2、バイバイロケーション

「そういや、ユーマ。昨日、新宿にいたか?」

「は?」

 楽屋でかけられたレンの言葉に首を傾げる。昨日の予定を思い出し、

「いや……、昨日は学校も仕事もなかったから、一日家にいたが」

「そっか。じゃあ、勘違いか。まあ、別人かなーとは思ったんだけど」

「似てる人でも見かけたワケ?」

 部屋の隅で、何かを読んでいたシューが声をかけてくる。パタン、と閉じられた冊子は、おおかた次のドラマの台本だろう。シューはいつも、何かしらのドラマか映画に出ている。

「そー、超そっくりでさ」

 レンは、椅子に前後逆に座りながら話を続ける。背もたれに腕を載せて。そのまま、体重を後ろにかけ、椅子を傾かせる。

 それは危ないからやめろって、いつも言っているのに。

「レン、椅子」

「へーへー」

 おれの言葉に、レンは軽く肩をすくめると重心を戻した。

「でさ、その見かけた奴、本当ユーマにそっくりで。でも、ユーマが新宿にいるのも珍しいなーと思ってさ、人込み苦手じゃん? 声、かけなかったんだけど」

「かけるだけかけてみればよかったのに」

「いや、途中で絶対別人だな、って思うエピソードがあってさ」

 レンはニヤニヤ笑いながらそう言うと、もったいぶるかのように口を閉ざした。

「イヤ、言えよ。さっさと」

 苛ついた声でシューが言うと、

「聞きたい? 聞きたい? じゃあ、しょうがないなー」

 なんて、恐ろしい程うっとうしいことを言いながら続けた。

「女の子達のサインに応じてたんだよ」

 少しの沈黙。

 そのあとすぐ、シューが笑い出した。アハハ、と豪快に。

「……そこまで笑うことないだろ」

 幾分、不愉快になってそういうと、

「だってさ、お前がオフの時はサインに応じないのは有名な話じゃん? もー、それ絶対偽者だね」

「だろ? だろ?」

 シューの言葉に、楽しそうにレンものっかる。

「クールなユウ様はそんなことしないよな?」

「ああ、しないしない。するわけがない。絶対零度の王子が」

「……いい加減にしろよ」

 うんざりしながらぼやいても、楽しそうな二人には届かない。

 確かにオフの時は、サインに応じないと公言している。元々メンバー内での立ち位置がクールキャラなこともあって、ユウ様だの、絶対零度の王子だのと影で呼ばれていることも知っている。だからって、仲間のくせに笑い過ぎなんだよ。

 憮然とした表情の俺に気づいたのか、「ごめんごめん」と慌てたようにレンが謝ってきた。

「……別にいいけど」

 溜息まじりに呟く。

「んー、でもさ、その子達、ユーマにサインされて不思議に思わなかったのかな?」

 ファン暦短いとか? なんてシューが続ける。

 確かに、我ながらサインをしないことは有名で、最近ではめっきりオフでサインを求めてくる人は減ったのだが。

「不思議がってたよ。今日はユウ様、機嫌いいのかなーとか言ってた」

「だよなー」

 シューが納得したように頷く。

「……というか、おれはそんだけ、一部始終を見ていたっぽいのに、誰にも気がつかれていないレンが気になる」

 いくら変装をしていても、そんな長時間一カ所にいたら気づかれそうなものだが。しかも新宿で。

「ふふ、オレのお忍びデート用変装プランは完璧だからな! まあ、気づかれないね」

 勝ち誇ったように言う。

「なんだそれ」

「前も言ったけど、その変装ってどんなのか、そろそろ教えろよ」

「お? 何なに? シューってば気になっちゃう? デートしたいの? もしかして、ダイアナちゃんと?」

 今にもひゅーひゅーと囃し立てそうな口調でレンが言う。オヤジか。

「今後の参考にだよ! ダイアナは関係ねぇよ!」

 と二人が別の話で盛り上がりだしたところで、

「おはよーございます! 遅れてごめん」

「おー、おつかれー」

「ごめん、準備できたらすぐにスタンバイだって言われた」

「オレらは終わってるから平気。お前待ちだからさ」

 前の仕事が押していた、最後の一人がやってきた。

 これでようやく、四人揃った。

 楽屋の空気が変わる。

「さって、今日もがんばりますか!」

 レンがリーダーらしく、立ち上がりながら、軽く手を叩くと言った。


 篠崎侑馬(しのざきゆうま)。平均年齢十六歳の四人組アイドルグループNenAturaのメンバー。最年長の十七歳。ファンからはユーマやユウ様、なんて呼ばれている。それが、おれの公のプロフィールだ。

