第160話 結局、何をやっても後悔するんだから


「空の魔法、寂定相天鼓の雷音ディヴィヤメガニル


 電光をほとばしらせるベールを、パトレシアは腕に巻きつけた。拳から流れる電流が彼女の身体を包む。筋肉に沿うように魔力が張り巡らされていく。


「もう、あなたたちには止められないわ」


 血がにじむほどきつく握りしめた拳を、パトレシアは俺とシュワラに向けていた。


「私はアンクを救いたい。たとえ自分の命を失っても、たとえこの魂が燃え尽きようとも。それだけは変わらない私の欲望。それを邪魔するのならば、誰であろうと許さない」


「良い度胸ね」


 その圧倒的なプレッシャーに対して、シュワラは笑っていた。


「やっと、あなたがこっちを見てくれた」


 シュワラも辺りに熱波を放つほどの、強力な魔力をまとい始めていた。彼女のスーツから蒸気がもうもうと立ち上っている。あまりの魔力の負荷に彼女のスーツがパラパラとがれ落ち始めていた。

 

 蒸気の中で血をぬぐいながら、シュワラは言った。


「私は死んだあなたを許さない。1人で全部背負ったことが間違いだった。それを認めさせるまで、私は絶対に諦めない」


「……あなたじゃ私に敵わない、絶対に」


「さっきまではね。でも、今は違う」


 シュワラは笑っていた。

 魔力差は歴然にもかかわらず、燃え上がる炎の中でシュワラは不敵に微笑んでいた。


「今のあなたはただの人間よ。私に真っ向からぶつかろうとしている。同じ土俵に立とうとしている」


「ただの余裕よ」


「何とでも言いなさい。あなたを完璧に負かすことしか、私に出来ることはない。あなたも同じでしょ。私を殺せないんじゃ、誰も守れない」


「えぇ……そうね」


 パトレシアがその言葉に頷く。

 もう2人がそれ以上言葉をまじ合わせることはなかった。


 向かい合った2人は静止したようにピタリと止まり、呼吸すら止めていた。立ち上る魔力が激しい音を立てているはずなのに、まるで物音の1つすらしない沈黙の中にいるように感じた。


