4、不透明人間
今をときめく五人組男性アイドルグループNenAtura、のリーダー中本蓮司ことレンが、真昼間から埃まみれになって咳き込んでいると、一体誰が思うだろうか。
「うへ」
マスクしてくればよかったな、とそのレンであるところのオレは思った。
ちょっと連続した休みが取れたから、長野の実家に帰って蔵を片付けている最中だ。
オレの祖父は自称発明家だった。その祖父が亡くなって、形見分けという名目でがらくたの整理を押し付けられた。蔵の中は汚いから母をはじめ親族は誰も入りたがらない。
帰省するたびにやっているけれども、あんまり進んでいない。
埃まみれになることは嫌だが、祖父のがらくたは好きだ。だからオレは、二つ返事でがらくたの整理を引き受けた。とはいえ、別にそんなに真剣にやらなくてもいいのかなーという空気だ。奇人変人の多い家系なのか。あとまあ、自分でいうのも嫌だけど、金持ち争わず的なね。
まあ、そんなわけでたらたら片付けていたわけなのだが。
「うわっ」
上から汚い袋が降ってきた。棚から落ちたみたいだ。
危ないなー。
埃をはらうと、でかでかと赤筆で花丸が書かれていた。ほかにはこんな印がついているものはない。なんぞ、これ……。
気になって取り出してみる。
留め金がある。マント? 結構長いな。
羽織ってみる。
……普通だな。
「なんなんだか。花丸までつけて……」
まあなんとなく。マントってかっこいいよなー。次の衣装にマントもいいよなーなんて思いながら、片隅にある、埃をかぶっている姿見を見る。ポーズをつけて。って、あれ?
「……え?」
うつってない?
オレの姿が鏡にはない。
マントを外してみる。
うつってる。ちゃんといる。
着てみる。
消える。
「あーっと」
どう受け止めていいかわからず、とりあえずそれを着て、母屋に行ってみる。
母さんを見つけて、目の前で手をふってみる。スルーされた。なんならぶつかりそうになった。
他にも人を見かけるたびに、ちょっかいを出してみるがみんな、オレが見えないかのように無視する。
あーっと、だいたいわかったぞ。
あの花丸はきっと成功品ってことだな。自称発明家の、じいさんの。
ってことは、これって、
「透明人間になれるマントってことか!」
うわ、すっげー! ガチ成功品じゃん! なんでそんなもん、しまってたんだよー!
そう、これが、NenAturaのお忍びデートの秘密。
まあ、本当はデートなんかできないけどね。
そう、このマントの難点は、一人でしか街を歩くことができないこと。それが楽しいんだけど、たまに孤独になる。
羽をのばしてのびのびと、かつ、本当のオレを誰かに見て欲しい。できれば可愛い子に。我が侭だけどさ。
ということで、今日も公園で一人のんびりとする。あー、あったけー。春はいいよなー。
ちびっ子は元気だなー。走り回っているちびっ子たちをのんびり眺める。
ボールが足元に転がってくる。慌てて取りに来るちびっ子。ちょっと悩んで、その子の方に蹴った。
「え?」
急に方向転換に驚いたような顔をその子はする。きょろきょろあたりを見回して、結局そのまま首をかしげて、ボールを抱えて去っていった。
こういうの見るのが楽しんだよなー。ちょっと性格悪いけど。
でもまあ、悪用してないから許してほしい。女湯に入るとか。
などと思っていると、向こうから中学生ぐらいの女の子が歩いてくる。こっちを見て、驚いたような顔をしている。
まっすぐに、オレを見て。
え? マントとれた!? バレた?!
慌てて確認するけれども、マントはしっかりついているし、他の誰も俺に気づいた様子はない。
俺が慌てている間にも、少女は近くに来ていた。
「あなた、どうして見えるの?」
いや、それはこっちの台詞。
言いかけて気がついた。
彼女の手に握られている、白い杖の存在。
「私の目は、もう何も映さない筈なのに」
続けられた言葉。
え、ねえ、マジ?