 仕事を終えて、自宅に帰る。都内の一軒家。上京してきたシューやレンと違い、自家暮らしだ。生まれたときから、この家に住んでいる。

 玄関に大きな男物の革靴がおいてあって、うんざりした気分になった。

 父親が、今日はいる。

「ただいま戻りました」

 リビングの父に声をかけると、黙って片手を出された。何か言えよ……。

 鞄から取り出す、今日返ってきたばかりのテスト。普段、家に居ないくせに、どうして定期考査が終わる頃にはいるんだろうか。狙っているのか、やっぱり。

 黙って父のチェックが終わるのを待つ。五教科全て九十点台だ、文句は言わせない。

「……ここまで出来たなら、なぜ満点がとれない」

 言われた、文句。どこまでもどこまでも、父の要求は留まることを知らない。わかっているから、答えない。

 それが一番、はやく終わるからだ。

「ふざけたごっこ遊びをまだ続けているからじゃないのか。お前には、私の跡を継いでもらわなければならないのだから、しっかり自覚を持ってもらわなければ困る。侑馬」

 父はしっかりと、一音一音はっきりと、「ユウマ」とおれを呼ぶ。仲間内やファンから呼ばれる舌足らずな「ユーマ」と違い、それはなんだか厳しい。

 父の小言は続いたが、結局いつもどおり、

「いいか、一度でも九十点以下をとったら、そのふざけたごっこ遊びをやめさせるからな」

 の言葉でお開きになった。

「わかってます」

 それだけ言うと、逃げるように二階の自室に向かう。

 絶対零度の王子? 誰だ、それ。

 医者の家系に生まれ、医者の父親に跡継ぎになることを強要されているガリ勉。それが篠崎侑馬の本来のプロフィールだ。

 アイドル活動のきっかけは、引っ込み思案だったおれを心配して、母がおれをいれた劇団だった。おれが幼稚園のころのこと。

 小さな劇団で、子どもがたくさんでてくるようなCMとか、そういう小さな仕事をしていた。あとは、年に一回の劇団の発表会とか。

 劇団はなかなかに楽しくて、おどおどと人の影に隠れる子どもだったおれも、母の狙いどおり明るくなっていった。

 小学五年のとき、その劇団がつぶれることになった。だいぶ、そのころは社交的になっていたし、もうやめてもいいかな、とも思っていた。

 けれども、そのとき、今の事務所の人にスカウトされた。劇団は楽しかったので、その延長のつもりで、中学ぐらいまでなら、と続けていたら、気がついたらあれよあれよという間にNenAturaの話が持ち上がってきた。

 話を聞いた時、やりたい、と思った。楽しそうだ、と。クールぶってはいるけれども、絶対零度の王子なんて言われているけれども、周りが思うよりもおれは、芸能活動が好きだ。

