第3話 契約

「な、なんだぁ!?」

 そう言ったのはハジメだった。何せ、突然自分の後方から衝撃と轟音と熱風が襲ってきたからだ。たまらず、地面に屈んで身を守るハジメ。それからゆっくり、何が起きたのか確かめる。

 見れば、さっきまで自分が居た辺り、というかカナタを中心に爆発が起きたらしかった。辺りの芝生がチロチロと燃え、チリが降っている。

「ちっ。外したか」

 そして当のカナタはそう吐き捨てた。その手の上には分厚い赤い本が開かれていた。それもさっきハジメが見せられた魔導書と同じように古めかしかった。恐らく魔導書だとハジメは思った。

「随分な挨拶だなお嬢ちゃん。俺はただその本を見せてもらいたかっただけだぜ」

 そして、カナタにそう声をかけたのは男。それも見るからに怪しい男。顔にはへのへの茂平爺の仮面を貼り付け素顔は分からない。

 男は橋の欄干の上に器用にしゃがみこんでいた。そしてカナタを見ていた。いや、目線は分からないのだが。

「ふ、不和残罵じゃねぇか.....」

 ハジメは呟いた。知っていたからだこの男を。知り合いではない。いや、知り合いだから知っていたという方が随分ましだっただろう。だが、ハジメは知っていた。というか、恐らくこの日本でこの男を知らない人間は居なかった。

 不和残罵。彼は犯罪者だ。それも、重犯罪者。国際指名手配までされている極悪人である。彼を一躍有名にしたのは2年前。東京23区で起きた事件による。

 彼はネットの動画でそのふざけた仮面姿で予告状を出した。23区内のすべての銀行から金を盗むと。当然、予告された当日、警察は予告状を信用していなかった。23区全部の銀行なんて馬鹿げているからだ。なのでこれは質の悪いイタズラであると上層部は判断した。一応主要な銀行では厳戒態勢が敷かれたがそれだけだ。だが、警察の判断は完全な誤りだった。不和残罵は本当にすべての銀行の金庫から金を盗み出したのだ。しかも、現金だけではなかった。ネット上の数字だけの金まですべてゼロにしたのだ。そして、残罵は盗んだ金を全て街にばらまいた。結果としてその日東京は大混乱に陥り、株価の変動もメチャクチャとなった。東京都と国はその状況を立て直すために数ヶ月を要することとなった。金曜日に行われたその事件は『大混乱の金曜日事件シャンブルズ・フライデイ』と外国の新聞で名付けられることとなった。

 なぜ彼にそんなことが出来たかといえば、彼は魔術師だったからである。残罵は魔術で東京23区内の『金』という概念を対象に転移魔術を行使したのだと言われている。魔術師故に常識的な手段の一切が通用せず、彼の事件の捜査及び追跡は困難を極め、現在も彼は逃走中なのだ。そして、その後も彼は散発的に世界各地で事件を起こし続けている。

 そういう世界中に名の轟いている異常で、危険な人物が不和残罵だった。

 そして、そいつが今まさにハジメの目の前に存在しているのだった。

「な...なんでこんなところに....」

 ハジメは後ずさった。ヤバイからだ。本当の危険人物が目の前に居るからである。ついでに周りの人々も気づき始めた。爆発が起き何事かと見ていた人々が不和残罵が居ると気付き騒ぎ始めた。そして、逃げ惑うものも現れ始めた。ハジメも逃げなくてはならない。

 しかし、カナタを見れば微動だにせず本を開いて残罵を睨んでいた。

「この本を欲しがってる時点でアウトに決まってんでしょ。このディアン・ケヒトの魔導書を」

「ははぁ。そりゃそうだな。『カテゴリー5のディアン・ケヒトの魔導書を不和残罵が興味深そうに見てる』って状況は世間的には相当やばいんだろうな」

 残罵はかはは、と笑った。

「まぁ、実際やばいことしたいからそいつ見てたんだけどよ。なぁ、お嬢ちゃん。そいつを俺にくれねぇか」

「嫌に決まってんでしょ。あんたなんかに渡さないわ。これは私が今から大金に変えるんだからっ!」

 そう言ってカナタはまた魔導書に手をかざした。するとまた爆炎が発生した。欄干が業火に包まれる。そしてそれが晴れると鋼鉄の支柱が赤く赤熱し溶けていた。しかし、そこに残罵は居なかった。

「おいおいおい。欄干溶けてんじゃねぇかよ。冗談じゃねぇぞ。あんなもん食らったら俺消し炭じゃねぇか」

「そうするつもりなんだから当然でしょ」

「おいおい。殺しはいかんよ殺しは。とんでもねぇお嬢ちゃんだな」

 残罵は呆れたようにぽりぽり頭を掻いた。彼は今度はカナタから少し離れた位置に立っていた。ハジメには良く分からなかったが恐らく魔術だろうと予想していた。実際魔術であり転移の魔術だった。これで残罵は攻撃を避けているのだ。

