本を受け取ろう
それからは何事もない、平穏な日々が続いた。
ある日、新刊入荷の報せを受け、俺はスミス氏の雑貨屋を訪れていた。
雑貨屋は村の中央広場に面した場所にある、他の民家と比べて一際大きな建物だ。
店主のアレックス・スミス氏は、男手一つで娘を育てながら雑貨屋を経営し、グラスランドの商人ギルドでも重役を担っている傑物である。
雑貨屋、と言っても、店内に商品は少ない。
主業務は近隣の町から、生活に必要な雑貨、魔晶の輸入だったり、麦の輸出だったりする。
行商に顔が効くスミス氏は、村の流通ラインの要であり、無くてはならない存在であった。
⋯⋯何故そんな事を俺が知っているかと言うと――。
「この村は麦だけでなく、他の農作物の栽培や、畜産も行なっている事から、食料自給率は高いんです。問題はその余剰分を、いかに村の資産として変換できるか。これは領主様、ひいては国王様への納税にも関わってきまして」
――スミス氏本人から聞かされているからだった。
何故か、最近スミス氏は、俺が本を受け取りに来ると、聞いてもいないのに自分の仕事内容を語って来る。
俺としては、自分が住む村に関わる事ではあるし、聞いていて面白い話でもあるのだが⋯⋯まるで業務引き継ぎでもされている気分だ。
「いやぁ、ご存知の通り、うちの娘は頭がからっきしでして。しかし坊っちゃんがいるなら安泰ですとも」
「⋯⋯何がですか?」
「領主様から聞きましたよ。学校には通わず、独学なさるとか。それなら多くの事を知っておいて損はないでしょう」
「や、それはそうなんですが、それと雑貨屋の安泰はなんの関係が⋯⋯」
なんて。スミス氏は、俺とパティをくっつけたがっているのだろう。そしてあわよくば雑貨屋を継いでほしいと。
最近、ものすごい勢いで外堀を埋められて行っている気がする。
最近のパティときたら、周りにアンジェリカや三馬鹿が居ようが、御構い無しの求愛っぷりだ。
二、三年後にはパティも、二つ隣の町の学寮に移るだろうから、そこで新しい出会いも有ろう。
俺のような見た目は子供、中身はおっさんにいつまでもベッタリというわけでもないだろう。
「しかし悩みどころですなあ。坊っちゃんは魔法も堪能ですゆえ、きっと将来は名のある魔法師や冒険者にもなれるでしょうから」
「魔法師? 何をする人でしたっけ」
「魔法師と一口に言っても、その業種は多岐に渡りますな。魔法の研究者や、魔物退治を生業とする者なども⋯⋯。魔法師ギルドで認可を受けたもののみが、魔法師を名乗ることができるのですよ」
なるほど、つまり『めっちゃ魔法がうまい人』って肩書きか。
ブローチの例を取って見ても、この世界においては、三つ葉葵の紋所くらいの権威がありそうだ。
しかしまあ、特に偉くなりたいという願望も薄いので、そのセンは無しかな。その肩書きがクリス氏やアンジェリカの役に立つのなら、挑戦してみてもいいくらいか。
「っと、そうだそうだ、坊っちゃんは本を受け取りに来たのでしたな。長々とつまらない話をしてすみません」
「いえいえ、とても興味深い内容でした。……それで、今回のブツは?」
「ふふふ……入手しましたよ、レイン叙事詩の第三巻!」
「おお……おお……!!」
スミス氏から黒い表紙の分厚い本を受け取り、再会を果たした恋人の如く、強く抱きしめる。
この世界には絵本や寓話の様なものが存在しないのでは、と危惧していたが、製本が盛んな東大陸ではこういった物語が出版されていた。
この『レイン叙事詩』は、物語の主人公であるレイン王子が、世界中を旅して危険な魔物と戦ったり、各国で起こった事件を解決する冒険譚だ。
著者は不明とされている。王都ウィンガルドの製本所に、どこからか原稿が送られてきて、それをそのまま刊行しているのだとか。
レイン王子は実在し、存命する人物である。
しかし、今は王位継承してレイン"王"である。
しかも、王子時代の活躍を描いたものかと思いきや、本人は『この叙事詩の様に世界を飛び回った事はない』と、後書きに付け加えている。ご丁寧にウィンガルド王家の紋章付で。
かなり謎が多い本だが、俺はこの本のファンだった。
他に物語形式の読み物が少ないという理由もあるが、単純に、このファンタジー世界で書かれた、リアルなファンタジー小説に惹き込まれていた。
「東大陸まで行商に出ていた、マイノルズのせがれが見つけてきたのです。後で一言かけてやってください」
「それはもう! 五体投地で崇め奉ります!」
「坊っちゃんは本当に本が好きですなあ。パティにも見習ってほしいものです」
よし、今日はアンジェリカが寝たのを見計らって、夜通しで読破してやろう。
しかし、この筆者は何が目的でこの本を出版しているのだろうか。印刷所に原稿を送りつけるだけで、印税とかも貰ってないみたいだし⋯⋯いつか筆者が判明したら、あらん限りの賛辞を送るとしよう。
