第13話 夜更けのハプニング②
会話がない。眠くもならない。
どちらかが先に寝てしまえば、気まずさが解消されるのかもしれないが、さくらは夕寝してしまったせいもあり、瞼がびくとも落ちない。先に、玲が寝てくれたらいいのに、さくらは祈った。
「……玲?」
「うわっ! な、なんだ。起きていたのか、さくら。驚かすなよ」
「だって私、夕方にぐうぐう寝ていたし。玲こそ、遠慮しないで、お先にどうぞ」
「いや。俺はまだだな。暗いけれど九時だ、九時。小学生か」
「じゃあ、ふたりで、なにかしよう」
「な、なにか、しよう? 電気もない、この暗闇で。ふたりっきりで、できることを、か? その、心の準備が……俺たち、一応きょうだいだし……持ってたっけな、アレ」
「ちょっと。ごちゃごちゃ、ひとりでなに言っているの。しりとり、しよう。『り』。リップクリーム」
「はじまったのか! 『む』か、俺が? む、ムガール帝国」
「『く』?。くいしんぼう」
「う……勝ったら、負けたやつに、ひとつ命令できるルールにしようぜ。『う』、海」
「あー、海いいね。行きたいなあ。旅行、家族で行こうよ、来年の夏休みになったら。温泉つきで。『み』、ミント」
「家族で、か。そういえば、家族で行ったことはないな、旅行」
「聡子さんと類くんじゃ、確かに無理そうだね。でも、私もないよ家族旅行。同じ。よし、次の夏は行こう」
「類がいるとか、考えたくもない。どういう部屋割りにするんだよ」
「広めの和室で、五人並んで寝る」
さくらは真面目だったが、玲は吹き出した。
「おいおい、難しい年ごろの若人が三人もいて、雑魚寝かよ。お前、どれだけ自分を安く見積もっているんだ」
「父さまも聡子さんもいるのに、どうにもならないでしょ。玲は、心配性過ぎる」
「母親はあんな感じだし、類も操縦不能。旅館っつったらあれだ、浴衣とか着るんだろ。さくらの浴衣姿とか水着とか温泉とか、考えただけでうっ……」
「玲さーん、頭の中妄想炸裂しないの」
「一応、想像してあげているだけだって。俺、やさしいから。だって、どう頑張っても残念体型だろうが」
「やだ。気にしていることを、堂々と言うか。普通」
「柴崎家は普通じゃないから。ちょっと接すれば、分かるだろ」
「あー、なるほど。分かる分かる」
「納得するのか、そこ」
「うん。でも、うちもいい勝負だから、同じだよ。で、時間切れ。玲の負けね」
「は、負け?」
「しりとり。玲の番、『と』だったよ」
「すっかり、忘れ……『と』、東京都」
「だめだめ、時間切れだって。さて、なにしてもらおうかなあ」
「少しぐらいいいだろ、お前が海とか旅行とか脱線したせいだって。第一、時間制限なんてルールにはなかった」
「海って言ったのは、玲」
「さくらさん、一度だけ許してください。頼みます、この通り」
玲はさくらに向かって拝んだ。
「仕方ないなあ。じゃあ、また『と』ね。トンネル」
「『る』か。る、る……類のこと、お前は好きなのか」
「いきなり、どうしたの。急に」
「さくらの気持ちを聞いているんだ。やつが、好きなのか」
「類くんは、弟だもん。好きだよ」
「弟としてじゃない。男としてはどうなんだ? もし、類と付き合いたいとか思っているなら、考え直せ。あれは皆、見た目に騙される」
「付き合う? だから、弟だって。そりゃ、昨日は一緒にいて楽しかったけど、『異性として好き』とは違うよ。類くんのことは私、家族としてしか見ていない……と、思う。でも類くん、根はいい子だよ」
「いい子? あれで? お前、洗脳されたな」
「だって、私のことを、なぐさめようとしてくれたんだし」
「なぐさめる?」
「うん。見たの。玲を。渋谷で……昨日」
この場の勢いを借りて聞いてみよう。玲も、いつもの様子とは違う。言いづらいことや、きつい冗談を飛ばしている。気になるなら直接聞いてみれば、と類も言っていた。
