第151話 嵐の中で



 瓦礫がれきだらけの灰色の世界に、冷たい雨が降り注いでいる。暴風は容赦なく瘴気を撒き散らし、周囲を腐らせていく。


「うっ……」


 足を踏み出し、さらに内側へ入ると途端に気分が悪くなった。魔力炉がうまく機能していないからか、瘴気が身体の中に入った途端に意識が飛びそうになる。


「アンク、大丈夫? おんぶしようか?」


「いや……問題ない」


 ナツの気遣いを断り、目を閉じて、意識を集中させる。

 すると、まぶたの裏にかつての光景が蘇ってきた。


 悲鳴と炎と転がる死体。

 かつてこの年で怒った虐殺の記憶だ。それが目の奥でチラチラとサブリミナルのように映る。


 リタが周囲の異変に気づいて、声をあげた。


「……魔物だ!」


屍鬼ヴェータラ……」


 死体に取り憑く食神鬼、屍鬼ヴェータラ。幻影魔獣だ。

 真一文字に避けた口と、細長い牙。人間のように二本足では歩いているが、肉が腐れ落ちていて、見る影がない。


「イザーブの虐殺の時に出た奴らだ。パトレシアも趣味が悪い……!」


 額を雨と汗で濡らしながら、リタが魔物と対峙たいじした。

 気味の悪い呻り声を出して、屍鬼ヴェータラは俺たちに近づいてきている。1体ではなく、かなりの数がいる。


「どうする? 索敵サーチで突破口を探すか?」


「いや、アンクは魔法を使っちゃダメだ。シュワラ、準備は出来ている?」


「えぇ」


 ローブをなびかせて、シュワラが一歩前に出る。屍鬼の声がする方向へと手をかざし、魔法を唱えた。


「火の魔法、拝炎阿遠ガリア


 彼女の目前に出現した無数の炎の槍が、敵を貫いていく。瘴気の向こうに激しく燃え上がる炎と、屍鬼の叫び声が響いた。


「大人しく死体から出なさい、屍鬼。私の前に立つなんて、度が過ぎた行為ですわよ」


 炎の槍はマシンガンのように切れ目なく発射されていく。

 彼女が攻撃をやめたころには、屍鬼ヴェータラの声はなく、前方のほとんどは焼き尽くされていた。


「すげぇ……おまえ強かったんだな」


「これくらい当然ですわ」


「油断は出来ない。まだ都市の中心部にもたどり着けていない。きっと、ここからどんどん厄介な魔物が出てくるはず」


 リタが扇で瘴気を吹き飛ばし、前へと歩いていく。

 すると再び屍鬼が瘴気の向こう側から、現れた。


「しつこい……!」


 シュワラが炎の槍を放ち、屍鬼を焼き尽くす。そんな攻防の繰り返しが何度も続いた。


 イザーブへと突入して1時間が経っても、ほとんど前に進めていなかなった。この分だと中心部へとたどり着くまでに、1日が終わってしまう。


「いっその事、屍鬼を無視して突破してしまおうかしら」


「それはダメだ。囲まれた時の方が怖い。あいつらの腕力は人並み外れている。集団でいびり殺すのがあいつらのやり口だ」


「ちっ、面倒くさいわね」


 シュワラが再び炎の槍を放つ。発火した屍鬼が気色悪い呻り声をあげて絶命する。


「なるべく敵が少ない道を案内する。……索敵サーチ


 魔法を発動した途端に、ビキリと頭の中で音が鳴った。壊れかけた脳内を情報が駆け巡る。


「ぐ……」


「アンク、大丈夫?」


「これくらいなら、問題ない」


 敵はいたるところに潜伏していたが、比較的少ないルートは西の旧市街を通る場所だ。遮蔽物しゃへいぶつが多いが、中心部まで最速で抜けられる。


「リタ、西から進むぞ。行こう」


「分かった。アンク……あまり魔法は使わないでね」


「そう言っていられる場合じゃない。無茶は承知だ」


 イザーブに入るまでに1日を消費してしまっている。あと数日で女神を看破しないと行けないと考えると、ぼやぼやしている時間はない。

 

