◆第三章-ままならない旅路-
第9話*事前宣告
「いつのまに調教した」
「かしこい動物だ」
呆れるリュートにカルクカンの首をさすりながら答える。
リュートはそんなベリルに顔をしかめた。生きている世界はこことはまるで違うと言っていたのに、その馴染みようはなんだ。
いや、むしろ馴染もうとしている結果なのか。
この世界は俺たちにはあまり違和感がなく、返ってそれが馴染むことへの壁となっているのかもしれない。
「二日ほど行った所に湖があります」
「わ、ホント?」
リュートはラトナの言葉に喜ぶティリスを一瞥し、小さく溜息を漏らした。
神官戦士である彼女は一日に一度、
リュートにとっては面倒でもある一方、男としての葛藤も同時に巻き起こる頭痛の種でもある。
「小さな森もあるので薪を集めておきましょう」
ラトナのような狩人が中継地点として利用している場所らしい。
遠出は肉だけでない例えば角や骨、毛皮などを得るために特定の動物を狩る目的で時折、行っているのだとか。
「この近辺には、独特の模様がある角を持つ鹿がいるんです」
それに彫刻を施して、ペンダントや帯飾りにする。
生息数が少なく滅多に姿を見せないため、何日も泊まり込むことがあるとか。
水場には色んな生物がやってくる。肉食獣だけでなく、水場に現れる動物を狙ってモンスターも出現する。
それらの危険を避けるために、離れた場所でキャンプをする。
──そうして一行は夕暮れ近くまで馬を進め、夜になると交替で番をしながら眠りに就く。
夜食にはベリルが生肉を調理し、これから先は干し肉になることを告げられる。保存のきかない生ものは使い切れる一食分だけ持ってきていた。
兎でもいれば狩りで手に入れられる。それを願いつつ、塩加減が絶妙のステーキを一同は口にした。
さらに進んで二日後、澄んだ湖が青い空を映し出してベリルたちを迎える。
「綺麗!」
ティリスは喜びに声を上げた。
湖は想像していたよりも大きく、ごつごつとした岩が積み重なって並んでいる箇所もある。
さらに湖は幾つもに別れており、一つは森の中にあった。
「やっと体を洗えます。毛の間に
慣れない遠出にシャノフとレキナが安堵して服を脱ぎ始める。
ベリルからすれば服を着た小型犬が、服を脱いだだけのイメージでしかない。小型犬というよりも、大型犬のサイズではあるけれど。
「あたしはあっちで洗ってくるね」
森の方を指差し、心配気味のリュートと目を合わせて歩いて行く。
「魚もいますから、捕まえて昼食にでもしましょう」
「ほう」
ベリルは興味深げに応えると、カルクカンの荷物を降ろして森に近い場所にキャンプの準備を始めた。
仕事中は泥だらけで何日も過ごす事があるため、さして気にはならないがこの先、水場があるとは限らない。洗えるチャンスがあるのなら、それを逃したくはない。
仕事柄、着替えもままならない場合もあり、そもそも着替えを持ち歩けない事などしばしばだ。
脱いだ服を乱暴にはたき、立ったままのリュートを見やった。
「入らないのか」
「……俺はいい」
「そうか」
躊躇うようなリュートの口調にやや眉を寄せ湖に腰まで浸かる。
水中を確認すると、途中から深くなっている。水草が適度に生えていて、水底にも沈んだ流木や岩が数多く見受けられた。
なるほど、これなら水生生物も棲みやすいだろう。
リュートはティリスに気配を配りながら、ベリルたちの水浴びを視界全体で捉えていた。
ふいに──
「入れ。衛生的に良くない」
「うわっ!?」
いつの間にか背後にいたベリルに蹴り落とされて湖にダイブする。
「きさま!」
飛び上がりベリルに声を張り上げた。
油断していたとはいえ、あまりにもあっさりと落とされた。それだけ気配を殺すとは、蹴り落とす気満々で近づいてきたなこいつ。
「服を着たまま入る趣味でもあるのか」
リュートの怒りなど意に介さず、新しい服を手に取る。今度こそ殴ってやろうかとベリルの背中を睨みつけてハッとした。
すぐにはその異様さに気がつかなかったが、よく見れば傭兵と言っていたベリルの体には一つの傷も確認出来ない。
闘う者の体にしては綺麗すぎる。こいつの世界には、傷の残らない治療法でもあるのか。
「着たまま洗うつもりかね」
「誰のせいだと──」
「この機会を逃すな」
言って上着を肩にかけ、半裸のままどこかへ歩いていった。
──その頃、ティリスは木々の間から流れる雲と青い空を眺めつつ、嬉しそうに水浴びをしていた。
幼く見える面持ちに似つかわしくない大きな胸は、これからの成長を充分に期待させる。空色の髪は水面に美しく散らばり、湖をさらに澄んだ印象にする。
「ふう……」
汚れを落として安心したのか溜息を吐きつつ水から上がり、のんびりと着替えを済ませて剣に手を伸ばしたとき、
「っ!」
刃の上で四十センチほどの蛇がのたうっていた。
蛇は気が立っているのか、ティリスに牙を剥いて威嚇し飛びかかる。毒蛇なら噛まれれば危険だと身をすくめたが、誰かの手が蛇を掴んで安堵した。
「ベリル。ありがとう」
「大事ないか」
「うん。大丈夫──ってキャー!? 噛まれてる、噛まれてる!」
「問題ない」
無表情に応えて蛇をぽいと投げ捨てた。
「毒無いの!?」
「さあ」
さあ!? さあってどういう事!?