公園だと一目があるので、近くだという少女の家まで来た。小さなアパート。母親と二人暮らしだという。っていうか、初対面の男を家にあげるなんて、危機感ないなー。上がるオレもオレだが、そこはやっぱり気になるじゃないか。見えないのに見えるっていうのが。
「うーんじゃあ、多分あれだな。このマントつけてると普通と逆になるんだろうなー」
状況を整理して、オレはそう結論付けた。
「みたいですね」
ホタルと名乗った少女が頷く。
「不思議なこともあるんですね。蓮司さん」
「なー」
ホタルはテレビを見ないから、アイドルとかもよく知らないらしい。オレの顔を見ても何も言わなかったし。
ということで、オレはアイドルだということを伏せた。
そう、なんとなく、何者でもない、ただのオレでいる場所が欲しくて。
ただの蓮司として話すのなんて、久しぶりだ。
「あ、そろそろお母さん帰ってくる」
いろいろ二人で話してしばらくたったころ、ホタルの言葉に、オレは立ち上がった。
「じゃあ、オレ帰るわ」
まあ、母親が帰ってきたところで、オレの姿は見えないだろうけど。
「また来てくれる?」
すがるようなホタルの言葉に、
「考えとく」
とだけ言ったけど、次のオフがいつか、頭の中で計算していた。
それから、時間を見つけるたびにホタルのところに行く日々が続いた。
ホタルと一緒にいると、素の自分でいられて、楽しい。
シューみたいにあからさまに演じているわけじゃないけど、それでもやっぱり、多少は意識して、計算して発言してしまう。NenAturaのレンはこういうことを言っていいかって。
それが嫌なわけじゃない。アイドルの仕事は好きだ。
でもやっぱり多少は疲れるから。
だから、蓮司でいられるホタルとの日々は、貴重だった。
にしては、最近なんだか体が重いけど。風邪でもひいたかなー。
楽屋で出番を待ちながら、肩をぐるぐると回す。
今日はシューと二人での仕事だ。結構、シューとの二人との仕事は多い。ユーマは最近、グループ以外での仕事は減らしているし、リュウはまだ小さいし、ナツは少人数だと扱いにくいからって呼ばれないことが多い。扱いにくいってひどい言い草だよな……わかるけど、ナツは何考えてるかわかんないし。
「何、肩凝ってんの?」
「んー、なんか重いんだよなー」
「寝相悪いんじゃないか?」
「ちょっとは勉強したのか? とか聞いてくれよ」
「してないだろ?」
「してないけど」
とか会話をしていると、俺ちょっと、といってシューが楽屋から出て行く。
楽屋には一人になったので、仕方なくケータイをいじっていると、
「レン」
急に呼ばれて振り返る。入り口の近くにたっていたのは、変な格好をした女だった。燕尾服にシルクハット、そして羽織った立襟の黒マント、だなんて。
とはいえ、ここはテレビ局内。そのそこら辺のモデルよりも綺麗な顔から察するに、ドラマの撮影かなにかだろう。
しかし、こんな子見たことないな。新人なんだろうか。
「君は?」
「ダイアナ」
端的に名乗られた名前には聞き覚えがあった。
「ああ、もしかして、シューの?」
ルーマニアからの留学生だと聞いていたが、芸能活動もはじめたのか? でもまあ、この美貌ならば業界が放っておかないだろう。
「驚いた。シューのカノジョがこんなに可愛いなんて」
戯けて言ってみるが、彼女は笑わない。あれ、聞くところによると、オレのファンだっっていう話なんだけど……。なんでそんな怖い顔してるんだ? 緊張?
「一つ、忠告させてもらう」
堅苦しい言葉遣いで、なんだかよくわからないことを言い出す。
「忠告?」
「過ぎた力は、身の丈に合わない力は、いずれ身を亡ぼすぞ」
「……は?」
「何の話をしているか、わかるだろう?」
わかるだろって。え、もしかして、知っているのか? 俺のマントのこと。いや、でもそんなことあるはずない。誰にも言っていないのだから。
混乱するオレの前で、彼女はその赤い唇でもう一度告げた。
「牡丹燈籠の話もあろう。逢い引きの相手には、気をつけたまえよ」
は? え、なにそれ? 逢い引き? ホタルのことか?
