第28話 いま、ここに宣言します!③
「俺には話せないことを、類には話すのな。類にはずいぶんと、心を許しているんだな」
「別に、黙っていたとかじゃないよ。ただ、言うタイミングがなかっただけ。玲だって、京都に行くこと、教えてくれなかったくせに」
「お前が聞かなかったからだろ。進学コースを選択していない時点でお察ししろ」
「聞こうと思っていた。でも、聞けなかったんだよ」
「うっへん! 痴話喧嘩なら、よそでやっておくれやす」
祥子がふたりを止めた。
「ええか。ここは、糸染めの工場や。そないに下世話な会話をお糸はんに聞かせはったら、お糸はんがヘソ曲げて弱ってしまうで。さ、玲。ほな、またな。春に。ちゃあんと、高校を卒業するんやで。覗き見ちゃん、類のこと、よろしゅう。ゆうべは、ええ夜やったんか? 類、手が早うおすさかい、あんさんみたいな無垢な女の子をほかしておくわけあらへんで」
さくらが答えにつまっていると、玲がかばってくれた。
「祥子。さくらは万事、疎いから。そろそろ、出よう」
「つれへんなあ。ま、覗き見ちゃん。うちが玲の婚約者ってゆうのは、ほんまや。うちと玲が結婚して、工場を継ぐ約束さかい。いとこどうしなら、義理の兄妹より外聞もええやろ」
「その話は断ったはずだ。おじさんも、祥子を工場につなぎ止めるつもりはないと、言っていた」
「春から同居やろ。そのつもりがなくても、一緒におったらそういう関係になる」
「俺は、工場の外に下宿を借りて通う。住み込みはしない。祥子みたいな若い女がいる家には住めない。おじさんも賛成してくれた」
「下宿? お家賃、高うつくで。うち、給料なんてほとんど出えへんし」
「構わない。夜はバイトするから。それじゃ」
「玲のいけず」
玲は無言で、さくらを引きずるようにして工場を出た。
おじさんにも挨拶をし、ふたりは高幡家を辞した。
「こっち」
さくらは前を歩く玲の背中を見つめた。
……どうしよう。聞きたいことが山ほどあるのに、聞けそうな雰囲気ではない。こういうとき、類ならばさっと横に並んでやさしく手をつないでくれるのに。玲は黙って、前方一点を見ていた。
さくらがバスを降りた千本通まで出ても、玲は西へ西へ歩き続ける。
「あのさ玲、どこへ」
「いいから、ついてきて。少しだけ、京都観光させてやる。京都には、昨日の夜に着いたなら、全然見ていないだろ」
「う、うん」
さすが兄弟、人を連れ回すときの言い方が少し似ていた。
それに、玲は絶対に気にしている。玲は、類とどう過ごしたのか知りたがっている。
祥子に、類との夜を指摘され、答えられなかった。軽蔑されているのではないかと考えるだけで、胸がきりきりと痛む。
「玲さーん、今日中には帰れるんだよね」
「当たり前だ。明日は学校だ」
実は、下したての履きなれないサンダルに、さくらは違和感が出てきた。類はさくらの衣類を身ぐるみ持って帰ってしまったので、新しく買い与えられたこのサンダルを履かざるを得なかった。サイズは合っているものの、たぶん踵が擦れて痛い。これ以上、玲の機嫌を損ねたくないあまり、さくらは我慢して従った。
北野天満宮(天神さん)を通り過ぎると、駅が見えてきた。
「これに乗る」
「京都駅まで?」
「駅には向かわない」
切符を買うために、さくらは財布を出した。残金は、あと三千円。正直、交通費だって惜しい。玲に貸してもらおうか。いくら守銭奴の玲でも、妹が困っているときは貸してくれるだろう。借金の申し込みは最終手段だ。
「パスモ、使えるから」
「へ?」
「嵐電、パスモで乗れる」
なるほど、関東私鉄系のICカードでも使えるということか。さくらは安心した。パスモにならば、多少お金がある。なにかあったときのために、涼一がいつも多めにチャージしてくれる。今さらだけれど、朝食や買い物もパスモを使えばよかったのだ。
さくらは電車に乗るなり、座った。空いていてよかった。
