第13話 正しい街の救い方
ユガーラの街には温泉旅館だけでなく、宿泊施設がないお風呂だけの銭湯もある。
銭湯の中には夜明けと同時に開く銭湯もあった。
チャンスは深夜まで働いたので、朝風呂を浴びに銭湯に行く。
朝の時間帯でも、お客は二十人近くおり、銭湯は繁盛していた。
体を洗い湯船に浸る。いつもは透明なお湯がわずかに白くなっているように感じた。
(はて、何やろう? 泥が混じっていると感じるほどでもない。せやけど、お湯がほんのり白くなっとる。薬湯に切り替えたんやろうか?)
帰り際に番台のおじさんに訊いてみる。
「今日から薬湯を始めたん?」
番台のおじさんは気にした様子もなく答える。
「いいえ、いつもの温泉ですよ。ちょっと今日はお湯が濁っています。火山の影響なんでしょう。稀にあるんですよ」
「へーそうなんや。知らんかった」
番台のおじさんに「そういうものだ」と教えられたので、その時は疑わなかった。
そのまま仕事に行って、帰りに幸運の尻尾亭に顔を出す。
温泉の濁りは、ちょっとした騒ぎになっていた。
若い女性冒険者が困った顔で話している。
「聞いた? 温泉の話。何でも、ユガーラのほとんどの温泉が濁ったそうよ」
「聞いたわよ。体に害はないっていうけど、お湯は、やっぱり透明なほうがいいわ」
(あれま、被害はユガーラの温泉全域に及んどるんか。もしかして、あの泥の採取場の栓を抜くと、泥がお湯に混じるんかな)
チャンスが疑惑を胸に秘め飲んでいると、ゼルダがやってくる。
ゼルダが真面目な顔で提案する。
「チャンス。これは、街を二分する対立を起こしそうよ。でも、まず確かめてみない?」
「せやな。明日の朝一で粘土採取場に行ってみよう」
翌朝、ゼルダと一緒に粘土採取場のジェマルを訪ねる。
ジェマルは機嫌よく会ってくれた。
「どうや、ジェマルはん、謎の湧き水の件は?」
「あの栓を抜いて以来、水は溜まっていないぞ」
「あんな、今日一日だけでええんやけど、あの栓を元に戻してもらえんやろうか」
ジェマルの表情が曇る。
「何でだい? せっかく仕事ができるようになったのに」
「もしかしたら、あの栓を開けたせいで、温泉が濁り始めたかもしれん。もし、そうだとしたら、このまま栓を開けておけば、温泉組合と揉める展開になるで」
ジェマルはそれでも渋った。
「でも、俺たちも粘土採取場を使えないと仕事にならんぞ」
「だから、問題を切り分けるためにも、確認しておかなければならんのや」
ジェマルは困った顔で折れた。
「参ったな。でも、温泉組合も顧客だし、チャンスには世話になっているからな。今日は栓を元に戻す。でも、水が溜まったら、明日は、また土を乾かす作業をしてくれよ」
「わかった。明日は仕事をやりくりして、水が溜まっても乾燥できるようにしておく」
ジェマルから栓を借りてくる。
チャンスは栓をする前に、そっと、小さな火の玉を作って底に向けて落とした。すると、梯子や横穴が見えた。
(何や? ただの排水孔と違うようやな。下はダンジョンになっているのかもしれない)
栓をして《幸運の尻尾亭》に戻ると、ゼルダが厳しい顔で告げる。
「気になる内容があるわ。私は調べものをするから、出かけるわ」
「そうか。なら、わいは、ここにおるわ。粘土採取場や温泉場から異常の報告が上がってくるかもしれん」
ゼルダが出ていくと、昼過ぎにはジェマルの遣いが来て、険しい顔で告げる。
「水がまた、じわじわと溜まり始めました」
「そうか、わかった。なら、明日また乾燥させに行くわ」
翌朝、ジェマルの元に行く前に銭湯に行く。
温泉のお湯は僅かに濁りがあるが、ほぼ透明だった。
番台のおじさんは、安堵した顔で告げる。
「やはり、温泉の濁りは一時的なものだったようですね。残りの濁りも直に取れるでしょう」
「そうか。なら、ええんやけど」
チャンスが粘土採取場にいくと、広大な水溜りが復活していた。
ジェマルが苦い顔で告げる。
「じわじわと水が浸み出してきたと思ったら、明け方にはこの通りさ」
「逆に温泉のほうでは、水質が戻る兆候があったで」
「まじかー、あの栓を抜くと、水は溜まらないが温泉が濁る。栓を閉めると、水は溜まるが温泉が濁らない。助かるのは、どちらか片方か」
チャンスは警告した。
「いや、これは、下手にどちらかが助かろうとすると、両方とも自滅する罠や。だが、やりようによっては、両方が助かる道はある。正解を見つけんと街はおかしくなるで」
ジェマルが声を潜めて訊く。
「なあ、チャンスよ。謎の栓の情報を温泉組合に教えるべきだと思うか?」
「早くに教えてやったほうがええで。遅れれば、遅れただけ相手は不信感を持つ。不信感も持てば、協力も得られん」
ジェマルは苦しそうな顔で決断した。
「そうだよなあ、黙って。俺たちだけが助かれば良い話じゃないよな。わかった、温泉組合のマチルダには、俺が一報を入れておく」
