第6話 女神との契約


「『異端の王』。世界を脅かす危機……か」


 黒いマナは不気味に宙を舞っている。世界全体を覆い隠そうとするように、不気味に動いている。

 プルシャマナとかいう世界に危機が迫っているということは分かった。けれど、この話の流れには脈絡が無いにもほどがある。


「どうして俺なんだ?」


「選考ポイントは幾つかあるけれど、1番気に入ったのは魂の形かな」


 サティは自分の髪をくるくるともてあそびながら言った。


「今迫っている危機、『異端の王』に立ち向かうには腕っ節の強さ以上に、心の強さが問題になる。生半可なまはんかな相手じゃない。そこで私が戦うに相応しい魂の形をサーチして、1番適合したのが君だったって訳だ」


「俺が? 才能があったってこと?」


「最近死んだ人間の中ではって話だけれどね。あとこき使いやすそうなのも良かった」


「知らねぇよ……魔法なんて使ったことがないし、ましてや何かと戦ったことなんてない」


 『異端の王』だか何だか知らないが、殺すのも殺されるのも嫌だ。俺がそう言うと、サティは自信ありげに言った。


「その点は心配しなくて良い。この私が君に相応しい規格外の魔法を見繕みつくろってあげる。戦闘に関することは気にしなくて良い。そのうち慣れる」


「あと、その『異端の王』っていうのはどんなヤツなんだ。今のところ黒い霧しか見えないんだけど」


「うーん、来るとは思っていたけれど、答えにくい質問だなぁ」


 困ったようにサティは眉を下げた。


「『異端の王』っていうのは、君が想像する魔王だと思ってもらえば良い。ほらRPGのラスボスだよ。あれが産まれると、この世界は間違いなく滅びる。その前に君に何とかしてもらいたいっていうのが、ざっくりとした経緯だ」


「そこまで分かってるなら、自分で何とかすることは出来ないのか。あんた女神だろ」


「そうしたいのはやまやまだけれど。相手も巧妙こうみょうでね。このカメラに映らない地下深くで計画を進めている。天罰なんか起こして、ここの管理がおろそかになったら本末顛倒ほんまつてんとうだし」


 サティはふるふると首を横に振った。

 女神という割には随分と制限のある存在だ。


「女神と言っても、管理者に過ぎないからね。中間管理職だよ、中間管理職ぅ」


「……お互い大変だな。じゃあ次が最後の質問。もし断ったらどうなる?」


「試してみようか」


 サティは頷くと、パンと手を叩いた。


 ……あ。


 身体を襲ったのは凍りつくような寒さだった。身体の内側が氷でもなったみたいに、消えない寒さ。頭がぼんやりと考えるのも嫌になる。



 寒い。

 寒い。

 寒い。寒い。寒い。寒い。寒い。寒い。



「はい、終わり」


 パンと再び手が叩かれる。

 意識は再び目の前のサティに。青い髪を揺らしながら不敵ふてきに微笑む女神に、焦点が合う。


「……あ」


「実に2ヶ月と16日、君は死んでいた。意識も無意識もなく、死の世界を漂っていた」


「嘘だろ」


「本当だよ、もう一回やってみるかい」


「や、めろ。やめてくれ……!」


 あんな寒気、感じたことがなかった。

 思い出しただけで、ドッと汗が噴き出してくる。


「私の契約を断った場合、君の魂は大人しくその理にかえってもらう」


「だから、話に乗れと」


「別に悪い話じゃない。記臆付きの転生はトップクラスの条件だ。さらに任務を倒したら君は大英雄になれる。そうすれば、女の子にだってモテモテ。一夫多妻制だ。ハーレムだって夢じゃない」


 サティの言葉にはだましたり、表現を誇張している様子はない。彼女はありのままの事実を俺に伝えている。


「これ脅迫だよな」

 

「違う、命令だよ」

 

 サティはちゃぶ台の上にペラ紙の契約書を置くと、そこに拇印ぼいんを押すように言った。


 もはや選択の余地はない。


「本当に……悪魔みたいな女神だ」


「良く言われる」


「くっ……白々しい」

 

