130. とんでもない質問 1/2


 ソファーに座る黒羽くろはの正面に立つと、グイッと引き寄せられた。胸に顔をうずめてきたので、両手で頭をなでた。


 黒羽の髪を、ざっくりと後頭部で一つにまとめた。


「後ろと横は、ちゃんと結べるね」


 もう何度か結んでいるところを見ていたが、なんとなく自分の手でも確認してみたくなった。


「はい。もうこれでいいです」


「前髪は入らないよ? どうせなら、もっと伸ばしちゃえば?」


「……菖蒲あやめ様は長いほうが好きですか?」


「短いほうが好きかな」


 背中に回された手に少しだけ力が入った。


「短く切る?」


「……切りません」


「ふふ。そっか」


 黒羽の頭をグシャグシャとなでた。シャンプーのいい香りがした。


 頭をなでながら手グシで髪を整えていると、黒羽が見上げてきた。


「菖蒲様」


「なあに」


「ブラジャーつけてますよね?」


 黒羽の目を見つめながら、投げかけられた言葉を脳内で反芻はんすうした。何度繰り返しても、言葉通りにしか受け取れなかった。


「どうしてそんなこと聞くの?」

 

「クローゼットにあったので」


(あ~、ああ、そっか……)


 突然、ブラジャーなどと言い出したので、何か遠回しに伝えたいことでもあるのか? と、深読みしてしまった。


 今日の昼間、黒羽と二人で外で遊んでいた。一加いちか一護いちごは仕事中だった。家庭教師はなく、小夜さよも休みだったので、しげるもいなかった。

 バドミントンで遊んでいたら、なぜか急に追いかけ回された。全身汗だくになったので、シャワーを浴びることにした。


 黒羽が着替えを用意してくれた。

 普通にパンツと一緒にブラジャーも出されていたので、気にめなかった。


 黒羽が、私のクローゼットの中の引き出しまで開けたのは、一年ぶりだった。


 去年の夏までは、黒羽に着替えを用意してもらうのが当たり前だった。私の身の回りのことは、ずっと黒羽がやってくれていた。

 黒羽が学園に行ってからは、着替えの用意や洗濯物をしまうのは自分でやっていた。でも、夏休みで帰省してきている間は、黒羽がやってくれた。髪を乾かす役割も、一加たちに頼んで代わってもらっていた。


 冬に帰省してきたときも、いろいろやってくれようとした。

 そのときには、黒羽がやってくれていたことは、一加たちがやってくれるようになっていた。髪を乾かすだけでなく、着替えの用意も、洗濯物をしまうのもだ。

 黒羽は一加たちに全部代わってほしいと頼んだ。だが、一つも代わってもらえなかった。


 それは今回も変わらなかった。


 だから、黒羽は、今日たまたま私の着替えを用意するまで、クローゼットにブラジャーが加わっていることを知らなかった。ブラジャーを買ってもらったのは秋だ。去年の夏には入っていなかった。


「あれは、ブラジャーでいいんですよね?」


「え? あ、うん。そうだよ。最初は、ああいうのをつけるんだよ」


「そうなんですね。思ってたのと違ったので……」


 黒羽は、横を向き、頭を私の胸に預けると、「あれもブラジャーなんだ……」と小さい声で呟いた。


 私が持っているブラジャーは、タンクトップの上半分みたいなものばかりだ。黒羽はそのようなブラジャーを見たことがなかったのだろう。確信が持てなかったようだ。


(家族に女の人がいないと見る機会ないかも。女性用下着売り場に行けば見れるけど。黒羽は行ったことないはずだし……)


 私の下着は、別邸にいるときからずっと理恵りえが購入してくれていた。


(でも、普通のブラジャーはわかってるっぽいよね……。どこで見たのか知らないけど)


 理恵は下着を自分で洗い、部屋に干している。黒羽に見る機会があったとは思えない。


(……そうだ、大地だ。大地がいた! 大地がいろいろと教えてそう! 女たらしだし!)


(…………女の子に見せてもらった可能性もあるか。モテるし)


(そっか、ショーウインドー! とか? 売り場に行かなくても、飾られてれば見てるかも……しれない)


(それにしても、黒羽……、一護もだけど。普通に、ブラジャーって言ってるけど。男の子って、ブラジャーとか言うの恥ずかしくないのかな? そうでもないのかな?)


 黒羽がゆっくりと体を離した。私のお腹をジッと見つめ、優しくなでた。


「もしかして、なりました?」


「…………なりましたって?」


「生理です。今生理中とかの話ではなくて、初ちょ――」


 ポスッ、とひたいを叩いた。前髪に邪魔されて、いい音は鳴らなかった。


 黒羽に離れてもらい、ソファーの後ろに回り込んだ。黒羽の両肩に手を置いた。横から顔をのぞき込み、質問した。


「ねえ。もしも、男の人が、十二歳の女の子に、キミはもう初潮を迎えたの? って質問してたら、どう思う?」


「変態ですね」


「そうなんだ! へえ~」


 覗き込むのをやめ、肩から手を離した。黒羽が振り向いたので、一歩離れた。黒羽は、ハッとし、立ち上がった。


「私は変態じゃありませんよ!」


「黒羽が自分で変態って言ったんでしょ……」


 わざと泣きそうな顔をして、黒羽から視線をそらし、斜め下に向けた。黒羽が視界の端で二三歩にさんぽ横に移動したので、同じように移動した。


「なんで逃げるんですか」


「逃げられても仕方ないと思う……」


「ちゃんと話をしましょう」


「このままでもできるよ……」


 黒羽が移動するたびに、同じように移動した。ソファーの周りをグルグルと回った。


「菖蒲様、止まってください」


「黒羽が止まれば止まるよ」


「……わかりました」


 黒羽が止まったので、私も止まった。ちょうど最初と同じ位置だ。


「菖蒲様、目を見てください」


 黒羽の顔は見ず、体だけ見て逃げていた。顔を少しだけ上げた。視線は向けなかった。


「そう……ですか……。仕方ありませんねっ――」


 黒羽は、言うが早いか、ソファーの座面に足をかけた。背もたれに手をつき、ソファーを飛び越えた。


「あっ! ズルい!」


「ズルくありません!」


 あっという間に捕まってしまった。


 黒羽は、私の顔を両手ではさむと、ジロジロと眺めた。「は~~」と息をき、私の両頬をつまんだ。


「意地悪しましたね?」


「ふぇんたいひゃん、はなふぃて」


「変態じゃないので、離しません」


「くろは、はなふぃて」


 頬から手が離れた。


「も~。ソファー踏んづけちゃダメでしょ」


「すみません」


「全然、すみませんって思ってない」


「菖蒲様もたまにソファーの上に立ってますよね」


「……私の部屋のだからいーの」


「菖蒲様が逃げるからですよ」


「黒羽が変なこと聞くからでしょ」


「変なことじゃないです! 大切なことです!」


「黒羽には関係ない。それじゃ、おやすみ~」


 黒羽の横を通り抜けて、ベッドに向かおうとした。後ろから、お腹に手が伸びてきた。抱き寄せられた。

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