「座って! 治癒魔法を──」
「心配ない」
動転するティリスに笑みをこぼし、腰を落ち着ける。
「毒! あるじゃない!」
いや、心配ないじゃなくて! やっぱり毒があったんだ!
噛まれた手の傷がみるみると黒く変色していくのを見てティリスは青ざめた。
「慌てるな」
「は、早く治癒を──」
急いで傷に手をかざすと、ベリルはその手を取って制止した。ティリスはどうして止めるのか解らずに顔を上げる。
「先に言っておく」
「え?」
治癒魔法をかけながらでもいいんじゃないと思うけれど、ベリルはそれをさせてはくれない。
「私に治癒は必要ない。何があろうと、一切だ」
「何を、言ってるの?」
狼狽えつつも、半裸のベリルにハッとする。
怪我人の治癒を行う彼女にとって、半裸であるそれ自体に驚きは無い。ティリスが驚いたのはベリルのきめ細やかな肌に対してだ。
その色合いを、小さなほくろの一つとして邪魔するものは無く、引き締まった体型に思わず見惚れてしまう。
「解ったな」
「解らない!」
怪我をした人が目の前にいて、それを治癒するななんて無茶な話だ。
「何をしている」
その声に振り返ると、眉間にしわを寄せたリュートが立っていた。彼の苛つきが、あからさまに表情に出ている。
上半身裸のベリルがティリスの手を握っている場面を見れば、そういう顔をするのは当然かもしれない。
「リュート! ベリルが毒蛇に──」
「残念、着替えたあとだった」
言葉を切って立ち上がり、横切るベリルをリュートは睨みつけた。
「あっ」
ティリスは噛まれた傷が気掛かりでベリルの手を見るも、あれだけの傷が治りかけている事に目を眇める。
「……うそ」
そんなはずない。あんなに黒く腫れていて、ただれかけていたのに、どうして?
ふと、見惚れた体を思い起こす。
見惚れたのは綺麗だからだけじゃない。
「治癒は必要ない」と言ったのは、それに関係があるの?
──などと深刻に考えているティリスをよそに、ベリルはこらえていた笑いを絞り出していた。
理由はもちろん、ティリスとの場面を見たリュートの顔にである。リュートを怒らせるためにやった事ではないのだが、結果的にそうなってしまった。
「ククク。若いな」
ティリスの視界に入る所では平静を装う事に懸命なようであるが、それに気がつかないとでも思っているのだろうか。
リュートなりの想いがあり彼女の前では自身の感情を押し殺している。それを知ったからとて、私がどうにかして良い問題ではない。
今は同じ目的で行動しているとはいえ、所詮は別の世界の住人だ。無責任に介入することが良いとは思えない。
彼ら自身で越えていかねばならないものだ。迂闊に割って入り、彼にこれ以上憎まれたくもない。
と言いつつも、憎まれるような事ばかりをしている自覚があるのかないのか。とにかく、ベリルは楽しかった。
──リュートは、剣を腰に戻して立ち上がるティリスを険しい目で見やる。
「何をしていた」
再度、問いかける。
「だから。ベリルが毒蛇に噛まれたから、治癒しようとしたの」
彼女の説明にリュートは眉を寄せた。
しようとしたという事は、していないという事だ。けれど、視界に入ったあいつの手には軽い切り傷程度の跡しか見受けられなかった。
毒が利かないのか? いや、そんな生やさしいものではないんじゃないのか。治癒魔法もかけていないのに、この短い間に傷跡すらも消えてしまうなんておかしい。
「不死身だとでもいうのか」
つぶやいた言葉に、はたと気がつき傷の一つも見あたらなかった体を思い起こす。
俺はいま、自分で言ったことに違和感もなくまるで、それが当然であるかのように無意識に受け止めていた。
信じられないことだが、まさか──本当にそうなのか?