彼女はそれだけ言うと、俺の返事もまたず、そのマントを翻して、振り返って行ってしまった。
なんだ、あれ、変な子……。
「シュー、ダイアナちゃんに会ったんだが」
楽屋に戻ってきたシューに、勢い良く尋ねると、
「ああ、お前に用があるっていうから招いといた」
さらっと言われた。招いといたじゃねーよ。
「なんかわけのわからんこと言われたが、なんだよあれ」
「あいつ、テレビ見てお前の顔色が最近悪いって心配してたんだよ」
俺には駄目だししかしないくせに、と小声でシューが続ける。さり気にのろけ混ぜんな。
「で、どうしてもアドバイスがあるって。多分、意味不明なことだと思うが、あいつがそうやって言ったってことは、何か意味があることなんだと思う。何を言われたか聞かないが、何か思い当たることないのか?」
「ないのかって……」
言葉につまる。
意味深で、少しだけひっかかるダイアナちゃんの発言。
でも、シューはダイアナちゃんのことを全面的に信頼しているみたいだが、オレにはただの変で痛い子にしか見えなかった。だから、受け入れられない。
「別にねーよ!」
乱暴に言い放つと、椅子に座る。
「……なにかあったら、相談しろよ」
シューはそれ以上何も言わずに、手元の台本に視線を落とした。
なんだっていうんだよ、本当に。
とまあ、そんな意味がわからん一幕もあったわけだが、オレは変わらず、休みの度にホタルのところに行く生活を続けていた。
正直、自分でも何が楽しいのかわからない部分もある。年下の女の子と共通の話題があるけでもないし。
でも、やっぱり蓮司としてどうでもいい話をしているのがすっごく嬉しかったのだ。安心できる。頭を使わなくていい。
精神的にすごく楽だ。
精神的には。
「レン、顔色悪いがどうした?」
ユーマに言われたのは、ダイアナちゃんと会って一ヶ月ぐらい経ったころだった。
「ダンスの動きも鈍かった」
とがめるようにリュウも言う。
「リュウは本当、ダンスには厳しいねー」
おちゃらけて笑う。
ああ、でも、確かに最近本当に体が重い。だるい。
熱があるわけでもないんだが、感覚的にはそんな感じだ。
視界の端で、シューが顔をしかめているのが目に入った。
いや、うん、君の愛しのダイアナちゃんの忠告を無視しているわけではあるんだけど。えっと、なんだったっけ?
「……なあ、誰か、牡丹燈籠って何か知っているか?」
最後に言われた意味不明な言葉。思い出して気になって、問いかけてみる。
「何か怪談だろ? 確か」
「え、こわい話?! ぼ、ぼくトイレ……」
そそくさとリュウが楽屋からでていく。
「……リュウのああいうところ、本当、いい弟キャラだよねー。それで、牡丹燈籠だっけー?」
「ナツ、知ってるのか?」
さすが最年長。
「まあ、簡単にね。昔ね、お露っていう女の子がいて、ある新三郎っていう浪人に恋をして、死んじゃって」
「急に死んだな」
「で、後を追うように死んだ下女と一緒に」
「また死んだ」
「新三郎のもとに通うようになるんだけど」
「死んだのに?!」
「レン、黙って聞いてくれるかなー?」
「あ、はい」
自分で聞いておきながら、物語耐性なくてすみません。
「その新三郎のお付きの人がね、二人が逢い引きしているところを見たんだよ。新三郎が嬉しそうに話しかけてる相手、それはねー、骸骨だったんだよー」
多分、こわい話なんだろうけど、ナツの話し方がのんびりしているせいで、あんまり怖くならんな。
「で、まあいろいろあって呪われたりするっていうお話だよ」
しかも最後投げやがった!
「で、牡丹燈籠がどうかしたのか?」
シューが真面目な顔で問いかけてくる。
「いや、ちょっと気になって」
牡丹燈籠の話。逢い引きの相手には気をつけろ?
今の話とダイアナちゃんの言葉を総合すると、つまり……、ホタルが死人だってこと?
