ネナトウーラ アイドルの怪異事情
小高まあな
1、ヴァンパイア・クレーマー
燕尾服にシルクハット。羽織った立襟の黒マントが風ではためく。
「ああ……」
腕の中の、女の唇から声が漏れる。それは苦痛とも、歓喜ともとれる呻きだった。それを聞いてから、女の首筋から口を離す。崩れかけたその肢体を右手だけで支える。
赤く濡れた唇をぺろりと舐めた。
「はーい、オッケーです!」
声と同時に、先ほどまで力なく倒れていた女が立ち上がった。目下売り出し中の新人モデルで、女優の仕事はこれが初挑戦らしい。
「お疲れさまです」
僕は彼女に手を貸しながら、いつもの僕らしい、柔らかい微笑みで彼女に挨拶した。彼女は曖昧に首を動かしただけだった。挨拶はちゃんとしとかないと。
これで今日の撮影は全部終わりだ。
「お疲れさまです」
スタッフさんにも微笑みながら挨拶する。
「シューくん、今日もよかったよ」
「ありがとうございます」
「やっぱり、ただのアイドルとは違うなー」
そんな会話に僕は少しだけ苦笑した。それを褒め言葉とは素直に受け止められない程度には、演技の仕事に対するプライドがある。
上条修司(かみじょうしゅうじ)。それが僕の名前だ。平均年齢十六歳の四人組アイドルグループNenAtura(ネナトウーラ)のメンバーだ。
丁度平均の十六歳。穏やかそうな微笑みと、アイドルを超越した演技力が人気の秘密だ。
今は連続ドラマの撮影中。僕は主役の吸血鬼の役で、さっきの子が相手役だ。第三話まで放送済みで、視聴率はなかなかいいらしい。現実と虚構が入り乱れる作風の中、毎回挿入される吸血シーンがエロティックだと評判だ。
「シューくんのおかげだよ!」
なんていう言葉に、
「スタッフ皆さんとの努力の結晶ですから」
と返すことは、もちろん忘れない。
決して驕ることなく、まわりに気を使い、さりげなくグループをまとめあげる、優しいシューくん。それが僕だ。
今日の仕事を終え、自宅に戻る。
仕事を初めてしばらくは、実家のある静岡から通っていた。中学卒業と同時に上京してきて、今は都内で快適な一人暮らしだ。
「ああ、うぜぇっ」
部屋に一人、ソファーに倒れ込むとクッションに顔を埋めて怒鳴った。
「くっそ、あの女、一体何回ミスれば気がすむんだよっ、大した台詞も無いくせによぉ!」
ああ、イライラする。クッションを殴る。
「顔がいいだけのモデル女を、俺様の相手にもってくんなつーの! 凛ちゃんは新人だからね、シューくんフォローしてね、じゃねーよ! そりゃぁ、俺様の技能を持ってすれば新人の演技力のなさをカバーすることなんて余裕だがな。だが、しかし! だがしかしだ! 物には限度ってもんがあんだろうがっ」
こっちが地だ。なんか文句あるか。
吐き出したら少しだけすっきりした。殴ってちょっと中身が歪んだクッションに、そのまま体を預ける。
決して驕ることなく、まわりに気を使い、さりげなくグループをまとめあげる、優しいシューくん。誰だそれ。そんなやつ、本気でいると思ってんのか。
こっちはそれが仕事だから、そういうフリをしているのだ。決して驕ることなく、まわりに気を使い、さりげなくグループをまとめあげる、優しいシューくんを演じることが、俺の仕事だ。
そもそもアイドルの仕事は足がかりに過ぎない。夢は俳優だ。最終的に俳優としてやっていく為には、今ここで頑張っておかなければ。
いい顔に生んでくれた親には感謝している。その顔利用して先にアイドルになればいいじゃん、と勝手にオーディションに応募した姉にも、まあ、感謝している。
だが、たまにどうしようもなくしんどくなる。
本当の上条修司は、どこにいる?