応急措置として、踵に絆創膏を貼りたいところだが、ふだんのバッグは類が持ち去っていた。
「玲。絆創膏とか、持ってないよね」
「ないけど。ケガでもしたのか」
「サンダルが痛くて」
「サンダル?」
車内ゆえ、行儀が悪いと思ったが、さくらはそっとサンダルを脱いだ。
両脚のかかと、ちょうどアキレス腱のあたりが、きれいに赤く染まっている。血もにじんでいた。
「靴ずれか。慣れない恰好、するからだ」
「したくてしているわけじゃないもん。これしかないから」
「これしかない?」
「うん。類くんが、明日着てって用意してくれたの」
「類の趣味か。言われてみれば、そうだな。いかにも男が好きそうな服だ。さっきから、やけにさくらを男どもが見てくるなと思っていたが。とりあえずテッィシュでも詰めておけ。駅に着いたら、絆創膏を買ってやるから」
「ありがと。ごめんね、迷惑かけて」
「少し歩くから、覚悟しておけ」
電車は線路を走ったり、路面電車になったり、東京ではあまり見かけないレトロ路線だった。
「へえ。映画村とか、行けるんだね」
終点の嵐山駅で降りると、玲はホームのベンチにさくらを座らせて絆創膏を買いに走ってくれた。こういう、気の利くところは頼もしい。
「ありがとう。うん、これならもう少し歩けそう」
踵に絆創膏を貼ると、痛みはだいぶ和らいだ。
「無理、するなよ。どうしようもなくなる前に教えろ」
「教えたら、どうなる?」
「そりゃ、相応の処置を。おぶってやる、お前を。いいか、ゆっくり歩いてやるから」
手を差し伸べてきた玲の顔は、真っ赤だった。
「うん。了解」
ふたりが手をつなぎ、嵐山駅を降りて向かったのは、渡月橋。テレビや雑誌でもよく登場する、木製の橋である。
「わあ。京都って感じだね、京都」
「この川は大堰川。下流に行くと、桂川と名前を変え、宇治川と合流する。さらに淀川となり、大阪湾に続いている。今日のところは見るだけだ。用事があるのは、こっちの岸だから」
「えー、歩きたい。玲、途中まで」
「脚が痛いんだろ」
「……そうでした」
「嵐山は市内中心部よりも紅葉がやや早い。だいぶ色づているな」
「うん。鮮やか」
「向こうの山は小倉山といって、麓に藤原定家が隠居した庵があったらしい。分かるか、定家。歌人で、百人一首の選者」
「はい。思い出しました」
「受験生、しっかり」
「玲が詳し過ぎるんだよ」
人力車のお兄さんの営業熱心な乗りませんか攻撃をかわし、ふたりはしばらく川沿いの道を歩いたあと右折。
通りかがりの花屋で地味目な花束と線香を買い、とある寺の門前まで辿り着いた。玲は荘厳な本堂や塔には目もくれず、墓地の区画へと進んだ。入り口で、桶と柄杓を借りる。
「お墓参り?」
さくらの質問には答えてくれない。次第に、玲の顔つきが神妙になってくる。
墓石に『柴崎家之墓』と刻まれているところで、玲は止まった。
「父が眠っている」
玲と類の、父。聡子の前夫だ。
「次男だった父は、柴崎家の婿になった。夫婦仲はよかったらしいんだけど、飛行機事故で死んだ。遺体は見つからなかった。だから、ここに骨はない。あるのは、生き残った者たちの執念かな」
「そのとき、玲は何歳だったの?」
「五歳。俺はうっすらと覚えている。類は、記憶にないってさ」
「そんな小さいころに」
「もう、おぼろげだけどね。顔とか、父の兄である工場のおじさんを見るとああ、ってたまに思い出したりするぐらい。母もとうとう再婚できたし、今日はその報告。母さんのことだから、忙しさにかまけてどうせ墓参りなんてしていないだろうし。聞いてもいいか、さくらの母親は?」
「うちは、私が赤ちゃんのころに病気で亡くなったって。だから、お母さんっていうものが分からなくて、悲しくもつらくなかったっていうか。父さまががんばってくれたぶん、周囲に『お母さんがいなくて、かわいそうなさくらちゃん扱い』されるのが、いやだったな」
「あー。それ、分かる。鬱陶しいよな」