 元々おれが芸能活動をすることを快く思っていなかった父だが、よりによってアイドルになるなんて許さなかった。

 しかし、おれも折れなかったし、おれが珍しく自分からやりたいと言ったので、母も味方についてくれた。

 なんとか、成績を落とさないこと、医者を目指すことを条件に続けている。今日までずっと。

 ひとつ、勘違いしないで欲しいのは、おれはけっして、医者になるのがいやなわけではないのだ。寧ろ、医者として活動している父親は尊敬しているし、憧れている。

 でも、それと同じぐらい、NenAturaも好きなのだ。NenAturaの仕事も、仲間も、ファンも、全部全部好きなのだ。

 欲張りで、どっちつかずなのはわかっているけれども。

 欲張りなおれは、仕事で眠い目をこすって、勉強机に向かう。成績を落とすなんていう自分のミスで、NenAturaをやめることは絶対に嫌だ。


「そういえば、俺も見たよ、ユーマのそっくりさん」

 シューに言われたのは、レンの話を聞いた一週間後だった。

「へー」

 単語カードを捲りながら、適当に返事をする。ああ、昨日も寝たのが遅かったから、眠い。目がかすんできた。これから収録なのに。

「まあ世の中には同じ顔をしたひとが三人いるっていうからな」

「ドッペルゲンガーかもしれないから気をつけろよ」

「ドッペルゲンガーって見たら死ぬんだっけ?」

「そうそう」

「うわ、こわー。気をつけろよ、マジで」

「そんなもんいるわけないじゃないか」

 そんな話を笑って聞き流しながら、心の底で思った。

 なんでもいいからそいつ、少しでいいから代わってくれないだろうか。そしたらちょっとだけ、眠れるのに。


「そういえば、ユーマくん、昨日上野にいた?」

「青山のカフェにいたんだって? ネットで目撃情報みたよ?」

 そんなおれの心の声を聞いたのか、おれのそっくりさんの情報は少しずつ多くなっていった。

「近隣に住んでいるなら、そのうち会うかもしれませんね」

 なんて笑う。

 あんまり深く考えられない。眠い。

 丁度、NenAturaのレギュラー番組が決まり、その準備で忙しいところに、学力テストが重なってしまったのだ。

 当然、学力テストだって低い点をとるわけにはいかない。

「……お前、顔色悪いけど大丈夫か? 無理しないで休めよ?」

 レンの言葉に平気だよ、と返す。

 テストの点数は落とさない。

 NenAturaの仕事も休まない。

 どちらかさぼったら、それみたことかと親父に言われる。

 あれであの人は、きちんとNenAturaの仕事をチェックしているのだ。露出が減ったりしたら、また嫌味を言われるに決まっている。


 自分で自分を追いつめているのがわかっていた。

 だけど、どうしようもなかった。

 そんなとき、ついにあいつがあらわれた。


 学校帰り、道を行く人が、俺を二度見した。

 マスクと伊達眼鏡だけじゃ、さすがにバレるよな、と思う。しかし声はかけて来ない。ユウ様のプライベートの冷たさを知っているのかな、とその時は思った。

 でも、次にすれ違った人も二度見してきた。それも変なものを見たかのように目を見開いて。次いで、後ろを振り返る。

「え、どっきり?」

 小さな声がした。何なんだと思いながら、角を曲がって、

「……え」

 最初、そこに鏡があるのかと思った。自分と同じ顔があったから。その顔も驚いたような顔をしていたから。

 でもそいつとは服が違った。マスクも眼鏡も無かった.鏡じゃない。

 ああ、なるほど。

 近づいているとは思っていたが、ついに会ったか。

 それは相手も同じだったのだろう。

 おれを見て、ニヤリと笑う。

「ようやくお目にかかれたね、NenAturaのユウ様」

 揶揄するように。


 道ばたで同じ顔を突き合わせているのも一目が気になるので、近くのカラオケに入った。少し時間をずらして入室する。店員は、変に思っただろうか。

 しかし、何か奇妙な感じだ。鏡を見ているみたいだ。狭い個室の同じ顔が二つ。背も声も似ている。

「……なるほど、確かにそっくりだ」

 相手を上から下まで眺めてしみじみと呟いた。そりゃあ、レンも間違えるわけだ。

「似ているから苦労してるんだぞ」

 オレンジジュースを飲みながら、不満そうにそいつは言った。

「道ばたでサインとか強請れて」

「そいつは悪かったな」

「いつも適当にサインしてるけどな」

「……そうか」

 自分の適当なサインが出回ってることを考えると、なんだか憂鬱になる。幸いなのは、普段サインをしないので、大半の人がそれを偽モノだと思ってくれることだろう。騙された人には悪いけど。