ソファーに倒れたまま手を伸ばし、鞄から台本を取り出す。いろいろ思うことはあるが、それはそれとして仕事はきちんとこなさなければ。明日の分を確認しなければ。
しかし、存在しない架空の人物を存在するように見せるのが仕事だが、それにしても吸血鬼とは……。正直、ホラーは苦手だから、これまで吸血鬼のことをあまり知らなかった。この仕事を引き受けて、慌てて多少調べたぐらいだ。黒い格好をして、人間の血を吸う。俺の吸血鬼のイメージなんてそんなもんだ。
こんな付け焼き刃の吸血鬼、本当の吸血鬼からクレームが来るかもしれない。そんなことを考えた自分に、ちょっと笑う。いよいよ疲れているのかもしれない。本当の吸血鬼? いるか、そんなもの。
ピンポーン。
俺の思考を遮るように玄関のチャイムが鳴った。夜の九時。こんな時間に、誰だ?
「はい?」
インターフォンに出ると、
「夜遅く申し訳ありません。お届けものです」
差出人として母親の名前を答えられた。ああ、またなにか送ってくれたのか。
ドアをあけると、帽子を目深に被った宅配会社の制服が立っていた。
「重いですよ。中、入れますよ」
「あ、じゃあ、お願いします」
素直に二、三歩奥に入り、道をあける。配達の人は中に入り、
「はー、疲れたなぁ」
そう言いながら荷物に寄っかかるように、倒れ込んだ。のは、若い女だった。瞬きするような間に、服装が制服から、なにやら黒い服に変わっている。待て、何が起きた?
「意外と重いものだなぁ」
とか言いながら、展開についていけない俺を無視して、女は立ち上がりドアを閉める。
「不用心だからね、閉めておくよ」
「え、あの、誰ですか? っていうか、荷物?」
「荷物は本物だから、安心するがよい」
荷物の上に腰掛けて、女が偉そうに言った。
「優しい母上だな。連絡しているのか?」
「それは、まあ……。じゃなくて」
今、何が起きた? 理解が追いつかない。
「……え、宅配の人は? 服は?」
「私だよ。少し術で服をいじったのだがね」
「ま、術? え、なに、誰、あんた。……え、熱狂的なファンとか?」
冷静に考えたら、ヤバい状況じゃないか?
「ファン?」
だが、女は不満そうに形のいい鼻をふんっと鳴らした。
「君はあれかね、女性は全て自分に夢中だと思っているのかね、上条修司」
不遜だねぇ、と揶揄するように言われた。
決して驕ることがないことで評判の、シューくん相手になんて言い草だ。
しかし、こんな変人女と一緒にいるときに、そんなこと言ってる場合じゃない。逃げたい。しかし、ドアは女が塞いでいる。警察に電話……、している間に刺されでもしたらどうしよう。
「私はね、君」
おろおろと辺りに視線をやる俺を気にすることはなく、女は人差し指をびしっと突きつけてきた。細くて長い、白い指。
「クレームをつけにきたのだよ」
「く、クレーム?」
「そういえば、自己紹介がまだだったね」
女はゆっくりと微笑むと、告げた、
「私はダイアナ。吸血鬼だよ」
自称吸血鬼のダイアナに、まあまあ奥でお茶でも飲みながら、などと言われてリビングに連れ込まれた。逃げたい。が、どうやって逃げたらいいものかが思いつかない。刺激して後ろから刺されでもしたら困るし、家に火でもつけられても困る。
「どうぞ」
とりあえず怒らせないようにしよう。そう思って大人しくお茶を差し出す。
改めてダイアナの姿を見る。燕尾服にシルクハット、そして羽織った立襟の黒マントという、まるで俺の衣裳のような格好。さらさらとした髪も漆黒だ。真っ白な顔は、絶妙な形のパーツたちが、絶妙な配置で並べられている。凛ちゃんなるモデル女も裸足で逃げ出す美貌だ。見た目だけなら吸血鬼っぽい。
「ええと、それで?」
「クレームをつけにきたのだよ。上条修司」
なんでフルネームなんだ。
「見ているよ、君のドラマ。ヴァンパイア・キッス。その、何番煎じかわからないタイトルはどうかと思うがね」
タイトルの件は俺もうっすら思ってるんだ、言わないでくれ。
ダイアナはきっと俺を睨んだ。長い睫毛の下から、意思の強い瞳がのぞく。
