◆005. 過激な発言
「さあ、お嬢様。涙を拭きましょう」
サンドイッチは、玉子サンドにハムサンドだ。一口サイズの四角形に切られている。美味しそうだ。うらやましい。
でも
「いただきます」
「いたーいみゃしゅ」
二人でおしぼりで手を拭いたあと、食べ始めた。
黒羽は、朝と同じように重湯を食べさせてくれながら、合間にサンドイッチを食べている。黒羽がサンドイッチを咀しゃくしている間は、自分で重湯に息を吹きかけ冷ましたりした。
「お嬢様、美味しいですか?」
「うん」首を縦に振った。
サンドイッチはうらやましいが、重湯は重湯で美味しい。朝とは違い、ほのかに塩分を感じるような気がする。
「どっちゅ、しゅき?」
私は、サンドイッチを指さした。きちんと話せるようになるために、コミュニケーションをとらないといけないと思い質問した。
(玉子サンドとハムサンドが目の前にある状態で、どっちが好きかなんて質問、無難で素晴らしい)
自画自賛をしつつ、コップを取り、水を飲んだ。十秒ほど経ったが、返事がない。
(まさか、どっちが好きって前に言ったことあるとか言い出すんじゃ)
名前を聞いたときの黒羽の変化を思い出した。コップをテーブルに置き、おそるおそる黒羽の方を向いた。
重湯の取り皿を持ったままの黒羽が、目を丸くしてこちらを見ていた。私と目が合った黒羽は、ゆっくりとテーブルに取り皿を置いた。
「どーきゃしゅちゃ?」言葉だけだと伝わらないかもと思い、首をかしげる動作もつけた。
「か……」
「きゃ?」
「か……」
「きゃ?」
「かわいいっ!」グイッと胸元に頭を引き寄せられた。
(ちょ、今日はこんなことばっかり! ほどほどにでしょ)
ギブアップのように片手でタップしながら、「ふぉどおど」と繰り返す。「すみません。つい」と、両肩を手で支え、体を元の位置に戻してくれた。今回はすぐに解放された。
そう思ったのは、間違いだった。
「さっきの、もう一度言ってもらえますか?」
「え? ふぉどおど?」
「いえ、もう少し前の」
「どーきゃしゅちゃ?」
「もう少し」
(なんて言ったっけ? 覚えていない、どうしよう)
私の肩に置かれたままの、黒羽の手にプレッシャーを感じていた。
「どっちが好き? って」
(あ、それか思い出しました)
「どっちゅ、しゅき?」
「そうそれです。もう一回」
「どっちゅ、しゅき?」
「好き、だけ言ってください」
「しゅき?」
「いいですね、もう一回」
「しゅき?」
「もう一回」
「……しゅき」
「もういっ」
ペチン!
黒羽の
「ぎょ、ふぁ、ん」
「はい、すみません。食べましょう」
食事を再開すると、黒羽は先程の質問に答えてくれた。
「玉子サンドの方が好きですね。どちらも好きですけど」
そういうと、玉子サンドを食べながら、私に重湯を食べさせてくれた。
(あ、牛乳じゃなくて、豆乳だ。重湯に塩分感じた分、豆乳が甘く感じるかも)
食事を終えた黒羽は、豆乳を飲んでいる私のことをジッと見ている。いつものことだ。
昼食を一緒にとると、休憩時間が終わるまで、私のことを眺めている。小さい子どもは見ていて飽きない、とかだろうか。
いつものこととはいえ、私の精神はプラス前世の寿命分の成長をしてしまったと思うので、今まで通りとはいかない。
お風呂だって、今までは平気だった。でも今は、気まずいし、恥ずかしい。とても困る。慣れるしかないのだろうか。
体は子どもでも、中身はおばあちゃんだ。でも、体が若い分、気持ちも若返った気がする。あまり、覚えていないせいかもしれない。
(最期が老衰だったっていうのはわかるんだけど。それまでの間がスカスカ過ぎて……。というより、それくらいしかハッキリしないというか……)
十代、二十代の頃は、三十代なんて想像つかないくらい大人に感じた。でも、なってみればそんなこともなかった。四十代、五十代も大きな変化はなかった。体は確実に衰えていったが。
というのはわかる。一般的に言われていたようなことは。でも、私が三十代、五十代、七十代をどう過ごしていたのか、それはわからない。最後に読んでいた小説や漫画は思い出せるのに。
中途半端な、記憶喪失のような前世の記憶。はたして
(まあ、考えても答えは出ないか……)
とりあえず、前世の記憶を得た今のほうが、なかったときよりも、少しだけでも幸せになれるように、善処しよう。
「きょにょあちょいあ?」
(うーん、普通に話そうと思うと、発音の崩れがひどい)
「きょ、の、あ、ちょ、ふぃ、ま?」ゆっくり区切って、言い直す。
「暇、ですか?」
「うん」
「忙しいですね。色々と