「NenAturaのユウ様ねぇ」

「……なにか、文句が?」

「いんや。変なもんだよなーと思ってさ」

 偉そうに足を組むと、ソイツは続ける。

「同じ顔をしているのにさ、片方は今をときめくアイドル様で、片方はただの一般人。おれが先にオーディションに出ていたら、おれが今頃NenAturaだったのに」

「残念だが、おれは一般からのオーディションじゃない。事務所からの推薦だ」

「なんでもいいよ。とにかくさ、おれの方が、絶対上手くアイドルできるのにな」

 ソイツは、あーあとわざとらしく溜息をついて、癇に障る言い方でそう言うと、ちらりと挑発するようにおれを見た。

「ならやってみればいい」

 売り言葉に買い言葉。さらには疲れているのもあって、自然にそう答えていた。考えるよりも先に口にでていた。

「やれるもんならな」

「ふーん?」

 ソイツは身を乗り出すと、

「じゃあ、やらせてよ」

 なんだか自信満々にそう言った。


 そこから、メンバーのことはもちろん、スタッフさんのことも教え、そいつをユーマにした。

 見た目ならば一緒だし、細かい動きも見事にトレースしている。見た目は完全にユーマだ。

 とりあえずは収録ものに出させてみることにした。生放送は危険過ぎるから。まあぼろがでたらでたで、どっきりだと言えばいい。そういうのが好きなディレクターがいる番組を選んだ。

「じゃあ、行ってくる。おまえは勉強でもしていれば?」

 ソイツはそう言って、スタジオに向かって言った。いつでも行けるようにスタジオの近くの喫茶店で、参考書を広げながら、そうさせてもらうさ、と嘯く。

 とはいえ、待っている間気が気じゃなかった。ばれてはいないだろうか? ぼろはでていないだろうか? 怒られたり揉め事になったりしていないだろうか?

 結局、勉強はできていない。何度も手元のケータイをのぞいた。

 しかし、収録が終わるころ、おれの元に届いたのは、「無事終わった、ラクショー」という報告だった。本当だろうか……。

 ソイツは、ふてぶてしい態度で喫茶店のおれの前に戻ってくると、今日の収録について事細かに話してくれた。それを聞いていると何の問題もないし、いつものNenAturaだった。

 また連絡する、という言葉を残してソイツとは別れる。

 一応、試しにレンにメールしてみる。

「今日のおれ、普通だったか?」

「は? イミフ。何かあったの? フツーだったよ」

「ならいいんだ。少し風邪気味でぼーっとしてて、ふっと不安になったんだ」

「マジで? 全然気がつかなかった。お大事な」

「ああ、ありがとう」

 あの鋭いレンも気がつかなかった。どうやら本当にアイツはうまくやったらしい。

 ほぉっと一つ息を吐く。

 上手くアイツに立ち回ってもらえれば、露出も減らさず、テストもクリアできるかもしれない。できるだけ自分で仕事がしたいけれども、テスト前の大事なところだけ、頼ってしまおうか。さすがに、テスト勉強を代わってもらうわけにはいかないし。

 そんなことを思いながらも、無事学力テストは乗り切った。

 数週間後、件の番組の放映日がやってきた。どきどきしながらオンエアを見る。

 考えてみたらNenAturaが見る番組を、こんな新鮮な気持ちで見るのははじめてかもしれない。いつもは、どこで何が起きるのかわかっているから。当然だ、収録に参加しているんだから。

 だけれども、今回は何が起きるかわからない。純粋な、視聴者目線で視聴することになる。 

「……似過ぎだろ」

 そんなことを思いながら見ていたが、ユーマのトークがはじまると、思わず呟く。

 テレビの中にいるのは、ユーマだった。おれだった。

 微妙な声のトーンとか、間のとりかたとか、自分でも違和感がなくて気持ち悪いぐらいだ。この番組の収録の模様をおれがすっかり忘れてしまっているだけで、実は自分で参加していたのか。そう思うぐらい、画面にいたのはおれだった。

