第36話 進むべき道は①
「で、雪に囲まれた日々を」
卒業式予行と翌日の式だけは、再び帰京を許された。
自宅には、聡子と類がいた。
すでに京都で生活している玲は、当日朝直接登校するという。
卒業式は平日のため、しかも激務の涼一は行けないらしい。聡子も朝から大切な会議があるとのこと。
その、卒業式には、類が出席すると言ってきかない。
午前中の一時間だけならば、スケジュールをなんとかするというのだ。つい先日も、北澤ルイ特集の組まれた雑誌が、発売日当日に完売続出した人気っぷりなのに。
「さくらねえさんの、最後の晴れ姿だからね。ぜひぜひ見ておかないと。あ、四月の入学式も行きたいなあ、保護者としては」
「未成年では保護者になれないわよ、類」
「えー、そうなの。残念。でもぼくなら、さくらねえさんを充分に守れるよ。家族代表として、いいでしょ?」
「経済的には、ね。社会的には、どうかしら」
聡子は疑うように指摘した。
「ひどいな、母さんのくせに。少なくとも、玲より場数は踏んでるし、修羅場のくぐり抜けかたなら、すぐに伝授……ああいや、これは別の話。とにかく、早く戻っておいで。オトーサンも、いつまでさくらねえさんを軟禁しておくのやら」
「アルバイトの契約も、三月三十一日までなの」
「いいなー。ぼくも、ゲレンデでさくらねえさんとデートしたい。昼間は楽しく滑って、夜は素敵なホテルでふたりきり。温泉もいいなあ。貸切り風呂でいちゃいちゃしたい!」
「こらこら、さくらちゃんは遊んでいるわけじゃないのよ。でも結局、春休みも行けなさそうね、家族旅行。涼一さんの出張も重なって」
「連休になんとかしようよ、ゴールデンウィーク!」
「類。あなた、お休みが取れる? 正直言って、ほとんど家族旅行は類のスケジュール次第よ」
「ぼく? うーん、どうだろう。でも休むよ。いざとなったら、急病になる。さくらねえさんといちゃいちゃできるなら、仕事なんてしている場合じゃないし! ぐふふっ」
「落ち着きなさい。そんな無責任な、保護者がいますか。いくら世間が広くても、類の代わりはいないんだから、しっかりしてもらわないと。仕事に穴を空けていると、天下の北澤ルイでも仕事が来なくなるかもよ」
「はーいはい。肝に銘じておきます」
「できたら私は、静かな温泉宿に行きたいけど、さくらちゃんは希望の場所、あるかしら?」
「私、ですか」
答えは決まっている。
とにかく、玲に逢いたい。一緒にいたい。熱病にうなされているように、さくらはそればかりを繰り返し考えている。
だが、玲は連休だろうと、たぶんずっと仕事のはずだ。それか、自己鍛錬を続けているだろう。あたらしい家族での初旅行と説得しても、承諾しないはずだ。
「さくらねえさんの希望は聞かなくていいよ。もう決まっているから」
「ま、類は。さくらちゃんのことなら、なんでもお見通しなのね」
「そう。ぼくたちは、ふかーいふかーい……」
そのとき、家の電話が鳴った。
電話機に、もっとも近い位置に座っていた聡子が受話器を取った。
「ええ、はい。母です。さくら、ですか。はい、おります」
電話の先方はどうやら、自分を呼んでいるらしい。
聡子がさくらに向かって目配せしながら、しきりにおいでおいでと手招きをするので、立ち上がった。なぜか、つられて類までも。
「京都の大学の、事務局からですって」
大学?
さくらは不審げに首を傾げながら、受話器を受け取った。試験会場に忘れ物でもしたのだろうか。それにしても、今さらである。
類も、受話器に張りついて会話を盗み聞こうと、必死になっている。いつも思うけれど、類の距離は極端に近い。
『柴崎さくらさん、ですか』
「はい」
『実は、当大学での来年度入学者に、若干の欠員が生じてしまい、追加リスト上位の受験生に急ぎ連絡を取っているのですが』
「はあ……」
ん、来年度? 欠員? 追加?
