第46話 会議室

 三輪さんは真相に一歩踏み込み、慎重に言葉を選んで言ったのに、篠山さんのリアクションは薄かった。三輪さんのことだから、多分定年間近の篠山さんに大きな手柄を立ててもらって、最後の花を持たせてやりたかったんではないかと思った。それを篠山さんは耳を穿ほじりながら、ダルそうに聞き返した。


「で、なんで、それを俺に言うの」


「ですから、僕らは虐待までは手を出せますが、誘拐事件、ましてや殺人なんかになると、刑事課じゃなきゃ動かないから、だったら篠山さんに」


「なんで俺なんだよ。上層部もそのSNSっていうのの共通点は把握済みなんだろ」


「でも、彼らはまだみずきちゃんの存在には気付いていないはずです。現に、SNSのやり取りはみずきちゃんが行方不明になってから途絶えています」


「じゃあ、野々村に言えよ。俺に言ってきたのって、お前、野々村が苦手だからだろ」


 三輪さんは口籠った。篠山さんの突っ込みが図星だったようで、何か言い訳を探しているようだが、言葉が出てこない。


「いいよ。俺から野々村に言っておくよ」


「シノさん!これはシノさんがやるべきです!たしかに野々村のこと嫌いですけど、それとは別にシノさんに手柄立てて欲しいんですよ!」


 三輪さんにしては珍しく声を荒げた。そんな大きな声をあげたら、外に漏れてしまわないだろうか、僕は心配になり外に目を向けた。多少防音の効く壁だが、完全な防音壁ではない。腰から上の部分がクリアの壁になっており、廊下が見える。その向こうで嫌な奴と目があってしまった。田所だ。その後ろには西川と亀井もいる。


「あのさあ、手柄とかそういうの、もういいんだよ。仮にだ、その子が次のターゲットだとしたら殺される前に助けなきゃならねえだろ。だったらコソコソ動くよりかは、情報持ってる野々村んところに任せた方がいいだろ」


「そんなの無責任じゃないですか。シノさんらしくない」


「俺らしいとか、そういうのどうでもいいんだよ。俺たちだって、今、行方不明になってる主婦の捜索中なんだよ。そっちの方がデカいヤマだからって、こっちを放っとくわけにはいかない」


「だけど、野々村さんの立場だと馬場課長の許可が下りないと、すぐに動けないじゃないですか。フットワーク軽いシノさんが動いた方が」


「くどい!俺は静かに定年迎えたいんだよ。俺なんかよりも若い奴らの方が動けばいい。それに、もううちの女房かあちゃんに心配かけたくないんだよ」


 篠山さんも本音が出た。1度奥さんに離婚を突きつけられた経緯を知っている三輪さんには、その言葉を聞くと何も言い返せなくなっていた。その後、篠山さんは苦虫を潰したような顔で黙っていた。最後に花を持たせようとしてくれている三輪さんの気持ちも痛いほど感じているはずだ。本当は刑事は刑事らしく、後世まで名が残るような刑事でありたい、そう思っているはずだ。

 でも今まで家庭を顧みず好き勝手やってきた篠山さんを支えてきた奥さんのためにも、無事に定年を迎えると決めた、篠山さんの顔にたくさん刻まれた皺がそう語っていた。

 言葉を交わさなくても、それは三輪さんにも伝わったようだ。小暮は、このピリピリした空気に体を固くし、テーブルの一点を見つめ微動だにしない。

 廊下から、この部屋の緊張感にそぐわないニヤついた顔の田所が近づいてくる。

 入ってくるな、と念じたが、その願いは届かなかった。緊張感のないヘラヘラした顔で西川がドアを開けた。


「何話してんですか?そんな大きい声出して。野々村さんって聞こえましたよー。悪口っすか?」


 彼らは刑事課の中心人物である野々村さんに付いている、言わばから見れば、第一線から外れている篠山さんや三輪さんのことを軽視している節がある。お前たちには関係ない、と軽くあしらったが出て行く素振りはない。小暮も田所たちを見て、嫌悪感丸出しの顔をした。彼とは気が合いそうだ。

