鏡合わせ
※いつか長編にしたい(少し百合です)
夢を見たの。シンメトリーでアシンメトリーな女の子と会う夢を。
「あら、おはよう」
「えっと…おはよう、ございます……?」
さっきまでベッドに横たわっていた私の頰を、何か糸束のようなものが撫でる。それを合図にして、私はゆっくりと目を開けた。しかし、ぱちくりとピントを合わせても、視界には白い髪がかかっていてよく状況が理解できない。私は上から聞こえてくる少しおかしな挨拶に困惑するまま答えた。
どうやら声の主であり髪の持ち主である彼女はこちらを知っているようで、この奇妙な状況を予測していたかのような物言いだ。ざっくばらんに切り揃えられた髪のカーテンを抜け、私はうつ伏せの状態から身を起こした。すると、黄昏色に染まる空をバックに彼女は私へと向き直った。
「貴方、ここがどこだかわかる?」
「ええっと…………?」
すっかり覚醒してしまった目を回しあたりを確認する。夜と朝が溶け合ったような、そんなありえない配色の下、私達二人は座っていた。不自然なことに、太陽という照明がないにもかかわらず彼女の髪には艶めきを強調するリングがかかっていることから、ここが夢なのだと知ることができた。
「夢、ですかね。私、さっきまでベッドにいたはずなので」
自分の枝毛混じりな黒髪をいじりつつ、私は答える。ここは夢の中なのだとわかったことはいいが、それでは目の前にいる少女は誰なのだろう、という疑問が更に浮かんだ。
夢は記憶の継ぎ接ぎである、と頭のいい人が言っていた気がする。しかし、私の中には、目の前の少女の雛形となった記憶はどこにもないのだ。自分とは反対の赤い目に、私の住む日本ではなかなか目にしないミルク色の長髪。呑気な私が「自分とは対極に位置するような人だなあ」と第一印象で思ったくらいだ。
そんな住む世界が違う私達が、なぜここにいるのかと逆に彼女に問うてみることにした。
「あなたは、なぜここに来たんですか? ここは確かに私の夢なのに」
「...運命だから、ってぼかしたらどうする?」
アイライナーで細く縁取られた赤の瞳がきゅっと笑う。見た目は少女のはずなのに、すごく大人びた表情を見せる彼女は、紛れもなく私と真反対なのだと改めて感じた。
少女の手がすっと膝を離れ、私の頰へと行き着く。ほら、早く言いなさい。そう急かされているみたいで、撫でられた私の肌は鳥のように逆立った。
「なら、何かのご縁だと思うので名前だけでも聞いておきます」
「...ふうん」
私は上ずった声で少女に答え、赤の目を見つめ直した。
袖振り合うも多生の縁なんて言うものだ。夢で会うぐらいなのだから、名前ぐらいはこの一生の中でも覚えておきたいと私は思ったのだ。
彼女が返事をするまで、少しの間があった。その時間が、どれだけ私を焦らせたことか。170cm越えの大女がちんまりとした少女に撫でられ、びくびくしているだなんて滑稽そのものだが、彼女がそれ程の威厳を保っていたということだろう。
「...じゃあ、私からね。私は紅井。好きなように呼んでくれて構わないわ」
「私は......蒼依です」
「蒼依さん、ねえ」
蒼依、蒼依さん、と舌の上で名前を転がす紅井さん。まるで飴玉でも舐めているみたいにころころ言う彼女は、ふと顔をこちらへ向ける。
「その朱のリボンと紺の襟、貴方、女子高生なの?」
「ああ...まあ、そうですね。華のように生きてはいませんが。貴方は?」
もう一度彼女の容姿を見回すが、その姿はまるでお伽話から出てきたかのよう。左右長さ不揃いのストライプの靴下に一部が掛かるよう、斜めに線を描く赤色のスカート。そんな赤を基調としたアリス服を、私は少なくとも現実で見たことはない。
じっと見つめる私の視線に気がついたのか、紅井さんは花がほころぶように笑う。