「君、吸血鬼がなんたるか、わかっていないだろ? まったく、なんだね、あれは」
「いや、なんだねとか言われても。一応監督のオッケーはでてますし」
「まず、そもそも、そんな血色のいい吸血鬼がいるか。絶食しろ絶食」
「そんな無茶なっ」
確かにダイアナは病的なぐらい真っ青だが。
「ってか吸血鬼だっていう証拠はあんのかよ」
ここまで素直に話を聞いてたが、そもそも大前提がおかしい。吸血鬼だなんて、いるわけがない。
「鏡」
俺の言葉にダイアナは一つため気をつくと、そう言って右手を出してくる。素直に部屋にあった鏡を渡す。
「見たまえ」
ダイアナが鏡を覗き込むので、それをさらに後ろから覗く。そこにうつっていたのは、間抜けな顔をした俺だった。俺だけだった。
「……え」
鏡を動かしてもダイアナの姿はうつらない。
「吸血鬼は鏡にうつらない。よもや、こんなことも知らないわけではあるまい?」
ダイアナが、そこだけは異様に赤い唇で楽しそうに笑った。
「……いやいや、これだけじゃ。何かのトリックかもしれないし」
かろうじて、絞り出した言葉に、
「じゃあ、これなら?」
ダイアナは呟き、その姿を消した。代わりに部屋に黒い霧が発生する。黒い霧が向かってきて思わず目を閉じる。
「これなら?」
すぐ傍で囁かれて目をあけると、今度は蝙蝠が一匹、部屋の中を飛んでいた。見ているとそれはくるりと宙を回り、つぎの瞬間には狼の姿になっていた。狼が俺に近づいてくる。
「ひっ」
思わず悲鳴をあげると、
「と、まあ、これでもまだ疑うかい?」
狼はそう言葉をダイアナの声で発し、次の瞬間には、ダイアナの姿に戻っていた。
「知らないのかい? 吸血鬼は霧や蝙蝠、狼等に変身できるのだよ」
「いや、だって、……ええっ?」
もう意味のない言葉しか発せない。
「吸血鬼? え、つーか、霧になれるなら宅配とかしないで入ってくればいいのに」
そうやって急に部屋に現れた方が、きっと素直に信じられた。
「おや、知らないのかい? 吸血鬼は初めての家には招かれないと入れないのだよ」
ダイアナは、内容的には欠点を晒していると思うのだが、何故か胸を張った。
「え、ってかそうなのか。……昨日撮った部分で、初めての家に強引に押し入ってたけど」
「それは駄目だ!」
ダイアナが急に大きな声をだしたので驚く。
「早急に直したまえ!」
「俺に言われても困る!」
そんな権限が俺にあるわけがないだろう!
「もういい、わかった。仕方ないから吸血鬼だっていうことは信じる」
目で見た物は信じるしかない。
「ドラマの脚本に不満があってやってきたのもわかった。だが、なんで俺のところにきた! そういう不満は一俳優じゃなくて監督かプロデューサーか、せめて脚本家にでも言ってくれ!」
俺がどうこう出来る問題じゃないだろうが。
「だって君が吸血鬼役だろう」
「それはそうだけどな」
「それに、これでも私は、人間社会の動向には目を光らせているのだがね」
「……まあ、ドラマ見てるぐらいだもんな」
人間社会の動向に目を光らせるって、ドラマを見ることではない気もするが。
「君はほら、演技にこだわりがあるだろ?」
「……は?」
「インタビューとかで答えているだろう。役作りのために資料を読み込むとか。さっき確認した、そこら辺に」
ダイアナはテレビの横に山積みになっている資料の山を指差す。
「あるのは吸血鬼関係のものだろう? 一応君なりに調べたのだろう。君は努力をする人だと知っている。だから、ここに来たのだ」
そうしてその綺麗な顔で綺麗に微笑んだ。
「君ならば私の話を聞いて、それをちゃんとアウトプットしてくれるだろうと思ってな」
吸血鬼にまで、演技を肯定されるとは思わなかった。だが、なんだか、少し嬉しい。
「……光栄だな」
嬉しいと思ったことが悔しくて、少し低い声で呟く。そんな俺の内心も見抜いているのか、ダイアナはふふんっと勝ち誇ったように笑った。
「上条修司。ヴァンパイア・キッスを君の代表作にしたいのだよ、私は」
「……それはなんというかその、助かる」
代表作があるということは、今後の俳優人生に大きな影響を与えることだろう。
