六歳の高校生にもなって、男一人で行くほど人生満喫してるわけでもない。

 夢でも見ているのか?

 ためしに頬を抓ってみると、ちゃんと痛みを感じる。

 この現実感は夢ではない。


 それならここは何処なんだ?


 混乱する頭をなんとか落ち着かせ、いまに到るまでを振り返ってみる。


 そう、まずは今朝の出来事から――


 家族を事故で亡くして数日。

 未成年の僕がたった一人で生活するのは大変だろうといって、親戚と一緒に暮らしていたのだが、電話で他の親族と遺産に関して言い争っているのを聞いてしまった。

 まだ葬儀が終わったばかりなのにみんな故人のことより、遺産のことばかり考えているら。

 はっきり言って失望した。

 だが元々葬式以外でほとんど顔を合わせたこともないような親戚に、なにを期待していたのかだろう。

 気がつけば衝動的に家出して、あてども無く彷徨っていた。


 そんなとき不思議な現象に出遭ったのだ。


 目の前の空気がゆらゆらと揺れて、その先が歪んで見えた。

 はじめは陽炎のようなものかと思ったが、一瞬だけ街や人の姿が見えた気がする。

 本物の蜃気楼なんて見たことがなかったし、ついつい好奇心から近づいてしまった。

 そして空間に足を踏み入れた瞬間、眩暈と耳鳴りに襲われたのだ。

 本能的に拙い気がしたが、しばらく目を瞑り、ゆっくりと深呼吸を繰り返すうちにそれらは治っていった。

 だが、すぐそばから大勢の人々が行きかう雑踏のような物音が聞こえ、驚きに目を開くと、そこには全く見知らぬ異世界が広がっていたのだ。


 そして現在に至る。


 肉体感覚はいつもどおり正常で、これは夢などではなく間違いなく現実だ。

 しかし目の前の光景は物語に出てくるような非現実的な異世界でしかない。

 わからないことだらけだが、ひとまず現実として対処するのが最善だろう。

 夢なら話の種になるだけだしな。



 まず情報収集。

 現在地、衣食住、言葉の問題は当然として、元の世界に帰る方法や転移の原因も解明しないと安心して眠ることもできない。


 いま僕が立っている地点は大きな広場の中心部で、青い石造りの巨大な門のような建造物の真下だ。

 凱旋門などのように広場にぽつんと独立して存在している。 

 広場の周囲には正面の神殿らしき建物のほかにも、金細工や彫刻など装飾の施された豪奢な石造りの建物が並んでいる。

 所々で屋台や露店が開かれており活気に溢れているが、電柱や近現代的な建物、文明の利器はぱっと見では見つからない。

 振り返ってみると、当然地元の風景はなく、代わりに大きな通りが続いていた。


 さて、なにから手をつけようか?


 その場で立ち尽くしていると、声を掛けられた。

 話しかけてきたのは、長く艶やかな黒髪の女性で、切れ長の目は鋭く、少し不機嫌そうな表情でこちらを見ている。

 女性としては背が高く、目を引くような美人だ。

 だがそれ以上に腰元に佩いている剣の存在と聞いたこともない言葉に引っかかった。

 なにを言ってるのかまるで理解できない。


 まさかとは思うが、いきなり斬りかかってはこないよな?


 いや、もしここが本当に異世界で、全く異なる文化や風習ならありえるかもしれない。

 対応次第では最悪の場合、斬り捨て御免とか――

 無視して逃げ出すのはやめたほうがよさそうだ。


 命の危険を感じ、冷や汗が流れる。

 なんでもいいから、この状況どうにかして切り抜けなければならない。

 かつてないほど思考を巡らせていると、頭の中でなにかが繋がるような感覚がした。

 同時に頭に電気が流れたかのような鋭い痛みが走る。


「――ッ!?」


 痛みは一瞬で過ぎ去ったが、なんだったんだ?

 ふらつく頭を押さえていると、黒髪の女剣士(たぶん)が不審がるように目を細めて口を開いた。


「どうした? 体調でも悪いのか?」

「え?」


 いまなんて?

 言葉は日本語ではなかったが、確かに理解できた。


「体調が悪いのなら、帰って休め。こんな所でぼうっと突っ立ってると他の冒険者の邪魔になる」


 やはり知らない言語だが、急に理解できるようになった。

 さっきの感覚と関係がありそうだが、ひとまずは置いておき、忠告に従ってその場を移動し、僕の立っていた場所を改めて観察してみる。

 門の幅は馬車が余裕を持って通れるくらいの大きさはあったが、よく見れば足下の石畳は広場のほかの場所と違って、一段高くなっていた。

 その石材は大きな一枚岩で不思議な紋様が彫りこまれている。

 いわゆる魔法陣とか魔法円などと呼ばれるものだろうか?

 なにか現状を理解するための情報でもないかと、観察していると紋様が淡く輝きだした。


 今度はなんなんだ?


 すこし離れた位置から見守っていると、空間の揺らぎが発生し、そこから突如として四人の男性が現れた。


 僕がここへ来たときと同じ現象?