んなばかな。そんな非科学的なことあるわけないじゃないか。やっぱりシューには悪いけど、ダイアナちゃんって変人だよなー。
「ねー、怖い話終わったー?」
楽屋の外からリュウの情けない声がする。
「終わったよ」
ユーマが優しく出迎えるのを見ながら、そう結論付けた。
割には、その次の休日。オレは実家に帰ってきていた。
「あらやだ、あんた顔色悪いじゃない。仕事忙しいの?」
「んー」
母親の言葉に曖昧に返事する。
「ちゃんと食べてるの? もー。夕飯何がいい? あんたの好きなもの作るわよ?」
「あんまりお腹空いてないんだよなー」
「とか言うからいけないんでしょう! まったくもう!」
プリプリしながら買い物に出かけてしまう。
うーん、心配かけるつもりはないんだけどなー。
しかし、自分でもなんかやつれたような気がする。メイクさんにも怒られた。
などと思いながら、蔵の中に入る。
結局のところ、原因はやっぱりあのマント絡みな気がするのだ。ホタルが人間じゃないとかそういう非現実的なのは信じられないけど。でもまあ、あの非現実的なマントがあるし。いや、まああれはジイさんの発明品なんだけど、それにしても。
なんかヒントはないだろうか、とマントが見つかったあたりを探す。
確か、この棚から降ってきたんだよな。
大きな棚。上の方はよく見えないので、脚立を持ってくる。しかし、この脚立、こんなに重かったっけな……。
よいしょっと登ると、棚を眺める。
うーん、汚い。
がさごそ漁っていると、古びたノートが見つかった。お、ジイさんのメモかなんかかな?
乱暴に扱うとすぐにぼろぼろになりそうなそれを、ゆっくりめくる。
やっぱりジイさんのメモだったらしく、色々書いてある。永久機関水鉄砲とか知ってるわー。オレが子供の頃に作ってくれた、連発できる水鉄砲とかだったけど、途中で壊れて、庭中水浸しにして、めっちゃ怒られたっけ。懐かしいなー。
オレが知っているもの、知らないもの。かなり乱雑に書かれているそれを眺めていると、
「あ」
今、マントっていう字が見えた。
行き過ぎたページを戻る。
タイトル。謎のマント。ってなんだそれ!
汚いジイさんの字を読み進めていくと、これはどうやらジイさんの発明品というわけではないらしい。飲み屋であった怪しい自称商人のおっさんから買ったもので、かなり高かったからバアさんに見つかったら殺されるって買いてある。じゃあ買うな。いくらだったんだよ、これ。
一応、効果としては透明になれるというのであっているらしい。そこで、この話は終わっている。
うーん、別に参考になることなかったな。
思いながら、一応最後までめくっていると、赤い文字が見えた。他は黒で書かれているのに。
気になって目を留める。
「お」
マントの話追記、と書いてある。って、追記なら近いとこに書けよ。横とか空いてただろうが。
えっと、なになに。
「注意、よくないもののようなので、使用を禁止する」
読み上げる。
詳細は書いていない。
一応最後までめくり、それ以上の追記がないことを確認する。
「よくないってなんだよ!」
思わず大声が出た。
急に大声を出したからか、肺が痛い。ああもう、イライラするな。
よくないものなら捨てろよ! っていう詳細を書けよ! 雑か! 雑なのか! クソジジイめっ!
あーくそ、どっと疲れた。めまいがする。もう、母屋に戻って一旦寝よう……。
何一つ、ろくな答えが出ないまま、実家を後にした。
「ちゃんとご飯食べなさいね」
と、何度も念をおされて。
帰りの電車で、カバンの中に入っている、マントのことを思う。
よくないもの、か。
まったく釈然としないけど、マントのせいでこんな体調不良なんじゃないかっていうのは、オレの推論と合ってるし。
なんかもったいなくて、悔しいけど、使うのやめるか。
ため息。
じゃあ、もうホタルには会えないな、と思う。いや、別にマントなしで行ってもいいんだけど、それはあの子にとってうれしいことじゃないだろうし。俺も、見えないホタルとどんな顔をして会えばいいかわからないし。
「あと、一回ぐらいなら大丈夫かな」
いきなり行かなくなるのは申し訳がない。最後にちゃんと、挨拶しよう。
そのうえで、あの子がマント無しのオレとも会っていいというなら、また考えよう。そう結論を出した。
東京に戻り、その足でホタルの家に向かう。この時間なら、家にいるはずだ。
途中、ポケットの中で電話が鳴った。シュー? その名前にちょっとうんざりする。いや、シューは悪くないんだけど、電波なダイアナちゃんのことを思い出して。
「何?」
意識していつもよりぶっきらぼうに出ると、
「今、どこ?」
