第129話 天の岩壁


 記憶を取り戻すための場所に行く。

 そう言ったユーニアは俺たちが住んでいたサラダ村から、かなり離れた場所まで歩いていた。カルカットよりも幾分か遠い。


 もうすぐ海の近くまでたどり着く、それくらいの距離まで歩いた時だった。


「見えてきた。覚えているかい、アンク」


「あれは……」


 ユーニアが指差したものを見て、リタは思わず「すごい」と声を漏らした。


「天の岩壁がんぺきと呼ばれている場所だ」


 まっすぐに空まで伸びる直線的な造形物。

 形は綺麗な台形で、高さはどんな建物よりも高い。登るだけで半日はかかりそうな巨大な岩が目の前にあった。


「懐かしいな。そういえば、こんなところまで来た」


「その時のこと覚えてるか?」


「あぁ、なんとなくな。怪物退治だったか」


 印象的なシーンは覚えている。

 この先にある小さな港町から怪物退治の依頼がユーニアに舞い込んできた。


「結局何もいなかったよな、あそこには」


「そうそう。という訳でここに登るぞ」


「……どうして?」


「どうしても、だ」


 ユーニアは岩壁の頂点を指差すと、登り始めた。軽々と岩肌を進んでいくユーニアは、もうだいぶ高いところまで来ていた。


「おーい、早くー」


「行くかぁ、仕方がない」


 俺に続いてリタが進んでいく。

 ゴツゴツした岩肌は掴むことは難しくはなかったが、なにぶん距離が遠い。何時間か進んでいたが、まだ半分もたどり着いていなかった。


「はぁはぁ……リタ、大丈夫か」


「な、なんとか……」


 上を見ると、ユーニアはもう頂上近くまで進んでいる。ほとんど衰えていない。全盛期より進化しているくらいの、体力で彼女は岩肌を超えていた。


「ほんと、何してたんだろな。あの人」


「さ……さぁね」


 リタから疲れ切ったような返答がかえってくる。体力も限界に近い。

 下を見上げると地上は遠く、さっきまで近くにあった木はほとんどミニチュアのようにしか見えていなかった。


 頂上に近づくに連れて、空気が薄くなっていくのもまた体力を消耗させた。


「あと、少し……」


 休憩もろくに取れず、踏ん張りながら頂上にたどり着いたころには、すでに時刻は正午になっていた。平面な地面にギラギラと太陽が照りつけている。


 ユーニアと言えば、地面にあぐらをかいて遠くの大地を見ていた。俺たちがたどり着いたことに気がつくと、振り向いて言った。


「お、もう着いた。子どもの時より1時間早いぞ。成長したな」


「お、おかげさまで……」


 木も生えない固い岩盤は、まるでハサミで真っ二つに切ったようにまっすぐな地面だった。凹凸の1つもない広い岩盤が広がっている。


 部屋の反対側に立ったユーニアは、黒いマントを脱いでいた。タイツのようにぴったりとした服は、彼女が戦闘服として使っていたものだ。すらりと伸びた長い脚が、地面に影を作っている。


「なんで着替えているんだ?」


「今に分かる」


 頂上にたどり着いたリタも呼吸を落ち着けて、頂上からの景色に目を向けた。汗をぬぐいながらリタは感嘆の声をあげた。


「わぁ……海、見えるんだ」


 この光景はここまでこなければ絶対に見えないものだ。

 ミニチュアのような港町の先に、視界いっぱいの海が広がっている。穏やかな波を讃えて、太陽に水面をきらめかせている。


「……綺麗」


「あたしもここを初めて見た時は感動した。世界中どこに言っても、ここが1番美しい景色だった」


「確かに……こんな視界いっぱいに海が見えるなんて初めて」


「あたしの故郷なんだ、ここ」


「ユーニアの?」


 そう言われて、ふいに奇妙な予感が胸をよぎる。

 ざわざわするというか、俺はここまで来たという意味をもっと考えるべきだったんじゃないのか。


 どうして、ユーニアがここに案内したのか、それにもっと考えを巡らせるべきだったのかもしれない。

 

「さぁ、アンク、それを飲むんだ」


 景色に目を向ける俺に、ユーニアが言った。


「あの液体を飲めば記憶が蘇る。『死者の檻パーターラ』の解除が始まるよ。課題クリアだ」


「これは……」


 ユーニアはなんて言った。

 あの店の地下室でなんて言ったんだ。思い返せ。


『場所を移動しよう。欠けていた記憶を取り戻すには、お前とそいつにとって最も思い出深い場所に行かなきゃ意味が無いんだ』


「ここはどういう場所だ。誰との思い出だ?」


 ユーニアの方を見ると、彼女は静かに笑っていた。


「さぁ、覚悟を決めたんだろ」


 液体の入った小瓶を見下ろす。

 ちゃぷちゃぷと波打つこれを飲み干せば、きっと『死者の檻パーターラ』の解呪が始まるだろう。


「……良いんだな、ユーニア……!」


「どうして私に聞く? これはお前の選択だ」


 怖い、と言いたくなった口を閉ざす。

 ユーニアとリタの言った通りだ。俺はもっと深く考えるべきだった。


 けれど、後戻りは出来無い。今更そんなことできない。


「……ごめん」


 一思いに液体を飲み下す。

 出来ることならある。それがあるなら、立ち止まっているよりずっとマシな選択だ。

 

「う……ぐ……!」


 喉を通っていく液体は、飲んでみると想像よりさらに臭かった。鼻から抜けてくる匂いで、吐き気が一気に増してくる。


「ぅ……ぇ……!」


 吐き気よりも、液体そのものまずさよりも、この選択をした恐怖に押しつぶされそうだった。

 うめきながら、せり上がってきた液体を押しとどめて、なんとか呑みくだした。


「あ、あ、あ……!」


 ようやく飲み込んだと思った時、次の異変が現れた。

 視界が暗転する。頭の中で鳴る乾いた音。カラカラカラとスピードを早めて、徐々に大きくなってくる。


 フィルムが回る音だ。

 閉ざされていた記憶が、蘇ろうとしている。


「『死者の檻パーターラ』と『記憶改ざん』はセットなんだ。だから、当然お前が思い出すは死者の記憶だ」


 過去の記憶が頭の中に現れる。

 だからリタは俺を心配してくれたのか。後悔しないのか、と声をかけたのはこういう理由があったからか。


 涙があふれ出てくる。

 開かずの扉の鍵を壊して現れた記憶を、俺はただ外側から見ることしか出来なかった。


 ユーニアは死んだんだ。

 あの時、この場所で、俺の目の前で。

 

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