⑥ 迫り来る瞑世

第119話 忘却と放浪


 いつもの通りの時間に目を覚ます。

 窓から見える景色は穏やかで、木々にとまる鳥たちも眠たげに小さな声で鳴いていた。そろそろ秋も終わりかけて、冬の準備に入っているのだろう。動物たちの姿も徐々に見えなくなっている。


 そろそろストーブを物置から出した方が良いかななんて考えながら、のんびりと起き上がる。特にやることもないし、本当はもっと寝ていても良いのだが、いつもの癖でこの時間に起きてしまう。


 顔を洗って、階下に降りていくと、美味しそうなスープの匂いが漂ってきた。


「おはようごぜぇます! 旦那さま!」

 

 メイド服を着た髭面ひげづらの男が俺に声をかけてきた。名前をど忘れしたが……えーと……誰だったか。


「どうしましたか、旦那さま。あっしの顔に何か付いていますか?」


 綺麗とは言わない顔が俺に向く。

 そうだ、思い出した。住み込みで働いてくれているニックだ。


「おはよう、ニック。今日も旨そうなもの作ってるな」


「へぇ! 旦那さまに精力をつけてもらおうと思いまして、とびっきりのやつをお作りしました!」


「ははは、冗談はよせよ」


「がははは」


 嬉しそうに大笑いするニックに苦笑いを向ける。


 ……本当につまらない冗談だ。

 今の俺には精力をつけようが、もてあますだけなのに。コトコトと煮立った鍋から香る匂いは、本当に美味しそうなだけに、残念だ。


「ところでニック、なんでお前、女物のメイド服なんか着てるんだ」


「ありゃ。旦那さまがメイド服が良いっておっしゃったんじゃないですか! フリルの付いた可愛いやつ。覚えていらっしゃらないんで?」


「今すぐ脱いでくれ」


「……そうですかぁ」


 朝からとんでもないものを見た。

 確かにメイド服は好きだが、むさくるしい男に着てもらいたいなんて言った覚えもないし、思ったこともない。着るなら俺に見えないところにして欲しい。


 慌ててメイド服を脱ぎ始めるニックを見ながら、ため息をつく。そろそろニックにも休みをあげた方が良さそうだ。あいつもかなり疲れが来ているらしい。


「アンクさーん」


 コンコンと扉が軽くノックされる。


「ナ……」


 誰かの名前を口にしようとして、やめる。多分、窓の外の人間はそんな名前の人間じゃない。

 扉を開けると、顔なじみの郵便局員がぺこりと挨拶して、新聞と郵便物を差し出してきた。


「今日も良い天気ですね! 秋晴れって良いもんですなぁ!」


「あぁ、何か面白いニュースはあったか?」


「何も! おかげさまで平和そのものです」


 山ほどの郵便物を渡してきた配達員は、爽やかな笑顔で去っていった。俺の家はサラダ村から少し離れているので、こうして郵便物をまとめて送ってもらっている。


 椅子に座って、新聞を開いてみたが、彼が言った通り何も面白そうなことはなかった。どこそこの村で牛が産まれたとか、それくらいのこと。俺が『異端の王』を倒してからというものの、世界は平和そのものだった。


 新聞にはちょうど、俺がインタビューを受けた記事が載っていて派手な見出しがつけられていた。


「『たった1人で世界を救った男』……か」


 仲間の1人くらい見つくろってくれたって良いのにと、俺を呼び出した女神に愚痴りたいことは何度もあったが、顔も思い出せない彼女が今どこにいるのかも分からない。『異端の王』を倒したから、お役御免ということだろうか。


 適当に流し読みしながら時間を潰していると、ニックがスープの入った鍋をテーブルの上に置いた。


「お待たせしました、旦那さま。朝食です!」


「良い香りだな。何かいつもと違うスパイス使った?」


「さすが、旦那さま。庭で育ったハーブと、仕入れたスパイスを使ってますぜ」


「へぇ……」


 スプーンですくって口に入れると、すっきりと酸味のある味わいと、奥深さのあるコクを感じた。鶏ガラの出汁もしっかり出ていて、高級料理店のものと比べても遜色の味わいだった。