挨拶抜きで返された。まあ、シューはいつもこんなもんだ。
「実家から帰ってきたとこ」
「そうか、ちょっと話があるから、今からウチに来てもらえないか?」
「あー、ちょっと今から人と会うから。夜でもいいなら」
「いや、できればすぐに」
「何? 珍しいな? 大事な話」
「ああ。人と会うって誰と?」
「あーいや、おまえの知らない……」
「女?」
「そうだよ、だから邪魔すんなって」
「いや、レン、あのさ! ちょっと本当に先に、ウチにっ!」
シューの声が途中で途切れた。ぶーという音。
「あ、電池切れた」
そういえば、充電するの忘れてた。
どうしようかな、とちょっと悩む。まあホタルの家に行ったあとでレンの家に行けばいいか。
そう結論を出すと、予定通りホタルの家に向かう。
「いらっしゃい、蓮司さん」
微笑むホタルはいつもどおりのホタルだった。
まったく、こんな普通の中学生を捕まえて、人間じゃないとか言いだす、ダイアナちゃんは一体なんなんだろう。いや、まあ、直接そうやって言われたわけじゃないけど。オレの勝手な推論ではあるけれど。
ホタルにどう切り出そうか、悩みながら、雑談する。
しかし、このマントはなんなんだろうな。改めて思う。
何がどう良くないのかもわからないけど。周りからは姿が見えなくなって、オレからは普通に見えていて、見えないはずのホタルからはオレが見えて。このマントつけてると普通と逆になる、か。
最初にホタルに会った時の自分の言葉を思い出す。
普通と、逆に?
「蓮司さん?」
ホタルの訝しげな声。
「あ、ごめん。ちょっと、気になることがあって」
マントが良くないものっぽいてジイさんのノートには書いてあった。だけど、考えてみればこのマントを使い出したのはもう一年以上前だ。そのころは、別に何にも問題はなかった。
具合が悪くなったのは、ホタルに会い出してから?
ダイアナちゃんは、なんと言っていた?
過ぎた力は、身の丈に合わない力はいずれ身を亡ぼすぞ。
確かにこれは、そうだった。マントは良くないものっぽいって、ジイさんも書いていた。
牡丹燈籠の話もあろう。逢い引きの相手には、気をつけたまえよ。
こっちは? マントの話があっていたのに、こっちが外れてるってこと、あるか?
確かにダイアナちゃんは、電波な変人だとオレは思う。でも、オレの仲間のシューが、あんなに信頼しているのだ。少しぐらい、耳を傾けてもいいのでは?
何が、自分でも不安なのかがわからない。
でも、何かが気になる。
「ホタル」
マントの留め具に手をかける。
いや、そんな不可思議なことがいくつもあるわけがない。マントが十分に不思議なのだから、ホタルが人間じゃないとかそんな不可思議なことがあるわけがない。不思議の積み重ねなんて、ごった煮なんて変だ。
でも、マントが十分に不思議なのに、他の不思議なことを否定するのもおかしい。
いろんな思いが頭を駆け巡る。
だったら、ひとまず今は、自分を納得させるために行動した方がいい。
「ごめん、ちょっと、マント外していい?」
普通と逆に見える。マントについての自分の発言がひっかかっている。ならば、この発言を潰せばいい。どうせ、考えすぎなのだから。何事もなかったら、謝ればいい。
「え、やだ、見えなくなっちゃう」
ホタルの心細そうな声。
「ごめん、一瞬だから」
「蓮司さん!」
ホタルがこちらに手を伸ばしてくる。
その前に、オレの手はマントの留め具を外していた。脱ぐ。
暗い。
外してすぐに思ったのは、それだった。
さっきまでついてた、部屋の明かりが、消えた?
「あーあ」
ホタルのものではない、濁った声。
正面を見る。
「ひっ!」
悲鳴が、漏れた。
そこにいたのは、ホタルの場所にいたのは、変な、大きな、何かだった。蛇に近い。うろこに覆われた体。大きな口。牙。
蛇っぽいけれど、蛇に長い爪の手なんて生えてないし、だいたいこんな天井に届くぐらい大きいわけがない。
とっさにあとずさる。
がんっと壁に当たった。
部屋の電気が消えている。
いや、それどころか、部屋の内装が違う。オレが見ていた家具がない。何もない。
まるで、空き家みたいに。
「あと少しだったのに」
化け物が言う。
金色の瞳がオレを見る。
「まあいいか、普通に」
そして、ぬっと顔を近づけてきた。
大きく開いた口。牙。赤い舌。
「食べれば」
ぬちゃっとした液体が顔にかかる。多分、こいつの唾液。
逃げなきゃ。
頭のどこかではそう思うのに、体が動かない。
「いただきまーす」
化け物の舌がオレの頬に触れて、
がちゃっ! と何か別の音がした。
化け物の動きが、止まる。
ざぁっと、流れる空気が変わる。
外の音が入ってくる。
玄関が開いた?
