第164話 最後の鍵へ


 持ち帰ったユーニアのレポートを、家に集まった面々で調べる作業が始まった。視力を失った俺はお茶を出しながら、彼女たちの会話から考察するくらいしか出来なかった。


「ねぇ、パトレシアは本当に何の手がかりも分からないの?」


「知らないってば。可愛い妹の頼みだとは言え、分からないものは分からないよ」


「ナツも?」


「知らない。同じ女神だったけれど、鍵の場所とか聞いたことがないし、瞑世の魔法がなんなのか実はあまり良く分かってないし」


「あー、もーキリがないわー」


 リタは再び困ったようにため息をついた。俺の家に着いてから、リタはもう両手では数え切れないくらいのため息を吐いている。


「うーん、今のところのヒントは瞑世の魔法の発動条件くらいかぁ」


 ユーニアのレポートの1枚を見ながらリタが言った。


「発動には2段階ある。まずは攪亂輪天具足ランチャ・ヴァダーラ。これがアンクたちの記憶をかっさらった魔法。前の次元からの切り離し行う方法。それを発動した今、世界は言わば宙づりの状態にある……ってここには書いてある」


「へー、そんな意味があったんだ」


「……言っておくけれど、あんたたちも一緒にこの魔法唱えていたんだからね」


「過程とか気にしなかったからね。私にとっての結果は、アンクを救うことだけ。魔力を貸しただけだもの。ランチャ……なんとかのコントロールとか難しくて分からなかったし」


「あの娘も苦労するね。まぁ、良いや。次の発動条件は……」


 リタはペラリと紙をめくるとそこに書いてあることを読み上げた。


「2段階目であり、瞑世の魔法を完成させるもの。胎界輪天具足ダルマ・ヴァンダーラ。これが次元を創成する方の魔法ってことね。女神を封印し、その力を完全に吸収したことによって十分な魔力を得ることが出来る。宙ぶらりんの状態からシフトするための魔法ってことね」


「正直、スケール大きすぎて分からないわぁ」


「バカ姉、出番が終わったからって、急に気を抜くと外に放り出すわよ」


「はぁい……」


「さて……問題なのはこの魔法の対処法だけれど…………やっぱり書いていないか。この山を探すしか無いってことね」


 リタに指示されながら、ナツとパトレシアもようやく必死で紙の束を漁り始めた。直接戦うのはなしだが、間接的に手伝うのならオーケーだというのが、2人のポリシーらしい。


「悪いな、リタ」


「だから、アンクが謝ることじゃないって。私の友達のことでもあるんだから」


「……助かる」


 山をかき分け始めてから早3時間。

 手がかりは依然としてつかめず、3人はかなり煮詰まってきたようだった。


「それにしても弱点はおろか、発動の予兆すらないってことか。魔法である限りは何かしらの前兆が合っても良いと思うんだけれどなー。世界全体に魔法をかけるくらいの規模なんだし」


「女神なら瞬時に魔力を通してみせるよ」


「でもあなたたちは、それをしなかったでしょ」


「それも……そうだね」


 ナツが手を打って言った。


「直接、天罰を下すことは避けていたような気がする」


「つまり何か理由というか、神である存在が下界に干渉するには複雑な条件をクリアしないといけないはずなのよ」


「あ、確かに天罰はリスクが高いとか言っていた気がする」


「それを早く言ってよー。そしたら間違いなく予兆はあるはずなんだよ」


 うーんとうなりながら、紙束とにらめっこする3人にニックがお茶を運んできてくれた。


「まぁまぁ、お嬢さん方、ハーブ茶でも飲んで一息ついたらどうですか?」


 スパイスの効いたハーブの香りが、湯気を立てている。匂いだけで爽快な気分にさせる気の利いた香りだった。


 ……うん、やっぱりニックは出来るメイドだ。

 ハーブ茶を飲んで、少しは気が晴れたのかリタは窓の外を見て言った。


「こうしている内に、もう冬かー。この辺も雪に覆われちゃうね。冬支度しなきゃ」


「もう今朝から降り始めてたよね、雪」


「あ、やばい」


 ナツが思い立ったように慌てて席を立った。


「チャリを外に出したままだった! このままだと凍えて風引いちゃう!」


「チャリ?」


「私のロバ!」


 急いで行ってくると、言い残してナツは俺の家を出て行った。

 降りしきる雪の中を一目散に駆けていく。今朝方から降り始めた雪は、すでに俺のくるぶし上くらいまで積もり始めていた。確かにこれではチャリの身体には毒だ。


「そろそろ雪支度、始めなきゃね。本格的に始まる前にみんなで集まれれば良かったんだけど……」


 リタがぼんやりと物げに言った。


「間に合うにせよ間に合わないにせよ、この家にどちらか1人しかいないだなんて考えられないよ」


「どうにかなるさ、きっと」


「ねぇ、アンク。それって……」


「本気だよ」


「……私はとうてい信じられないな」


 リタは疑わしげに言った。

 