「そうそう。『アタクシ、片親の子どもに同情している心の広い人間』が、わずらわしかった」
「だよな。片親だからって、進学を諦めたりする必要はまったくない。国公立とか、奨学金とか、授業料免除とか、手立てはある。片親を理由にするのは、逃げ。甘え。情報収集の欠如」
「気が合う。私も同意」
花を供え、墓石を浄める。線香に火をつけた玲は、墓前で深く頭を下げた。
「父さん。こいつ、新しい妹。同じ歳なのに、なんと妹なんだ。相変わらず、母さんっておもしろいことをしてくれるだろ。笑ってくれよ。ま、俺たち兄弟も揃ってこいつを好きになっちゃったから、変わっているよな。でも、俺はほんとに本気。さくらが好きだ。誰にも譲れない」
さくらが好き。
玲は自分にではなく、墓に向かって告白していたが、玲の気持ちを初めて知ることができた。
胸がいっぱいで、ことばが出て来ない。
「さくら、お前も父さんに挨拶をしてくれるか……って、なに泣いてんだ。しかも、号泣? ここで?」
「ごめん玲、困らせるつもりはないんだけど。涙が止まらない」
「おいおい、俺なにか悪いこと、したか? 脚が痛いのか?」
「ううん。だ、だいじょうぶ。私が勝手に感動しているだけ。さくらが好きって、はじめて言ってくれたから」
「そっちか!」
「ありがとう。うれしい」
さくらは墓前に出た。
「玲くんのお父さま、初めまして。さくらと申します。親の再婚で、玲くん類くんときょうだいになってしまいましたが、私は玲くんのことを……玲が大好きです」
墓の前で告白し合う高校生なんて、そうそういないだろう。
「決めた。玲も聞いて」
さくらは宣言した。
「私、京都の大学へ行く」
問題発言だった。玲は目を瞠った。
「おいおい。もう、十一月下旬。志望校を今から変更するなんて、無謀だろうが」
「試験は、年明け。これから、がんばる。死にものぐるいで」
「でもな」
「建築学科があれば、どこでもいい。合格さえすれば、あとはなんとかなる。京都に詳しい玲もいるし」
「軽い女だな。どこでもいいわけないだろ。学費を払うのは親なんだ」
「両親が新婚旅行から帰ったら、さっそく相談する」
「反対されると思う。理由が、理由だし」
「でも、諦めきれない。反対されたら、自分で学費を払うよ。今日、あとはどこに案内してくれる? 本屋さんに寄って、京都の大学案内を手に入れたい」
「昼めし、食って帰るつもりだ。もう、一時だし」
「よし、じゃあ行こう。私、昨日からパンとかコーヒーばっかりだったから、ボリュームのあるものを食べさせて」
「金持ちの類に、うまいものを食わせてもらっていないのか。てっきり、食って酔わされて、餌付けでもされたのかと」
「誰かさんのせいで、食事どころじゃなかった」
「はいはい。じゃ。こっちだ」
ふたりはJRの駅に向かうことになった。
「行きと違うんだね」
「嵐電のメイン路線は、四条大宮行きだから。京都駅ならJR。バスもあるけど、時間がかかる。三十分以上。渋滞していたら、もっとかな。嵐山は、電車利用が賢い」
「すべてお任せします、玲さま」
詳し過ぎて、すでにさくらには理解できない。
「肉でも食うか。おじさんにお昼代、もらったんだ。いかにも京都っぽい湯豆腐とかじゃ、あんまり食べた気しないだろ」
「うんうん。とんかつがいいな。おなかいっぱい、がっつりとんかつ」
「了解」
***
食事を終えたふたりは、嵯峨嵐山駅から嵯峨野線で京都駅へと戻った。
観光旅行ではないので、おみやげを買うかどうか迷ったが、新幹線の待ち時間に構内のおみやげ屋さんをふらついていたら、誘惑に負けてついついお菓子を買ってしまった。純花のぶんも。
帰りの新幹線の中では、お互いに寄りかかりながらぐうぐうと熟睡。
帰宅できたのは、午後六時だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます