第9話 幻惑の森

 ザムスヘムを発ってから4日が過ぎた頃。

 三人は広大な森に足を踏み入れていた。

 天に広がる青い空が見えないほどに生い茂る木々。その枝葉の天蓋がどれほど高い所にあるのか。見上げようものなら首が痛くなるほどにそれは遠くに存在する。

 まさに樹海だ。

 陽の光がほとんど地面に刺さないため、仄暗く湿気を多分に含んだ空気が漂っていた。

 地面や木々には青々とした苔が蔓延り、足元の安定さを弱めている。

 磨かれた革のブーツも何時しか苔と土の入り混じった汚い色に浸食されていた。

 道などはない。舗装された道などは既に随分と前に過ぎ去っている。


 どこからか聞こえる川のせせらぎや鳥の囀りが湿った空気に反響する。


「随分と雰囲気が変わってきたな。ここが噂の幻惑の森か?」


 先ほどまで通ってきていた森とは一線を画すものだ。

 この森へ入る前、既に三人は2日ほど森の中を歩き続けていた。

 大陸に広がる森の中で、指折りの規模を誇る森。大陸にはいくつもの大きな森が点在しているが、その中でも上位に名のしているのがこのナミノア大森林だ。

 この大森林を抜けた先に都市が幾つもあり、そこから北上していけば寒冷地ギーザスにたどり着く。ギーザスは魔王ヒーセントが国を構える地で、年の半分は雪が降り続く土地。逆に南下していけば霊峰エンディエントが聳える山岳地帯がある。

 つまり、ナミノア大森林はグラシリア大陸東側の中継地点に位置しているのだ。

 その為、このナミノア大森林には舗装された道が幾つも張り巡らされており、目的地により道を選び進んでいく必要がある。ただでさえ、広く高い森のため、幻惑の森以前に適当に森を歩いていても迷子になりかねない。

 とはいえ、適当な道なりに進んでいけばいずれは何処かへたどり着く。

 だが、それが目的方面でなかったときは再度森に入りなおす必要がある。


 そんなナミノア大森林の中にあるのが件の森、幻惑の森だ。

 幻惑の森の入り口は街道に連なる広大な森のどこかにあるとされていた。

 そんな途方もない森を進んでいく中で、ギーザス方面へ向かう道の途中に、二本の巨樹が道の脇に聳え立っていた。

 他の樹木とは明らかにその体格を分ける存在がそこに悠然と立っている。

 それがこの幻惑の森の入り口だった。

 その巨樹の間を抜け、舗装が途切れたけもの道を進んでいくと、次第に景色が移り変わっていく。

 その身の丈が優に100mを超える巨樹の群れが織りなす幻想的な風景に、言葉を飲むのは必至。


「一応、中には入っているようだ。私も森に入るのは初めてだが、明らかに雰囲気が違う」


「確かに何かしらの魔力を感じますけど……。今のところ、問題はなさそうですね。まあ、迷うというより、そもそも目的の場所がどのあたりにあるのかがわからない以上、いくら進んでもきりがなさそうです」


「噂ですと、魔王テステニア様のところに近づくと、それを避けるように進路が変更されるそうです」


「近づくにしても、全く先が見えんな」


 視界に映るのは苔に覆われた緑の大木ばかり。倒木した大木や、剝き出しとなり、自由に広がる巨樹の根。

 眼を凝らしてみても、視界全てが全く変わらぬ景色だ。


 三人が幻惑の森へ入りもう既に1時間ほど経っていたが未だにその目途は立ちそうになかった。


「探す方法が何かないですかね?」


「私では何とも……。申し訳ございません」


「我も残念ながら手伝えそうにない」


「うーん。幻惑の魔法以前の話ですよね? そもそも近づいていないのかもしれません。なにか目星をつけるいい方法はないでしょうか……」


 考えあぐねること数分。

 はたとオーリエは外套を捲り、頭髪を露わにする。


「幻惑魔法によって隠蔽されているとはいえ、多少なり、魔力の流れがつかめるかもしれません。この子たちと一緒に、微かな魔力を見つけ、それを辿っていけば、もしかしたら見つかるかもしれません」


