第38話 進むべき道は③

「しかしな。さくらは貧乏暮らしをしたことがないし、させるつもりもないし、ましてや学生の身の上で、生活のためのアルバイトなんて」


「今、しているよ。スキー場で」


 涼一は首を振って否定した。


「あれは、社会見学のようなものだ。ほんとうに生活費を稼ごうと思ったら、あんなお気楽な仕事じゃ通用しない。それに正直なところ、追加入学の意味をよく考えたほうがいい。おまけ合格だ。ほかの学生に比べて、学力の面でさくらが劣っているのは明らか。入学後の、猛勉強は肝心。京都での入学は許しても、同居までは許さない。歳の同じ義理の兄と、ふたりきりで同居しているなどと、常識では考えられない」

「勉強も、アルバイトも頑張る。玲と住んでいるって、人に知られても、構わないよ」


 さくらの強硬な姿勢に、涼一は頭をかかえた。

 会話は平行線のまま、時間だけがどんどん過ぎてゆく。



「涼一さん、外に出ませんか。さくらはもう寝るんだ。あとは俺に任せてくれ」

「そんな」

「お前がいると言いづらい。このあとは男どうしの話がある、とでも説明すれば分かってもらえるか? 涼一さん、お願いします。あと一時間……いや三十分だけ、俺にください」


 涼一は、さくらをちらりと見てから立ち上がった。


「そうしよう。さくら、おやすみ」

「さくら、またな。俺はこの足で、京都へ戻る」

「泊まっていかないの?」

「うん。夜行の高速バス、予約してあるから」

「またバスを」

「慣れればどうってことない。安いし。東京経由で新幹線なんて、四時間ぐらいかかる。だったら、新幹線の半額で済むバスで寝ていくよ」


 玲は強かった。


***


 涼一は玲を車に乗せ、駅前まで送ることにした。


 運転のために眼鏡をかけた涼一の目つきは、ふだん接しているときよりもひどく鋭く、瞳孔が開き気味だ。たぶん、ハンドルを握ると性格がきつくなる系。軽井沢では車があったほうがなにかと便利なので、どうしても乗らざるをえないが、運転には向いていないなと、玲は思った。


 ましてや、今はなおさら。

 愛する娘を奪おうとしている若い男が、すぐ横に座っているのだから。


「柴崎家と合流するまで、さくらはあんなに自分を主張するような子じゃなかった。かわいくて、やさしくて、家事がうまくて私の言いつけを守る、そんな子だった。さくらを変えたのは、きみたちきょうだいだろうね、はあ」


 わざとらしいため息をもらす涼一に、玲は相槌を打った。


「ええ。でも、人間らしくていいですよ。同居をはじめたころは、我慢していたせいか、おとなしくて。発言も、少なかったですし」

「ずいぶんと、さくらを知っているような口ぶりだね。まあ、そんなさくらが、まさかの京都受験。しかも、受かるとは。受験に失敗して、私がなぐさめる。そのうち、きみのことを吹っ切る。学業のかたわら、聡子が生むだろう子の面倒をたまにみてもらう。そんな計画だったのに、思い通りにはならないものだ」

「予想図通りになることなんて、ありません。さくらも、俺との同居を望んでいます。あいつの誕生日の今日のうちに、同居の許可を贈ってやりたいんです」

「さくらの誕生日プレゼントにかこつけるなんて、言ってくれるね。私だっていつかは、さくらをしあわせにできる男に任せたいと、思っている。けれど、娘は若い。これからきっと、大学で京都で就職後も、いろんな人と出逢うだろう。もちろん、玲くんもそのなかのひとり。今、将来の相手を決めてしまうのは、性急だと思うんだよ。いろんなものを見てからでも、遅くないだろう? 私が認めるまで、さくらには絶対に手を出さないと約束できるのかい?」

「はい。俺も、さくらを養えるようになるまでは、求婚どころか、手出しできません」

「はっはっは。きみを選んださくらが、養ってくれるかもしれないぞ。四年後には、高学歴に技術を備えて、一流大学を卒業するんだからね」

「そうですね、そうなるかもしれませんね。四年ぐらいじゃ、俺はまだほんの駆け出し同然です」

「さくらは、私のいちばんの宝であり、いちばんの弱点なんだ。あんな顔で懇願されたら、折れるしかないね。相手は、たぶん節度ある美形男子。一緒に生活していて、惚れないほうがおかしいよ。はー、もう少し待てばよかったな、再婚。せめてあと半年が、どうして待てなかったのか……焦った罰か……」


 親の再婚が半年、ずれていたら。


 さくらと玲は高校を卒業し、さくらは大学生に、玲は京都に行ったあと。

 類にはひとり暮らしを勧め、聡子・涼一・さくらの三人で同居をはじめればよかったのだ。きっと、おだやかで平和な暮らしになっただろう。

 家族は一緒に住まないと……という考えに、縛られすぎていたらしい。


「この、半年近く。しんどいこともわりとありましたが、家族が増えて俺も楽しかったです。ありがとうございました。お世話になりました……父さん」

「がっ」


『父さん』の呼びかけに、涼一がひどく動揺している。

 車ががたんと揺れたが、すでに駅前の駐車場に入っていたので無事だった。


「私は、玲くんの父親だ。しかし、さくらの父だからきみの父でもある、という意味ではないからね。あくまで、聡子の子どもの父として、その……これから、あのじゃじゃ馬をうまく御してくれ。さくらは地味な子だったから、大学デビューというのかな、そういうのはなしで、くれぐれも、京都で変な男に引っかからないように、兄として! くれぐれも兄として、柴崎家の代表として、どうかどうかあの子を……頼むよ」

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