「レンっ!」
転がり込むようにして入ってきたのは、
「シュー?」
なんで、あいつが。
いや、違う。危ない。逃げないと。
化け物がシューを見て。
違う、このままじゃ、シューがっ。
シューは化け物を見て、一瞬息をのんだが、すぐに振り返り、玄関に、外に向かって叫んだ。
「ダイアナ! 入れ!」
次の瞬間、ドアから何かが飛び込んでくる。速い、黒い影。
それが化け物にあたり、化け物がよろける。
シューが後ろ手で、ドアを閉め、オレの方に駆け寄ってくる。
「レン、大丈夫かっ!」
すっかり動けなくなったオレをひきずるようにして、部屋の隅に連れて行ってくれる。
「おい、レン」
肩を揺すられる。
あ、オレ、今、泣いてる?
視界が滲んでいることに気づいた。
「シュー……、なんで」
かろうじてそれだけ口にすると、
「遅くなってごめん。この部屋借りるのに時間かかった」
「は?」
なんか謝られた。
「ここ、本当は空き家なんだよ。家主じゃないとダイアナを招けないからさ」
「……なんのこと?」
意味わからん展開に、意味わからんセリフを重ねないでほしい。
「とりあえず怪我とかは大丈夫そうだな」
安心したようにシューが言う。
「ダイアナ」
シューが呼びかける。そちらに視線を向けると、一匹の狼が化け物と睨みあっていた。
「レンは大丈夫だ」
「そうか」
女の声が返ってくる。狼から。
確かに、それは一度聞いた、あのダイアナちゃんの声だった。
「まあ、だからと言ってお前の罪状は変わらないが」
狼が唸る。
「私のレンによくも手をだしてくれたな」
「……私のレンってお前本当にさぁ」
シューが呆れたように言う。いや、っていうか、お前は何この非常事態に落ち着いてんの?
「NenAturaのファンでもないくせに」
「なにを先ほどからわけのわからんことをごちゃごちゃとっ!」
化け物が怒鳴る。
「いや、ほんと、それな」
シューがぼやく。
「地獄に送るのも癪らしい! 魂ごと喰ろうてくれるわっ!」
狼が吠える。
化け物に向かっていく。噛みつこうとする。化け物が逃げる。
あー、意味がわからん。くらくらしてきた。夢なんだろうか、これ全部。
気持ち悪い。
目の前がぐるぐるする。
「レン?」
ダメだ。
「あ、ちょっ、レン!?」
意識が、遠のく……。
どれぐらい、眠っていたのだろうか。
「気持ち悪い。……変なのの血吸ったから、お腹が気持ち悪い」
「あほなのか? お前は、あほなのか? ちょっと考えればわかるだろうが!」
「だって、ムカついたんだもん」
「もんじゃねーよ! 急にかわい子ぶるなよ!」
「うー。……可愛かったのか?」
「ちょっと……じゃなくってだな! 変なもん喰って、体壊したらどうするんだよ!」
「ああ、なんだ、心配してくれているのか、うー」
「だーもー!」
なんかそんな、カップルの痴話喧嘩みたいな会話が耳に飛び込んできた。
「うるさいな」
思わず言葉にしてしまう。
「レン!」
「気が付いたのか!」
喧嘩していたカップルが、こっちに走ってくる。
「あー。シュー? ダイアナちゃん?」
心配そうに顔を覗き込んでくる、二人。
体を起こすと、頭が痛んだ。
「あーもう、無理すんなって」
「いや」
おとなしくもう一度畳に横になりながら、
「え、今、どういう状況?」
意味がわからなくて問いかける。
困ったように、シューとダイアナちゃんが顔を見合わせる。
「実家帰って、マントのこと調べて、それから……」
そうだっ。
「ホタルの、とこにきて」
マントを外したら、ホタルが化け物で。
思い出したら体が震えてきた。
「大丈夫。あれはもう、いないから」
なだめるようにシューがオレの肩に手を置く。
「うむ、まずかった。が、どうにかした。しかし、まずかった」
「ダイアナは喋るな! ややこしくなる!」
ややっこしくなるとかいうけど、いやもう、十分意味わかんないんだけど。