 蛇の頭髪がくねくねと蠢きながら、方々に顔を向ける。

 石眼蛇の頭には微弱な魔力でも感知できる能力が備わっているため、空気に漂う異質な魔力や隠蔽魔法によって姿を隠している者の魔力も、それらを感知して位置を特定することができる。その能力を最大限に生かすには頭髪の蛇を駆使する必要がある。頭髪の蛇が感知したものはすべてオーリエ自身に共有される。


「さあ、みんな……」


 オーリエは目を閉じて魔力を感じることにその神経を集中させた。

 空気を漂う微弱な魔力を読み取っていく。

 視覚も聴覚も遮断して、ただ流れる魔力にだけその神経をとがらせる。

 森の奥。

 大樹の群れを縫うように、一筋の流れがある。

 非常に薄い。けれどしっかりとした魔力の流れ。


「見つけました」


「本当ですか?」


「こっちです」


 読み取った魔力を辿り、三人は道なき道を進んでいく。

 大樹の根や苔に覆われた大木が横たる険しい道を、オーリエの感知した魔力の道しるべを辿って。

 そうして10分ほど歩いた先に、巨木の群れの中に一際大きな大樹が森の中に現れた。その高さは周りの木々と大差はないが、その太さがけた違いだった。周りの巨木を何十本束にすればいいのか分からないほど太い大樹が悠然と立っていた。


「どうやら漸く見つけたようですね」


 そういって、コーネリアが眼前の大樹の方を指さす。


「あそこに中へ入るための扉があります。きっと、あそこが魔王テステニア様がいる場所だと思われます」


「ほう、あそこに例の魔王がいるのか……」


「なら、早いこと行きましょう。早急に話をしてしまいマリ様の元へ連れて行かなくてはいけませんから」


「そうですね」


 大樹へ近づくとその異様なまでの太さが理解できる。

 扉は何の変哲もない只の木の扉。

 飾り気のない非常にシンプルなつくりだった。

 そもそも来客なんて来ることを想定していないからか、存外雑なつくりとなっており。良い言い方をすればお手製の物という感じだ。


 コーネリアがまずは扉をノックする。


 コンッ、コンッ、コンッ。


 カラっとした高い音が響く。


 ノックの音に対しての返事はない。

 空虚に響くだけだった。


「留守か?」


 ヴィースが零す。


「いえ、居ますね。返事がないようでしたら勝手に入らせてもらいましょう。こちらは急ぎのようですので」


「そうですね」


 オーリエの言葉にコーネリアが賛同し、扉を開けた。


 蝶番の軋み音が響き、扉が開いた。


 中は存外明るく、至る所に魔法による照明が置かれていて、中を照らしていた。中は特段開放的な空間という物でなく、いたって普通の家のような作りとなっていた。外観の大樹を見るに、中は相当に広いと見えるが、その広さはまだ判然としない。

 扉を開けた先はすこし広めの玄関ホールのような曲線を描いた壁が広がっていた。

 そんなホールに真っすぐ正面に向かって伸びる廊下を進むと、その途中の両側に扉がある。

 コーネリアとヴィースがそれぞれの扉を開け中を確認するも、そこは何もない小さな部屋となっていて中には誰も居なかった。

 そのまま廊下を進み、突き当りに出たところで、漸く大きく開けた空間が現れた。

 中央ホールとでも呼ばばいいのか、大々的に開けた空間は、大きな大樹の中心を円を描くように綺麗に切り抜いたような空間となっている。その天蓋は遥か遠く、本当に大樹の頂まで伸びているようだった。