さくらの頭の中には、なにも浮かんでこない。
『柴崎さくらさん。あなた宛てに本日、電報を打ちました。合格通知書です。まだ届いていませんか?』
「ご……合格」
さくらが口を開いてぽかんと立ちつくしていると、類が隣で『合格、うわーーーっ』と叫んでさくらに抱きついてきた。
ほぼ同時に、自宅のインターホンが鳴り、電報が届いた。電話を繋いだまま、さくらの目の前で聡子が封を開く。
「いいい、今、届きました! たった今、ててて、手もとに」
京都の大学名で合格、とある。
『手続き上、入学意思の表明をできるだけ早くいただきたいと思い、お電話させていただきました。入学を希望される場合は、今月の十五日までに諸手続きをいただけますか』
「い、行きます! 私、入学します。絶対絶対、入ります」
かしこまりました、では追って書類を速達で、という具体的な話になったけれど、突然の知らせに舞い上がってしまったさくらは、ほとんど聞いていなかった。
電話を切ったあとも、この身に起きている奇跡のような事実がさくらにはまったく信じられず、大興奮の聡子と類の間で何度も回し読みされている通知書の行方を目で追うばかりだった。
涼一と玲に報告をしたのも、聡子だった。
涼一は、絶句したそうだ。
玲は、分かったとだけ短く。
追加で、とはいえ、合格してしまった。春から、京都で大学生になる。
玲のそばに、いられるのだ。これからも、ずっと!
「さくらちゃん、おめでとう。よかったわね。わが社としても、さくらちゃんが超・一流大学で、建築士の資格を取って入社してくれたら、言うことなしだわ。親の七光りとか、コネとか言わせない!」
「おめでと、さくらねえさん。京都へ行っちゃうなんて、ちょっと悔しいけど」
祝福を受けてもなお、実感がない。
「ありがとう。うれしいです。でも、嘘みたい。今の電話と電報、合格詐欺じゃないですよね? 入学金を騙し取る的な」
「さくらちゃんのがんばりを、神さまが見ていてくれたのよ。受け取っておきなさい」
「はい、お母さん!」
「まあ、さくらちゃんったら」
さくらは、初めて素直に『お母さん』と呼ぶことができた。聡子もすぐに気がついたようで、頬をきらきらと輝かせ、おおいに喜んだ。
聡子の会社も素晴らしいけれど、できればさくらとしては小さな建築事務所を開きたい……と告白するのは、次の機会か。
「土壇場で合格なんて、やるね。ぼくも、京都に住もうかなあ。そのほうが、オトーサンと母さんも、自宅で伸び伸びと子作りできるよね。今は、多感な子どもたちに配慮して、できるだけこっそり活動しているんでしょ?」
「こら、類」
「私、玲に電話してきます!」
さくらはまとわりつく類を宥め、自分の部屋に戻った。
手の中にある合格証は、自分だけのもの。宛て名は正真正銘、『柴崎さくら殿』。追加だろうと、合格したのは自分。間違いない!
玲は、三回目のコールで電話に出てくれた。
『さくら? 合格、おめでとう』
「うん。ありがとう。玲がくれた、お守りのおかげだよ。すっごいご利益」
『明日、改めてお祝いするよ。資金に余裕があったら、新幹線に乗りたかったんだけど』
玲は現在、バスターミナルで待機中とのこと。夜の高速バスで帰宅するという。相変わらずの倹約家であるが、ほほ笑ましい。
「ううん。ひと晩寝たら会えるよ。これからの京都生活、切り詰めて生活しなきゃいけないし。再会、楽しみにしているね」
『こっちで借りる予定の部屋、勝手にもう決めたから。いつでもさくらが来られるように、物件の条件は譲らなかった』
つまり、玲はさくらがいなくても、『ふたり暮らし可』の物件を諦めなかったということだ。ひとりならワンルームで充分だろうに。広いぶん、家賃も高くつくのに。守銭奴のくせに。
……でも、うれしくて、にやにやしてしまう。
『おじさんの紹介だったから、家主さんには融通がきいたんだ。さくらも、気に入ると思う。早く一緒に見に……三月いっぱいは、軽井沢なんだっけ』
「そうなんだ。残念ながら」
『あっ。もうすぐ、バスの時間だ。話の続きは、明日にしてもいいか?』
「ええ。おやすみなさい、玲」
『おやすみ。さくら。ほんとうにおめでとう』
続けて涼一にも電話をかけたが、父は留守電のままだった。もしかしたら、泣いていたのかもしれない。
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