 三輪さんはさりげなく、みずきちゃんの捜索願のファイルを閉じた。小暮もそれにならってiPadのタブを閉じていったが、何消してるんすか?とiPadを西川に取り上げられた。


「あ、これ。連続誘拐調べちゃったりしてたんですか」


「べ、べつに調べて、ないよ」


 上擦った声で小暮が答えた。


「だって、これ、山本伊織のSNSですよね」


 どうやら「みずきちゃん」のSNSの画面は見られずに済んだようだ。小暮は西川の手からiPadを引ったくった。


「勝手にコソコソ動いちゃ困りますよ。野々村さんに言いますからね。まあ、でも、それとっくに第一班うちで捜査してますけどね」


 西川は得意気に言った。小暮は目を逸らし、眼鏡をクイッと上げた。


「おいおい、西川。篠山さんたちベテランが捜査した方が、何か見つけられるかもしれねえじゃねえか」


 田所は、言葉とは裏腹に半分ニヤけた顔で見下している。壁に寄りかかり、手にしている手帳を見ながらという態度から、その心情がうかがえる。

 田所が持っているのが、どこかで見た手帳だなと思い自分の手元に目をやると、僕の手帳がない。今度は僕が田所の手から手帳を引ったくって、睨んだ。


「パイセン、まだそんな手書きでメモとかとってんですか?落としたら個人情報だだ漏れですよ」


 たしかに最近は紛失の恐れがあるものに対して個人情報を書くことは控えろという指示がある。携帯のメモアプリとかもダメだ。ちゃんと管理ができるファイルで提出し、個人で持つことは禁止されているが、年配の刑事たちはそんなこと守っていない。態と読めないような汚い字で書いたり、暗号化させたりと工夫している古参の刑事は未だ多い。僕たちもなるべくリスクを減らすために、この1冊で篠山さんと共有し、僕が肌身離さず待つことにしている。


「まあ皆んなで捜査した方が早く捕まえられるかもしれないですよね。どんな小さいことでも報告してくださいよ」


 田所がそう言うと、3人は会議室から出ていった。この狭い会議室に僕の嫌いなスパイシーなニオイを放つ3人の空気が充満し、なるべく息をしないようにしていた。ちょっといいですか、と篠山さんに許可を取り窓を開け外に顔を出し、ふぅ、と深い溜息を吐いた。

 篠山さんは苦笑いをしている。このニオイで相手を察知する能力を、篠山さんに説明はしているが、理解はしていない。そんなの気のせいだ、と言われたこともあるが、実際にするのだから仕方がない。大袈裟ではなく、鼻が曲がるかと思った。


 視界に小暮がヌゥッと現れ、同志だね、と僕の隣に立ち、彼も外の空気を大きく吸った。


「僕もアイツらが嫌いだ。君も、そうだよね」


 と、左手で眼鏡をクイッと上げて、嬉しそうに右手で握手を求めてきた。ほんの微かだが、彼からも石鹸のニオイを感じた。


 篠山さんは欠伸欠伸をし、テーブルをドンと叩き、皆んなが篠山さんに注目すると今度は両腕を上げて伸びをした。皆んなを見回し、とにかくだ、と大きめの声で喋り始める。


「とにかくだ。この件は野々村に報告する。アイツらにも知られちゃったしな」


「だから、シノさん。チャンスなんですよ」


 それを止めようとする三輪さんの声も、奥さんに心配かけたくないという篠山さんの気持ちを汲み取って、さっきよりも弱い。


「おい、新井。いくぞ」


 篠山さんは席を立って、会議室から出ていった。

 僕も後へ続こうとすると、三輪さんに袖を引っ張られ、ちょっと後でいいか、と耳打ちされた。軽く会釈をして、僕も会議室を出た。




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