 そんな中央ホールには上へ上るための螺旋階段が延々と伸びており、都度都度踊り場のような場所が設けられており、そこに扉がある。

 階段の勾配は非常に緩やかで頂上まで行くのにいったいどれほど回り続けるのか頭を悩ませるほど。


「オーリエ様。魔力は感じますか?」


 オーリエは頭髪をあらわにしたまま、屋内を子細に見やる。


「大きな魔力は上の方から感じます。ただ、小さな魔力が二つほど、うごいています。……どうやらこちらに来るようです」


 螺旋階段の上から魔力の塊を感じたオーリエは上を見上げる。

 そして、コーネリアとヴィースも同様に上を見上げると、そんな螺旋階段の頂上付近から二つの影がふわりと現れ、螺旋階段の吹き抜けた中央を浮遊しながらゆっくり降りてくる。

 美しい模様の刺繍が施されているローブを纏う銀髪の少女が二人。ふわりと煌めく銀髪を靡かせ、鋭利に伸びた耳と宝石の如く輝く翡翠の瞳。透き通るような白亜な肌と靡かせる銀髪が光を反射して煌々と光らせるその様は、まるで天使が降臨したのかと錯覚させるほどだった。

 まだ幼さを匂わす容姿ではあるものの、その佇まいは反して大人びている。


「ここに誰かが来るなんていつ以来でしょうか、お姉様?」


「本当に。来客なんて珍しい。でも人の家に勝手に入ってくるなんて、かなり不躾。そう思わない、リィ?」


 互いを向きながらそんな会話を交わす眼前の少女たち。

 その見た目は殆ど変わらない。

 双子の森妖精エルフということだ。


「すまない。こちらも少し急ぎの用がある故に勝手に入らせてもらった」


 コーネリアがそう云うと、少女たちはじっと彼女の方を見る。

 何も言わずに、ただ彼女の姿を確認するようにつらつらと見ている。

 そんな中、オーリエが問う。


「ここに魔王テステニア様がいると聞きましたが、留守でしょうか?」


 二人の視線はコーネリアからオーリエへと移る。


「いえ、テステニア様は自室におられます。どういった用件でここへ来られたのでしょうか?」


 リィと呼ばれていた少女が答える。


「魔王マリ様の遣いとしてここへ来ました。マリ様は同じ魔王であるテステニア様と良好な関係を求めておられます」


 お姉様と呼ばれた少女は小首を傾げる。


「魔王マリ? 寡聞にしてしらないな。魔王は確か七人だったはず。その中にそんな名前の魔王はいないはずだが?」


「八番目の魔王として新たに降臨されたお方です。とりあえず、魔王テステニア様に会わせてくれませんか?」


「……わかった」


 一度、三人を品定めするように見てから、少女はいった。


「リィ」


「はい、お姉さま。では、皆さん。こちらへどうぞ」


 リィという少女は三人を中央ホールの奥へと続く道を指して案内を始めた。

 そうしてもう一人の少女は浮遊して魔王テステニアがいる部屋へと戻っていった。

 廊下を進み、突き当りに広がる部屋は談話室とでもいえばいいのか、団欒スペースが設けられている。大きな窓があり窓外の景色には一面の緑が映しだされている。

 部屋の中央に細長のテーブルがあり、それを囲うように椅子が三脚置かれている。

 魔王テステニアと少女二人の分だろう。


「少し待っていてください。椅子をお持ちします」


「それなら我が手伝おう」


「あ、ありがとうございます」


 少女は天蓋を見上げるように視線をあげる。

 自身をまるっと覆う鬼の巨躯に顔を少し引きつかせる。


「まあ、そう怯えんでもいい。取って食ったりはしない」


「すみません。ではお願いいたします」


 巨躯の鬼を引き連れて少女は部屋の奥へと消えていった。

 そしてすぐに戻ってきた。

 鬼の両手には可愛らしいサイズの椅子が三脚持たれていた。

 それをテーブルまで運び、適当に置くと、他の椅子と大きさに差はなかった。

 ヴィースが持つだけで、椅子が酷く小さいものだと錯覚してしてしまう。

 三人は適当に椅子に腰を掛けていると、姉の方が姿を見せ、その後ろに悠然と歩く赤髪で褐色肌の女性が現れた。


「お待たせして申し訳ないです」


 赤髪の女性は物腰柔らかくいう。


「私がテステニア・ハーマイン。見ての通り闇妖精ダークエルフの魔王です」


























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