魔王を倒して故郷に帰ったら、ハーレム生活が始まった

スタジオ.T

 大英雄は休日を謳歌する

【ショーケース(NO.13)】


『本当に欲しいものなんて、この世界に有りはしない』


 そう考えるたびに私は子供の頃を思い出す。おもちゃ屋のショーケースに飾られたブリキのオルゴールが、頭の中で音楽を奏で始める。


 私の手のひらに収まる位の小さな箱。美しく輝くビーズの宝石が付いていて、夜空に輝く星のように綺麗に光っていた。


 おもちゃ屋のおじいさんが小さなハンドルを回すと、箱の中からブリキの楽団がせり上がってくる。丸い顔をした彼らはトランペットや太鼓を持っていて、くるくると回るネジの横でにぎやかに演奏する。曲は古い童話をモチーフにしたものだ。


 私はそれを何時間だって見ていられた。


「欲しいのかい?」


 ある日、ショーケースの前でオルゴールに見とれている私に、店のおじいさんが声をかけてきた。毎日のように来ては、ほうけたようにオルゴールを見る私が気になったのだろう。


「欲しいけど、買えないから」


 そんな高価なオルゴールを買うことが出来るお金はないし、欲しいと思うだけで悲しくなるだけだった。

 

 ただ見ているだけで私は幸せだった。

 

 半年ほどが経ったある日、ショーケースの中は空っぽになっていた。

 ブリキのオルゴールは影も形もなく、夜空に輝く星のような音楽は失われてしまっていて、ただ空白と静寂せいじゃくだけが残っていた。


「ごめんね、昨日買われちゃって」


 空っぽのショーケースの前でポツンと立ちすくむ私に、店主のおじいさんは申し訳なさそうに頭を下げてきた。


 どうしてこの人は謝るのだろう。

 店の人が悪い訳ではない。欲しいと思った人が買っただけの話だ。私が買わずにその人が買っただけの話だ。あのオルゴールはもともと私のものでは無い。


『本当に欲しいものなんて、この世の中に有りはしない』

 

 その時、私は泣いた気がする。

 うるんだ瞳を隠して、走って店を出た気がする。


 以来、そのおもちゃ屋に足を運ぶことはなくなった。もう賑やかな楽団はあそこには存在しないのだから。ハンドルを回すキリキリという音もないのだから。もう音楽は永久に失われてしまったのだから。


 あの空っぽのショーケースは今でも心のどこかに残っている。

 あの空っぽのショーケースを思い出すたびに、身体のどこかでヒュウヒュウと冷たい風が吹く。



『本当に欲しいものなんて、この世の中に有りはしない』


 

 やがて私は大人になって、大概のものは買うことが出来るようになった。綺麗な服も買えるし、美味しいご飯だって食べられる。街を好きに出歩いて、行きたいところにだって行けるようになった。


 ふと、ある街のおもちゃ屋さんの前を通りかかった時だった。

 店前に飾られたショーケースには懐かしいあのオルゴールがあった。使い古されて、少しびているところもあったが、大きく壊れているようなところはない。


 今の私だったら買うことが出来る。

 店主に声を掛けてハンドルを回して、奏でる音に耳を傾けた。音楽に合わせて楽隊がせり上がってくる。トランペット、ピアノ、バイオリン、昔と変わらずあの時のままだった。


「お気に召しましたか?」


「はい……でも……」


 結局私はそれを買うことなく店を出た。もうそれを欲しいとは思わなかった。多分、最初からそこまで欲しくはなかったのだろう。


 きっとそうだ。

 欲しいものなんて、この世の中に有りはしないのだから。時とともにいつか忘れて頭の中から消え失せる。違うもので代用して事が済む。その程度のものだ。


 欲望なんて一時の気の迷いだ。

 かけがいの無いものなんてこの世界にありはしない。


「私は……」


 じゃあ、これは?

 

「■■■■■■■■■■」

 

 そんな光景を思い出した後で、ある言葉を口にする。

 

 世界が輝き、視界が失われる。

 夕焼けに照らされた海のように、暖かくて真っ赤な水が私の身体を包む。


 空っぽのショーケースがコポコポとき上がる泡で、みるみる内に満たされていく。


 

 本当に欲しいものなんて————

 

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