「アンクの状態はどんどん酷くなってきていることもさすがに分かるよ。魔力炉がまともに機能していないことだって知っている。私の魂に誓って、あなたがこの冬を越せるって言い切れる?」


「それは……」


 答えられない。

 自分の命がどれくらい持つかを、ほとんど眼中に入れられずにここまで進んできていた。


 そうでもしなければ、恐怖で足がすくんでしまいそうで、そっちの方がずっと怖かった。

 

「言い切れない」


「正直だね、アンクは」


 リタは小さくため息をつきながら言った。


「嘘でも出来るって言えば良いのに。本当にお人好しなんだから……」


 再びレポートの束へと手を伸ばしながらリタは言った。


「でも秘密にされるよりかは、ずっと良いかな」


 それから彼女は再びユーニアが書き起こした書類に目を通し始めた。俺のわがままを知りながら、リタは受け入れてくれた。


「リタ」


「何よ、改まって」


「ありがとう」


 そう言うと、リタは照れ臭そうに笑った。


「ちょっと止めてよ。恥ずかしいじゃん」


「そうよ、そうよ。リタばっかりずるい。情報あげてるから! 私も褒めて!」


「あんたは私たちの骨を粉々にしただけで、他は何もしてないでしょ。調子にのるんじゃない」


 リタがパトレシアに一喝すると、彼女はむぅと唸りながら声をあげた。


「あー、あー、1年前が懐かしいわ。みんな平和で丸く治らないもんかしら」


「こうなったら、みんなで結託して女神を倒すとか。もともとの発端はアンクの契約の問題でしょ。女神を屈服させて契約をなかったことにしてもらうのよ」


「それねー、私たちもやろうとしたけど無理だったわ。女神、めちゃくちゃ強いんだもん。もう1度戦えなんてゾッとする」


「じゃあ話し合い。女神の力を返して欲しかったら、アンクの契約を切ってもらうように交渉するのよ。どう、これ?」


「ダメダメ。向こうに女神の力を譲渡した瞬間、みんな消し炭にされるわ」


「話通じない系の人なんだね……」


「まーね。アンクの件は抜きにしても女神の言っていることは理にかなっているし」


 パトレシアは一口ハーブ茶を飲んでから、言った。


「ことの発端はアンクじゃなくて、『異端の王』なのよ。女神っていうのは世界を管理する一種の機構。人間のような姿をしているけれど、人間じゃない。私たちとは考え方が違う。彼女はただ『異端の王』を排除したいだけ」


「あくまで世界を守りたいってことか」


「うん、『異端の王』がウィルスだと考えるとしたら、彼女はウィルスが死滅するまでは攻撃をやめない。世界を管理する立場として、自分の役割を果たしたいはず」


「……そうなると説得も協力も無理……ね」


 思い悩んだように、リタは鉛筆を転がした。コロコロと木のテーブルを転がる鉛筆の音が室内に響いた。


 しばらくの沈黙のあとでリタは言った。


「まぁ良いわ。感情論になるとキリが無いし、私は単純に『彼女』の行動に我慢ならないだけ。アンクもそうでしょ?」


「そう……だな」


「要は振り出しに戻ったっていうだけのことよね。何の手がかりもなく、何のヒントもない……うん、最悪ね」


 リタが諦めの言葉を放って天をあおいだ。

 

「あー、なにか無いかしら! ヒント!」


 リタとパトレシアが頭を抱える。この最終局面に来て、俺たちは完全に手詰まりに陥ってしまった。


 気を効かせたニックが2杯目のお茶を運んでくる。

 その時、こんこんと家のドアをノックする音がした。


「はい! ただいまー!」


 キッチンからニックがエプロンを解きながら、駆け寄ってくる。急いで開けた時、そこにいたのは寒さで身体を震わせるナツだった。


「ナツさん、おかえりなさい! どうでした? ロバの様子は?」


「うん、チャリは大丈夫だったけど……」


「けど?」


 ナツの様子がおかしい。

 尋常で無いくらいに熱をもっている。コートを着ていたにも関わらず、彼女は危険な状態になっている。

 彼女が倒れる寸前、近くにいた俺がナツの身体を拾い上げる。


「ど、どうしたんですか!?」


 ニックが驚きの声をあげて走ってくる。

 台所から水を持ってくるように言ったあとで、改めて体温を計る。彼女の額に触れると、身体に暑さが一気に伝わってきた。


「これは……」


 ぐったりと横たわるナツの身体を抱き上げて、問いかける。


「風邪か?」


「うん……たぶん」


 汗で額を濡らして、ナツは眠たげに言った。

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