第96話 小休止


 数10分後。

 俺たちは薄暗い地下階段の踊り場で、ナツが持ってきた花柄のシートを広げて輪になっていた。

 

「なんだ、この状況……」


「まぁまぁ、この辺で魔力も回復しないと。次に何が待ち受けているのか分かんないし」


「そりゃそうだけど」


「ミルク温まったよ。はい、どうぞ」


「おう……ありがとう」


 ナツが水筒に持ってきたミルクを温めてくれた。

 すっかり伸びてしまったニックは、薄い毛布をかぶせて寝かせてある。よほど疲れていたようで、そのうちグーグーと大きな寝息を立て始めた。


 ナツはマグカップにホットミルクを注ぐと、さっきまで殺し合いをしていた女に差し出した。


「ラサラさん、で良かったかな。はい、あなたの分です」


「ありがとうございます。お優しいんですね」


 まるでピクニックに来たかのような光景。せめて場所さえ変えれば、少しは心も落ち着いたはずなのに。


 魔法の霧が晴れた室内は息ぐるしさは無くなっていたが、陰気であることには変わりない。まず、こうやってラサラが俺たちと一緒にマグカップを傾けている姿は信じ難かった。


「この、ホットミルク美味しいですね。あなたの牧場で作られたのですか?」


「まぁね。卵と牛乳に関してはその辺のやつに負ける気は無いから」


 ドーナッツをかじり、自慢げに言うナツに、ラサラはおかしそうに笑った。


「こういうものを飲んだのは子どもの時以来です。ここ何年かは、乾いたパンと水しか摂取していなかったものですから」


 ニコニコと笑う彼女が、あの映像と同一人物だということは信じ難かった。普通の人間のように振舞っていることが、何だか納得いかなかった。


「おい、おまえ……邪神教の幹部のラサラだよな」


「はい、そのラサラですよ。この地下室で子供たちを実験台にして、日夜『異端の王』の作製に励んでいた大罪人です」


「悪いことをしているって自覚はあったのか」


「人を殺めるのは悪いことです。それくらい私だって知っています」


 うさぎのマークがついたマグカップを傾けながら、ラサラは言った。


「邪神教と名乗るくらいですもの。邪の道を歩む覚悟でしたから、分かっていて悪いことをしたのです。手段は選ばずに目的を遂行するためには、仕方がないことです」


「目的って……。お前たちはいったい何がしたかったんだ。たくさんの子どもを殺して、世界を滅茶苦茶にするのが、お前のしたかったことか」


「はい、だいたいそれで合っていますよ」


 ラサラは「大正解です」と言って、頷いた。


「そんなの間違っている」


「間違ってはいません。それが私たちの行動原理でした。罪があろうが無かろうが、ただ人間であるだけで殺す。そういう機械が欲しかったのです」


「それが……『異端の王』だっていうのか」


「はい、その通りです」


「どうしてそんなことをしたんだ」


「どうしてそんなことを聞くんですか?」


 ラサラは困った顔をして言った。


「ここまで来た方なら、分かっているとは思いました。復讐ふくしゅうのためです。それ以外ないでしょう?」


「子どもをモノのように扱って、『異端の王』が完成して、それでお前の気が晴れたって言うのか」


「気が晴れた……? あなたは何を言っているのでしょうか……?」


「それは違うよ、アンク」


 俺を制して、サティが口を挟んだ。


「こういうたぐいの人間は復讐して気を晴らすとかいう思考はない。ただ、そうせざるを得ない、そうでもしなきゃ生きていけない様な連中だ。復讐は目的ではなく……ただの『行為』でしかない」


「はい、こちらの方の意見の方が近いように思います」

 

 サティの言葉に、ラサラは頷いた。

 

「私は自分がやられたことをやり返しただけです。気が晴れることはありません。私たち異端者の大部分は復讐のために生きていたんですよ」


 ラサラは伸びた前髪を書き上げて、左顔面についたあざをむき出しにした。


「これは私の家が焼かれた時に出来た傷です。その時、父と母と大好きだった兄が死にました。一生消えません。異端者である烙印らくいんのように、私の肌に張り付いています。雨が降ると痛みますし、鏡を見るたびに最悪な気分になります」


 無造作に伸びた髪を触りながら、ラサラは言った。

 ボロボロの服と、痩せこけた身体。どろりと濁った瞳が、俺を見返していた。


「この傷跡、変な形でしょう? 本当にもう最悪です」


 そう言って彼女は笑った。そんな風に笑いながら、自分のむごたらしい過去を語れる人間を俺はこの時、初めて見た。

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