 ケータイが震える。

「もしもし?」

『なあ、おれはおまえだろ?』

 笑いを噛み殺したような声。

 今、テレビに映っているアイツ。

「……ああ、驚いたよ」

『面白いからまたやらせろよな』

 くつくつとソイツは笑うと、唐突に電話を切った。まったく、なんだっていうんだか。

 テレビの中のおれが、小さく微笑んでいた。


 それから、何度かソイツとおれは入れ替わった。上手くやれることがわかったので、二回目以降は安心して勉強に集中することができた。おかげさまで、前よりもゆっくり休めるようになった。やはり寝不足は生産性を下げる。

 最初はどうしようもない時にだけ、代わってもらっていた。

 だが、テストの直前、片方だけやっていればいい楽さに流されたおれは、気づいたらNenAturaは殆どソイツに任せて、勉強をするようになっていた。

 勉強していた図書館から帰る途中、テレビの収録現場に出くわした。一体なんだろう? 思ってぎょっとした。

 そこにいたのは、見慣れたメンバーだったから。

 待て、おれは今日ここで撮影するなんて聞いてないぞ。アイツ、おれに内緒でNenAturaになってたのか?

 思わず立ち止まってしまったおれに、レンが気づく。こちらを見て、あれ? といった顔をした。

 ああ、そうだよな。勘の鋭いレンのことだ。二人いっぺんにいるところを見かけたら、自分のそばにいるユーマに疑問を持つよな。

 そんな風に思ったおれをあざ笑うかのように、

「あ、ユーマのそっくりさんだ」

 レンがいった。どこか楽しそうに。

 ほらほら、と肩を叩かれたアイツがこちらを一瞬ちらりと見て、どこまでも興味なさそうに、

「似ているか?」

 一言つぶやいて、背を向ける。それはどこからどう見ても、おれの行動だった。

「クールだねぇ、さすがユウ様」

 レンがおちょくる。興味を持ったのか、しばらくおれの方を見ていたが、スタッフに呼ばれて背を向ける。

 それで呪縛が解け、ようやくおれも動けるようになる。逃げだすように、その場を足早で離れる。

 ……おかしくないか?

 いくら似ているからって、ここまで気がつかないものだろうか。

 確かに顔は似ている。そっくりだ。仕草だって、同じようになるように指導した。それ以外でも、おれの行動はある程度なら、テレビでも見れば知ることができるだろう。

 だけど、誰よりも、最近では家族よりも一緒にいるメンバーが、こんなにも長い時間、入れ替わりに気がつかないものだろうか?

 一つ、二つ、齟齬が出てきてもいいんじゃないか?

 急に、不安になってきた。

 自分が楽になることで、流れに身を任せてきたが、もしかしておれはとんでもない間違いを犯していたんじゃないだろうか?

 家に戻ると、自室に逃げ込み、テレビをつける。

 今日は、歌番組があったはずだ。NenAturaが出る番組。だけど、おれは関わっていない番組。

 つけたらすぐにNenAturaの番が回ってきた。

 歌の前、トークが始まる。

「質問が来てますねー。NenAturaのみなさんは仲がいいですが、一緒にでかけたりすることはあるんですか? とのことですが」

「あー、頻繁にはないですけど」

「たまにあるよね。なんか急にみんなで出かけるの」

「一番最近は、築地だよな」

 と、ユーマが言った。

 行った、確かに行った。それはおれも知っている。おれが行った。

 でもそれを、そんなことを、アイツに伝えたか?

「あ、行った! お寿司食べたくなって!」

「四人でですか? バレたりしなかったんですか?」

「意外と大丈夫でしたよ。朝早かったし」

「あれ、美味しかったよなー」

「ユーマは、さびぬきな」

「……ほっとけ」

 そうだ、お互いにお互いの好みを把握しているのに、それに疑問を抱かない? まさか、アイツとおれが好みまでまるっきり一緒っていうわけでもないだろうに。

「ユーマさんは、わさび苦手なんですか?」

「……辛いじゃないですか」

「うけますよねー、こんなクールな顔をして、わさび苦手とか」

「しっかり者の立場なのにね」

「こいつうるさいんですよー。小姑かっていうぐらい。さっきだって、オレが椅子で遊んでたら注意してきて」

「……あれは、レンが悪いだろ」

「そうだよ、レン、危ないよ」

「シューまで!」

 ぞっとした。

 そんな話、余所ではしたことがない。

 なんで、アイツが、知っている?