「シューは、わかってたのか? ホタルのこと」
ここに来る前に電話があった。それは、そういうことなんだろう。
「うん、前も言ったけど、ダイアナがレンの顔色が悪いって言い出して。あれは多分、何かが憑いているとか言い出すから、レンも知っているように楽屋に招いて」
「さっきも招くのがどうたらって言ってたよな」
「ん? ああ。ダイアナは所有者に招かれないところには入れないから」
「正確には占有権がないと、だな。だからテレビ局も君たちの楽屋にしか入れない」
「ごめん、言っている意味が……」
ふむ、とダイアナちゃんが顎に手を当て、
「思うに、上条修司。さっさと名乗った方が話がはやいのでは?」
「いや、できればそこは誤魔化して話を進めたいんだが」
「今更無理だろ。招くだのなんだの言って。狼姿も見せたし」
「あー、そうか。余計なこと言わなきゃよかったな」
などと二人で話したあと、
「レン」
ダイアナちゃんが俺に向き直る。頭にかぶったシルクハットを取り、胸に当てると、
「改めて、名乗らせてもらおう。私の名前は、ダイアナ。クレームをつけた縁で、上条修司宅でお世話になっている、しがない吸血鬼だ。ちなみに、NenAturaのファンクラブ会員ナンバー三十三番だ」
「結構はやいんだな。じゃなくて、やっぱりお前喋るな! ややこしくなる!」
あー、なんだって? 今余計な情報も入ってきたが、つまり。
「吸血鬼?」
「ああ」
ダイアナちゃんが頷く。
ああ、まあ、言われてみればその異様に白い肌とか吸血鬼っぽい。
「あー、うん。わかった。わかんないけど、わかった。続けて」
つまり、シューにもちょっと不思議な事情があったから、オレの不思議な事情にも気づいたってわけね。
「それで、ダイアナがいろいろ言ったと思うんだが、お前の顔色とか全然変わんないし。これはやばいなってなって、勝手にこっちで調べて、ここを突き止めて、お前に真相を話そうと思ったのに連絡つかなくなるから、やばいなと思ってここに来てみたら、お前が化け物に襲われてて、それをダイアナが食べて、今に至る」
「なるほど。よくわかんないけど、わかった。不思議なことになっているわけだな」
「まあ、そういうことだな」
「大丈夫か? 体調はマントさえ手放せば、しばらくしたら治ると思うが」
「すっごいだるい」
素直に答える。動ける気がしない。
「エネルギーをアレにとられた状態だからね。栄養あるものを食べて、ゆっくりしているのが一番だ。なにかうまいこと言って、仕事は休んだ方がいいかもしれないね」
「なんだったら、しばらくウチ泊まっていけよ。一人じゃ大変だろうし。ダイアナのことが怖かったら、どっかに行かせておくから」
「冷たいな、上条修司。レンは命の恩人が、吸血鬼だからって怖がるような人間じゃないぞ、君と違って」
「さりげなく恩を着せたな今。俺はお前が吸血鬼だからって怖がったことはねーよ。お前が怖いのは、吸血鬼だから、とかじゃなくて、こじらせたアイドルオタクだからだよ」
「あー、なるほど。アイドルとしての本能か」
「……あの、何の話してんの?」
さっきから薄々思ってたけど、この二人バカップルなの? シューってこんなやつだったっけ? 確かに裏では口が悪いけど、もっとすかしているタイプなはずだけど……。
「あの、ダイアナちゃん、結局、あれはなんだったんだの?」
「さぁてね」
オレの問いに、ダイアナちゃんは表情を変える。真面目な顔で悩むようにしながら、
「今となっては真実は闇の中というが、腹の中だがね。あのマントの力は、化け物と交換なのだろう。不可視の力を手に入れる代わりに、最終的にはあの化け物の贄となる。少しずつ弱らせるのが、本来のやり方で、だから今力が入らないのだろう」
「ホタル、は?」
「言いにくいのだが」
そこでダイアナちゃんは少しためらい、
「あれは、単にあの化け物の趣味だと思う」
とんでもないことを言った。