うふふ。かわいいでしょ、魔女の制服ってやつなのよ。
大人っぽい表情とは別に、彼女は子供らしい笑顔を見せた。純真無垢なその顔から、私は「魔女」という言葉を疑うことができなくなっていた。
「私は昔から、長女として家を継がなければいけなかったの。青春、っていうのかしら、あなたの世界では。そういったものを通ることもなく育ったから、今みたいな幕間は有難いわ」
嵐のつま先が風となって彼女の髪で遊び始める。絹糸のような白い髪が、複雑に絡み合い解けていく様を見つめていた。
魔女はゆったりとした仕草で、たっぷりと時間をかけて髪を手櫛で整える。その余裕は、これから上がる幕の先すら見通すように優雅なものであった。
彼女が髪をとかしはじめてから、手元の時計できっかり5分ぐらい。彼女の指が立てた水の波紋が、こちらに来るまで大体10秒。この世界は彼女も含め、規則正しく何かに沿って動いているようだった。まるで台本通りの風のわざとらしい動きも含め、それらは優雅だが私には不思議でならなかった。
彼女が魔女であるとしたら、私を知ることも、そもそもこの空間を作ることすらも造作のないことではないかと思い浮かんだ、次の瞬間。彼女はまたしてもスクリプトをなぞるように言葉を紡ぐ。
「でも、そんな苦しい生活がずっとなんて嫌。少しぐらい私も自由になりたいの」
する、とろうそくのように細い指が、胸元のリボンを絡めとる。真紅のそれは指で開かずとも、魔法のように彼女の指に巻きつき、私から離れていった。
勿論こんなこと、現実にあるはずない。きっと、目の前にいる魔女は私の空想で、夢のはずなんだ。
きっとそのはずじゃ、
「───貴方は、この味を否定するの?」
それは、軽やかなバードキスだった。ちゅ、と可愛らしく唇を啄まれるが、その味は林檎と口紅が混ざったような味をしていた。甘くて、大人びていて、少しだけ苦い。誰の唾液にも塗れたことがないかのような唇を持っているにもかかわらず、少女は弄ぶかのように口付けてみせたのだ。
そして、何よりも不思議なことがひとつ。少しひんやりとしていて、つるりとした感触はまさに、鏡面にキスを落とすようなものであった。
「だから、少しの間。貴方で言うと一生分ぐらいは私、貴方の「蒼」が欲しいの」
彼女の色を帯びた言葉が空間に広がり、彼女の指に巻きついた制服のリボンがみるみるうちに蒼へと変わっていく。それだけではない。彼女の白い髪は私と同じ黒色に変化し、私の身につけていた服は彼女のアリス服へと変わってしまった。自分と魔女が、あのキスによって溶け合い、反転してしまったような感覚。これを夢だと信じていることがおかしいのではと思うぐらい、自分という意識が蕩けてしまったのだ。
「鏡写しって、通り道を作ってしまうのよねえ。その世のものではない者が悪用してしまいそうな、格好の通路を」
「え、ま、って」
私の顔をした蒼、いや紅が不敵に笑う。魔女そのものの笑みを見て、水面の蒼? 紅? いや、私が顔を引攣らせる。
「さようなら、紅井さん。また、来世で会いましょう」
少女は指に巻いたリボンを襟に通し、見慣れた女子高生の姿を形取ってゆく。慌てて私、つまり蒼依、蒼依が手を伸ばした。しかし、ろうそくのように白くて細い腕じゃ、170cmいじょもある女子高生の裾すら掴むことはできなくて。
鏡面のような浅瀬が光ったように見えたのを最後にして、彼女は消えてしまった。
刹那、夕焼けがオーブン色に光を放ってきた。それが水面に反射し、私の瞳へと飛び込む。
「まぶし...」
その強烈な光が瞼に焼き付いたまま、私の影は水面から姿を消した。
「鏡写し」
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