第172話 対峙
「……レイナ」
目の前の彼女はこの寂しい森で静かに座っていた。思わず見惚れてしまいそうになるほど美しく、伸ばした脚の白さに吸い込まれるのではないかと思えるほどだった。
額にかかった髪をかき上げると、レイナは口を開いた。
「ずっと待っていました。あなたなら、ここまで来てくれると思っていました」
「あぁ、ようやくたどり着いた。家出はもう終わりか?」
「……すでに
女神との契約。
俺の生命を縛る強力な魔法は確かに感じなかった。その力はおそらくレイナの中に封じ込まれている。
「1つ謝りたいと思います」
レイナは視線をさげて、広場の中心に置かれた焚き火に目をやった。
「『
「俺が死んだらどうなる?」
「その場合も大丈夫です。
「それを聞いて安心したよ」
「もっとも、アンク様が死ぬことはありません。私があなたを救いますから」
「いや……これで思う存分戦える」
俺の言葉を聞くと、レイナは悲しそうに目を伏せた。物
「引いてもらえませんか、アンクさま。私はあなたを傷つけたくありません。あなたを守るために戦っているのに、あなたに手を下すのは心が痛みます」
「まるで自分が負けるとは思っていない口ぶりだな」
「……挑発しても無駄です。私は今までのどんな『私』よりも強いですから。私の勝利は確定した事実です」
「……そういうの敗北フラグって言うんだぞ」
「事実です」
強情だ。
確かにレイナはもともと強かった。魔力量、魔力コントロール、そして人間離れした身体能力。全てにおいてレイナの右に出る魔法使いを見たことがない。
「試してみますか?」
レイナが魔力を発するのが分かった。
まばゆい光が辺りを包んだ。
冷や汗が頬を伝う。歯を食いしばり、意識をレイナに向ける。心臓が高鳴りが治らない。汗が引いてくれない。
魔力の暴風。
そんな恐ろしい量の魔力を発しているにもかかわらず、レイナは顔色1つ変えていなかった。
「分かりましたか?」
彼女が魔力を収める。永遠にも感じる数秒のあとで、そこには膝をついている自分がいた。
「た、たいしたこと無いな……」
「そうですか」
レイナは笑いもせず肩をすくめた。
「この場所を覚えていますか?」
レイナは雪が降りしきる上空に目をやった。
世界は完全な静寂で包まれていて、まるで作り物か、出来の悪い舞台のセットのようだった。
「ここはあなたと私が初めて出会った森です」
「昨日のことのように思い出せる」
「私もです」
雪の上で足を滑らせながら、レイナは嬉しそうな口調で言った。
「あなたはここで傷ついた私を拾ってくれた。初めて知る人の優しさでした。この腐った世界で唯一出会えたまともな人間だった。あなたが私に教えてくれた喜びは、返しても返し尽くせぬほどの
「俺が与えたんじゃない。君が自分で知ったんだ」
「いえ、手を握ってくれたのはあなたです。人の温かさを教えてくれたのは、あなたです。そんなアンクさまが私のせいでこの世界からいなくなってしまうなんて、到底許せることではありません」
「人はいずれ死ぬよ。レイナも多分、分かっているんだろう。俺だって1度死んだ」
「私は納得いきません。正しい人が幸福にならないだなんて、そんな世界、間違っています」
「いや……違う……」
彼女の言っていることが間違っているわけではない。
レイナが『やっていること』が自分の言葉と整合していない。
「君は間違っている」
「……なぜですか?」
「君の記憶を見た。だから分かる。これは君の本当の欲望じゃない。これは俺の幸せだ。レイナの幸せじゃない」
「あなたの幸せが私の幸せです。あなたのいない世界なんて、私にとっては無価値なのです。私の命に価値を与えてくれたのはあなたです。あなたの為なら、私はなんだって投げ出せる」
「俺は……」
「あなたのためなら世界の全てを敵に回したって構わない」
シンとした静寂の中でレイナは言った。
誰もいない森で、彼女の声はこだまして響いた。
「あなたの幸せ、それが私の欲望です」
「俺はそれを望んでいない。君を1人になんてさせたくない。君と出会った日々を忘れたくない。良いか、レイナ、俺の幸福はその世界にはないんだ」
「いいえ……あなたはきっと幸福でいられます」
少しためらった様子を見せて、レイナは返答した。
首を激しく横に振って、レイナは再び俺に向き直った。宝石のような綺麗な2つの眼が俺の顔を覗いていた。
「私の代わりなんて何人でもいます。あなたを好いてくれる人はたくさんいます。アンクさまは私がいなくても生きていけます」
「俺の代わりだって幾らだって……」
「ありません。私が感じた輝きは決して消えることがありません。あなたと過ごした日々は、過去、現在、未来、私の全ての人生を投げ打っても余りあるくらいに巨大なものですから」
「俺だってレイナに沢山のものを与えられた。君のことを忘れるなんて御免だ。それだったら死を選ぶ」
『異端の王』を倒してから今に至るまで、レイナとは様々な都市を旅してきた。5年以上に及ぶ冒険は苦しく辛い道程だった。
それでも彼女を選んだことを後悔したことは一度も無い。
「レイナがいたからこそ、俺はここまでやって来ることが出来た。それを忘れるなんて嫌だ」
「それがアンクさまの答えですか。ナツさんとパトレシアさんを倒して、記憶を取り戻して、得た答えがそれですか?」
「最初からこの気持ちは変わっていない。俺は君を離さない。君の思い出を、君との日々を、君が生きた証を手放したくない。俺は君を救う、絶対だ」
「……私はとっくに救われています。もうこれ以上は何もいりません」
そう言うとレイナは調子を確かめるように、指の関節をパキパキと鳴らした。浮き出た無数の血管からは、魔力が
柔軟性と瞬発力のある筋肉。単純な身体能力とそれを補う魔法で、レイナは何匹もの魔物を
今度はその力が俺に向いている。
「私はあなたを守ります。たとえ自分を失っても、自分が世界から忘れ去られたとしても、神となって永遠にあなたを守ってみます」
レイナが手をあげて、殺気を放った。
真っ白に染まった魔力が立ちのぼる。天へと登る狼煙のように、高々と宙へと広がっていく。
「……本気か」
「あなたが譲れないのなら、こうするつもりでした。説得は諦めて、戦闘行動に移行します」
「奇遇だな、俺もだ」
力の限りを振り絞って、魔力を出す。
全開時とは比べ物にならないが、まだ動いてくれるだけでマシだ
「最後の最後にあなたと話せて嬉しかったです。もう2度と会うことは思っていませんでしたから」
にっこりと笑ったレイナは、目を細めた。彼女が放った魔力は一面の雪を吹き飛ばした。
「どうか、大人しくしていてくださいね」
結局こうなるのか。
言葉が通じても、会話が成り立たない。俺と彼女が目指す方向は反対で、決して両立することはない。
「自分の欲望をつかめ……か」
正直恐ろしい。勝てるかどうかではなく、訪れるであろう結末が怖い。
でも、この欲望だけは抱えて走らなければ、それこそ生きる意味を失ってしまう。
彼女を失う方が、今の俺にとってはよっぽど怖かった。
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