第69話 徹子の部屋

 テレビは無理やり終了した記者会見の後は、柊木奈津子の教育革命の話になってしまい、収拾がつかないままCMに入った。スポーツ選手が爽やかな笑顔でプロテインを飲んでいる。


「なんか色々言ってますけど、結局、誰でしたっけ?付き合ってるって噂の、名前が出てこない。けど、そいつを次の文科省の大臣にしたいわけですよね。この人は」


 三輪さんはそう言いながら、関みずきちゃんの私物といって借りてきた服をダンボールにしまっていた。


「なんだ。その大臣候補と不倫してるのか」


「両方とも未婚なので、不倫じゃないですよ」


 そう答えられて大島さんはつまらなそうな顔をした。篠山さんは、三輪さんが片付けている仕草を申し訳なさそうに見つめていた。べつに篠山さんが悪いわけじゃないのに、自分が頼んだことがなんの役にも立たないことがわかって自分を責めている、篠山さんはそういう優しい人だ。


「いや、僕もね。関さんのうちに電話して、娘さんの服など使を用意しておいてください、って言って、受け取った時にわかりましたよ。これ、急いで用意したんだろうなって。洗濯した様子がないんですよね。ネグレクトの特徴ですよ。彼女は自分が育児放棄していることをわかってるんです」


 そんなことは慣れっこだというように、特に気にもせず、手際よく片付けてダンボールを足元に置いた。


「あれだな。ネグレクトっていう親は、娘に金かけてやらねえくせに、自分を守ろうと、そういうくだらねえ体裁作りには金かけるんだな」


「お金だけの問題じゃないと思いますよ」


 三輪さんは関七海に虐待の疑いを持っていたが、この件で確信に変わってしまった。僕もそう思う。ふと、椎名恵の顔が浮かんだ。、三輪さんの言葉には説得力があった。椎名恵の父親は母親の再婚相手だった。男が家に来てから兄妹ができて新しい家庭になった。椎名恵は家に居場所がなかったのだ。家にいると疎外感を覚え、知らぬ間に公園にいる時間が長くなった。関みずきちゃんも、同じだ。

 金がないわけじゃない。母親は、娘の存在自体を疎ましく思うのだ。群れから外れた野生動物と同じだ。元の群れに受け入れてもらえない。


「だけど、あれじゃあ、こっちが会見横取りして発表したって、警察は柊木奈津子のお膳立てしてやったみてえなもんじゃねえか」


 たしかに、これでは柊木奈津子が教育改革を世間に広める口実でしかない。テレビはCMが終わり再び情報番組になり、都内の美味しいレストランのグルメリポートみたいなコーナーに変わっていたが、柊木奈津子は相当なインパクトを残して、スタジオから去った。スタジオのゲストたちがテイクアウトされた料理を食べて、甘いとかフワフワとか食リポをしているが、そこに柊木奈津子の姿はない。

 柊木奈津子の破壊的なメッセージはまだスタジオ内に空気として残り、お笑い芸人が持ち前の一発ギャクを披露しているのだが、その空気の威圧感と飽きられ始めているギャクのせいで、スタジオは変な空気が漂っているように見えた。

 柊木奈津子という人がどんな人が知らない。敵か味方かニオイを嗅げないのでわからないが、見た目であまり好きな人ではない。ブスとかそういうことではなく、生まれながらの野心家、上昇志向の強い人間が苦手だ。柊木奈津子はそういう顔をしている。他人を見下しているような目付き。僕の父や兄、田所と同じような顔付きだ。

 だが、柊木奈津子の考えは否定できない。

 柊木奈津子の教育を変えなければいけない、子供のいる家庭に国がサポートを強化しなければ虐待は無くならない、という考えは極論過ぎるが一理あると思う。要は考え方が度が過ぎていると思う。もっと1人1人に寄り添った考えを持たなければいけないと思う。篠山さんのように。

 ただ、篠山さんのように地道に考えている人は、世間では注目されることがなく、大幅に変えることはできない。だから、柊木奈津子のような考えの人が出てくるのは仕方がないことなのかもしれない。でも、そのやり方に全てを賛同できない。堂々巡りだ。篠山さんだって同じことを考えているに違いない。今の警察じゃダメだ、そう考えても定年を間近に控えた老刑事には、警察組織に立ち向かうことは単なる自滅行為だ。だからと言って立ち止まることを許さず、目の前の人を1人でも多く助けることにブレが無い篠山さんは、本当に強い人だ。


 会議室の方から田所と亀井がふらっと刑事課事務室にやってきた。テレビ中継の後、また会議を始めているはずだが、田所は携帯を取り出して、電話に出た。僕が田所のいる事務所入口の方に視線を向けたので、事務所入口に背を向けて座っていた大島さんが振り向いて、そちらに視線を向けた。


「あー、もしもし。どうした?」


 2人は僕を見つけて近寄ってきたが、大島さんと目が合うと、少し離れたデスクに座った。大島さんは、僕に背を向けていたので顔は見えなかったが、多分彼らに睨みをきかせていたのだろう。