暇であれば、絵本を読んでもらおうかと思ったが、忙しいようだ。私の看病に付きっきりで、仕事が滞ってしまっているのだろう。
「くりょは、あーがと。しゅごちょ、が、ん、ばっ、てにぇ」
体をサッと黒羽から遠ざけた。私を捕まえようとした黒羽の両腕が、空中で止まっている。
「なんで逃げるんですか」
「ふぉどおど」
「まだ、少しもほどほどじゃありませんよ」
「くりゅちぃ」
「苦しくしませんから」
「だ、め」
黒羽の両腕が、ゆっくりと下ろされた。
(ふ~、やれやれ)
ソファーの背もたれに寄りかかった。
今日はスキンシップが多過ぎる。今まではこんなことはなかった。私が元気になったから、安心して浮かれ気味なのは、嬉しく思うが――。
「わっ」体が横に引っ張られた。
黒羽の胸に耳をあてる格好で、腕の中に閉じ込められてしまった。黒羽の両手は、私の脇腹の辺りをしっかりと抱え込んでいる。これでは、逃げるのは難しい。
「これなら、苦しくないでしょう」
確かに顔には何も押しつけられていないので、苦しくはない。でも、頭には押しつけられている。
黒羽は「かわいい、かわいい」と、私の頭に頬をグリグリとすり付けている。
(結局、捕まった。まあ、小さいときから一緒だし、妹みたいでかわいいんだろうなあ)
そんな私の微笑ましい気持ちを、黒羽の言葉が打ち崩した。
「もっと早くこうすれば良かった。抱きしめることが、こんなに満たされることだったなんて。見つめていただけの自分を殴ってやりたい」
明るく幸せそうだった黒羽の声はどんどん暗く低くなり、話し方がボソボソとなっていく。
「本当は、お風呂だって僕が入れてあげたいのに。転んだり何かあったときに、体が大きい方がいいからとか。そんな理由で、僕だけ当番外されるし。赤ちゃんのときの沐浴は手伝えたのに」
(んんん?)
「熱があるときは、僕が体を拭いてあげられたから良かった。でも、あんなのはもうごめんだ」
脇腹に添えられている両腕に力がこめられた。
「僕のお嬢様の裸を見てるなんて、本当に許せない。目を潰してやろうか。いや、それでも記憶に残るな。いっそ殺して」
パンッ!!
思い切り両手を打ち鳴らした。手の平がジーンとする。緩んだ黒羽の腕から抜け出し、ソファーの上に立ち、黒羽を見下ろした。
「お嬢さみゃ!?」むぎゅっと両手で、黒羽の頬をはさんだ。
「きょりょしゅ、こ、りょ、しゅ、と、きゃ、い、う、にゃ!」
「ちゅ、ぶ、しゅ、の、も、だ、みぇ!」
(殺すとか潰すとか、物騒なことを!)
黒羽の両頬をつまんで、左右に引っ張った。
「えんじふぁ? へ、ん、じ、ふぁ?」
「ふぁい」
頬を引っ張っているため、気の抜けた返事だが、良しとしよう。頬を手から解放してあげた。
黒羽は、右手で右頬をさすりながらこちらを見上げ、不思議そうな顔をしている。
「あ、あちょ、あーめはあーめの! くりょはの、ちゃう」
右手を黒羽の
(ちょっと最後が、方言みたいになっちゃった)
「はい」元気のない声で黒羽が
(素直でよろしい)
「でも、お嬢様の次に僕のですからね」
(この子は何を言っているんでしょうか?)
まじまじと黒羽を見つめた。
頬をさすっていた右手で、今度は
(シスコン? お嬢様コン? もしかして、黒羽は変わった子なの?)
今までの記憶では、それはわからない。
そういえば、九歳の黒羽はなぜここで働いているのだろう。そのくらいの年齢でも働くことが普通なのだろうか。でも、母の葬儀のときにもいたので、二年前くらいからいた。
いや、先程『赤ちゃんのときの沐浴』と言っていた。ということは、少なくとも五年前、四歳くらいのときから、ここにいることになる。
「黒羽~! じ~か~ん~!」
窓の外から、大地の声が聞こえてきた。
「チッ」
舌打ちをして立ち上がった黒羽は窓を開け、庭にいる大地に「すぐに行きます」と返事をして窓を閉めた。
「せっかく、お嬢様と見つめ合っていたのに」
ブツブツ言いながら、食事の後片付けをし、部屋を出ていった。少しすると「忘れた」と言いながら戻ってきて、急いで一緒に歯磨きをした。あわただしく「また夕方に」と、私を部屋に戻しドアを閉めた。
(見つめ合っていたつもりはないんだけど……。舌打ちもやめさせよう……)
黒羽のことも気になるが、それよりも先に確認したいことがあった。ベッドの上に散らばっているぬいぐるみに目をやる。
(お父様に会わないと)
父を想うと、何ともいえない感情がわき上がってくる。
(この気持ちをはっきりさせて、可能ならこの状況を変えたい)
ぬいぐるみをきれいに本棚に並べ戻した。
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