第36話 名案

「たいへん申し訳ございません。今、インターフォン押そうと思ったら、開いたもんですから」


 毛蟹をひっくり返したような顔の刑事が作り笑いを浮かべて頭を下げてきた。オレは、驚いて肩がビクンと上がり、軽く鞭打ちになったように首から肩甲骨の辺りまで痛くなった。やめてくれ、昨夜から驚いてばかりだ。動悸が激しくなってきた。もう来てしまったのか。まだ女房は車の中だ。


 またあの若い刑事も一緒に来ている。遠慮なしに部屋の臭いを嗅いでくる、アイツだ。いかにも鈍感で抜けてそうなフリをしているのが腹立たしい。コイツは遠慮なしに人の部屋を覗こうとしやがる。昨夜の時点では考え過ぎかと思ったが、また覗こうとしているところを見ると、やはりオレを嫌疑の目で見ているに違いない。

 掃除をしてしまった部屋は、見られて困るものなどないが、どうぞ見てくださいという態度だと、見られて困るものは今はここにはないですよ、と言っているようなもので、オレは頭を使い態と中を見られたくない風を装った。


「なんですか、あんまり覗かないでくださいよ」


 相変わらず心臓はひっくり返りそうなほど脈打っているが、オレは不快な態度をとるという芝居をした。若い刑事は、ドアを閉めようとする隙間から中を覗こうとしてくる。


「あ、すみません。なんか、その、綺麗になってたので」


 若い刑事はオレの部屋の方に目を向けたまま、言い訳をしてきた。まあ、コイツらが来なけりゃ部屋の掃除なんかしなかっただろうが、自分の部屋を知らない人間に覗かれるのは、やはり気分が悪い。また、コイツがアホなフリして飄々ひょうひょうとした態度がかんに障る。

 この2人、ベテラン刑事とその部下の新米刑事を装っているが、実は新米刑事の方が階級も上で、頭が切れるスーパーエリートなんじゃないか。なんの努力もせずに、順風満帆な人生を歩いてきたような涼しい顔をしてやがる。コイツは御坊おぼっちゃまなんじゃないか。スーツも新人が着る物にしては高そうだ。あれは何て言ったっけ、刑事ドラマでもよく言う偉い奴のこと、若いのに勝手に出世していく、あれだ。そうだ、キャリアだ。コイツはキャリア組の奴だ。きっと親もキャリアの警察官で、出世を約束されている奴なんだ。この若い刑事は苦労を知らない顔をしてやがる。肌がツルッとしているのだ。こういう奴を見ると、投げ飛ばしたくなってくる。

 オレの身近にもいるなぁ。顔は似ていないが、コイツを見てると常田を思い出す。スポーツも勉強も然程努力してないのに両方ともできて、スポーツ推薦で高校に進学したオレでも、さすがに赤点は取るなと顧問から言われ、必死に勉強したのに平均点以下しか取れなかった。いつも成績上位の常田に、どうやって勉強しているのか訊いたら、勉強はしてない、と涼しい顔して言いやがる。こういう奴は世の中からいなくなればいいと思う。


「アンタ、凄え嫌な目で見てたからな」


 と嫌味を言ってみたが、こういう輩には通用しない。急いでドアを閉めると、ドアが閉まる瞬間、オレの背中越しに、クンクンクンクン、と若い刑事の鼻から空気を吸う音が聞こえた。まったく、頭にくる奴だ。


「そんな臭えっすか?」


 鍵を閉めて振り返ると、若い刑事の惚けた顔があった。腹の立つツルンとした顔立ち。その顔が常田とダブる。もう、どちらに腹を立てているのかわからなくなった。それに、焦りもあった。まだ女房は車の中で、完全に処理は済んでいないのだ。とにかく、この2人を撒かなければならない。


 ペコペコ頭を下げるベテラン刑事を避けてエレベーターまで向かう。気持ちが焦ってしまうが普通の速度で歩かなければならない。変な力が入り、膝が震える。この2人が駐車場まで連いてこないのを祈る。1つだけいいですか、なんてドラマの刑事みたいにベテラン刑事が、女房から連絡があったか、なんて訊いてきやがる。こっちのオッサンはオッサンで面倒臭えな、と苛立ち、連絡あるわけないじゃないですか、と声を荒げてしまった。振り向くと深々と頭を下げているベテラン刑事の横で、ツルンとした顔は無表情に立っている。表情がないのだが、蔑んで笑っているように感じた。

 コイツ腹立つ、とイライラ度がマックスに達したところで名案が浮かんだ。


「刑事さんたち、最初、連続幼女誘拐事件のことで聞き込みしてるって言ってましまよね」


 コイツと常田を同時にハメる方法だ。オレの嫌疑から目も逸れる。常田を連続幼女誘拐殺人事件の犯人と匂わせるのだ。

 アイツは小さい子供のサンダルを持っていた。多分、アイツは誘拐なんか面倒なことするはずはない。だから、アイツは犯人じゃないが、この2人が有力な情報を得たと勘違いし、恥をかけばいい。


 オレの思い違いかもしれないが、と前提して常田のことを話した。サンダルのことをチラッと話すと、2人は顔を見合わせ、この話に食いついてきた。

 もし違っら友人に迷惑をかけてしまうだことの、でも最近なんかアイツ変だったとか、適当にそれっぽく話した。小学生がメンバーにいる地下アイドルみたいなものに最近ハマっているという嘘も付け加えた。少し調子に乗り過ぎたか。

 ベテラン刑事の方は首を傾げていたが、若い方の刑事は、必死に携帯のメモアプリにメモをとっていた。普通、刑事っていうのは黒い警察手帳にメモるんじゃないかと思っていたが、最近は携帯にメモるのか、と呑気に感心してしまった。住所を訊かれたが知らないので、携帯の番号を教えた。


「ご協力、ありがとうございます!」


 興奮して顔を赤らめた若い刑事が頭を下げたので、オレから訊いたって言わないでくださいよ、と念を押し、エレベーターに向かった。


 エレベーターのボタンを押す指が震えていた。指の震えとは別に、腹の奥からグラグラと込み上げる笑いを必死に抑え、エレベーターが来るのを待った。




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