第71話 野々村の眼

 まず僕は常田の家と、井口に教えてもらった常田の携帯に電話することになった。どちらも電話に出ない。

 丁度、生活安全課の小暮が三輪さんを呼びに来た。関七海から借りたみずきちゃんの衣類を置きに来ただけなのに、あまりにも戻ってこないので刑事課に覗きに来たらしい。そんなに大切なのか、小暮は小脇にノートパソコンを抱えていた。ノートパソコンを肌身離さず持っていなければいけない物なのだろうか。


「三輪さん、なんで刑事課の電話に出てるんですか?」


「さっきから電話鳴り放しなんだよ。三輪もここにいたもんだから、駆り出されちまった。半分以上が馬場課長のクレームだけどな」


 篠山さんが小暮に説明した。


「三輪さん、この間、万引きで捕まった中学生、また捕まったんですよ。早く来てください」


 三輪さんは電話対応に追われ、受話器を離せず、小暮に向かって掌を縦にして拝むようなポーズで、すまない、と声に出さずに口を動かしていた。


「丁度よかった。この常田祐司って奴なんだけど、勤務先を調べて欲しい。住所と電話番号だけで分かるか?」


 篠山さんに言われて小暮は、そんなのすぐに検索できますよ、と得意気にノートパソコンを開き、ものの30秒くらいで勤務先を調べた。

 常田の勤務先に電話してみると、4日ほど前から無断欠勤しているらしい。


「マジか。ビンゴか」


 ビンゴと言う大島さんがジジ臭いと思ったが、井口の通報と常田の無断欠勤を無関係だと思えなくなった。


「すまん、小暮。タツキ君、また万引きしちゃったのか」


 三輪さんが電話対応から解放されて、小暮に謝っていた。すまんな、篠山さんが小暮に経緯を話し、代わりに謝った。


「篠山さん、すみません。ちょっと戻ります」


「おお、悪かった。あとは大丈夫だ」


 三輪さんはダンボールを抱え、小暮はノートパソコンを小脇に抱え、刑事課を出ていった。


「じゃあ、とりあえず常田の家に行ってみよう」


 僕たち3人が席を立つと、事務職員の重鎮が、どこへ行きます?と近寄ってきた。適当に嘘でも言おうかとしていると、ちょっと待ってください、と言って、篠山さんにメモを渡した。


 メモには、有力と思われる信憑性が高そうな情報が走り書きされていた。近くのショッピングモールで10歳くらいの女の子を連れた男が、衣類を15点ほど購入した、子供の方があまりにも汚い服装だったので印象に残っている、など端的だが詳細が分かりやすく記されていた。


「これは?」


「あなたたちも、何か情報を掴んだんですね。ガセかも知れませんが、何かのお役に立つかと」


「これ、あの連中の方に連絡しなくていいのか?」


 篠山さんの言うとは、中央署の刑事たちのこと。僕たちが自分たちのネタを隠そうとしていたので、少々居心地が悪く感じた。


「もちろん報告します。ですが、早く犯人、もしくは関みずきさんが見つかることが先決です」


 事務職員といっても、この人たちは警察の人間だ。普通の事務員をやりたければ、一般の会社に就職するところ、警察事務職員を目指したのは、この人たちにも正義感があるからだ。そんな人間が働いていることを誇らしく思う。篠山さんも自分たちネタを言わないことが気恥ずかしくなったのか、私たちに入った情報だと、と話し始めたところ重鎮はそれを遮った。


「いいんです。私たちに言われても困っちゃいます。とにかく早く解決しましょう」


 重鎮に頭を下げて僕たちは廊下に出た。

 僕と篠山さんは常田の家、大島さんはショッピングモールに行くことにした。大島さんは一緒に行く若い相棒を探してから出る、と僕たちとは反対方向へ走っていった。


 薄暗い廊下で野々村さんと出会でくわした。


「なにか情報を掴みましたか?」


 威圧的な声だった。


「いやあ、私たちが電話に出たのは、ほとんどクレームでしたよ」


 篠山さんは元部下だった上官に、嫌味を込めて態とへりくだった敬語で話した。野々村さんは、少し間を開けてから鼻で笑った。


「馬場さんへのクレームでしょうね」


 そんなの分かってましたよ、と言うような余裕のある笑い。そんなくだらないことも公開捜査では覚悟の上だろう。馬場課長なんて記者会見に連れて行かなければいいのに、立場上自分だけしゃしゃり出ることはできないのも、野々村さんの務めだと思うと気の毒に感じる。でも、野々村さんのことだから、それも計算済みで、馬場課長の無能振りを露呈させるのが目的だったのかも知れない。


「で、何をそんなに急いでるんです?有力な情報があれば、まずは報告してください」


 やはり野々村さんは侮れない。馬場課長と違う。野々村さんは篠山さんではなく、僕の目を見て言った。僕の目の奥の奥の方をほじくるような眼力で、その眼から触手が出てきて、それが脳まで達して僕の考えていることを掴み取ってしまうのではないか、と思う程ねちっこい目付きだった。それは貴方たちの仕事じゃないですよ、目がそう言っているようだ。


「私たちは蚊帳の外ですよ。今、万引き常習犯がまた捕まって私たち呼ばれてるんです。ちょっと南署に戻りますよ」


 篠山さんは、都合よく三輪さんの話を使って、はぐらかした。野々村さんは気づいているのかいないのか判別つかない。ただ、薄ら笑いを顔面に貼り付けていた。


「運転はどちらがするんですか?」


 野々村さんも話をはぐらかしてきた。


「こいつはね、運転が下手でね。急いでる時は、私が運転した方が早いんです」


 そう言って篠山さんは足を進めた。気持ちは急かされているが、歩くスピードはゆっくりだ。急いでいることを野々村さんに見せるわけにはいかない。


「もう少しで定年なんですから。運転とか、気をつけてください」


 野々村さんは、篠山さんの背中に向かって静かに言った。僕には、定年までおとなしくしていろ、と言っているように聞こえた。





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