第196話 母狐の封印

 

「あ、主様、それは──」


 ヨウコは、ハルトが蘇生魔法を使い始めたことに驚いた。


 詠唱はヒールだったが、その効果は確実にリザレクションのそれだった。


 本来であれば回復魔法を専門とする者の中でも、さらに一部の者しか使えないはずの蘇生魔法を、賢者であるハルトがさも当然のように使い始めたのだ。


 魂の存在を感じられるようになっていたこと。


 そしてリュカ竜の巫女セイラ聖女が、リザレクションを使う場面を何度も見ていた賢者ハルトにとって、その魔法の構成を細分化して大量の魔法の組み合わせで再現することは容易だった。


 完璧に再現された蘇生魔法が、ヨウコの封印に閉じ込められたキキョウの魂を元の肉体へと誘う。


 なんの問題もなく、キキョウの蘇生は完了した。


 その身が、封印されたままであることを除けば──



「あ、これ封印なのか。ヨウコのだよね?」


 ハルトは封印を構成する魔力から、この美女を封じる氷がヨウコの魔法だと気付いた。


「う、うむ。しかし、母様がくれた魔力を使って封印術を展開したので、今の我でも解けないのじゃ……」


「そうなんだ。なら、俺が解くよ」


「と、解けるのかの!?」


「問題ないと思う。ヨウコが幼い時にかけた封印だろ? 言っちゃ悪いけど、結構あちこちに粗があるから簡単に解けるよ」


 ハルトがキキョウを閉じ込める氷に手を触れる。


 賢者の特性として、他者の魔力を敏感に感じられる。ハルトはそれでヨウコの封印の弱い所を見つけ、そこに膨大な魔力を注ぎ込んで強引に道を作っていく。


 ゴールがどの方向にあるのか分かっている迷路に入っていて、その迷路の壁を全て破壊しながらゴールに向かって一直線に進んでいくイメージだ。


 上級魔導師が数人集まっても解くのに数年かかるヨウコの封印術を、ハルトは容易く解いていった。



 ハルトが氷に触れてから、およそ十秒後。


 氷が割れた。


 中からキキョウが、ハルトに向かって倒れてくる。


「おっと!」


 彼女の身体を受け止めた。


 ──と、同時にハルトは大量の魔力をキキョウに奪われる。


 この時、キキョウに意識はなかったが、九尾狐としての特性で、自身を回復させるために周囲から魔力を吸い取ったのだ。


 最初にキキョウに触れたのがハルトで良かった。


 もし彼でなければ、キキョウに全ての魔力と生命エネルギーを吸い尽くされ、死んでいただろう。


 二百年に及ぶ封印と、傷付いた魂の再生でキキョウは魔力と生命エネルギーを大きく消耗していた。


 ハルトの魔力を大量に吸収したことで、なんとか意識を取り戻せる程度に回復したのだ。



「……こ、ここは?」


 キキョウが目を開けた。


 まだ身体に力が入らないようで、ハルトに軽く支えられないと立っていられないが、それ以外は問題なさそうに見える。


「初めまして、俺はハルト。貴女の娘さんに頼まれて、貴女を蘇生しました」


「む、むすめ?」

「母様!!」


 ヨウコがキキョウに抱きついた。


 ハルトから離れ、キキョウはヨウコにその身を任せる。


「ヨウコ、そんな……そ、それでは、わらわは本当に──」


「主様が、生き返らせてくれたのじゃ」


「貴方様が……妾を?」


「えぇ。無事に蘇生できて良かったです。貴女は、九尾狐ですよね?」


「──なっ!?」


 キキョウの顔に緊張が走る。


 彼女は完全体の九尾狐だったが、とある理由から暴走はしておらず、ヒトを襲ったことはなかった。


 それでも九尾狐であることがバレれば、ヒトに襲われることを理解していた。


 ヒトにとって災厄となりうる九尾狐は、倒せる時に倒すべき敵なのだ。



 今すぐ娘を連れて逃げ出さなくては──そう思うが、身体に力が入らない。


 今はヨウコに支えられてなんとか立ててはいるが、走ることなどできそうにない。


 せめて娘だけでも逃がしたい。


「確かに、妾は九尾狐です……この身が回復したら生涯、貴方様に尽くしましょう。ですから、娘だけは見逃してくださいませんか?」


「はい?」


 ハルトはキキョウが何を言っているのかよく分からなかった。


「なんでヨウコを逃がさないといけないんですか?」


「そ、それは……」


 キキョウは、ハルトがヨウコを逃がさない──つまり、確実に倒すと言っているように考えてしまったのだ。


「あっ、もしかして、俺に攻撃されるって思ってます?」


「母様、その心配はないのじゃ」


「ど、どうして?」


「ヨウコは俺の、妻ですから」

「そうなのじゃ」


「──え」


 キキョウは信じられなかった。


 自分の娘が、人族と結ばれていたという。


 それがどれほど大変な道であるか知っている。


 だからこそ信じられなかった。


「ヨウコのお母様なのですよね。改めてご挨拶を。ハルト=エルノールです。九尾狐は魔力を吸収すれば、だいたいの怪我や疲労は治ると聞きました。まずは俺の魔力で、回復してください」


 そう言ってハルトはキキョウに手を差し出した。


「し、しかし……」


 キキョウは戸惑っていた。


 なぜか少し体力が回復してはいるが、自分はまだまだ魔力を吸収してしまう。


 特に魔力が枯渇状態にある九尾狐は、触れただけでヒトを死に至らしめるほどの魔力を吸い取ってしまうのだから。


 それなのに──


「母様、主様なら大丈夫なのじゃ」

「えぇ、俺なら大丈夫です」


 ハルトが勝手に、キキョウの手を握る。


「あっ!」


 ハルトから魔力が流れ込んでくる。


「お、おやめください! これ以上は、貴方様が死んでしまいます!!」


 キキョウが知る限り、ひとりの人族が持てる限界に近い魔力を吸い取ってしまった。


 それなのに、ハルトは手を離そうとしない。


「んー、やっぱり手だけだと効率悪いな」

「あっ、そ、そんな──」


 ハルトがキキョウに抱きついた。


 彼としては魔力を早く渡すために、軽くハグしただけのつもり。


 しかしキキョウにとってみれば、この世に生を受けての異性の温もりだった。


 そして──


「んんっ!?」


 ハルトのが、大量に流れ込んできた。


 大量の魔力を吸収する九尾狐だが、一度に吸収できる魔力には上限があった。


 その上限を大幅に超える魔力がことで、魔力酔いの症状がでたのだ。


 キキョウの身体が、快楽に包まれる。


「い、いやぁ、もう、やめ──」


 自分でも信じられないほど甘い声を出しながら、キキョウはハルトの身体にしがみついた。


 それを、もっと魔力を寄越せというキキョウのアピールだと勘違いしたハルトが、さらなる魔力を送り付ける。


「──ッ!?」


 キキョウは、娘であるヨウコの前で嬌声を出さないよう、必死に耐えていた。


 その努力を、何も分かっていない賢者がぶち壊す。


「んあぁぁぁぁぁぁああ!!」


 男が聞けば誰もが興奮してしまうようなキキョウの甘美な悲鳴が、辺りに響き渡った。

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