「スミスさーん! こんちわっスー!」
「おお、ログナのせがれじゃあないか」
その後もスミス氏と談笑していると、雑貨屋の扉が勢いよく開き、アリスターが入店した。
アリスター・ログナ。この太っちょのフルネームである。無駄にカッコいい。
「おっ! アニキもいたっスね!」
「おお。学校帰りか?」
「っス!」
アリスターは大きな腹を揺らしながら、スミス氏のいるカウンターまで近づき、何かが詰まった布袋を置く。
「お願いするっス!」
「おうおう、引き取りだな」
「高値でたのむっスよ!」
中身は、魔物を倒した時に落とすマナ結晶だった。
マナ結晶――空気中に存在するマナが凝固したもので、魔晶の作成や、魔法の増幅など様々な用途で使われ、市場の需要が尽きることは無く、大きなものほど高値で取引される。
冒険者と呼ばれる、魔物退治を生業とする人々の主な収入源であると⋯⋯これもスミス氏の請け売りだ。
しかし、この辺の弱い魔物を倒しても小粒な結晶しか落とさないので、せいぜい子供の小遣い稼ぎにしかならない。
それにいくら弱いとはいえ、危険も伴う。
「アリ、危ないぞ。いくら魔物が弱いとはいえ⋯⋯」
「だーいじょうぶっスよ! アニキとの特訓の成果で、最近は学校の上級生にも魔法で勝ってるんすから!」
「歳下の俺には負けてるだろ。慢心ダメ、絶対」
少し強めに諌めると、アリスターは巨体をしゅんと縮める。まあ、この歳から自分で小遣い稼ぎをしているのは褒められたものか。
「⋯⋯まあ、怪我だけはするなよ。お前に何かあったら姉さんも、あー、俺も悲しいからな」
「⋯⋯はいっス!」
「ほいよ、合計で銅貨十枚だ」
「へぇっ!? 少なくないっスかぁ!?」
俺がアリスターの腹を揉んでいると、清算が終わったのか、カウンターに金属製のコインが置かれる。
この世界の貨幣は上から金、銀、銅だ。
銅貨百枚で銀貨一枚分、銀貨百枚で金貨一枚分と、大変分かりやすくなっている。
銅貨十枚と言うと⋯⋯前世のもので例えるなら、駄菓子一個分といった額だな。百円かそこらってとこだ。
「これじゃ町で買い食いできねえっス⋯⋯」
「なんせ、どれも小粒だからなあ。これでも結構、身を切る思いで清算してるんだぞ?」
「⋯⋯うっス!」
本当に子供の小遣い稼ぎ程度だな。
そういえば水晶洞窟で倒したサソリは、結構大きめのマナ結晶を落としたが、あれはいかほどになるのだろうか。
今は俺の部屋に転がっているが、今度清算してみよう。
などと考えてながらアリスターの腹を揉んでいると、ぐうっと景気良い音を立てた。
「⋯⋯アニキが揉むから腹減ったっス」
「人のせいにするな。ちょっとは痩せろ。姉さんがパイ焼いてるからうち来い」
「イヤッホゥ!」
スミス氏に頭を下げ、連れ立って雑貨屋を後にする。
ぞろぞろと麦畑の間を通り抜けていると、アリスターが口を開いた。
「アンは魔法が使えねえっすけど⋯⋯」
「ああ」
「アンが作るパイは、魔法じゃ作れねえんっスよね」
「そうだな。お前は偉いよ」
「アンの話じゃなかったっスか?」
アリスターの腹を撫でつつ、俺は安堵していた。
魔法差別をしていたクソガキだったが、こうして、それ以外の長所に目を向けられるようになったのだ。
それもこれも、アンジェリカの優しい人柄によるものだろう。
「そういや、アニキは学校行かないんスか?」
「ああ、毎日隣町まで行くのはしんどいしな」
「へえ、それはざんね――」
「えぇーー!!? シャーフ学校行かないのーー!?」
突然、麦畑の中から赤いモフモフが飛び出して来た。
咄嗟にアリスターを盾にすると、モフモフ、もといパティは大きな腹に激突し、尻餅をつく。
「⋯⋯パティ。いつからそこにいたんだ」
「シャーフを待ってたの! それよりどういうこと!? 学校に行かないって!」
パティは顔を赤くしながら立ち上がり、憎らしげにアリスターの腹に拳を叩き込む。
「オフッ⋯⋯」
「言った通りだよ。行かないものは行かない」
「じゃ、じゃあ、いつか試験で一番をとって、あたしにブローチをくれるって約束は⋯⋯?」
「そんな約束した覚えねーよバカ。それより今から姉さんのパイ食べるんだが、くるか?」
「いく! そこであたしたちの今後について話しましょ!」
「はいはい⋯⋯」
全く、人は変わるものだ。
アリスターも変わったし、陰気ないじめられっ子だったパティは快活になった。少々抑えて欲しいが。
俺は――――果たして俺はどうなんだろう。
この子たちと違って、生まれた時から物心どころか、ある程度の酸いも甘いも知っていた。
変わる必要があるかどうかはさておき、これから歳を重ねるにつれ、自分がどう変化するか楽しみであった。
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