第198話 母狐と竜神
「リュカ、白亜、大丈夫?」
真っ黒に焦げた竜を呆然と眺めるふたりに、ハルトが話しかけた。
「どうしよう……わ、私、なんてことを」
「お、終わりなの。さすがに、おこられるの」
まるでこの世の終わりかのような表情をするふたり。
「怒られる? 誰に?」
ハルトは意味がわからなかった。
彼としては、竜に連れ去られそうだった妻を助けただけなのだから。
ハルトはまだ気づいていなかった。
焼き尽くすことはできなかったにせよ、一切動かなくなるまで魔法を叩き込んだ相手が、神であったことを。
だから、リュカと白亜の言葉に驚いた。
「ハルトさん、実はこの竜──いえ、この御方はこの世界の神の一柱、竜神様なのです」
「えっ!?」
「襲われてたわけじゃなくて……ただ、運ばれてただけなの」
「は? えっ、じゃあ俺は、か、神様を──」
サーっと、ハルトの顔から血の気が引いていく。
自分の犯した過ちに気付いてしまった。
「ヒール!!」
ハルトは慌てて、自分の持てる全力で回復魔法を竜神にかけた。
神である竜神には、魂がない。
ただ、神という存在がそこにある。
その存在は、神を信仰するヒトがいる限り消えることはない。
また、今ハルトたちの目の前にある竜の巨体は、竜神がこの世界で活動するためのもの。
ハルトはその竜神の肉体を、動けなくなるまで攻撃し続けたのだ。
つまり、肉体さえ回復させればいい。
数十秒で、竜の肉体は完全回復した。
「うぐ……か、回復、恩に着る」
「す、すみませんでした!!」
ハルトが竜神に土下座する。
「神様だと知らなかったといえ、俺、とんでもないことを──」
「貴様には……たいして怒りはない。むしろ神の肉体を動けなくなるほどの攻撃は、さすがであった」
竜が立ち上がる。
「問題は貴様らだ、リュカ、白亜!」
「ひっ」
「ご、ごめんなさいなの!」
リュカと白亜が、ハルトの少し後ろで土下座して謝り始めた。
そのふたりに対して、竜神が話しかける。
「なぜオレを助けてくれないのだ!?」
「……はい?」
「酷いではないか! オレはお前たち竜や竜人の神なのだぞ!? 十分も攻撃され続けてたのだ。途中でコイツを止めてくれてもいいではないか!!」
「そ、それは……」
「うぅ、ごめんなさい、ごめんなさいなの」
「あの、あまりふたりを攻めないでください。実際に竜神様を攻撃してしまったのは俺です。罰は俺が受けますから──」
「それは無理だ」
「えっ」
「オレは先程、お前に反撃した時、本気でお前を殺す気で攻撃した。なのにどうだ? お前は全くダメージを負っておらんではないか。そんなお前に、どうやって罰を与えれば良いというのだ?」
「そ、それは」
竜神の爪は確かにハルトに当たっていた。
それで服の一部は引き裂かれていたが、ハルト自身にダメージは全くなかった。
「それにお前、オレの転移の妨害をしたよな? アレはいったいなんなのだ? お、お前はまさか、神なのか!?」
「俺はただの人族です。転移を妨害したのは転移用の文字に、少し干渉しただけですので」
「普通はそんなことできん! 神の文字なのだぞ!? ……貴様、名はなんという?」
「ハルトです。ハルト=エルノールと言います」
「ハルト、ハルトか……ん? お前、もしや!?」
竜神はハルトという名前に聞き覚えがあった。
百年前、自分を倒した守護の勇者。
その勇者と一緒にいたハーフエルフの女が、勇者のことを確か『はると』と呼んでいた。
まさかと思いながら、竜神がハルトの魂の匂いを嗅ぐ。
「お、お前は、守護の勇者」
魂の香りは、まさしくその勇者のものであった。
「ご存知なのですね。俺は昔、守護の勇者でした。転生して、今は賢者になっています」
「そ、そうだったのか」
竜神はこの時、ハルトにリベンジすることを諦めた。
勝てるわけがない。
ハルトに攻撃した時、神の力を解放して本気で攻撃したのに、ハルトはその場から一歩も動かなかった。
本人は『ただの人族』などとふざけたことを言っているが、この世界のどこに最上位の色竜が神格化した存在の一撃を受けて、ダメージを一切受けない人族がいるのか。
──いるはずがない。
たとえ、レベルカンストの勇者であっても、そんなことはありえない。
『物理攻撃無効』というスキルもあるが、そのスキルを持った者が暴走し、神界に侵攻してきた時、竜神や武神はそれらを止められるよう
竜神の一撃を防げる者など、この世にいない。
いてはいけないのだ。
しかし、それができるバケモノが竜神の前にいた。そんなバケモノ、たとえ神界で戦ったとしても勝てない。
神界のみで使用できる魔法もあるが、発動前にハルトに神字を崩され、発動を妨害されるに決まっている。
竜神はハルトへのリベンジを諦めた。
しかし、それでは怒りがおさまらない。
「リュカ、お前は竜の巫女の役目を解く。また、竜人としての力にも枷を付ける。白亜、お前は今後一切、竜の神殿への出入りを禁ずる」
「はい……」
「わ、わかったの」
竜は成体になる時、竜の神殿で祈りを捧げる必要があった。そして、成体になることで、その力は格段に向上する。
竜の神殿に入れないということは、白亜が成体になれないことを意味していた。
しかし、リュカも白亜も竜神の決定に素直に従う。それだけの過ちを犯したという自覚があったからだ。
ハルトも、リュカや白亜が傷付けられるのでないのなら、竜神の沙汰を受け入れるつもりでいた。
しかし、それを良しとしない者がいた。
「小娘に助けられなかったからといって罰を与えるなど……相変わらず、器の小さい男ですね」
「なっ、なんだお前は?」
「おや、この姿ではわかりませんか。妾はキキョウです」
「キキョウ……ま、まさかキキョウ、お前なのか?」
「ん? 妾はお前に、呼び捨てを許した覚えはないのですけど」
「あっ、す、すみません、キキョウさん──って、オレは神になったのだぞ!? 呼び捨てくらい許せよ!」
「あら、神になったのですか。それはそれは、偉くなったものです……で?」
笑顔のキキョウから、とてつもなく冷たい殺気が竜神に向けて放たれる。
「ひっ! ご、ごめんなさい。キキョウさん!」
巨体の竜が瞬く間にヒトの姿になり、キキョウの前に土下座し始めた。
「えっと……キキョウ、さん、これは?」
ハルトは目の前の状況がよくわからなかった。
神である竜神が人の姿になり、ヨウコの母であるキキョウの前に、土下座しているのだから。
「あら、ハルト様は呼び捨てでよいのですよぉ。キキョウとお呼びください」
甘えるような声でそう言いながら、キキョウがハルトを立たせて抱き着いた。
「な、なんでオレはダメなのだ? か、神なのに……」
竜神のその呟きは誰にも聞こえることはなかった。
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