第166話 夜更けにて


「お二方とも遅いですな」


 2人が出発してから半日近くが経とうとしていた。

 日はすっかり落ちてしまっているはずだ。ストーブの上で沸騰ふっとうしたやかんを回収したニックは心配そうに言った。


「雪もやみませんし、今日はこちらに来るのをやめたってことですかね」


「……そんなことはない。あいつらは帰ってくるって言ったら、約束を破らないような奴らだ」


「じゃあ何か事件に巻き込まれたとか」


「それも……」


 無いとは言い切れない。

 ただ、リタとパトレシアだ。土地勘もあるし、盗賊が出たとしても遅れを取るようなことはないはずだ。

 

 可能性があるとしたら、今2階のベッドで寝ているナツと関わる何かだ。


 あれは……ただの風邪じゃないかもしれない。


「ちょっと様子を見てくる」


「今から行くんですか……!? 外は大雪ですぜ」


「大雪?」


「はい! もう太ももくらいまで積もっていますさ。こんな大雪は久しぶりに見ましたな」


 ニックが窓を開けると、すさまじい冷気が入ってきた。

 外の様子が確認できなかったので、分からなかったが、いつの間にかそんなに積もっていたのか。


「少し妙だな。こんな季節に大雪が降るなんて」


「異常気象なんですかね」


「いや……そうじゃなくて」


 この大雪はリタが言うところの『前兆』に関連しているのかもしれない。


「やっぱり様子を見てくる」


 慌てて玄関へと向かったところで、ゴンゴンとドアをノックする音が聞こえた。


「リタ! パトレシアか!」


 急いでドアを開けると、正面から雪が吹き付けてきた。突き刺すような寒さの夜風が肌に触れた。


「アンク……」


 俺の胸元へとリタの身体が崩れ落ちてくる。

 もう1人分の体重、おんぶしていたパトレシアもろとも彼女は膝を付いて倒れた。


「リタ! おい、大丈夫か!」


「早く……」


「どうした……?」


「扉……閉めて」


 絞り出すような声でリタは言った。


「ニック! 2人を頼む!」


「へ、へい!」


 慌ててドアを閉める。

 今の一瞬で家の中は凍りついたように寒くなってしまった。


「ごめん……ちょっと……」


 こんなに冷たい夜風の中を歩いてきたにもかかわらず、リタの身体は熱かった。後ろのパトレシアも同様で、はぁはぁと辛そうに息を吐いていた。


「風邪……かも」


「風邪? じゃあ、もしかして……」


「私も迂闊うかつだった。……前兆はもう始まっていた。この……雪だったんだ」


 リタは辛そうに途切れ途切れの言葉で言った。

 額に手を当てると、やけどしそうなほどに熱がこもっていた。


「村まで降りてきたけど……どこも同じような感じだった。風邪みたいな症状で、どの人も……眠りについていた……。外に出ていた人から順々と……」


「……死人は?」


「いなかった。外傷はないし……ただの魔力の影響だと思う……おそらく『異端の王』としての……彼女の特性なんだよ。魔力が世界中に伝播でんぱしつつある」


 やけに眠そうな調子でリタは言った。

 聞き込みの途中でパトレシアが倒れて、リタも急いで帰ってきたが途中で凄まじい眠気が襲ってきたらしい。


「一時的なものだとは思う……。あの娘が……下界から去れば影響はなくなる」


「ということは、魔法の発動は始まっているのか」


「……おそらく、眠りから覚めたら、胎界輪天具足ダルマ・ヴァンダーラが発動していると思う。ぼやぼや……していたら、手遅れになる……」


猶予ゆうよは無いか……くそ……」


「はっきりとした場所は分からないけれど、おそらく北……雪が1番深いところに彼女はいるよ」


「……分かった」


 リタを起こして立ち上がる。

 雪を払って布団に横たえる。パトレシアもリタも風邪のような症状ではあるが、穏やかな呼吸をしていた。


「ニック、2人を頼めるか?」


「へ、へい……実はあっしも少し具合が……」


「……家の中にも入り込んできているのか。おそらく魔力炉に反応しているんだろうな」


 うーん、と目を回してニックは床に倒れ込んで、ぐぅぐぅと眠り始めた。彼の身体にも毛布をかけてキッチンとのところへ横たえる。


「これで全員ダウンか……」


 起きていられるのは俺しかいない。

 魔力炉が壊れているのが幸いしたか、雪の影響はほとんど見られなかった。


 準備を整えて、家を出ようとしてると、リタが声をかけてきた。


「ごめんね……一緒に戦えなくて」


「いや、ここまで戦ってくれただけで嬉しいよ。世話になったな」


「とんでもない……だって、2人のためだものね……」


 ふぅと大きく息を吐いたリタは、かすれた声で言った。


「アンク……」


「なんだ?」


「……帰ってくるよね?」


 立ち止まり、考える。

 何を言うべきか、何と言うべきか。


 考えたあげくに口から出た言葉は、真っ赤な嘘だった。


「……あぁ、絶対に」


 きっとそれが嘘だということは、リタも分かっていたのだろう。数秒の間のあと、彼女は口を開いた。


「……行ってらっしゃい」


 嘘でもつかなければ、足を踏み出すことは出来なかった。明日への保証はない。


 ただ、帰ってきたいという思いがあったことは確かだ。

 死を怖がらない人間はいない。俺のおびえはリタにも伝わっていた。心配そうな声の後で、静かな寝息が聞こえた。


「行ってくる」


 リタに別れを告げて家を出る。

 今度は1人で、視力は戻らないが、方向なら分かる。


 猛吹雪は容赦なく肌を突き刺した。まるで極寒の雪山にでも変わってしまったかのようだった。


 寒く、悲しく、孤独だ。

 この雪が彼女の魔力であるのなら、なんて救いようのない場所なんだろう。


 積もった雪を踏みしめながら、俺は北へと、より寒い場所へと、歩みを進めた。

 

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