「しかし、くれねぇか。くれねぇとなると仕方ねぇな。実力行使だな」

 そう言って残罵はパーカーの右裾をまくりあげた。そこには、その腕にはびっしりと文字が刻まれていた。そして、その右手を残罵が振る。すると、閃光、電撃が巻き起こりカナタを襲った。

 しかし、それはカナタの前まで来ると弾け飛んだ。

「ふん。望むところよ。もっとも、この程度の攻撃しかしないやつに負ける気はしないけど」

「へぇ、対攻呪文か。中々やるじゃねぇか。楽しめそうだぜ」

 そう言って残罵が腕を振るうとまた電撃が発生した。それに対してカナタも爆炎で対抗する。炎と電撃が入り乱れ、その公園の一角はめちゃくちゃになった。

「す、すげぇ....」

 ハジメは初めて見る魔術。その応酬に息を飲んだ。まったく、今まで見たことのないもの。漫画とかアニメの中でしか見たことのないような光景が今まさに目の前で繰り広げられていた。すごい、とハジメは思った。しかし、

「おわぁああ!」

 ハジメは叫んで後ずさる。足元に電撃が跳ね、鼻先に爆炎が迫ったからである。

 はっきり言って死を間近に感じたハジメだ。始めこそ見たこと無い炎や電撃に目を奪われたハジメだった。しかし、よく考えれば電気に当たっても炎に巻かれても怪我、最悪死に至るのだ。つまるところ恐ろしく危険だった。刺激的で楽しい! とか言えてしまう神経はハジメには無かった。

「やべぇ!」

 ハジメは逃げることとした。

「あんたまだ居たの」

 そんなハジメにカナタが言う。片手で魔術を使いながらだ。カナタは中々余裕があるようにハジメには見えた。

「今から逃げるとこだ。こんなもん付き合ってられるか!」

「そう、それならこれを頼むわ」

 そう言って、カナタはぽいとハジメに放った。ディアン・ケヒトの魔導書をだ。

「ひょえええ!」

 ハジメは叫びながらなんとか魔導書を受け取った。時価数億、その言葉が頭をよぎりハジメはガタガタ震えた。

「そいつを持って適当なところに逃げて。後で追いつくから。間違っても逃げようなんて思わないことよ。絶対探し出せるんだからね」

 そう言ってカナタはまた爆炎を発生させる。残罵はまたそれを転移でかわした。

「そ、そんなお前。突然言われてもよぉ!」

「ちゃんとこなしてくれたらお礼はするわよ! こっちはとんでもないイレギュラーが発生して手一杯なんだから! これはお願いなの!」

「な、なんだとぅ」

 ハジメの言葉は尻すぼみ。正直さっきのやり合いを考えたら実に嫌だった。正直カナタは嫌いであった。しかし、お礼。時価数億と言われる魔導書を守った場合のお礼。

(これは、お金の匂いがするぜ)

 ハジメは思った。そして、

「仕方がない! わかったよ。逃げりゃ良いんだな!」

「そういうこと! 出来れば『歳星館』ってところに逃げ込めれば確実なんだけど.....」

「分かったスマホで確かめてみる!」

 そう言ってハジメはとにかく駆け出した。逃げなくてはならない。抱えた魔導書を守りきらなくてはならないのだ。そして、ひょっとして大金が、というわけだ。しかし、

「おおっと。誰だか知らねぇが逃さねぇよ」

 残罵が言った。そして、なにもない空中を左手で叩いた。空中のはずなのに何かに当たった鈍い音が確かに響いた。

凄絶驚異の怪物門モンスターゲート

 残罵が言う。そして、叩いた箇所に光る魔法陣が浮かび上がった。残罵の背を超える大きな円。そして、そこから黒い何かが吹き出してきた。それは怪物だった。黒い得体の知れない靄のような怪物が数えきれないほど出てきたのだ。金色の光る眼に鋭い牙と鋭い爪。なにに似ているかといえばかろうじて犬などに似ているかもしれないが適当ではない。ただただ怪物だ。それらは風のように飛び回り、そしてハジメに襲いかかった。

「おわぁあああ!」

 ハジメは叫ぶ。何せ、自分の手足に怪物の牙や爪が食い込んでいるのだ。それらはずるずるとハジメを引きずり、進ませまいとしている。実際ハジメは動けない。四肢を封じられ身動きしようにも出来ないのだ。

「な、なんだこつらは! おい、なんとかしてくれよ!」

 そう言ってハジメはカナタを見る。しかし、カナタもカナタで怪物に襲われていた。爆炎で応戦しているが数が多い。とにかく多い。残罵の後ろの魔法陣からどんどんと途切れること無く吹き出し続けている。そして、それらは嵐のようにカナタを取り囲んでいた。

「こいつらはゲルルつってな。一体一体は大した強さじゃねぇがとにかく数が自慢だ。そんな魔術じゃとても全部殺しきれねえよ。かはは」

 残罵は笑っている。カナタの炎は怪物どもをどんどん燃やすが、怪物たちはそれを上回る速度でどんどん出てきていた。そして、とうとうカナタにも怪物が迫った。

(ま、まずい)

 ハジメは思った。

(このままじゃやられる。俺もあいつも)

 ハジメはどうしようも無かった。とにかくカナタを見る。すると、カナタもハジメを見ていた。なにも言わなかったがハジメを見て、そして口を真一文字に結んでいた。

(なんとか....)