「昨日?」
玲は少し考え込んだ。横顔は、すでにおとなの男性そのもの。
「そう。昨日。銀座線から私服で降りてきた。年上そうな、きれいな女の人と。道玄坂を上って」
「お前、見ていたのか」
ゆっくりと、さくらは頷いた。
「放課後、純花に買い物へ行こうって誘われて、渋谷に。尾行するつもりはなかったんだよ。でも、玲がいつもと違うから。あの人と、お付き合いしているんだね」
「あいつとは、付き合ってなんかねえって」
「彼女じゃない? 玲は、好きでもない人と、ああいうところ行けるんだ」
「ああいうところ? もしかして、完全に俺をつけていたのか」
「つけ回すつもりはなかったけど、見ちゃったんだもん。すごく驚いて。とても悲しくて」
……悲しい? 悲しかったのか、自分は。玲が平然とした顔で女の子とホテルに入ったことに、驚いたのは認める。
けれど、悲しかったのか。
さくらは玲と話すことで、あらためて自分の感情を揺れを知った。
「あれ、バイトなんだ。親には内緒な」
「アルバイト? 自分を……売っているの? レンタル彼氏的な?」
「まさか。おいおい、どうしてそんな飛躍した、突拍子もない結論になるんだ」
「だって、類くんが。身売りだって」
「類に話したのか。ちっ、いやなやつに知られたな」
「ごめん。でも、どうしていいか分からなくて」
「いい。全部話す。俺がやっているのは、あのホテルの清掃係。一緒に歩いていたのは、ホテルの若社長」
「『ホテルの清掃係』? そんな都合のいい話、信じられないよ。第一、あの女の子、どうみても大学生ぐらいだし」
「信じたくないやつは、信じなくていい。昨日の連れは、社長。俺は、社長を迎えに行っただけ。まさか、制服でホテルには出入りできないだろ、私服に着替えないと。でも、俺は俺の名誉のために言っておく。金が必要なんだ。卒業までに、とにかく金が欲しい。多少、あぶないバイトでも時給のいい仕事がしたい。高校を出たら、俺はこの家も出るつもりでいる」
「自立……するんだ」
「自立っていうか、東京ではできないことをするつもり」
「その言い方だと、東京以外に行くってこと?」
「決めてあるんだ。ずっと前から」
「大学は? 成績、いいよね?」
「行かない」
進学コースに属していないので、玲が大学を希望していないことは知ってはいた。
「そんな。ひどい。せっかく家族になれたのに。一緒の大学へ行けたらいいなとか、ぼんやりと考えていた私は、ただのばかってことか。玲とせっかく仲よくなれたのに、離れるなんて」
「家族ったって、義理だろ。俺の目にはいまだに、同級生の笹塚さくらにしか映らない。妹なんて言われても、まったく実感がない。俺、二年のときからお前のこと見ていたから、正直複雑なんだ」
「嘘」
見られていた、だなんて。初耳だった。
三年で同じクラスになってもそんな態度、微塵も感じさせなかった。
「噂で、さくらは片親だって知って。なんとなく同情というか。親しみがわいて」
「玲は女の子に人気あるし、玲を本気で好きだっていう子も多くて。私、眺めているだけだったのに」
「どちらにせよ、俺は家を出たほうがいいんだ。柴崎家には、類もいる。あいつの毒牙から守ってやれなくなるのが心配だが、俺が家を出るまでに対処法を伝授してやる。類の弱点など」
「だめ。玲がいなかったら、私は類くんの誘惑に勝てない。この前だってついつい乗せられて、キスを許しちゃったし、そのうちきっと深みにはまっちゃう。玲がいないと」
「類とキス?」
「う、うん。なんとなく、その場の雰囲気に流されて……ほんっとにだめ女だよね、私。反省」
玲は大げさに頭をかかえて悩んだ。
