ほんの小さな掌に

筑前煮

どんな終わり方をするのだろう

ある日、英国らしく小雨が続いた日のことだ。ある天才が、その生涯を閉じた。油絵の天才だった青年は、アトリエの片隅でポツンと息耐えていたらしい。芸術家の死因に多い自殺、よくある話だった。

 世間は、彼の死に当たり前に悲しみ、大々的に取り上げた。しかしそれは嵐のように短く、三週間ほどすれば過ぎ去るものだった。二ヶ月前、国民的歌姫が病死した時とデジャブを感じるが、それを気に止めるものも、またいなかった。

 そうして世間が天才の死を忘れたころ。あるアンティークの店に、一つの商品が並んだ。


「天才の才能、お売りします」


「なんだね、その商品は」


 店頭に並ぶそれをみて、シルクハットの男は目を疑った。たまらず店主に聞くと、店主は微笑んでこういった。


「お客様。それはつい先日、この世を去った若き天才の才能ですよ」


「...本物ではないだろう?」


なんだ、単なるジョークかとシルクハットは笑いかえす。だが、店主の顔はいつにもなく真剣さがあった。だから、男はとりあえず手にはとってみた。

 才能、とラベリングされた瓶を手にとる。筆記体のシール以外は、いたって普通の瓶だ。だが中身は、奇しくも魂と同じ形をした飴玉だった。


「店主よ。君は大層な趣味をしているじゃあないか。変に凝った品揃えも昔から変わっていないようだが」


「そうですねえ。でも、この商品だけは久しぶりに出会えた物なんですよ」


 神妙な顔が、ころっと笑い顔に変わる。ケタケタと喉が鳴り、まるでくるみ割り人形のようだ。


「ほう。アンティーク好きの店主が久しぶりに出会った代物、ねえ」


「私は、この若者のファンだったのでね。彼が何かに取り憑かれたように描いた絵は、とても、とても美しかった」


「才能には代償がつきものというが、私は彼の才能を諦めきれなかったのです。だからこうして、失われるはずだった才能を救い上げた」


確かに、彼の死は我々にとってもセンセーショナルなものだった。それが、彼のファンであった店主からすると、その悲しみは段違いだっただろう。心情を察し、シルクハットは不憫なものだな、と息を吐いた。

そして考えた。もしこの才能を買えば、自分が脚光を浴びられるのでは? 一応興味はあるし、店主も昔からの顔なじみだ。ここは信用してみるか、と斜陽の彼は頭を回した。


「......ふむ。どれ、買ってみるか」


「どうも、ありがとうございます。これで彼の才能も気がすむことでしょう」


 店主はへこへこと首を下げつつ、瓶を差し出した。


「ああいけない、ラッピングした方がよろしいでしょうか」


「はは、いいさ。このまま持ってゆく。どうせプレゼントするものでもない」


店主の150、いや、100ポンドです、という呼びかけに応じ、紙幣を銀のプレートへと置く。


「ここはTAX Freeだったか?」


「いえ、ここは英国紳士の経営する店です。金には厳しくても、友情は守る紳士のね。貴方も、そうでしょう?」


冗談もほどほどに、店主が出て行こうとする男のため、ドアを開けた。からんからん、とベルが鳴り、シルクハットの退店を告げようとする。


「最後に一つだけ、よろしいですか」


「なんだ」


「あなた様が有名になる前に、サインをと」


 シルクハットの目の前に、ずいっと差し出された用紙。一瞬困ったように笑うが、そこは英国紳士。胸ポケットからペンを取り出し、さらさらとサインを書いた。


「これで失礼するよ」


 店の扉が一瞬開く。すると外から、秋風が逃げてきた。バサバサと音を立て、机に置いてあった辞書が翻る。


「またのご来店を」


 店主は八重歯をのぞかせつつ、感謝の笑みを浮かべる。パタン、という音とともに扉が閉じられたのを見ると、店主は急いで散らばってしまった机をかたし始める。閉じられた辞書のページには、Diabolusについて書かれていた。




あくる日の朝。店主はopenの看板を立てかけてから、併設された赤ポストを開けた。

ぎぃ、と鉄錆が音を立てる。オンボロのポストには、たっぷりと紙束が詰め込まれていた。適当に探ってみれば、いつぞやの朝刊が大量に出てくる。

「鬼才現る」という見出しに、驚きと喜びの表情を浮かべたシルクハットが写る、古い朝刊だった。


「はっはっは。やるじゃアないですか」


眼鏡をくい、と持ち上げ、裸眼で見ても、正真正銘、シルクハットに違いなかった。では他には、その一心で店主はポストを漁る。中に放置されていた新聞達が、ついに外気にさらされる。見ればそれらにも、シルクハットの話題が踊っていた。

ちょっと前、死んだとされた油絵の天才。それを生き写したような才能を持つ一人の男。話題にのぼらないはずなどなかった。そしてどの新聞も、日付けが変わろうがシルクハットを讃えたり賞賛するものばかりであまり変わらない。だがそこに写るシルクハットの顔は、どんどんと青ざめ、うんざりしているようなものへと変わっていった。


「...なぁ」


声をかけられ、振り向いた先にはよく知った帽子の男。それも青ざめた表情で、シルクハットは立っていた。


「どう、されました?」


「助けてくれ。才能が、どこに行っても付いて来るんだ」


この男がかの鬼才か。青白い男を見て、徐々に集まってくる人々。その顔はシルクハットとは対照的で、高揚していて赤っぽい。まるで餌を前にした動物のように、色づいていった。


「...返品させてくれ」


シルクハットがか細く声を震わせる。しかし、それを遮るようにしてドアのベルは鳴った。店主はもう、屋内へと入ろうとしていた。


「お客様」


「返品保証は、一週間までなんですよ」


笑って閉じられた扉。その後は、振動で揺れたベルが、乾いた音を吐き出すのみだった。


それまたあくる日。英国らしくない晴天が続いた日のことだ。あの天才が、その生涯を閉じた。油絵の才能を持っていたシルクハットは、部屋の真ん中で首を吊っていたらしい。才能を持つ者の死因として、多い自殺。よくある話だった。

 世間は、シルクハットの死に驚き悲しみ、大々的に取り上げた。


「やはり秀でた才能ほど、人の寿命を食べていくのですねえ」


店主はシルクハットの魂をころころ瓶の中で転がす。それもとれたて新鮮、産地直送の魂だ。死神と悪魔両方を兼業する彼にとって、こんなことは造作もない。日常の一部でしかなかった。

世間に食いつぶされていく才能。その才能が食べるは持ち主の寿命。これに目をつけた店主は、「才能」を優秀な債務回収機へと仕立て上げたのだった。


「さアて、店を開けようか」


棚に瓶を置きなおし、几帳面に位置を揃える。その隣には、小さなベージュの色紙が飾ってある。


「次のお客様はどんな方だろうか?」


死神のような男は、悪魔で愛想笑いを浮かべるばかり。


死神兼悪魔で「どんな終わり方をするのだろう」

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