173. 別邸での生活 5/6 ― 企み、化け物 (大地)


「……ふーん。なるほどなあ」


 報告書を読み終えた。


「やっとか?」


 親父は、フーッと鼻でため息をついた。


「つまり芝崎しばさきは、再婚相手と一緒に財産食いつぶして、金がなくなったから、菖蒲あやめ……さんを金に換えようとしたってことだろ?」


 芝崎家の財政状況は、先代あたりからかんばしくない。芝崎が当主になってからは右肩下がりだ。再婚してからは、さらにひどい。


 芝崎家は谷原たにはら家にかなりの結納金を渡した。同じ方法で、もらう側となり、金を手に入れようとしたようだ。


(再婚相手は、財産目当てで結婚したっぽいな。芝崎はいいように転がされたか……)


「この探偵って、どうやって突き止めたの?」


 忠勝ただかつさんに顔を向けた。


 芝崎は探偵を雇い菖蒲の所在を調べた、とある。依頼内容は『妻と子どもの捜索と、子どもの性別』、理由は『失踪した妻が、実は妊娠していて子どもを産んでいた。子どもに会いたい』となっている。

 探偵が、所在と、すみれさんが再婚、死去していたこと、子供の性別を伝えると、『女か! それなら金になるな!』と、すみれさんのことにはふれずに喜んだらしい。


「芝崎のあとを律穂りつほがつけた。途中、芝崎が電話をかけるのを見て、番号を控えた」


「へ、へえ~。双眼鏡か何かで?」


「話していた内容も聞いていたから、直接見たか、音でだろうな」


「そ、そう」


(尾行か。律穂さん、目立ちそうなのに……)


「『猫背ねこぜ』か? やるな。また、仕事振ってやらないとな」


 親父は感心したようにうなずき、あごをさすった。


 律穂さんも親父に覚えられている。てつさんたちとは違う。忠勝さんの友人としてではなく、忠勝さんよりも前から覚えられていた。

 強さで覚えられていたが、剣術部ではなく、体術部だったので、名前までは至らなかった。


 俺が初めて湖月こげつ邸を訪れたとき、律穂さんは親父が帰るまで姿を現さなかった。

 使用人になってから、親父との会話で、律穂さんの名前を普通に出していたが、親父は名前を覚えていなかったので、誰かわかっていなかった。

 黒羽くろはから『千手観音せんじゅかんのん』の話を聞いたとき、親父に覚えているかとたずねてみた。親父は首をひねったが、強さと身体的特徴を伝えると、あの『猫背』か! とひざを打った。


(律穂さんが親父に顔を見せなかったのは、逃げてたからなんだよな。『猫背』だってわかって、すぐ仕事させたみたいだし。余計なこと言って、申し訳なかった。……それにしても――)


「――残念だな」


「何がだ?」


 俺が報告書を見ていたからか、親父が手元をのぞき込んできた。


「いや、探偵が。この少ない情報で、ここまで調べられる能力と根気があるのに、依頼人の情報を流してちゃ、いまいちだなって。まあ、流してもらわないと、こっちが困るんだけど。……まさか、忠勝さん、手荒なまねを?」


「していない」


「本当に? 徹さんと行ったの?」


「律穂とだ」


(……それは、怖かっただろうな。事務所に入ってきた時点で、何の話かわかっただろうし)


 探偵は湖月家のことを調べていた。忠勝さんの顔を知っていたはずだ。


(二人とも、顔、怖いからな。背もでかいし。なんつーか、すごみがあるんだよな)


 二人にお願いされるところを想像してみる。


「……怖いな」


「何がだ?」


 親父は、手元ではなく、俺の顔を覗き込んだ。


「え? ……う、うわさだよ、うわさ。すみれさんが忠勝さんと結婚したって芝崎が知ったのも、芝崎が捜してるって忠勝さんが知ったのも、うわさだろ?」


 ああ、と頷くかと思った忠勝さんは、はたと動きを止め、まばたきをしてから口を開いた。


「芝崎が耳にしたのは、嘘だったのかもしれない」


「嘘? どういうこと?」


「谷原家は、すみれが離婚したことを周りに隠していたそうだ。しばらくして、そのことが知られはじめ、なぜ家にいないのか? と聞かれたときに、『もう再婚して家を出た。子どももいて、幸せに暮らしている』と苦し紛れに言っていたらしい。その嘘がうわさとなり、芝崎の耳に入ったのかもしれない」


「そんな嘘ついてたんだ」


「ああ。……芝崎がすみれを捜していると知ったのは、うわさからではない。確かな情報だ」


「え? そうなの?」


「芝崎が、谷原家にすみれの所在を尋ねた際、谷原家はすみれの姉に連絡を取った。すみれの姉が、芝崎がすみれを捜していると知らせてくれた」


「お姉さんは、すみれさんが忠勝さんのところにいるって知ってたんだ?」


「すみれは、姉とは仲が良かったんだ。だが、私のところに来て以降、連絡は取らないようにしていた。二人でそう決めたそうだ。向こうから連絡が来たのは、芝崎の件でのみ、こちらからは、菖蒲が産まれた時、すみれが他界した時と、今回だ」