「ったく、お前の同期はロクな奴いねえな。先輩に挨拶もしねえ」


 大島さんは田所たちに聞こえるような声で言った。田所は電話中だったが、亀井には聞こえたらしく、バツが悪いのかニヤニヤしながらも俯いて座っていた。


「電話中だから、仕方ないんじゃないですか」


 僕は田所を庇うつもりはなかったが、大島さんが不機嫌になるのも面倒なので、結局フォローするようなことを言ってしまった。


「電話が悪いんだよ。先輩目の前にして電話しながら入ってくる奴があるか!俺らの若い頃はあんな奴いなかったぞ」


「まあ、その頃携帯電話もなかったですからね」


 大島さんを柔らかく突っ込んだことに、大島さんは三輪さんの肩をグーでパンチした。三輪さんも冗談で、パワハラですよ、と言うともう1度殴られた。


「マジで。それで、また怒られてんの?今、長谷はせさん、そこにいないの。うわー、お気の毒」


 田所の電話の相手は、今ここにいない西川だろう。そして電話に登場した長谷さんというのは、刑事課第2班の係長、長谷徹子はせてつこ。ノンキャリアで実力で今の地位まで昇り詰めた女性刑事で、たしか西川の教育係だ。この長谷さんという人は、僕が南署に所属されたばかりの時は、南署にいた。1年前の異動で中央署に来て、中央署刑事課第2班の係長兼西川の教育係になった。

 歳は30を超えているのだが、背が小さく幼い顔をしているので若く見られる。幼い見た目と女性だからという理由で舐められないように、とにかく周りに威圧的な態度をとるので、僕は苦手だ。西川は、よく資料室に呼ばれて説教をされている。僕も、アンタは若いのに覇気がない、という理由で僕の教育係でもないのに1時間くらい資料室で怒られたことがある。僕は中央署の人間ではないのに、長谷さんには所属や係の垣根などない。本気で若い刑事を育てようとしているのだから、1番厄介だ。


「マジで。それじゃあ、戻ってきたら行きだな」


 田所は西川の話をケラケラと笑って聞いている。周りのみんなは、その資料室のことをと呼んで、恐れている。多分西川は、長谷さんと一緒に聞き込みが何かで外に回って、聞き込みの仕方だったり、一般市民に対する態度がなってない、だとかで説教されているのではないか。若手の僕らからすると、いちゃもんに近い部下イビリのように感じるが、篠山さんと大島さんはそんな長谷さんには一目置いている。


『あれは本気で警察を変えようとしている。女だからって関係ねえ。アイツは女を捨ててるな、警察と結婚したようなもんだ』


 いつか篠山さんが言っていた。聞くと男尊女卑に聞こえるが、寝る間を惜しんででも捜査に打ち込む長谷さんの姿は見習うべきところが多い。ただ、僕らには怖いだけだ。篠山さんも大島さんも、長谷さんのことは野々村さんのことよりも高く評価している。古参の2人が今後成長し出世していく2人を上から比較しているのだが、野々村さんは警部、長谷さんは警部補で、巡査部長の篠山さんと大島さんよりも階級は上なんだけど、なんて怖くて口が裂けても言えない。


「こっちも大変だよ。馬場さんが記者会見で不機嫌でさ。誰が見たってあれは態度出過ぎだよ。んー。あ、わかった。じゃあ、野々村さんが戻ってきたら報告しておく」


 そう言って田所は電話を切った。大島さんの睨みが効いたのか、亀井は萎縮して近づいてこないが、田所は呑気に、よう、パイセン、とこちらに向かってきた。


「なんだ、パイセンって。か!」


 大島さんは田所の僕に対する態度が気に食わなくて、冗談っぽく返したが口調は鋭かった。それにはお構いなしの田所は大島さんに向かって、


「大島さん。それ、女子がいるところで言ったらセクハラですよ」


「なんだよ、お前ら。パワハラだセクハラだって言やあいいと思ってやがる。なんでこっちが気を遣わなきゃならねえんだよ」


「時代ですよ、時代」


 冷静な三輪さんが、これ以上田所に喋らせないように割って入った。三輪さんは機転を利かせ、別の事件の話題を振って、大島さんを外へ連れ出していった。


「あの人、生活安全課の人でしょ。なんでここにいるんですか」


 田所は三輪さんの背中を見送りながら、少しバカにした口調で言った。そういう目上の人に対する態度が大嫌いな篠山さんは、無言で眉間に皺を寄せていた。僕も三輪さんを見習って、篠山さんと田所の間を割って入る。


「お前、なんで会議室出てきていいの?まだ、会議中でしょ」


「んー、面倒臭いから、西川からの電話を理由に出て来ちゃった。あれこれ考えても無駄でしょ。会議って時間の無駄だと思うんだよね。どうせ、色々考えてたって、課長が怒鳴って終わりなんだから。それよりも外出て捜査した方がいいと思うんだけどな」


 若い刑事が偉そうに言うことではないが、篠山さんもそれは一理あると思ったらしく、んー、と唸って腕を組んだ。そして、田所の言葉に呼応するように、廊下から怒鳴り声が聞こえた。


「クソッタレが!だから記者会見は嫌だったんだよ!!」


 馬場課長だ。野々村さんの姿はなく、馬場課長は1人で先に戻ってきたようだ。1人でブツブツ言いながら、会議室の方に向かっていった。こちらをチラッと見ただけで、会議室に急いでいると思ったら、足を止めて、刑事課事務室を首を前に出して覗いてきた。


「おらー、そこの若いの2人!お前ら、この事件の担当だろ!まだ会議中だろ、なんでそこにいる!早く来い!!」


 馬場課長は田所と亀井を見つけ、怒鳴った。2人は慌てて、刑事課事務室を出る。いい気味だ。


 篠山さんは怒りを堪えていたのが、2人の姿が見えなくなると、ふぅー、と深い溜息を吐いた。徐にポケットに手を入れ、何気なく携帯を取り出すと画面を見て、あ、と気の抜けた声を出した。


「誰ですか?」


 篠山さんに、僕はたずねた。


「井口からだ」


 篠山さんは聞き込みで、連絡先を教えた相手から電話がかかってきたらわかるように、すぐに相手の電話番号を登録する。携帯の画面には『井口』と表示されて、着信は数分前となっていた。


「ちょっと、かけ直してみるか」


 そう言って篠山さんは、通話をタッチした。




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