 断れるわけがない。何が待っているかは知らないが、さっきみたいな目に会うのはごめんだ。


 俺が契約書に拇印ぼいんを押すと、サティは満足そうに頷いて大事そうに丸めて、口の中に入れて飲み込んだ。


「これで良し、と。じゃあお仕事頑張ってもらおうかな」


「……まずは何をすれば良いんだ」

 

「『異端の王』が形になって現れるまではまだ時間がある。とりあえず、すくすく育ってもらうのが最優先かなぁ」


「すくすく育つ……って」


「この世界で暮らすからには、人体構造を作り直さないと話にならない。だから君には赤ん坊になってもらうんだ、ばぶー」


 よいしょ、と言ってサティは、手のひらからモクモクとドライアイスのような煙を発生させた。立ち上る白い煙は俺の身体を、ゆっくりと包み込もうとしていた。


「おい、もう始めるのか!? まだ聞きたいことは山ほどあるのに!」


「大丈夫、聞いても分からないから」


「ふざけ……t年おdgじゃお;fがfj;」

 

 声がうまく出せない。


「催眠ガスだ。これより転生を始める」


 白い煙のせいだ。

 感覚の何もかもが自分のものから外れていく。宙にふわふわと浮かんでいるようだった。


「せいぜい、頑張ってくれたまえよ。君は……世界の希望だ」


 ふいに波の音が聞こえてくる。

 打ち寄せる波の音が近づいては、遠ざかっていく。

 花の香りで胸いっぱいに広がる。何の花かは分からないが、むせかえるような甘い香りがした。


「あ……」


 その香りにいざなわれるように、俺は深い眠りについた。




◇◇◇


 

 それから。


 プルシャマナの東の外れにあるサラダ村で俺は産まれた。正しくは拾われたと言った方が良いだろう。森の中でぼうっとしていると、たまたま通りかかった村の老夫婦に俺は拾われることになった。


 その人たちによってこの世界で希望を意味する『アンク』という名前を付けられた。


(たぶん、この人たちには転生したとか言わない方が良いんだよな)


 サティが言ったように俺は前世の記憶をぼんやりと持ったまま、成長していった。記憶が明瞭めいりょうになったのは4歳の誕生日を迎えた後で、俺はこの世界に転生したのだということが明瞭に理解できるようになった。


 老夫婦は驚異的なスピードで成長する俺に、目を丸くしたり、いちいち腰を抜かしていたが、それでも変わらずに優しく接してくれた。


「アンクはたくましい子だね。きっと偉い子になるよ」


「そうだねぇ。これなら私たちがいなくなっても大丈夫」


 俺が12歳の時、彼らはその宣言通り穏やかな死を迎えた。広い家に1人きりになった俺は、大工仕事を手伝いながら暮らしていた。


「君は珍しい魔法を使うね」


 運命が変わったのは、とある魔法使いがサラダ村を訪ねてきた時だ。


 その日、俺はいつも通り仕事をしていた。

 その魔法使いは、たまたま近くの町で魔法教室を開くために通りかかったらしく、魔法を使ってせっせと仕事をこなす俺に声をかけてきた。


「木を魔力で固定しているのかい?」


「あー、うん」


「これは……珍しいな」


 その魔法使い、のちの俺の師匠になる人は興味深げに言った。


 プルシャマナにおける魔法は5つに分類される。

 世界を形作ると言われる『空、風、火、水、地』の元素に則って、1人に付き1種類の魔法が顕現けんげんする。火属性の元素を持つ人間は火を自在に操り、地の元素を持つ人間は大地を操ることが可能だ。


「君の魔法はこの世界には本来存在し無いたぐいのものだ」


 俺が使える魔法は五大元素のどれにも当てはまらないものだった。


 物体を固定する力。

 師匠が言うところによると、魔力を使って物体そのもの時間を一時的に止めているらしい。詳しく分析したところ、時間干渉と空間干渉の両面を持った強力な魔法だったらしい。


「この子の力はとても強い。きちんと魔法の使い方を学ばないといけない」

 

 師匠はそう言って大工の棟梁とうりょうを説得して、俺を魔法修行の旅に連れて行ってくれた。そこで俺は戦うための魔法を習得する。


 そして18の時に俺は師匠の元を離れて1人立ちすることになった。それから長い旅を経て、俺はその『異端の王』を殺すことに成功した。

 

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