「どうしてさっき、怒ってたの?」
「え?」
ふいに問われて我に返る。
「ベリルがあたしの手を握ってたとき」
「そ、それは──」
「それは?」
期待する瞳がリュートを見上げる。これはまずい。
「あいつが殴られたのかと思った。お前の平手は、モンスターも倒せ──」
「失礼ね!」
すかさずティリスのビンタが炸裂した。
──二人が戻ってくると、ラトナとベリルが湖に釣り糸を垂れていた。
「この湖には大物がいるんです」
いつも逃げられて悔しい思いをしているらしい。
まずは普通に魚を釣り、釣った魚の鼻と尾の部分に針を二つ通して泳がせる。生きている魚を用いる「泳がせ釣り」という、大物を釣る釣法の一つだ。
「ムニエルにでもするか」
その言葉にティリスがぴょこっと反応する。彼女はベリルの作る料理を気に入ったようだ。
「今日は満腹で寝られますね」
釣る気、満々らしい。
自分が釣るというより、ラトナはベリルに期待している。何せ、自分よりも大きいし力もある。
振り回されて手を離してしまうなんていう事は、きっとないはずだ。
そうこうしているうちに、ベリルの竿先にアタリが──くいくいと糸を引っ張るような動きのあと、力強く竿が曲がる。
針を食い込ませるためベリルはタイミング良く竿を引いた。
「やった! ベリル様、逃がしちゃだめですよ!」
レキナも嬉しそうに応援を始める。
釣りに慣れている訳でもないのに、ベリルの責任は重大だ。同じ傭兵の友人と何度かトローリングに誘われた事はあるものの、陸からの大物は初めての経験である。
相手が逃げようと引っ張れば糸がたわむ事がないように力を緩め、疲れるとこちらが引くを繰り返していると、水面が
“ドッパアアァァーン!”
「……」
糸を切ろうと飛び上がった魚に、いくらなんでも予想外だとティリスとリュートは言葉を失う。
「大物でしょ?」
力も強くて、俺じゃ釣り上げられないんです。
そんなラトナに、リュートは「そりゃそうだろう」と心の中で応えた。
「糸は持つのか」
「心配いりません。ルルカ蜘蛛の糸を編んだ糸ですから、とても丈夫です。もちろん、竿と針も特別製です」
そういう問題の大きさだっただろうか。リュートは二の句が継げず様子を見守った。
全長五メートルはあったかもしれない。あんなもの、そう簡単に釣り上げられるでかさじゃないぞ。
そうして、魚が飛び上がろうと再び水面から顔を出したそのとき──
“スターン!”
すかさず投げたベリルのダガーが小気味よい音を立て、見事に魚の額に突き刺さった。それでもしばらくは抵抗していた巨大魚も、とうとう力尽きて水面にぷかりと浮かぶ。
「弱るのを待っていられるか」
「さすがベリル様」
ラトナは言いもって魚を引き寄せ、シャノフは包丁を手にさっそく
「今日の分を採ったあとの残りは、干して保存食にしましょう。この魚はヒャノって言って、とても美味しいんですよ」
「今夜はご馳走ですね!」
嬉しそうにしているレキナたちにリュートは顔をしかめた。
「当分、持ちそうだ」とベリル。
なんだ、この光景は。何かがおかしい。これほど違和感もなく馴染んでいる
「生でも食べられますよ」
「ほう?」
それにベリルはナイフを取り出し、三枚に捌かれた切り身からひと口分を切り取ると躊躇いもなく口に運んだ。
「ふむ。食感はスズキに似ている」
白身で程よい弾力と噛み応えがあり、淡泊でありながらも噛めば噛むほど甘みが出る。
「美味しい?」
「ティリス!」
食べようとしたティリスをリュートは慌てて止める。
「えー?」
「腹を壊したらどうする」
好奇心だけは旺盛なやつめ。
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