 男たちは伸び放題の無精髭と筋骨隆々の体格に、それぞれ武器や防具などを身に着けており、どう見ても一般人には見えない風貌をしている。

 彼らは今の出来事を特に気にした様子もなく、当たり前のような顔で、広場に面する建物のひとつへと向かっていった。


 さっきの男たちはいまの現象にまるで戸惑う様子はなかった。

 周囲の人間も。


 つまりこの転移現象はここでは一般的な出来事ということだろうか?


 だがそう仮定すれば、ここに突っ立ってると邪魔になるという言葉の意味や、冒険者についてもある程度は推理できる。

 おそらくこの紋様か、この場所が転移現象に関係していて、ここに誰かが転移してくると分かっていたのだ。

 そしてその誰かというのがさきほどの冒険者と呼ばれる者たちなのだろう。

 ただし僕の身に起きた現象と全く同じものであるかどうかまでは断定できない。

 一切動揺していなかった様子から、彼らは初めてというわけではなさそうだし、格好もこの異世界の住人に見えた。

 すくなくとも異なる世界――現代の地球からやって来たようには思えない。 


 誰かに訊いてみようか?

 いや、もしこれが常識的なことなら不審に思われるかもしれない。


 そもそもこの世界の言葉を話すことができるのか?

 試しにいくつかの単語を思い浮かべてみると、この世界の言語で同義の単語が思い浮かぶ。

 まるで母国語かと思えるほど自然に、異世界言語を理解できた。


 どういうことなのか?


 変化の原因に思考を巡らせると、再びなにかと繋がるような感覚と頭痛に襲われた。


 まただ――


 ただし今度はさっきよりは酷くない。

 そして痛みが消えたときには、理解していた。

 より正確には知らないはずの知識が増えていたというべきか。


 その知識によると魔法の発現というものが僕の身に起きた変化の原因のようだ。

 この異世界には魔力と呼ばれるものが存在し、この世のあらゆるものに宿る性質があるらしい。

 僕の身体も呼吸などを通して微量ではあるが、すでに魔力を保有しているようだ。

 その魔力を利用してなんらかの現象を起こすことを、魔法や魔術などと呼ぶ。

 発現する魔法は生まれ持った才能だけでなく、それまでの人生で培った経験、願望などさまざまな要因に左右される。


 僕の場合は身体を動かすよりは、頭を働かせるほうが得意だし、さっきは異世界の言語や常識の理解を強く望んでいた。

 その結果、僕が望んださまざまな知識や情報を直観的に把握する魔法が発現したということのようだ。

 具体的には言語、魔法知識、異世界の常識、歴史や地理などこの世のあらゆる物事が対象になる。


 これは――反則的だな。


 ちなみにこの魔法はいままで誰も発現したことがない、固有魔法というものらしく名前がない。

 なので他の魔法と区別するために、〈森羅万象〉と呼ぶことにする。

 ともかくこの魔法のおかげで異世界の言語を理解し、僕自信の変化についても知ることができたわけだ。


 助かった……と言いたいところだけれど、よくよく考えると別の意味で危険なのではないだろうか。


 やろうと思えば個人的な秘密から、軍事機密、犯罪計画、極秘研究など、知られたくない、知られてはならないはずの情報でも自由に入手できるかもしれない。

 もちろん僕はそんなこと興味もないし、するつもりもないけれど、それができるという可能性だけで十分に脅威と見做されるだろう。

 監視や軟禁状態で都合良く利用されるのはまだマシな方で、最悪の場合は口封じに殺されるなんてこともありえるかもしれない。


 うーん、この魔法は誰にも知られちゃいけないな。

 頼れる人間がいない異世界で、これほど役に立つ能力はありがたいが、だからといって無分別に使っていると、いつか墓穴を掘ることになりかねない。

 利用には注意が必要そうだ。

 元の世界でならいくらでもやりようがありそうなんだけどなあ。


 ――というか元の世界への帰り方もわかるのでは?


 さっそく〈森羅万象〉によって得た魔法の使い方――魔法や魔術は思念で魔力を操作し、発動させる――を利用して魔法を行使してみる。


 知りたいことに意識を集中する――が、上手く発動しない。


 霧がかっているというか、壁に隔てられているような感覚。

 失敗か……。

 なにが駄目だったんだろう。

 魔法には魔力が媒体として必要だが、元の世界には魔力なんてものが存在しないからだろうか?

 つまりこの魔法の有効範囲はこの異世界に限定されている可能性がある。

 だから異なる世界の情報までは得ることができないということではないだろうか。


 いや、それならどうやって異世界へ転移する現象が起きたのかという問題が発生してしまう。

 異世界と元世界を繋ぐことはできるはずだ。

 でなければ僕がここにいるはずがない。

 となると単純に魔法を行使するための魔力が足りないせいか?

〈森羅万象〉は距離や時間が離れた対象になるほど、魔力量が増大するみたいだ。

 だとすると元の世界とこの異世界がどういう風に接しているのかまでは定かではないが、相当な魔力が必要になると考えられる。


 残念だがいまは諦めるしかないか。

 可能性は残っているし、すぐにでも帰りたいわけじゃない。

 あの家には僕の帰りを待っている人はもういないのだし……。

 ならどこで生きていこうが自由なはずだ。

 それにぐだぐだ悩むのは性に合わない。


 せっかく憧れの異世界に来たんだ、心行こころゆくまで冒険するとしよう!

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