「というわけで、ドラマのクランクアップまで、みっちりしごくのでそのつもりで。しばらく、この家で厄介になろう」
「待て待て待て」
「ああ、気にするな。自分で言うのも難だが、私は美食家でね。君の血を吸うつもりはない」
「天下のトップアイドNenAturaのシューくんを捕まえてお前の血は不味そうだって何事だ」
「気に障ったかね?」
「とってもな! じゃなくて、ここに住み着くつもりか? 天下のトップアイドルNenAturaのシューくんの家にかっ!」
「自分で天下のトップアイドルとか言っていて、恥ずかしくならないのかね?」
「慣れてるっ!」
何せシューくんの時は、ほとんど別人格を演じているからな。
「まずいだろ。アイドルの家に、女の子が住み着くのは」
「女の子という年ではないよ。若く見られがちだが、これでももう、二千歳でね」
「大事なのは見た目年齢だっ!」
あと、二千歳って何だ。
「万が一、誰かに見られたら、天下のトップアイドNenAturaのシューくんはおしまいだろっ」
そんな事態は避けなければ。なんのために今日まで、シューくんを演じてきたのか。
ダイアナはその細い指の関節を、自身の唇にあて、何かを考えるようなポーズをとる。
「ふーん、そうか。じゃあ、面倒だが通うことにするか。君のアイドル生命を終わらせることは、私にとっても本意ではないのでね」
おお、意外と話わかるじゃないか。
「だから、正しい吸血鬼の在り方を世間に伝えてくれたまえよ、君」
「俺に出来る範囲でな」
だからそういうのはプロデューサーか監督に言えよ。
「あと、その、一つ、お願いが……」
ダイアナが少し躊躇いがちに口を開いた。
「なんだ?」
「……レンのサインが、欲しい」
レンこと中本蓮司(なかもとれんじ)はNenAturaのリーダーだ。そのサインが欲しい?
「その……、推しメンなのだよ」
推しメンとかいるのかよこの吸血鬼。人間社会に馴染み過ぎだろ。
っていうか、俺じゃないのかよっ。
「……まあ、ドラマが上手くいったらな」
今ひとつ釈然としないが、そう答えた。あいつ、サイン断らないタイプだし。
「本当か!」
ダイアナの顔がぱぁっと輝いた。綺麗な顔が、少し幼く、可愛くなる。
「ありがとう! 吸血鬼指導、がんばる!」
そう言って、ダイアナは胸の前で拳を握った。ああ、なんだろう。意外と可愛い。
まったく非現実的だが、実際に起きている以上仕方ない。俺だって、頑張るさ。
音楽番組の楽屋で、
「はいよ」
ダイアナさんへ、と書かれたレンのサインを受け取った。
「ありがとう」
ダイアナと会って三週間が過ぎた。ダイアナの吸血鬼指導は毎晩のように行われている。昔の吸血鬼がどう生きていて、段々ネオンが増えてくる昨今の吸血鬼がどう生きているのか。トマトジュースは美味しいから好きだし気は紛れるけど血の代替品にはならず、夜な夜な病院に忍び込んで輸血パックを盗んでいるとか。いや、盗むなよ。
本人が語る吸血鬼事情には息づかいが感じられて、演技に盛り込みたくなる。メイクさんに頼んで少し顔色が悪く見えるようなメイクを施してもらい、監督と交渉して件の家に押し入る部分は変更してもらった。
視聴率はまた少しあがったらしい。
だから、ダイアナの望みどおりにレンにサインを書いてもらうように頼んだのだ。
「珍しいな。シューがサイン頼むなんて」
レンが笑う。確かに俺は、友達に頼まれても他のメンバーのサインをもらうことはない。メンバーは仲間だけど一番のライバルだから。悔しいじゃないか、俺より人気だなんて。
「……世話になっているから」
「好きなんだ?」
レンが意地悪く笑う。何故そうなる。
「お前みたいなのが自分の信念を曲げるなんて、惚れたはれたぐらいだろう」
「……何を言っているんだよ、レン」
「違うのか?」
はっきり違うよとは何故か言えなかった。
「とんだスキャンダルじゃないか」
「ルーマニア人の留学生に惚れたアイドルね」
どうしても惚れたにしたいのか、お前は。
さらになにか言おうとしたレンを、
「スタンバイお願いしますー」
スタッフの言葉が遮った。ナイス!