「とりあえず、今夜には仕事ができるように、水は乾燥させておくわ」
「また、すぐに土地から水を湧くかもしれんが、頼む」
チャンスが夜まで掛かって土地を乾かす。帰り際にジェマルに挨拶をして帰ろうとすると、ジェマルが帰ってきていなかった。
まだ残っている若い職人に訊く。
「あれ、ジェマルはんは、もう帰ったんか?」
「いえ、それが温泉組合のマチルダさんと話し合いに行ったきり、まだ戻られません」
「会合は、どこや? 幸運の尻尾亭か?」
「はい。どうやら、交渉は難航しているようです」
(これは助けにいかんと、あかんな)
チャンスは幸運の尻尾亭に行って、マスターに訊く。
「ジェマルはんとマチルダはんが来ておるやろう。どこで話しとる」
マスターは冴えない顔をして、個室の一つを指差す。
個室のドアをノックしてから入る。
中は非常に不機嫌な顔をした四十代の女性がいた。女性の肌は白く、髪は赤毛を肩まで伸ばしている。目は、ぱっちりと大きく、眉は太い、唇は赤く、高い鼻をしている。
街で一番大きな温泉旅館の女将で、温泉組合の組合長であるマチルダだった。
「おや、ご両人。なかなか、難しい話をしておるようで」
ジェマルが暗く厳しい顔で告げる。
「駄目だ。チャンス。全く話にならない。マチルダは煉瓦職人が温泉を汚していると思っている」
マチルダが怖い顔で、すぐに噛み付く。
「そんな話は言っていない。ただ、温泉組合としては、泉質が下がれば客離れを引き起こすわ。そうなれば死活問題だから頼んでいる」
向かい合って座る二人の横の席に、チャンスは腰掛ける。
「ははは、これは予想した通りか、ジェマルはんもマチルダはんも自分一人の問題やったら、引ける。せやけど、大勢の組合員の生活があるから、後に引けんか」
ジェマルが困った顔で愚痴る。
「笑い事じゃないぜ、チャンス。このままだと、流血の惨事だ」
「さて、ここで、わいからの提案や。栓はいったん開けるで」
マチルダの顔は引き攣る。
「何ですって、そんなことされたらユガーラの透明な温泉が駄目になる」
「そこは、それ、薬湯祭りと騒いで温泉に色をつけて誤魔化しなはれ。駄目なら火山活動のせいやから自然に逆らえん、と説明して」
マチルダは喰って懸かった。
「それでも、泥の付着を嫌うお客は、いるわ」
「なら、上がり湯として、綺麗なお湯を必要な分だけ濾過(ろか)して用意したらええ」
マチルダの表情は険しい。
「でも、そんなの一時凌ぎよ。すぐに、透明なお湯を求めるお客の要望に応えられなくなるわ」
「いつまでも、誤魔化すわけにはいかん。でも、これは、わいの勘やけどな。あれ、ただの排水孔ちゃうで。下はダンジョンになっておると思う」
ジェマルは表情を
「ダンジョンはないだろう。だって入口は直径六十㎝だぜ。人間は入れない」
「ダンジョンやないと思わせるところが、この謎を作った存在の、仕掛けた罠や。おそらく、中は相当に複雑な仕掛けがある。そんで、最深部には温泉か粘土採取場を救う機構がある」
マチルダがむすっとした顔で尋ねる。
「なかったら、どうするのよ?」
「その時は、そのときで、また考える。とりあえず、今は冒険者を下に送って調査させるべきや。もちろん、冒険者の費用負担については煉瓦職人組合からある程度、支出してもらう」
「粘土採取場が使えるなら、費用は出せる。それに、採取場の下に大きな空洞があれば、組合員の安全にも関わるな」
扉をノックする音が聞こえた。
「誰や?」と訊くと「ゼルダです」と返事があった。「入り」と声を懸ける。
ゼルダが真面目な顔で語る。
「実はあの排水孔はダンジョンになっていると思ったの」
「何や? ゼルダはんもわいと同じ内容を考えたんか? 今、三人で話し合って、どうやって冒険者を送り込もうかと話していた」
ゼルダは真面目な顔のまま魔法薬の瓶を提示する。
「人間を小さくする魔法薬をロビネッタから貰ってきたわ。この薬を飲ませて、冒険者を小さくして、排水孔に送り込みましょう」
「調査の手立ては、ついたな。どうします。わいらの案に乗りますか、マチルダはん?」
「いいわ。でも、ユガーラの温泉は、透明なお湯が売りの温泉なのよ。そんなに待てないわよ。成果が上がらないと、無理にでも栓は閉じさせてもらう事態になるわよ」
「最悪、それでもええわ。夜間に湧いた水は、朝までに、わいが毎日、蒸発させれば粘土かて朝には掘れる。どうや、ジェマルはん?」
ジェマルは渋々の態度で同意した。
「全く面倒な事態になったが、やるしかないか。金は出す。冒険者の手配を頼んでいいか?」
「さっそく、明日にも動けて腕の立つ冒険者に依頼や。あと、装備のミニチュアを急ピッチで作れる職人も必要やで」
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