索敵サーチ


 こっちのエリアにも当然生きているものはいなかった。家の壊れた外壁からは、荒らされた室内が見えて、腐った食べ物が撒き散らされた食料庫からは、ネズミの死骸しがいが転がっていた。


 賑やかな大通りだったと思われる場所は、辺りに壊れた柱や引き裂かれた布が散乱していた。露店で売っていたと見られる調度品類が割れて、泥水に濡れて転がってる。


「敵だ、追いかけてきた」


 俺たちを塞ぐように路地からゾロゾロと屍鬼ヴェータラが現れた。動きに統制が取れている。ナーガと同じように、ある程度の知能はあるみたいだ。


「火の魔法、拝炎阿遠ガリア


 姿を確認した瞬間、シュワラが炎の槍を放った。目にも止まらぬ速さで敵に向かった槍は、そのまま直撃するかに思えた。


「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎」


 ノイズのような音が敵から発せられる。

 衝突の瞬間、屍鬼の周りが青く輝く。地面から水が湧き出て、正面に巨大な壁を作った。炎の槍は勢いを削がれて、その場であっけなく消滅してしまった。


「魔法……!?」


「魔法が使える屍鬼もいるのか、厄介だね」


 リタのが風の魔法を構える。前に出て魔法を放とうとしたリタを、シュワラが手で塞いだ。


「待ちなさい。ここは私に任せて、私の方が魔力の消費が少なくて済む」


 シュワラはさっき火の魔法を構えた手とは反対の手を構えた。

 そこに眩いばかりの水色の魔力が集まり始める。ナツがそれを見て、驚きの声をあげた。


二大属性使いダブル・コンバーター……うそ……」


「空の魔法・雷電の舞クードフードル


 詠唱とともに弾け飛んだ雷が、敵の頭上から落下する。

 水浸しの地面を通して、強力な雷電が辺り一帯にほとばしる。目を開けた時には、屍鬼ヴェータラは地面に伏して倒れていた。


「良い調子ね」


 満足したように頷いたシュワラは颯爽さっそうと大通りを闊歩かっぽしていった。放った魔法もかなりの威力だった。見た目では分からなかったが、かなりの使い手だったようだ。


「すごいな、あいつ。リタも知らなかったのか」


「うん、あの娘、魔法を使えなかったはずなのに」 


「魔法を使えなかった?」


「子どもの頃の話だけどね」


 リタが言うことには、シュワラに魔法の才能はほとんど芽生えなかったらしい。使えても、小さな火が起こすことが出来る程度だったということだ。

 魔法を開眼するのは遅くとも10歳より以前。その時までに魔法が使えないと。才能がないと判断される。


 そうなると、大人になって2大属性に目覚めたかなり特異な事例だ。


「なんか怪しいんだよなぁ……」


 俺の腕を掴んだまま、ナツが怪しげに彼女の背中を見ていた。


「まぁ、今はそのことは良いだろう。シュワラが味方であることは間違いないんだし、先へ進もう。目的地までは近いのか?」


「うん、予定より早いペースで進んで入る。このまま行けば……」


 リタがそう言いかけた瞬間、天を突き破るような怒号が周囲にとどろいた。


「オ゛オ゛オオ゛オオ゛オオ゛!!!」


 鼓膜が震え、耳鳴りが襲う。

 今まで聞いたことがない、狂ったような生き物の雄叫び。何が起こったのか分からず、しばらく呆然とするしかなかった。


「な、なに……? なんの声……?」


「あっちだ!」


 シュワラが歩いて行った方向、大通りの先から声が聞こえた。急いで走って曲がり角を曲がると、そこは円形の巨大な広場になっていた。


 そこでうごめく巨大な生物と対峙して、たった1人シュワラが毅然きぜんと戦闘体制を整えていた。


 見上げることが出来ないほど、巨大な龍がそこにいた。


混沌の初生児アヒ・ヴリトラ。3つ首の多頭龍。猛毒の牙と破滅をもたらす炎を持った神話の怪物……」


「これも記憶の再現かしら……?」


「えぇ、襲撃の時の先陣切って現れたのはこいつだったって話よ」


 ゴクリとリタがつばを飲み込む。

 こんな緊張した様子のリタは初めてだった。3つ首の龍は首を回して、俺たちを琥珀こはくのように輝く瞳でにらみつけた。


 

 

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