「ま、がんばれよ」
レンは軽く俺の肩を叩き、控え室の外へ向かう。だから、違うって言っているだろ。
「ありがとう!」
ダイアナはレンのサインを胸に抱き、恋する乙女のようにうっとりとした。
ないない。レン担当だとかいう吸血鬼を好きになるなんてない。自分に言い聞かせる。っていうか、うっとりと見過ぎだろ。
「……まさかとは思うが、レンのサインが欲しいから俺に近づいたんじゃないよな?」
胸のどこかにわき上がって来た黒い気持ちを受けてそう尋ねる。
「何を言っているんだね、君は」
もの凄く冷たい目を向けられた。ソファーに座った彼女は、立っている俺を見上げているのに何故だろう。見下されている。
「これはついでだよ。私は、俳優の上条修司に用があって来ているのだよ?」
ふーん、と信じていないような顔をする。だけど本当は、小躍りしたいぐらい嬉しい。レンはついでだ。そして、俺は、俳優だ。
ダイアナのいいところは、俺のことを俳優として扱ってくれるところだ。まあ、アイドル扱いしないのは、推しメンじゃないからかもしれないが。それでも、嬉しい。
アイドル扱いしないので、NenAturaのシューくんを演じなくていいことも、心地よい。
ダイアナにとって俺は、上条修司だ。
「なにか勘違いしているようだから言っておくが」
俺の表情からなにかを読み取ったのか、ダイアナは冷たい目でこちらを一瞥して続ける。
「私は君のことをアイドルだと思ったことはない。それは、決していい意味ではない。君は、アイドルをただの足がかりにしている」
「それの何が悪い?」
開き直ったわけじゃない。本気でそう思う。それの何が悪い?
「顔がいいからアイドルグループに入れた、それも俺の才能だ。それを、俳優になるために利用して何が悪い?」
正面切って答えたら、
「……まあ君の、そういう目的のためには手段を選ばない部分も好きなんだがね」
苦い顔をしてダイアナが呟く。
まて、今、後半、聞き捨てならないことを言ったような?
それを問いつめる前に、
「だがね、君。それでもやはり、君はアイドルをおろそかにしている」
「シューくんの評判を知らないのか? これでも人気あるんだがね」
「そりゃあ、あるだろうさ。君のアイドルの演技は完璧だからね。だけれども、それは演技だ。本当の顔じゃない。君の素顔は、私に今見せている、それ、だろ」
「だったらなんだよ」
このキャラを外に出せるわけないだろうが。それぐらいはわきまえている。
「君のやり方を否定するつもりはない。だけれども、私が君を俳優と言うのは、いい意味だけではない。君はアイドルではない。その証拠に、君はレンに勝てない」
「お前がレン担当なのは十分わかったから!」
なんでここでレンを持ち出して来るんだよ、嫌なやつだな。
「君のアイドルとしての地位は底辺だ」
「ほっとけ」
「俳優としての君は評価している。今のままでも、確かにいいのかもしれない。でも」
そこでダイアナは少し口ごもり、
「……もうちょっとアイドル業を頑張ってもいいんじゃないか、と思うよ」
早口で言った。
ずばずばものを言う彼女の、珍しい態度に少しキョドる。
そうしている間にも、ダイアナは気を取り直したかのように、
「ヴァンパイア・キッス、視聴率ランキング五位に入っていたじゃないか」
ドラマの話に軌道修正する。
しかし、視聴率ランキングまでチェックするとは。だから人間社会に馴染み過ぎだろ。
「おかげさまでな」
「君の努力が実を結んだんだろ」
ダイアナがふわりと、微笑む。素直に努力を認められると、照れくさい。
「収録はあと、二話分だったか? まあ、あと少し、精一杯頑張らせてもらうよ」
……そうか、撮影が終わったらもう、ダイアナには会えないのか。胸の奥が少し、苦しくなる。
「ああ、そうそう」