 肌が凍るような緊張感が周囲をつつむ。


「シュワラ……」


 ここで勝負が決まる。

 シュワラが負ければ、俺たちに道はない。シュワラがパトレシアに一撃を喰らわせられれば、その隙に解法モークを撃つことが出来る。


「頼むぞ」


 これは俺の後悔だ。

 あの時、あの川べりでもっと違う言葉をかけていれば。あの選択を止めていれば、きっとこの現実は変わっていたのではないか。


 俺がいなければ……パトレシアは死ななかったのではないか。


「結局、何をやっても後悔するのか」


 だからこそ2度も同じものをこぼすわけにはいかない。

 きっとシュワラも同じ気持ちなんだと、今ならはっきり分かる。


「……私はあなたを諦めていない」


 シュワラの言葉を合図にして、2人の姿は消えた。視認できた瞬間には、2人は空中の一点で互いの頬に拳を向けていた。


 パトレシアの方が速く攻撃の態勢に入っている。


固定フィックス!」


 全神経を集中させてパトレシアの身体を固定させる。身体中の魔力を振り絞って、彼女の身体を止めることに集中する。


 少し。

 ほんの少しで良い。


 パトレシアの動きを止めなければ、シュワラの拳は届かない。イメージの箱で包み、固定魔法で動きを止める。


「……甘い!」


 パトレシアが叫んだ。

 パリンと乾いた音を立てて、イメージの箱が崩れていく。パトレシアがまとっていたベールが、星のように光輝いて俺の魔法をき消した。


「魔力干渉か……!」


 届かない。俺が放った魔力が霧散むさんされている。

 ベールにまとった魔力によって、完全に魔法が無効化されている。再発動も敵わない。


 パトレシアの方がシュワラよりも1テンポ速く攻撃態勢に入っている。圧倒的な加速力でシュワラの全力を上まった。


 間に合わない。

 頭の中を敗北の2文字がよぎる。


「風の魔法……」


 絶望の最中に、リタの声が響いた。

 小さな風が、向かい合う彼女たちの真正面で出現した。


裂戒の飛ヴァイス


 地面にうずくまったリタから発射された魔法は、風の壁を作り出し、パトレシアの勢いをいだ。


「リタ!?」


「私のことを忘れてたね。だからダメなんだよ、パトレシアは。いつだって詰めが甘い」


 リタはフッと笑って、くるくると風を回転させた。

 追い風を受けたシュワラは空中で一回転した。パトレシアの拳の動きに沿うように動き、パトレシアの間合いに入った。


「っ……!」


 パトレシアの拳が空振りに終わる。

 懐にすべりこんだシュワラを止めることが出来ない。遠心力を使った強力な一撃がパトレシアの腹部へと放たれる。


「終わりよ、パトレシア」


「……私だって」


 パトレシアの瞳の光はまだ消えていない。


「やられるわけにはいかないの」


 パトレシアの魔力が風をかき消す。

 彼女の3つ目の力、風神ヴァーユが周囲の風を支配する。


 シュワラの身体が風に巻き上げられる。

 上体をひねったシュワラの裏拳は空振りする。勝ちを確信したように微笑んで、パトレシアが次の一撃を構えた。


「ごめんね、シュワラ」


 魔力をためながらパトレシアはシュワラの眉間に、人差し指をおいた。雷撃が彼女の額を捉えている。


「あなたを裏切ったこと後悔しているわ。でもやっぱり……あなたは私の大切な友達だったから……」


「バカね」


 シュワラがパトレシアの言葉をさえぎって言った。


「なんで呑気にしゃべってるのよ」


「……な!?」


 シュワラの言う通りだった。

 今の瞬間、パトレシアが見せた余裕が勝負の分かれ目だった。そのまま何も言わず、パトレシアが電撃を放っていればそれで終わりだった。


 シュワラの攻撃は完全に終わった訳ではない。

 パトレシアの髪の毛を掴み自分の方向に引き寄せてから、シュワラはその額に思い切り頭突きを食らわせた。


「…………! いっ……たあぁああああ!!」

 

 火花が散るほどの衝撃があたりに響いた。全く予想していなかったのか、防御をおこたっていたパトレシアは悶絶しながら、叫んだ。


「いたぁああああい! 信じらんない! 頭突きってあんた正気!? こんな野蛮な攻撃……!」


「同じセリフを返すわ。『体裁を気にしたあなたの負けね』……。最後まで同情するんだなんて……本当にバカ……」


「…………!!!」


 空中から2人の身体がフラフラと落ちてくる。額から血を流した彼女たちは、目を回したまま地上に落下しようとしていた。


「まずい、パトレシア……『死者の檻パーターラ』が解けかかってるよ!」

 

 パトレシアの身体が消えかかっているのを見て、ナツが目を見開いた。


「なんとかする!」


 魔力は完全に溜まった訳ではないが、このタイミングしかない。


解法モーク


 ありったけの力を込めて、パトレシアにかけられたを『死者の檻パーターラ』解析する。


 流れる血流。

 収縮する筋肉。

 破裂する細胞。


 だが、解法モークが発動し始めた時、視界が電源を落としたように何も見えなくなった。


「……っっくそっ!!」


 魔力炉が限界を迎えた。視界がゼロになり、状況が分からない。


 魔力を通して、パトレシアの身体の情報だけは手に取るように入ってくる。目が見えなくても構わない。その魔法を掴み、ショートしそうな頭の中に情報を叩きつける。


「解法、概念捕捉キャッチ


 螺旋らせんの先へ。細胞1つ1つが描く、彼女の命を覆っている魔法を捉える。


 熱い、熱い、熱い。

 圧倒的な情報量が頭の中に流れ込んでくる。脳のいたるところで、穴が空くみたいなブツブツという音がする。


「魔力が……足りない……!」


 さっきの戦闘で消耗しょうもうしすぎた。パトレシアの身体へと放つ分の魔力が、足りていない。


 このままだと、彼女が消滅する。


「アンク」


 震える俺の腕を誰かが握った。


「……ナツ……?」


「私の魔力、貸してあげる。だからパトレシアを死なせないで」


「……分かった」


「絶対だよ」


 ブシュとナイフで肉を引き裂く音がする。鮮血が傷だらけの俺の腕に垂れていく。 


 血が混じっていく。

 ナツの温かな血が、俺の中へと流れ込んでくる。魔力が充填じゅうてんされて、再び身体中を巡り始める。


「解法、生命連結リンク


 パトレシアの魂を固定していく。

 慎重に、手のひらに包み込むように、木から落ちてきた卵を受け止めるように魔力の線を通していく。


固定フィックス


 ……彼女の魔法が流れるのを感じる。

 あとはもう大丈夫だ。パトレシアの『死者の檻パーターラ』が解けることはない。


「アンク!」


 耳元で叫ぶ声が聞こえる。

 視界は未だに真っ暗なままだった。自分の身体がどうなっているのかも分からないい。五体満足なのか、それともドロドロに溶けてしまっているのかすら分からなかった。


 それでも他の皆が、しっかりと呼吸をしているのが分かっただけで、俺の願いはもう十分だった。


 

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