⑨ レイナ

【No.???】


 眠りから目を覚ますと、ついこの間までにぎやかだった空間には誰もいなかった。


「終わったんですね……」


 パトレシアが封印していた元素神げんそしんが自分の中へと戻ってきている。

 もはやこの神の座には私しかいない。『死者の檻パーターラ』は完全に看破されたようだ。


「……寒い」


 風など吹くはずもないのに、寒さを感じる。身体の奥底から震えるような凍えを感じる。地面に力なく寝転んで、その柔らかな地面に身を委ねる。


「本当に欲しいものなんて、この世の中には……」


 目を閉じて、輝かしい日々の数々を思い出す。誰とも共有出来ない幻のような思い出。波が連れ去ってしまった砂の上の落書き。明日なってしまったら嘘のように消えてなくなる祝祭のモニュメント。


 華やかであるほど後悔が襲ってくる。

 もしも望んだものが永遠であるものであったのならば、私はこれほど苦しまずに済んだのかもしれないのに。


「えいえん、えいえん、えいえん」


 その言葉を何度も繰り返す。私はこれからその永遠になるんだ。

 女神としてこの世界を束ねるただ1つの機械になる。彼女の封印はすでに完了した。パトレシアの時間稼ぎのおかげで、サティ・プルシャマナの封印は完了した。


 今では彼女は私の一部だ。


「……瞑世の魔法」


 今の私は小指1つで世界を変えることが出来る。その支配者が変わったことにすら気取られずに、私は思うがままに世界を操ることが出来る。


 ただ1人、私自身を除いて、全ては私の思うがままなのだ。

 

 ……手に込めた魔力をパチンと弾いて見る。

 無作為に弾いた魔法はどこかの山にぶつかり、空間ごと消滅させてしまった。そこにいた生物も何もかも、シャボン玉のように弾けて消えた。


「あ……」


 同じところに魔法を使って、消滅した空間を復活させる。

 誰も世界が消えたことに気がつかない。数秒間の間、自分たちが宇宙のちりになっていたことすら分からずに、平穏な生活を送っていると思っている。


 全ては私の手のひらの上。

 思い通りにならないことは何1つない。前の女神の存在を消滅させて、新たな世界を作る。そこは皆が穏やかに平和に暮らす世界だ。


 不幸になる子どももいなければ、他人を食い物にする悪人もいない。迫害されて憎しみを抱えた放浪者もいなければ、使命と契約に翻弄ほんろうされる勇者もいない。


 歪んだ憎しみの連鎖から生まれた『異端の王わたし』という怪物もいない。


「これは正しいことなんだ。最初からこうすべきだったんだ。私と弟の罪なのだから、ここで終わらせなきゃいけないんだ」


 震える自分の手に言い聞かせるようにつぶやく。


 今なら、弟の気持ちが分かる。

 力を持つというのはこんなにも怖いものなんだ。自分が何もかもを支配する力とは同時に、自分をその外側に置くという行為に他ならない。


 圧倒的な孤独。

 私はこれから世界の終わりまでずっと孤独でいなきゃならない。あの人を守るために、あの人から離れなきゃいけない。


「……寒い……」


 内側から凍るような寒さは消えることがなかった。

 神の座は知らない内に形を変えていた。廃墟の城は、壊れた後すらもなく、ただのがらんどうになっていた。


 真っ白ですべすべとしたただの空虚だ。


 女神となった身には必要ないということのだろう。

 次第に身体の内側から、湧き上がってくる感覚が恐怖だということに気がつくまでしばらく時間がかかった。


「どこまで鈍くなっているんだ、わたし」


 気分が良くない。

 さっきまで屹立きつりつとまっすぐ立っていた柱も、形を失ってどろどろと溶けているように見えた。


 地面がない。

 空もない。

 壁もなければ、風景もない。


 私の周りだけ何もない。


「アンク……」


 まだ彼の名前は覚えている。それだけあれば、恐怖なんて大したことはない。彼と出会った日があれば、十分に私は満たされている。


 私のグラスは満杯だ。

 空っぽのショーケースも何時の間にか大量の泡で満たされている。グラスの内側に溜まって、まるで水槽みたいになっている。


 私は満たされている。

 私はみたされている。

 わたしはみたされている。


 だからもう欲しいものなんてない。


「……なんでこんなにさむいんだろう」


 ちゃぷちゃぷと自分の髪を濡らす水に気がつく。長く伸ばした白い髪が、水面の上で放射線上に広がっている。

 水は徐々にせり上がってきていて、徐々に神の座だった場所をカラフルな水で一杯にしようとしていた。


 さっきまで私が思い浮かべていたイメージだ。

 綺麗なアクリルのショーケースだ。泡で満たされた小さなショーケースだ。


「あ、あ、あ」


 身体が水に覆われる。

 ありったけの空気が自分の肺から飛び出していく。身体が水になっていくみたいに、内臓の隅から隅まで浸されていく。


「い……き……が」


 水がうねりとなって身体を襲ってくる。

 見定めるように、細胞の間をうように身体の中へと侵入してくる。力が溢れてくると同時に、囁く声が聞こえる。


『満たされているんでしょう?』


『あなたは満たされているんでしょう?』


『もう何もいらないんでしょう?』


『自分がいらないんでしょう?』


『欲望もいらないものよね?』


『思い出もいらないのよね?』


『代わりに永遠をあげる』


『蜜のような』


『砂糖のような』


『どろどろに溶けたカラメルのような』


『深海の冷たい水のような』


『永遠をあげる』

 

『全てはあなたの思う通り。』


 




 

 

  




 

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