そんな俺に気づくことなく、ダイアナはその形のいい眉を吊り上げた。
「前回の吸血シーン。あれはなんだね。あんなところに噛み付いて」
「首筋だろ?」
「首筋だからこそ、場所を選べと言っているんだ。動脈の関係上、下手なところに噛み付くと血があふれてスプラッタだぞ?」
吸血鬼がスプラッタとか言うなよ。
「前回君が噛み付いたのはここだったがね」
ダイアナは立ち上がり、俺の首筋に触れる。ひんやりとした指先に、背筋がぞくっとする。
「お勧めのポイントはここだ」
その手がほんの少しだけ、下に動く。
「……何が違うんだ」
それ、誤差の範囲だろ。
「全然違うだろ!」
分からず屋だな、とダイアナはその細い腰に手を当てて、不満そうな顔をした。
「仕方ない、手本を見せてやろう」
ダイアナは偉そうに宣言すると、俺の服の襟元をそっとずらした。ほんの少し、背伸びをするようにしてダイアナの口が、俺の首筋に向かう。開いた口から、鋭い犬歯が見えた。
ダイアナの目が閉じられる。長い睫毛。さっきレンのサインを抱いていたときとは違う、どこか神秘的で、それでいて恍惚とした表情。
視線が外せない。動けない。
首筋に柔らかい感触。唇が触れる。
待て、どこまで手本を見せるつもりだ? 怪訝には思うものの止めることができない。魅せられて。
ちくり、と首筋に何かが刺さったような痛みが走り、
「っ!」
突然目を見開いたダイアナに、慌てたように突き飛ばされた。
「いって」
よろけた俺は文句を言おうとダイアナを見て、言葉を失った。
「……すまない、止まらなくなった」
ダイアナがその血色の悪い顔色を、さらに蒼白にしていたから。
「途中で止めるつもりだったのだが、すまん」
「……別に、ちょっとなら、いいよ」
小さく震えるダイアナが、あまりにも弱弱しく見えて。思わずそう口走っていた。
だって、吸血鬼に血を吸われても、死ななければ吸血鬼にならない。それはダイアナ、あんたが教えてくれたことだろう?
「あんたになら血を吸われても、俺はいいよ」
「……だめだ」
ダイアナは苦しそうな顔で首を振る。
「それは、無理だよ」
泣きそうな顔。そんな顔も、するのか。
「ちょっとで止める自信がないんだよ」
水分を堪えた目が俺を真っすぐ射抜く。
「私は君を、吸い尽くしたい」
ごくり、と自分のツバを飲む音が聞こえた。
「な、なんだよ、そんなに腹が減ってるのかよ」
そう軽口を叩いてみせる。
ダイアナは悲しそうな顔をして、俯いた。
「……君だから、吸い尽くしたい」
もう一度小さな声で呟かれた言葉の意味を、わからないぐらい鈍感ではなかった。
俺だから止まらなくて、俺だから吸い尽くしたい?
「ちょ、でも、お前、俺は好みじゃないって言ってたじゃないか」
笑い飛ばす。冗談だってことにしよう。
そうそう、美食家だって言っていたじゃないか。
「最初はそうだった。推しはレンだし」
こんなときまで推しの話すんな。
「さっきも言ったように、アイドルとしての君は好かなかったんだ。アイドルもファンもメンバーすらも見下して、こうしていれば喜ぶんだろ? みたいな部分が見える気がして。全部、演技な気がして」
言われた言葉に、違う意味で心臓がはねる。ああ、見抜かれていた。全部。
だけれども、それがこのおかしな吸血鬼によるものだということ、どこか少し、喜びと安堵を覚えている自分がいる。ダイアナは特別だ。俺を、俳優として見てくれている。素の俺を知っている。
「あの、ダイアナ」
俺に口を挟む隙を与えず、ダイアナは言葉を重ねる。
「だけど、ずっと君と一緒にいて、君の演技に対する思いを目の当たりにして、素顔の君を見て、私は」
ダイアナはそこで言葉を切った。何かを耐えるように唇を噛み、
「すまなかった。色々。本当に」
頭を下げて来た。長い髪が彼女の顔を隠す。
