第17話 魔王マリの正装
衣裳部屋の扉を開け、私はメアリーとエルロデアをお供に中へ入った。
部屋には瀟洒に彩られた多彩な服たちがその身を主張してくる。
どれも一級品の品々が並ぶ中、私は何を着ればいいか悩ます……ことはなく、即座にメアリーが私の服を選ぶと手を挙げた。
断る理由もなく、いやいやとはいえ、岩窟人を治療してくれたのだから、寧ろ彼女の言うことも通してあげなければいけないだろう。
陳列された服の中から彼女は慎重に服を選んでいった。その中で、途中すごく悩んでいたものがあった。彼女の好みのものと、それが私に似合うかどうかの逡巡でもしていたのだろうか。
そして、選び終わったメアリーは一度に三着の服を手に持ち、私へ促す。
「これは絶対にマリ様に似合います! 是非着てみてください!」
「わかったわ。それじゃあ、少し待ってて」
そう言って私は彼女から服を受け取り、着替えを行うための仕切りの内側へと向かった。
この部屋には完全に個室というものはなく、部屋にパーテーションが一つ置かれているだけだった。一応プライバシーを守るためのものだけれど、あまりその性能はよくない。ただの幕板なだけに、上や左右は丸見えになっている。もう少し、カーテンでもあればいいのだけれど、残念ながらそれはない。
「……えっと。どうしてついてくるのかしら?」
私がパーテンションの奥へと入り、服をいざ脱ごうとしたとき、後方からものすごい視線を感じてみてみれば、怖いくらいの笑顔を見せてこちらをうかがうメアリーの姿があった。
「もちろん、マリ様のお着替えをお手伝いするためです。こういった服はなかなかに着るのに工夫が必要なのですよ」
そういいながら、彼女は私のほうへその歩みを進めていき、私の服に手を伸ばして来た。
「いや、自分で脱ぐから大丈夫」
「かしこまりました」
私をまじまじと見つめるメアリーの視線の中で服を脱ぎ下着姿になると、脱いだ服を素早く受け取る彼女。
「ありがとう」
パーテーションの向こう側には服を置くための台と幅広の姿鏡がおかれており、彼女が選んだ服を私は台に並べていた。脱いだ服もそこに乗せるつもりだったけれど、その前に彼女の手の中に納まってしまった。
私の脱いだ服を嬉しそうに抱えるメアリーを横目に、私は台に置かれた三着の服のうち、一番右に置いた黒を基調としたドレス仕様の服を選んだ。
前回、オバロンと会談ではこういった黒の服を着たので、またすぐに手を出してしまった。
「マリ様、お手伝いいたします」
彼女は台に私の服をそっと置くと、直ぐに私の後ろに立ち手を貸してくれた。
でも、結局台に服を置くならメアリーに一度渡した意味は全くないのではと思うのだけれど、それはまあ、考えないでおこう。
ただ、少し彼女の助力に下心が盛りこまれていることに懸念をぬぐい切れない。
わざわざ服を着るにあたって、ドレスのフィット感を調整するためにドレスと体との隙間をなるだけなくすように体のラインをなぞるように隙間を埋めていくのだけれど、その手つきが異様に艶めかしい触り方な上に、胸のいちを調整するためにと躊躇いなく私の胸に柔らかい手を滑り込ませてくる。
後ろから私をそっと抱くように肩に腕を回し、そのまま胸へと手が伸びる。背中に彼女の豊満な胸の感触が伝わってくる。しかもわざとそうさせているようで、無駄に密着時間が長かった。
どんだけ私の胸の位置を調整するんだと、思わずツッコミを入れたくなってしまうほどだ。
そして、着替えが終わり、鏡の前に立つと、やっぱり慣れないドレス姿の自分をみて花がないなと自覚する。
隣に美人が立っているのだから、その比較は如実に示される。
私という女性はなんともまあ、平々凡々容姿をしているのだろう。まあ、前の世界でもモテていた記憶がないし、容姿はそのままこの世界に来たのだから仕方はないけれど、ここ最近になって、もう少しだけ美人設定をつけてほしかったと思うようになってきた。
魔王である私が町娘のようなレベルだったら、威厳も貫禄もないだろう。
こんな魔王を目の当たりにして、怖いと思う者がいればそれはきっと子供くらいだろう。――いや、子供すら怖がらないかもしれない。
でも、それはそれで私的には好都合な話だけれど。
威圧的に感じられないのであれば、私のことは脅威な存在として認知されない。つまりは私に降りかかる火の粉が少なくなる。
「やはり、非常にお似合いになられますね。マリ様の美しい姿に見惚れてしまいます」
お世辞と言いたいところだけれど、これが存外本気で思っているから歯痒い。
「ありがとう。でも、やっぱり前回とは毛色を変えたものにしたいのよね。こういったひらひらしたものじゃなく……」
「となりますと、こちらのものが」
そう提示されたのは赤を基調とした今着ているものとは逆にドレープなんて一切ない、どちらかというと、現代のスーツのような、でも、スーツとも違う体のラインにフィットさせるような服だった。
シルエットを綺麗に見せるためのコルセットに似たものもある。
「着てみましょう」
今着ているものを再びメアリーに手伝ってもらい脱ぐと、私は台に置かれた赤のスーツに手を伸ばした。
肌触りが優しい薄紅のシャツに腕を通す。
細い足のシルエットをはっきりさせるパンツを穿きシャツをパンツへと収める。
ベストを羽織り、三つのボタンを留める。そして最後に上着に腕を通して完成。
この感覚。とても懐かしい。
社会人の基本の正装であるスーツを着たような感覚。でも少し見た目は違う。
