恋する洗濯機
滝川創
別れと出会い
俺、
琳菜は向かいの席でコーヒーに砂糖を入れている。
……沈黙が長い。
土曜の昼に呼び出されるなんて珍しいことだ。
琳菜との出逢いは出版社だった。俺はそこで彼女に一目惚れし、売れて一緒に幸せになろうと彼女に交際を申し込んだのだ。
それから今まで俺と彼女の関係は順調だと感じていた。
あれから三年。俺はまだ漫画家として名を知られているような存在ではない。だがきっと、もうすぐ俺の漫画は人気が出て世の中に知れ渡った存在になるはずだ。
さて、話は戻って一体彼女は何の用だろうか。
「別れましょう」
俺の頭の中は?で埋め尽くされる。
今何て言った? 聞き間違いだよな?
「え……今何て?」
「だから、別れましょうって」
「……なんで突然そうなるんだよ」
琳菜は目をそらす。
「何が悪かったのかもわからないまま、そう言われても困る」
「私とあなたは、考え方が違うのよ」
「例えば?」
「そうね……例えば、あなたは目玉焼きに醤油をかけるわね」
「ああ、そうだ。それがどうした」
「私は塩なのよ」
琳菜はそう言って、コーヒーを口に含んだ。
「そんなもの、同じでなくてもなんの問題も無いだろ? なんで調味料の好みが原因でこんなことになるんだよ」
「他にも色々とあるわよ」
「色々って何だよ」
俺は声が少し荒くなる。だが、琳菜は依然として涼しい顔でコーヒーを飲んでいる。
「色々は色々よ。とにかく私はもうあなたと一緒にいることはできないの」
「なにか俺が悪いことしたか? もしそうであるなら遠慮無く言ってくれ。頑張って直すから。あれか、脱いだものを洗濯機に入れないで床に置いてあることか?」
「それのことではないし、あなたにそれを直すことは無理よ」
「そんなことはないさ。何だって頑張る。二人でやっていくためだったら、俺はなんでも――」
「じゃ、そういうことなのでさよなら」
「おい、待てよ」
彼女は席を立つと、バッグを手にさっさと店を出て行く。
俺もリュックを背負って彼女を追いかけた。
琳菜が早足で店の入り口から出ていく。
「琳菜、待てよ」
ドアに手をかける。
「お客様! お代を!」
俺はリュックから財布を出し、代金を放り投げると店を飛び出した。
しかし、店の周辺に彼女の姿は無かった。しばらく探したがどこにも見当たらなかった。
なんでこうなるのだろう。
最近はとことんツイていない。
そういえば、ついこの前も下田(俺の同期でライバル)の連載漫画がヒットして、ヘコんだばかりだ。
確かにあの漫画は斬新で面白いが、あの漫画が売れるのであれば俺の漫画だって売れているはずだ。
ちょっとばかし開いた差を自慢してくる下田には本当に腹が立つ。
俺はトボトボと家へ帰り、到着するなりソファに倒れ込んだ。
「良いこと起きないかな……」
ピンポーン
部屋にチャイムが鳴り響く。
こんな時に一体誰だろうか。
重い体を何とか持ち上げ、インターホンの画面を覗くと玄関先に作業着姿の男二人が立っていた。
「洗濯機の設置に参りました」
完全に忘れていた。
今日は前の洗濯機と新しく買ったそれの交換をしてもらう日だったのだ。
玄関までヨロヨロと歩いていき、俺は洗濯機を出迎えた。
取替えが終わったのは午後三時。
前の洗濯機は買ってすぐ壊れてしまった。
中古でかなり安く手に入れたのでしょうがない。
それとは打って変わって、新しく買った洗濯機は輝いていた。
それもそのはず、今回設置してもらったのは最新型の洗濯機なのだ。
なぜ売れてもいない漫画家が最新型の洗濯機を買ってしまったか。
先日、俺は夜中に酔っ払って帰宅した。
そんなときに俺の前で洗濯機が壊れ、酔った勢いでネット注文をしてしまったのだ。
その時の俺は何を思ったのか、購入した洗濯機は新品で、しかも最新型であった。
ちなみにその事実に気が付いたのは業者が帰った後である。
早く売れて、電化製品を買うことぐらい何とも思わないくらいの金持ちになりたい。
ピカピカの洗濯機の前でため息をつく。
「どうせ買ってしまったのだから、丁寧に使おう。さて、どんな機能が付いているのかな」
説明書をパラパラとめくって眺める。
大抵のことは前の洗濯機と同じようだが、一つ一つの機能が前より良くなっているように感じた。