「撮影、最後まで頑張ってくれ」
ダイアナは下を向いたまま、早口でそう言うと、俺の返事を待たずにその場から姿を消した。霧のように。
俺はしばらく動けず、ダイアナが居た空間を見ていた。ふっと視線を動かすと、そこにはレンのサイン色紙が転がっていた。なにやってるんだよダイアナ。あんな宝物みたいな顔してたのに、忘れて行くなよ。
首筋がちくりと痛む。鏡で確認すると、針で刺した程度の傷が二カ所。これぐらいの傷なら仕事に支障はないだろうな、と頭のどこか冷静な部分で思う。一方で、すぐに消えてしまいそうな傷なことが、なんだかとても悲しかった。
「……明日も来いよ、ダイアナ」
小さく、その傷に向かって呟いた。
でも、ダイアナはそれ以降、姿を現さなかった。
ヴァンパイア・キッス最終回は、視聴率四十パーセントという記録を打ち出した。関係者一同は大喜びで、映画化も検討中らしい。
特に最終回間際になって、吸血鬼役のシューくんがやつれていったところに、その役作りの精神が高く評価されているらしい。
「お前、地でやつれてただろ?」
レンには、少しだけ心配そうに言われた。
「フられちゃったか、ダイアナちゃんに?」
おどけて言われた言葉に、俺は素直に頷いた。素直な俺の反応にレンが逆に慌てたのは、少しだけ面白かったが。
ダイアナ。この高評価はあんたが受ける物だよ。あんたがいなきゃ、俺はここまで頑張れなかった。
最終回、私も吸血鬼にして、と呟くヒロインに吸血鬼が見せた悲哀。躊躇い。少し混じる喜びの感情と、欲望。あれらは全部、あんたに教わったものだ。あの時のあんたの顔を、トレースしただけだ。あのシーンが一番、評価が高いんだ。
自室で一人、ソファーに座って目を閉じる。
レンのサインはちゃんととってあるんだ。それを取りに来るんでもいい。もう一度姿を見せてくれ。せめて、礼ぐらい言わせてくれ。
「……ダイアナ」
小さく名前が唇をこぼれ落ち、
「……はい」
小さくしおらしい返事が聞こえた。ああ、ついに幻聴まで。
「って!」
顔をあげると、目の前にダイアナが立っていた。
「ダイアナっ、ちょっ、おまっ!」
煙のように急に現れやがって!
思わず立ち上がり、その細い肩をつかむ。
「お前、なにを、俺が今までっ、どんな気持ちでっ!」
がくがくその肩を揺さぶる。
「や、やめてくれ、謝るからっ」
ダイアナが悲鳴のような声を発するから、慌てて手を離した。
「今更、何をしに来たんだよっ」
会いたかった。ありがとう。そんな言葉よりも先に溢れたのは、非難の言葉だった。
「……クレームをつけにきたんだよ」
ダイアナは乱れた襟元を直しながら、憮然とした表情で言った。
「クレーム? 天下の大俳優上条修司様の大演技に今更クレームか?」
「自分で言ってて恥ずかしくないのかね?」
あきれたようにダイアナが言う。
実はちょっと。さすがにこれはないな。
「視聴率が良かったのは見たよ。確かに今までで一番吸血鬼っぽかったし、吸血するか悩むシーンは、感情移入して泣きそうになった」
そりゃあそうだろう。あの場面、あそこに居たのはあんただからな。
「だがな」
ダイアナは眉を吊り上げると、
「私の血を吸って吸血鬼にして? あれはなんだね!」
「共演者の台詞にまでは責任もてねぇよ!」
それこそ脚本家に言えよっ。
「何が不満なんだよ」
「知らないのかい? 吸血鬼に愛された人間は、吸血鬼になるのではなく、不死などの能力を身につけることになるのだよ?」
そうしてダイアナの手が、俺の頬に伸びる。
「……ダイアナ?」
瞳がまっすぐ俺を捉える。動けなくなる。あのときと同じように。
「上条修司。……不死になる気はないかね?」
ダイアナがそっと囁く。
今、なんといった。ええと、吸血鬼に愛された人間が? 不死?