スーツほど体を縛る硬さはない。どちらかというと生地が優しいおかげで可動域は広いし、お堅い雰囲気は一切ない。いや、少しばかり先ほどのものと比べれば固い様相なのかもしれないけれど、それでも私の知っているスーツとは違うものだった。
「これ、結構好きかも」
昔から私はスカートよりもパンツのほうが好みだったし、こういう服装のほうが動きやすくて好きだった。
姿鏡に映る私は先ほどまでの世界観丸出しのドレス姿とは違い、少しばかり見慣れたものになっていた。まあ、色合いがなかなかに奇抜かもしれないけれど……。
全体的に赤。明るい赤ではなく、深紅に近いもので、非常に落ち着いた色合い。シャツも同じ系統色の薄紅色。
いうほど華美にはなっていない。
「アフェールですね」
後方でエルロデアが言った。
「アフェール?」
「その服の名称になります。その服単体を指すものではなく、そういった種類の服のことを呼ぶものになりますが」
「やっぱり、スーツではないのね」
「すーつ? とは何でしょうか?」
「いえ、何でもないわ。このアフェール? はどういったときに着るような服なの?」
「もちろんいかなる場所にも適したものになりますが、一番よく着られる場面といいますと、商談時ですね」
「商談?」
「はい。アフェールはもともと商人が商売相手に交渉を持ち掛ける際に着るような服になります。交渉をうまく進めるための正装に当たる服です。商人が貴族と対等に交渉するための服が、
「つまり商人がメインで着るような服なのね?」
「とは言いましても、商人すべてがアフェールを用意できるわけではありません。ある程度実績と財力がなければアフェールを買うことはできないのです。つまり、アフェールを身に着けていることだけで、ほかの商人より優れている証拠になるのです。商人の間ではこのアフェールを手に入れるまでは下級商人と称され、アフェールを身に纏い商業を行うものを上級商人とされるのです。ただ、アフェールはあくまで高級な服という括りの一つにすぎません。そのため、貴族階級、上流階級の者であれば身に着けていることも多いのです」
「なら、私が身に着けても問題はないということね?」
「はい」
「なら、今日はこれを着ていくことにするわ。残りの服は……またの機会ということにしましょう」
そういえば、さっきからメアリーがおとなしいけれど、どうしたのだろう……っえ!?
私が先ほど脱いだドレスを地面に落としたまま、その場で呆然と立ち尽くす彼女がいた。
「ど、どうしたの!?」
彼女の傍によると、彼女は虚を衝かれたような声を漏らして少し後ずさり、そのほほを紅潮させた。
「へっ!? い、いや……」
いったいどうしたというのだろう。普段なら先ほどみたいに過剰なスキンシップをしてくるはずなのに、なぜか挙動不審に私の姿から目をそらそうとしている。
もしかして、私の服の着方に問題があったのだろうか?
「いえ、着方は問題ありませんでした。完璧に着こなしています」
エルロデアが私の思考に介入して返事をくれた。
ではなぜ彼女はこうも狼狽しているのだろう。
私は後ずさったメアリーに一歩近づくと、彼女はその場にへたり込んでしまった。
美人のへたり姿は何とも形容しがたいものがあったけれど、そんな私の邪念を払いのけて彼女の様子をうかがう。
「何かおかしなところがあるかしら?」
「いえ、マリ様は何一つ間違ってはおりません。ただ……」
「ただ?」
「……あまりにも似合いすぎるのです!」
………………は?
「似合いすぎる? これが?」
「今のマリ様の御姿を目にした配下はみな私と同じ反応を見せることでしょう。破壊的な美しさが、その姿にはあるのです」
まあ、確かに私もこの服はすごく着心地もいいし、見慣れたものだからあれだけれど、さすがにメアリーが言う破壊力はないと思う。
だって私だし。
こんな私のスーツ姿を見てこんな風に悶える者がいればそれは相当の変人に違いない。多分、スーツフェチなのだろう。
「今なら吸血鬼の気持ちがわかるきがします……」
「今、何か言った?」
「いえ、何も。申し訳ございません。少し取り乱してしまいました。少しお時間をいただければ回復いたしますので、少々お時間を頂いてもよろしいですか?」
「それは構わないけれど、私は少し離れていたほうがいい?」
「離れたくはないですが、そうしていただけると助かります」
そうして私は彼女から少し距離を置いたところに立ち、隣の立つエルロデアに訊く。
「そんなに似合う?」
そして、彼女は口元を少し釣り上げて、
「とても」
「そっか」
全然自覚はないけれど彼女たちから見ればそうなんだろう。
何ともむず痒い感覚なんだろう。
でも、このアフェールはとても着やすく、動きやすい。私の体に馴染んだ服のような、そんな服だから望みはこれかの服装はこのアフェールに似たものを着ていきたいけれど、果たして、配下たちの許可が下りるだろうか。
みんながみんなメアリーのような状態になってしまえばそれはそれで、防衛に支障ができてしまう。そうなってしまうなら、このアフェールを着るのはやめておく。
今日まで着ていたドレス調の服を着るしかない。
「その必要は多分ないと思います」
そうこぼすエルロデアに言葉に力を持たせるように、眼前でへたり込んでいたメアリーがそっと立ち上がり、服についた埃を払い除ける素振りをして顔をあげた。
「お待たせして申し訳ございません」
そこにはいつものメアリーの笑顔があった。
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