 ハジメは思う。

(なんとか、俺を....あいつを助ける方法は.....!)

 と、その時だった。

 突如として全ての景色が停止した。景色の全てから色が失われた。モノクロ映画のように白黒で、全てが止まっていた。

「は?」

 ハジメは漏らす。何が何やら分からなかった。突然、周りの景色が一変したのだ。うろたえるハジメ。その時だった。声が響いた。



『証は満たされり。標は示されり。汝、選択せよ』



 ハジメは顔をしかめた。全然意味が分からなかったからだ。頭の中に響いた声はしかし、古めかしい言葉遣いでおまえけに要点をまったく述べていなかった。

「な、なんだ。なんの話だよ」

 しかし、声は応えなかった。

 ハジメは思った。なんてふざけたヤツだと。多分この景色をこんな風にしたのはこの声だった。なんとなくハジメには分かった。しかし、一方的に言うだけ言ってこっちの質問にはだんまりだ。人格を疑う、と思うハジメだった。しかし、『選択せよ』と言っているということはなにか選択しなくてはならないのだ。そして、このタイミングでそんなことを言うということは答えるべきことは決まっているようにハジメには思えた。

「何言ってんのか全然分からんけど。この状況をどうにか出来るっていうならどうにかしてくれ! それが俺の選択だ!」

 ハジメはとりあえず思うことを叫んだ。



『了承。契りは結ばれた』



 そして、声は応えた。

「おお!?」

 それと同時だった。唐突に景色が色づき、そしてまた動き出した。怪物が舞い、ハジメは四肢を抑えられ、カナタも絶体絶命。しかし、その時ハジメの手元、ディアン・ケヒトの魔導書が白く光った。

「なんだ!?」

 叫ぶハジメ。そして、その光は波動となって辺りに一気に広がった。

 そして、その波動は一瞬で残罵の出した怪物を消し飛ばしていった。

「何?」

「なにが起きたの!?」

 驚愕したのは残罵、カナタも同様だった。突如として形成が逆転したのだ。ハジメもカナタも自由になった。カナタは反撃を、ハジメは逃走を行えるということだ。

「ちっ!」

 残罵は再び空中を拳で叩いた。しかしだ。今度は魔法陣が展開しなかった。というか、叩いた音さえしなかった。空中を拳で薙いだだけに終わったのだ。

「どうなってやがる。術式がうまく起動しねぇ」

「チャンス!」

 その瞬間を見逃すカナタではなかった。すぐさま自分の魔導書に手をかざし魔術を発動しようと試みる。

「あれ?」

 しかし、カナタの魔術も発動しなかった。残罵もカナタも魔術を使えない状態になっているようだった。残罵は顎に手を当て考え込む。

「こいつは。さっきの波動、ここらの魔力の流れをメチャクチャに乱しやがったな。なるほど、あの小僧契約しやがった。その余波だけでこれか。さすがカテゴリー5。かはは」

 残罵はなにやら一人合点して勝手に笑っている。

 ハジメは何が起きているのかひとつも分からなかった。しかし、すべきことだけは分かっていた。

「うおおお!」

 ハジメはディアン・ケヒトの魔導書を抱えて一目散に走り出した。

「あークソ! 面倒なことになりやがった!」

 残罵はそのままハジメの後を追いかけ走り出す。魔術が使えないなら生身でハジメを捕まえる算段のようだ。

 しかし、その鼻先で業火が発生し残罵は足を止めざるを得なかった。

「あー、もう! 上手く発動しないわね!」

 カナタが魔導書を手に言う。カナタが魔術を使ったのだ。残罵はそれを見て動きをピタリと止めた。唖然としているのだ。今のカナタの行動に。魔力の流れが乱れ、上手く魔術が発動しないはずのこの状況で平然と魔術を行使したカナタに唖然としているのだ。

「どうなってやがる。なんでてめぇ魔術が使える」

「別に。自分の中の魔力を練って周りの魔力の流れを強制的に直しただけよ。なにあんた。そんなことも出来ないの?」

 ふふん、と勝ち誇るカナタ。それを聞いて残罵は肩を震わせて笑った。

「人間の魔力で自然の魔力に干渉したのか。とんでもねぇ力技だなおい。いや、思った以上に面白ぇ嬢ちゃんみてぇだな」

 そんな残罵にカナタはまた魔術を振るう。残罵の後ろで炎が吹き上がった。発動は出来るが狙いが定まって居ない。しかし、カナタはそんなことお構いなしだった。次々に魔術を発動していく。上手く残罵に当たらないがその周りは炎の海だ。数撃ちゃ当たる戦法らしい。

「ええい! 全然当たらない」

「かはは! メチャクチャな嬢ちゃんだ」

 形勢逆転で膨れ上がる炎の渦を残罵は必死に躱していく。

 そして、それを尻目にハジメは公園からなんとか抜け出すことが出来たのだった。

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