「趣味ってなんだよ、ダイアナ」
「いや、別に、あいつがレンの前に姿をあらわす必要はないんだ。マントを媒介にして力を吸い取ればいいんだから。それをああして姿を偽りのものにして、レンの前にあらわれていたのは、贄であるレンが何も知らずのこのこと自分のところにやってくるのが、楽しかったのだろう」
「悪趣味だな、それ」
シューが顔を歪める。
ああ、そうか。
「じゃあ、あれ、嘘だったんだ」
オレは、実在しない子相手に、安らぎを感じていたんだ。
あ、やばい、泣きそうだ。
慌てて息を吸うと、気持ちを飲み込む。
化け物も怖かったけれども、ダイアナちゃんも意味わからないけれども、そんな中でわかりやすい事柄だったソレが、一番心に刺さった。
話していて楽しいと、蓮司として唯一接することができると、そう思っていたホタルは実在しない人物だった。化け物がオレを見て笑っていた。
その事実が、一番心をえぐる。
シューがなんだか困った顔をしている。
「レン」
ダイアナちゃんが優しくオレの名を呼ぶ。
頬に白い手が触れる。びっくりするぐらい、冷たい手。
「自分をNenAturaのレンとして見ない存在に会いたかった君の気持ちは、なんとなくだがわかるつもりだよ。上条修司も一緒だったしな」
「俺を巻き込むな、ダイアナ」
「そして、残念だが、私は君のファンだし、今は上条修司がいるし、今更まっさらな気持ちで君を見ることはできないがね。だがね」
微笑む。赤い唇が、魅惑的に弧を描く。
それに思わず魅せられる。なるほど、こうして油断して血でも吸うのか。そんなことを思う、美貌。
「アイドルに憧れる。その感情の先に生まれる恋もあるかもしれないぞ?」
優しい言葉。慰めかもしれない。そんなの理想論かもしれない。
「まあ、確かにファンと結婚する人もいるしね。一般人と恋愛だって、よくある話だ」
シューもつぶやく。
「恋が生まれるのならば、理解はもっと容易いだろう。君はもう少し、肩の荷を降ろして、心を周りに開いてもいいんじゃないかね?」
綺麗事かもしれないけど、刺されて穴が空いた心に、じんわりとしみていく言葉だった。
「そうなの、かもな」
同じグループのシューが、こんな変わった人間じゃない女の子といい感じになっているのだ。人間の中から、恋人とまでいなくても、理解者を見つけることはできるのかもしれない。
「ありがとう」
言うと、ダイアナちゃんは満足そうに頷く。
今度こそ本当に泣きそうで。だけどそれはさっきとはちょっと違う意味で。
「ごめん」
二人に謝ると、両腕を顔の前でクロスさせる。泣いている顔を見られたくなくて。
ふわっと、花の香りがするハンカチがその上にかけられた。多分、ダイアナちゃんのだろう。
「少し、出ていようか。上条修司」
「そうだな」
「ところで、上条修司。私、今日は頑張ったからご褒美をもらってもいいと思うんだが」
「……マジか」
気を使った二人が、出ていく音がする。
何も言えなくて、ただ声を押し殺して泣いた。
その後、結局三日ほどシューの家で世話になった。ダイアナちゃんが吸血鬼にあるまじき甲斐甲斐しさで世話をやいてくれて、それに妬いているシューを見るのが楽しかった。
がっつり寝たらだいぶ体調も復帰した。
休んだ分を取り返すように仕事して、久しぶりの休み。
帽子とマスクだけで、街に出る。
「……ねえ、レンに似てない?」
周りでそうささやき合う声がする。
うーん、やっぱりこの程度の変装だとすぐバレるか。
でもまあ、バレたところでユウ様じゃないから、それなりにサインとかに応じるけど。
この辺は、やっぱりまだアイドルに俺を捨てられていない。
でもまあ、今はこれでもいいや。
他人の目に触れるように歩いていれば、そのうち、隣を歩いてくれる誰かが見つかるかもしれないから。
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