「類が、もっとも得意とする分野だからな、それ。一度睨まれたらある意味、逃れられない。今後も、お前に無理を押しつけてくるだろう。類は、さくらが好きだと公言したし、あの独占欲は、ほんものだ。しかも、お前は簡単に落とせそうで、まだ落ちていない。類にしてみれば、さくらは毛並みの変わった珍獣。参ったな……そうだ、俺とできているふりをしないか?」
「できている?」
「ふりだ、ふり。類を欺くための。しばらくの間、兄と姉が親密にしていたら、さすがにあいつも諦めるかもしれない。類には誘惑が多いし、そっちに流れてくれたら、さくらのことなんて、いっときの熱病みたいなもので、じきに忘れるだろう」
「し、親密」
「兄姉以上の仲だと、思わせる作戦だ。家の中で、見せつけてやればいい」
「でも、父さまも聡子さんもいるのに。できるかな?」
「最初から共謀して、あのふたりも味方に抱え込むんだよ。どうやら、玲とさくらが! ってさ。母も、類の下半身暴走癖には手を焼いていたし、ちょうどいいだろう」
下半身暴走って。類はまだ十七なのに。母親と兄からこんなふうに悪く思われていたら、きっと誰だってひねくれてしまうだろう。
「類くん。いい子だよ。かわいそう」
「じゃあお前は、類に押し倒されて最後までされてもいいのか。売れっ子アイドルモデルとはいえ、弟に」
「それは、困る」
「ならば契約成立。まずは、肩を組む練習でもするか」
「玲と私だって兄と妹だよ、実際問題。きょうだいがいちゃいちゃしていたらやっぱり、モラルに反する」
「つべこべうるさいな、ふりだ。ふり。いいか、この停電を利用して、俺たちは急速に親密度を増したっていう設定にしよう。暗闇に包まれ、思わず相手を意識し合う」
「妄想?」
「設定だ。神経をいちいち逆撫でするなって。言っている俺だって、相当恥ずかしいんだ」
そうこうしているうちに玲の手のひらが、肩に乗ってきた。さくらはますます緊張した。身動きができない。類と寄り添っていたときよりも、いっそう鼓動が跳ね上がっている。
急に親密なふり、なんて。
玲は日常的に偽装デートするぐらいだ、慣れているかもしれないが、彼氏いない歴十七年のさくらにはハードルが高過ぎる。
「肩に力が入りすぎ。いやなら、やめておこう」
「別に、いやっていうわけじゃないよ、ただ、慣れないっていうか、ふりとはいえ、誰かと『付き合う』なんて初めてだから」
玲は目を丸くした。
「まさかとは思っていたけど、男と付き合ったこと、ないのか」
「そうだよ。ありませんよ」
「どうりで、素直な反応。経験値ゼロか。こいつはいい。類のおもちゃ候補になるわけだ」
笑いをこらえきれず、玲はおなかをおさえた。
「そんなに笑わないで。失礼だよ、もう」
「悪い悪い。でも十七にもなって。顔はかわいいのに」
「ずっと、学校と家事手伝いの生活でした」
「あー。そうだったな。大変、失礼をした。謝るよ。見つめ合うとか手をつなぐとか、もっとハードルの低いところから、はじめたほうがよかったな」
甘い雰囲気になりそうな気配は消滅したので、さくらは緊張を緩めることができた。
すると、だんだん眠くなってきて、いつしか瞼が落ちていた。
どうして、そんなにお金が必要なのって、聞きたかったのに。高校出たら自立って、なにをするつもりなのって。
***
一方の玲は、眠くなるどころか怒っていた。
「類に、先を越されたなんて。おい、断固として、罰を与える。しりとりで負けたら、そういうルールだったよな。お前は俺が『類』と言ったあと、答えなかったし、正真正銘の時間切れだ」
あどけない顔で寝ているさくらの頬を、左の手のひらに乗せ、玲はさくらの唇に己の指を滑らせた。
時間にすれば、ほんの数秒。
ほとんど類への対抗心だけで、玲は寝ているさくらの頬にそっと唇を落とした。
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