 トークは終わりに、歌がはじまる。

「新曲はトランプがモチーフで、四人それぞれ、ハート、クラブ、クローバー、ダイヤをあしらった衣裳らしいですよ。それでは歌って頂きましょう。今週のシングルランキング一位、シューくん主演の映画の主題歌でもあります。NenAturaで、ポーカーフェイス」

 歌い出した、ユーマ。

 ターンの時、少し軸足がぶれる癖。おれがいつも怒られる癖そのまま。

 おかしいだろ。

 今テレビに映っている、コイツは一体なんだよ?

 そうだ、おれはアイツの名前すら知らない。名前を聞こうという気さえ起きてなかった。ただ、ケータイの番号を知っているだけ。

 ドッペルゲンガーには気をつけろ。

 誰かの言葉を思い出す。

 ネットで調べてみる。ドッペルゲンガー、バイロケーション。それとも俺が、分身でもしたのか。

 いずれにしても、超常現象でもないと説明がつかない。

「お前は、何なんだよ」

 歌い終わり、笑顔を浮かべるユーマに向かってつぶやいた。


 翌日、おれはアイツを呼び出した。最初と同じ、カラオケボックス。

「何の用だ?」

 不機嫌そうなその顔は、おれにとてもよく似ていて、不愉快だった。

 そういえば、出会ったころのコイツは、おれなら絶対にしないような表情をよくしていた。感情表現がもっと豊かだった。なのに、最近は顔を合わせてもローテンションのおれにそっくりだ。

 お前は何者だ? そう問いたい気持ちをぐっと抑える。

 超常現象なんて非科学的なものを信じているわけじゃない。だけど、コイツに直接その質問をぶつけるのを恐れる程度には、おれにだって“恐怖”という感情はある。

「いや、今まで世話になったなと思って」

「いいや、別に楽しいし」

「でも、あんまり頼るのも悪いなって思って。最近落ち着いてきたし。ちゃんとおれが仕事するから、安心して欲しい。最後になんていうか、お礼をしたいなと思って。何か欲しいものはあるか?」

 探り探り発した言葉に、

「あるよ」

 なんでもないように答えられる。

「NenAturaのユウ様の立場」

 当たり前にように言われたから、一瞬何を言われたか、わからなかった。

「は?」

「NenAturaのユウ様の立場を、おれにくれよ」

「なにを言って……。おれの話を聞いてたか?」

「聞いてたけど、聞く気はない」

「なにをっ」

「だって、お前、要らないんだろう?」

「は?」

「最近ずっと、NenAturaになってないじゃないか。要らないんだろう? だったら、おれにくれよ」

 当たり前のように、淡々と言われる。

「要らないって、そんなわけないだろうがっ」

「でも、優先順位は低いだろ? 勉強の方がいいんだろう? 医者になる方をとりたいんだろう? NenAturaは邪魔なんだろう? だったらおれが代わりにもらってやるよ」

「違うっ!」

 確かに、勉強を優先していた。医者になりたくないわけじゃない。だけど、NenAturaをやめたいわけでもない。NenAturaを代わってもらっていたのは、勉強は代わってもらえないからってだけだ。

