【終わらない日々(No.02.2)】


 いつも通り、078と共に地下祭壇へと向かう。虚ろな目を宙に向ける彼女に声をかけたが、私の方を振り向きもしなかった。


「ねぇ、大丈夫?」


 耳元で大きな声で言うと、彼女はようやく反応した。


「…………あ、あ、うん」


「本当に? 最近ちょっとおかしいよ」


「だいじょう、ぶ。だいじょう……ぶ」


 自分に言い聞かせるように呟いた078は、頼りない足取りで階段を降りていった。歩き方もおかしい。今にも転んしまいそうなほどの弱々しさだった。


『そう、血の儀式の過程でね。教祖さまの魔力、を受け入れられない子は、壊れちゃうんだって。あなたの前の017は、そうやって死んじゃったよ。身体がな、くなっちゃったんだ』


 彼女自身が言っていた言葉を思い出す。嫌な予感が脳裏をよぎる。


「ねぇ、今日はやめた方が良いんじゃない?」


 078は小さく首を横に振った。


「絶対におかしいって、だから……」


「血、が……」


「やめなって。あなたおかしいよ……」


「いやだ」


「ねぇってば」


「うるさい!! 血が、足りないの……!!!!!!!」


 階段中に響き渡る大きな声で彼女は抵抗した。ボサボサになった赤い髪を振り乱して、首を横に振ると、彼女は再び虚ろな目で宙を見た。

 あからさまにおかしい078の様子を見ても、黒頭巾たちは素知らぬ顔で歩いている。


「絶対に……ダメだって」


 彼女は壊れ始めている。

 こんな状態で教祖の血を受けたら……、


「さぁ、食べなさい」


 その不安は的中した。

 教祖が血塊けっかいを差し出す。078が食べる。咀嚼そしゃくする。そこまでは全く同じ。いつもと変わらないこと。


「…………う」


 様子がおかしくなったのは彼女が血塊を飲み込んでから。ゴクリという音がした途端に、彼女の呼吸が止まった。


「あ、ああああああああ」


 そこから起きた出来事は悪夢のようだった。

 魔力炉が鈍く輝き始めた。き上がる魔力は、どんな暗闇よりも深い黒色だった。蒸気のように立ち上った魔力は、液体となって078を襲った。


「あ、ぁああああああああああああああああああああああ」


 血と洪水のように襲いかかる黒い魔力で汚れた078は、苦悶くもんの叫びをあげた。この世のものとは思えない叫び声を出した彼女は、自らが放出した魔力に飲まれていく。


 尋常じんじょうではないその光景を、教祖を始め、ラサラとバイシェたちは無言で見ていた。


「ここはどこ? くらい、くらい、くらい!」


 彼女の声が地下祭壇に虚しく響き渡った。

 球体上に固まった黒い魔力は078を包み込んだ。姿形を全て飲み込んで、やがて彼女の声すらも聞こえなくなった。


「い……や」


 黒い液体はやがてその勢いを失い、祭壇のへりに流れていった。078の姿はもうそこにはなく、残されたのは小さな黒い血塊だった。


 祭壇の上でべしゃりと横たわった拳大の血塊は、かがり火の明かりすらも反射せずに、無機質にそこにあった。


「何が……起きたの?」


 呆然とする私にラサラが言った。


「残念ですね。やはり彼女では器が足りなかったみたいです」


「器?」


「はい。『異端の王』と成る器です」


 ラサラはがっかりしたというように、ため息をつくと私の隣でその黒い球体を見ていた。

 黒い球体はグチュルグチュルと奇妙な音を出してうごめいている。半分に引きちぎられた芋虫のように、みににく地面をっている。


「この子どもも足りなかったか」


 そう呟いた教祖が、078がいなくなった所に向かって歩いていく。ゆったりとした仕草でかがみ込むと、黒い血塊けっかいを手のひらに収めた。


「鎖は次に継ぐ」


 そう言うとラサラとバイシェが教祖に合わせて、心臓に向かって祈る仕草をした。

 持ち主を失った血塊はドクンドクンと定期的に鼓動していた。


 078は死んだ。

 死んで、あの醜い血の塊になってしまった。


「怖がらなくても大丈夫。悲しまなくても大丈夫。078の憎しみはあなたが受け継ぐのだから」


「ど……ういうこと?」


「ほら、受け取って」


 ラサラが視線を送る。

 視線の先には教祖が持つ小さな血塊があった。断続的に鼓動するそのどす黒い血は、ほんの少し前まで一緒にいた赤毛の少女のものだ。


らえ」


 教祖が私に血塊けっかいを差し出す。

 身体が動かない。何も言うことは出来ない。そんなのは絶対に嫌だと叫びたかったが、喉の奥がカラカラに乾いてしまって声を出す気力もない。


「……ぁ……や」


「受け止める器が無ければ、感情は完全に消滅してしまう。血の儀式とは、すなわち蠱毒こどくだ。我々の死と憎しみが、無駄ではないことを証明する唯一の方法だ」


「……い……や……!」


「感情は捨てなさい」


 口腔に心臓が入ってくる。

 まだ鼓動している。目から涙があふれ出してくる。どす黒い魔力が流れ込んでくる。喉奥に血が流れこんでくる。身体の震えが止まらない。


「いやぁあああああ!!!」


 知りたくなかった。

 078がいままでどんな人生を味わっていたかなんて知りたくなかった。実の父親に犯されて、母親にゴミのように捨てられたあげくに、奴隷として売られてここに来たなんてこと知りたくなかった。



 しり、知り、知りたくなんてなか=』+`。

 


「わ、は、あぁ、あああ、ああああああぁあああ!」


 笑いが止まらないのはなぜだろう。私はどうしてこんな目にあっているのだろう。


 救われないし、報われない。078の人生とはつまり、何の意味があったのか。私はそれがすごく悲しい。


 彼女の血塊を飲み込んだ。

 感情の奔流ほんりゅうに身を流し、彼女の痛みに身を沈めた。


「私は……」


 意識が遠のいていく。自分の身体が自分から離れていく。いっそのこと起きたら、何もかもが消えていたら良いのに。



 私は孤独だ。


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