「うまいな」


「そうですか、光栄でさぁ!」


「まったく、お前が料理下手だったら、3秒で追い出していたところだよ」


 ニックはとことん料理がうまい。

 なにぶん、辺鄙へんぴな場所でずっと一人で暮らしていて、自分で育てて食べるということが癖になっている。おかげで出てくるものは、いつも新鮮で味も抜群にうまい。


 あっという間に完食して、安楽椅子でくつろいでいると、また眠気がやってきた。まだ正午にもなっていないのに、思わずうとウトウトしてしまう。


「やれやれ、これじゃ隠居した爺さんだ」


「どこか行ってきたらどうですかい? 家のことはやっておくので、たまには遊んできては?」


「……そうしようかな」


 カサマド町に知り合いがやっていた酒場がある。

 たまには顔を出してみるのも良いだろう。思えば、この前カルカットの祭りに行ってからというもの、あまり外出していない。


 ニックに「なるべく早く帰るよ」と伝えて、家を出る。外はすっかり寒くなっていて、薄手のコートでは少し肌寒く感じた。


「おー、さむ」


 森の中を抜けて、サラダ村の中心部も通り抜ける。新しく作ったという巨大養鶏施設には、いくつもの鶏がさわがしくわめいていた。


 最初に出来た時、おすそ分けということで卵を試食させてもらったが、そこまで旨いものではなかった。この辺には他にも養鶏場があったはずなのだけれど、いつの間にかなくなってしまっていて、名前も思い出せない。


「本当にジジイになった気分だ」


 肩を落としながらカサマド町へと入って、しばらく歩くと、馴染みの酒場が見えてきた。


「あれ……?」


 俺が知り合いの酒場だと思っていたところは、なぜかすっかり空き家になってしまっていた。店があったという気配だけはあるのだが、看板も出ていない。入り口は完全に閉ざされていて、中も見えない。


「この前まで開いていたはずなんだけれどな」


 人の気配もしない。

 まるで最初からもぬけのからだったみたいに沈黙している。確かにこの酒場に良く言っていたはずのなのに、それも名前すら思い出せない。


「なんか調子狂うな……」


 起きているのに、まだ眠っているような感じだ。

 そんな寝ぼけたままの頭を抱えながら、適当な酒場を見つけて入る。昼過ぎにも関わらず、店内は客たちで賑わっていた。


 店に入るなり、俺の姿を見た女の客たちから黄色い声が上がった。


「きゃー、アンクさまだー!」


「ねー、一緒に飲もうよー!」


 目をキラキラと輝かせる女たちが、俺に寄ってきて抱え込むようにして引きずり始める。


 この娘たちと飲むのも悪くはないのだが、今はちょっとそういう気分ではなかった。


「……あー、いや今日はちょっと調子悪いんだ。また今度な」


「そうなんだー、ざーんねん」


 ため息をついた彼女たちは、またすぐに楽しそうに会話を始めた。そんな彼女たちに背を向けながら、俺は離れたところで、醸造酒の水割りを頼んだ。


「なんだ、やっぱり調子が悪いっていう噂は本当だったんだ」


 小さなグラスを持ってきた男の店員は、俺の顔を覗き込んで言った。


「やっぱりって何だよ?」


「カルカットで倒れたって話。祭りの最中にダンスホールでぶっ倒れたんだろ。みんな心配してたよー」


「倒れた?」


 初耳だった。

 それにダンスホールで踊るなんて、そんな柄じゃない。キョトンとしていると、店員の女は眉をひそめた。


「え、覚えてないの。カルカットの祭り、ついこの間だろ」


「それがあったのは知っている。でも、ダンスホールなんて、俺は……誰と踊っていたんだ?」


「知らない。どっかの女でも引っ掛けたんじゃないの」


「全然記憶にない」


「……よっぽど酔ってたんだな。じゃあこの水割りは没収ぅー。代わりに牛乳でも飲んでろよ」


 グラスを取り上げられて、代わりにミルクが入ったマグカップを渡される。仕方なく完飲して、店を出る。


「早く寝ろよー、なんか顔色悪いぞー」


 店を出る間際、男の店員から声をかけられる。確かにあいつが言う通り、少し調子が悪いかもしれない。


 店を出た後、街の喧騒けんそうがやけにうるさく聞こえた。

 歩いているのに、地面がないみたいで、奇妙な気だるさが身体をおおっていた。きっと2日とか3日すれば、この違和感はなくなるはずだ。


 ……それにしても、何か大事なことを忘れている気がする。

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