ダイアナの手が襟元を開く。ダイアナの顔が近づき、俺の首筋に唇があたり、
「だっ、いあなっ!」
あがった俺の声を無視するかのように、ダイアナは首筋をぺろりとなめ、顔を離した。
「不死の俳優もなかなかに楽しいと思うぞ?」
不敵に笑った。
……勘弁してくれ。硬直がとけた俺は、顔を両手で覆う。この数週間の間に、あんたに何があったんだ。なに開き直ってんだ。この前の悲哀はどこに行った。
「ダイアナ、お前な!」
文句の一つでも言ってやろうと、顔をあげると、
「少し、君を見直したんだよ」
ダイアナは綺麗に、やわらかく微笑んでいた。初めてみる顔に、抗議の声も弱まってしまう。
「……何が」
「アイドル、最近頑張ってるだろ」
図星をさされて口ごもる。なんでバレた。
確かに、ダイアナの姿が見えなくなってから、アイドル業にも少し力をいれるようになった。さぼっていたダンスの練習だってちゃんとやっている。
「この前の、音楽番組。いつになく一生懸命ダンスしていただろう。キレがよかった。見直したんだ。本当に。一つ一つの動きを大事にしていて、輝いていた」
なんでバレた。なんでレン担当の癖に、俺のことまで見ているんだよ。
「そんな君を見ていたら、逃げたままではいけないな、と思ったんだ」
ああやはり、逃げたのか。あれは。
だからって、気合いを入れて来過ぎだろ。なんでいきなり、こんな、ぐいぐいくるんだよ。こっちにだって心の準備とか、告白されるよりしたいっていうプライドとか、色々あるんだよ。
大きく溜息。
「どうした、上条修司?」
からかうようなダイアナの声。
ダイアナは笑っていた。けれども、よく見たら指先が軽く震えている。
あんたにも怖いものがあるんだな。拒絶されるのが怖いのだと、そう思ってなにが悪い。
するわけないけど。拒絶なんて。
あんたが突然姿を消して、俺がどんな思いでいたか、わかっているのか? ダイアナ、あんたは。
「……ダイアナが一緒にいてくれるなら、考えないでもない」
溜息とともに言葉を吐き出す。ダイアナの顔が輝いた気がした。
「が、今すぐじゃない」
続けるとその輝きが消えた。ああ、なんだ、その態度はちょっと可愛いな。
「なんだねそれは」
「そんなすぐに決心できることじゃないだろ」
ダイアナと一緒に居たいけれども、ダイアナが居ない間胸が張り裂けそうな思いをしていたけれども、それとこれとは話が別だ。だって一生を左右する問題じゃないか。一生の長さを。
「君は存外、意気地がないなぁ」
ダイアナが小さく唇を尖らせながら、ぼやく。
「ここは空気を読んでうそでも、君と永遠に生きたいよ、ダイアナとかいう場面だろ」
「そんな場面ありえねーよ! 言えるか、そんなこと!」
あとさりげに頬染めんなよ! 普段血色悪い吸血鬼のくせして、なんで顔を赤くするとかはできるんだよ!
「天下の大俳優のシューくんなら言えるだろ?」
「あんた相手に演技してどーすんだよ!」
俺の言葉にダイアナがふふっと笑う。
「失礼、上条修司」
「だからなんでフルネームなんだよ」
「今日はアイドルでも俳優でもない君個人に用があったんだよ、上条修司」
「……そりゃあどうも」
散々アイドルと俳優の話したような気がするがな。
だけれども、俺個人を好いてもらえるのは嬉しいさ。そりゃあ。
「まあ、考えておいてくれたまえ」
気を取り直したかのようにダイアナが笑う。
「ああ、考えとくよ」
「気が向いたらいつでも構わない。君の寿命なんて、私にしてみれば一瞬だからな」
俺は小さく笑った。
いずれにしてもまだダイアナと一緒に居られるのか。今度は、吸血鬼の演技指導なんて抜きで会えるのだろうか。それはそれで、とても楽しみだ。
「ダイアナ」
彼女がなんだか愛おしくて、俺はその肩に手を伸ばし、抱きしめようとしたところを、
「ああ、あとそうそう」
照れ隠しなのか、天然なのか。ダイアナはくるり、と体を回転して離れた。空気読めよ。逃げるなよ。
「今日来たのはクレームと、もう一つ」
ダイアナは頬を少し上気させて、夢見る乙女のような口調で言った。
「先日忘れたレンのサインをとりに来たんだ」
やっぱり帰れ!
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