「なあ、どうなんだよ?」

 冷たい目。なんのためらいもなく提案してくる。こんな、重要なことを。

「……お前は、なんなんだよ?」

 言わずにいた言葉が、思わずこぼれ落ちた。

 アイツが笑う。その言葉を待っていたかのように。

「おれは、ユーマだよ。NenAturaのユウ様だ」

 ぐっと顔を近づけてくる。

「なあ、侑馬」

 それは父親がするような呼び方。一音一音はっきりと発音する、厳しい言い方。

 お前はNenAturaのユーマではないと、つきつけるような。

「違うっ!」

「違わないさ。事実、侑馬だって思っただろう? おれを見て。ああ、NenAturaのユーマだって」

「っ、違う!」

 確かに、似ていた。そっくりだった。テレビに映るコイツは、おれのようだった。メンバーも気づいていなかった。誰も気づいていなかった。

 でも、おれは知っている。

「お前は、偽者だ!」

 どんなに似ていても、コイツはおれじゃない。

 近すぎる瞳を睨みつける。

「NenAturaのユウ様はおれだ! 引っ込んでろ、偽者っ!!」

 そして、近くにある肩を突き飛ばす。思いっきり。

 そんなに力を込めたつもりはなかった。

 なのに、ゆらっととソイツの体が倒れる。紙でできた人形を吹き飛ばしたかのように、軽く。

 そのまま、ごんっとテーブルに後頭部をぶつけた。動かなくなる。

 息を飲む。

 そんな、こんな、ドラマみたいな……。

「お、おいっ」

 死んで、しまった?

 慌てて手を伸ばしたその先で、

「なっ」

 姿が消えた。

 煙のように。

 跡形もなく。

 喉元まで込み上がってきた悲鳴を飲み込むと、荷物を持って部屋を飛び出した。

 なんだかわからない。わからないけど、怖い。なんなんだよ、意味がわかんねーよ、どういうことだよ!


 半泣きになって家に舞い戻り、ベッドに潜り込む。

 とっさに逃げてしまったけれども、大丈夫だったろうか。

 死体は消えたけれども、本当に消えたのか。そもそもアイツは死んだのか。何者だったのか。

 消えてしまった以上、事件にはならないだろう。

 だけど、消えたのが間違いだったら? おれの都合のいい、思い込みだったら?

 そもそも、おれたちがカラオケ屋にはいったのは店員が見ているはずだ。怪しまれるんじゃ?

 監視カメラだって、あるだろうし。

 ああ、結局もうおしまいなのか。こんなことで。殺人犯として。NenAturaも医者にも、なれない?

 こんなことになるなら、ちゃんと全部大切にすればよかった。自分でやると決めたことなんだから。

 NenAturaのユーマも、医者になりたい侑馬もおれなんだから……。

 その日は何もできず、そのまま布団の中で丸まっていた。


 しかし、あの日のおれの恐怖に反して、実際には何も起きなかった。

 新聞を見ても、テレビを見ても、ニュースにはなっていない。

 あのカラオケ屋にも、もう一度行ってみた。前にもいた店員だったので、思わず話しかけてみた。

「あの、……変なこと訊きますけど、前にもおれが来たの覚えてますか?」

「あ、え、あ、はい! あの、NenAturaの?」

「あ、はい」

「わー、やっぱり! そうだろうなーと思ってて。あれですよね、一人カラオケで練習的な?」

「一人……」

「はい! あれ、違いました?」

「あ、いや、そんなとこです。あの」

「あ、大丈夫。誰にも言ってませんから! それを、確認したかったんですよね?」

「あ、はい。そんなとこで。あの、ありがとうございます」

 ユウ様にあるまじき、挙動不審な対応だったな、とは思う。

 だけど、あの人の記憶にはアイツの存在はない。まあ、別々に来店していたから、同一人物だと思ったかもしれないが。

 少なくとも、変なものは見つかっていないらしい。

 ケータイにいれていたはずのアイツの連絡先も、これまでのメールも全部消えていた。消した記憶はないのに。

 全ては、悪い夢だったのかも。

 月日が経ち、おれはそう思うようになっていた。

 学校に行って、仕事をして、合間に勉強して、点数は落とさないように気をつけて。

 全ては、元通りだ。

 いや、少し違う。

 おれが、前よりももっと、NenAturaを大切に思うようになったこと。

 どちらか、ではない。両方手に入れてやると、強く決意したこと。

 歌って踊れる医者アイドルがいて、なにが悪い。

 事務所と相談して、個人の仕事は減らして調整したから、前よりもうまくやっていけてる気がする。

「親父さんが厳しいなら、そう言えよなー」

 メンバーに事情を説明したら、レンに呆れたように言われた。てっきり、仕事を真面目にやれと怒られるかと思っていたから、拍子抜けだ。

 前よりもうまくやれている。

 どちらも諦めたりしない。

 そう、決めた。

「その気持ち、忘れんなよ」

 どこかで、声がした。

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