「今回って……芝崎が来たって?」


「ああ。そのときに、『もしかしたら……』と谷原家のついていた嘘の話を教えてくれた。それと、探偵のことだが……」


 忠勝さんは、探偵から芝崎の情報を得るに至った顛末てんまつを説明してくれた。


 芝崎は探偵に手付金しか支払っていなかった。調査結果を伝えた時点で全額支払う契約だったのだが、菖蒲がその場所にいることを確認してからだとゴネた。探偵は不本意だったが、自信があったので受け入れた。


 しかし数日後、『あんな化け物は、私の娘ではない! 無効だ! 金は払わない。手付金はくれてやる』と、芝崎から電話がかかってきた。芝崎家に電話をかけても取り次いでもらえず、出向くしかないと思っていたところに、忠勝さんと律穂さんが現れた。忠勝さんたちから事情を聞いた探偵は、少し時間が欲しいと、返事を翌日に持ち越した。


 翌日、忠勝さんは芝崎が支払うはずだった料金を代わりに支払い、探偵が調べた情報を買い取った。そして、その場で芝崎の調査を依頼した――とのことだった。


 説明し終えた忠勝さんは、コーヒーを一口飲んだ。コーヒーカップの離れた口が、ふっ、とゆるんでから開いた。


「だから、大地だいち。探偵は依頼人の情報をらしたわけではない。私たちの依頼に応えてくれただけだ」


「なるほど……」


(それにしたって、微妙な内容もあるけど。……まっ、仕事だもんな。しょうがないな)


 見たことのない六枚の写真は、探偵が撮った写真だった。数年前の三枚の写真同様、芝崎と再婚相手が仲睦まじく写っている写真が二枚。芝崎が、一人で酒場にいる写真と、酒場の女と楽しそうにしている写真が一枚ずつ。再婚相手が、芝崎ではない男と一緒にいる写真が二枚だ。


(芝崎のほうは酒場だけの関係か。再婚相手のほうは……、金だけ引っ張るつもりなのか、乗りかえるつもりなのか……)


 芝崎と再婚相手が一緒に写っている写真を一枚手に取る。


(芝崎は気づいてるのか? 気づいてないだろうな。……知ったこっちゃないけど。そっちだけでやっててくれよ)


「もう来なそうか?」


 親父は忠勝さんに顔を向けた。


「……どうでしょうか」


「忠勝さんが追い返したんだろ? もう、来ないだろ」


 写真と報告書をトントンと整えながら、親父に向かって言った。


「……私ではない。菖蒲だ」


「菖蒲?」


 忠勝さんの意外な言葉に驚き、顔を向ける。


「そうだ」


「どうやって?」


「芝崎に言い返して、だ」


「なんて?」


「いろいろだ」


「いろいろって? 例えば?」


 忠勝さんは、テーブルを見つめ、考え込んだ。眉間にシワが寄っている。


「……女の子は、ませているな」


「あ~、そうだよな~。ホント、そう。菖蒲も、兄貴の子たちも、ませてるし、よく喋るんだよな~。……それで、なんて言ってたの?」


「……そうだな。……化け物で嬉しい、と」


「探偵の話にもあるけど、化け物って何?」


氣力きりょくだ。菖蒲の氣力が漏れて、スカートや髪が浮いた」


「ああ! そういうことか! 怒ったんだ?」


 忠勝さんは頷いた。


「徐々に漏れはじめて……。止めたんだが、止まらなかった。手を振り払われた」


「うわ~! 見たかった! 倒れた?」


「いや。倒れはしなかった。危なかったが」


「そっか。今度会ったときに話を聞いて……も大丈夫そう?」


「聞いてみて、嫌がらなければ構わない。大地は、菖蒲を倒れされるからな。気をつけるように」


 忠勝さんは冗談めかして言ったが、目がギラリと光ったような気がした。


「あ~……、あはは。……はい」


 俺が倒れさせたのは一度だけなのだが、それが随分と尾を引いている。


「……菖蒲に、芝崎家と谷原家のことを話すつもりだ。護衛していたと、伝えるか?」


 忠勝さんは俺の目をジッと見つめた。


「……ただの使用人のままがいい」


 忠勝さんの目を見つめ返し答えた。


 学園卒業後、『自分探し』の最中に、憧れの『鬼神きしん』のところで働けると聞いて、湖月家の使用人になった――と、菖蒲と黒羽には話してある。

 嘘ではない。自分の名前が嫌いだと名字みょうじを教えなかったのも、楽々浦ささうらを隠すためではあったが、まるきり嘘ではなかった。『自分探し』を、自分の迷いを、楽々浦のせいにしていた時期もあった。


(護衛のことを伏せたのは、菖蒲と黒羽を不安にさせないためだったけど。今さら、護衛してました、って言うのもな……)


「……結局、俺がいる時には来なかったし。護衛なんて言えるようなことは、何一つしてな――」

「言ったほうがいいんじゃないか?」


 親父にさえぎられた。

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