そして一番気になった点、それは『人工知能を搭載している洗濯機』であるということだ。
なんと洗濯機が会話をするらしい。
更に自ら最適な洗剤の量やら洗い方やらを計算して、教えてくれるという。
果して、洗濯機に話す機能などいるのだろうかとも思ったが、一体どんなものか気になったので一度電源をつけてみることにした。
正面のフタの右上にある電源ボタンをそっと押す。
ピンポロリンと軽快なメロディーが流れ、上面にあるボタンがキラキラと光る。
俺は黙って正面に座り、洗濯機を見つめる。
沈黙。
「電源をつけた時に喋るわけじゃないのか」
「えっ?」
独り言に自然な声が返って来た。声は続ける。
「誰かそこにいるの?」
その反応が思っていたのとあまりに違ったので、俺は驚いて口を開けたまま洗濯機を凝視していた。
もっとロボットみたいな声で「こんにちは私は洗濯機。今日からあなたの洗濯をさせていただきます」という感じの台詞を言うものだと思っていたのだ。
それがなんだ、この生きた人間のものとしか思えないような話し方に声は。
それに「誰かそこにいるの?」という台詞も妙だ。まるで小人が中に入っているかのようじゃないか。
この会社は何を思ってこんな設定にしたのだろう。
「ねえ、誰かいるのだったら返事をして」その声を聞いて俺の意識は現実に引き戻される。「ここはどこなの? 真っ白で何も見えないわ」
可愛らしい、若さを感じる女性の声だ。俺は思いきって話しかけてみた。
「こんにちは、我が家へいらっしゃい」
「だ、誰? 何で私はあなたの家にいるの?」
「俺は坂口天馬。君は今日、新しい洗濯機としてウチへ来たんだよ」
「洗濯機……?」
「そう。ところで君の名前は?」
「え……ちょっと待って。うーんと……。な、何も思い出せないの」
「新品だからまだデータがないのかな」
「なんか過去はある気がするんだけど、記憶喪失みたいで思い出せないわ。自分の名前も今までどうしてきたかも」
なんて面倒くさい設定だ。まるで洗濯機に生まれ変わった人がウチへ来たみたいだ。
洗濯機にここまでキャラ設定を作る必要は無いと思うのだが。
「私、洗濯機なの?」
「うん。そうだよ」
「自分が洗濯機だなんて信じられないわ」
「そう言われても、俺が購入してこの家に届いた洗濯機に変わりはないよ」
「……そう。なんだか私、自分が人間だったとしか考えられないの」
「はあ」
「私ずっと夢を見ていたの」
「夢?」
「そう。色々な世界を見てきたわ。でも、記憶にある限り一度も目を覚ましていないの。夢が終わったらまた違う夢に移り変わって、それが終わったらまた違うところへ、そんな事を繰り返してきたの」
一体全体、何なんだこのファンタジー設定は。
「今回が初めて目覚めているような感覚だわ。でも、私が洗濯機だなんて……やっぱりこれも夢の一つのなのね」
「違うよ。これは夢なんかじゃない。完全な現実さ」
「そう……。でも私、人と話せて嬉しいわ。これまでずっと夢を見てきたけど、一回も人とは会わなかったの」
「君は面白いことをいう洗濯機だね」
「全部本当のことよ。なんだか信じられないようなことだけど実際に体験したのよ」
「へえ」
「今までの夢では目の前に色々な物が映っていたのに、今は目の前が真っ白で何もないわ。人と話せるだけでも嬉しいけど。今まで寂しかったのよ。なんてったって――」
ぐうううぅぅ
洗濯機の声に被せて俺のお腹の音が鳴る。そういえば三時過ぎなのに、まだ昼食を食べていない。
「天馬さん、お腹減ってるの?」
「いやあ、お昼ご飯をまだ食べてなくてね。というか、君は空腹がわかるんだね」
「うん、わかるわ。夢を見てからは一回も感じたことがないけれど、夢を見始める前はお腹が減っていた記憶があるわ。やっぱり人間として生きていたのじゃないかしら」
「すごいな。ちょっとご飯食べてくるからまた後でね」
「わかったわ」
俺は立ち上がり、電源ボタンを押した。
ピロリロンとメロディーが流れてボタンの明かりが消える。
部屋は静かになり、何となく寂しくなった。
「カップ麺でも作って食べるか」
こうして、俺と喋る洗濯機の生活が始まった。
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