第14話 等身大のデート

 腹ごしらえを終えた僕たちは、いろんなジャンルの商品を扱っている小売店へと訪れていた。こういう形態の小売店のことをディスカウントストアと呼ぶんだっけか。


「わー、凄い」「これ、何に使うんでしょ」「うわっ、これ凄く安くない?」「定価の半額以下だって!」


 数歩歩いては目に見えた商品に大はしゃぎするいろりさんに、まるで保護者の様な気分になって追従。僕は普段こういう場所にはあまり来ないけれど、しかし初めて来るわけでもない。それでもこの商品の質量には圧倒されてしまう。

 

「何故か毎回、こういうのを見ちゃうんですよ。分かります?」


 いろりさんは玩具コーナーのコスプレ服売り場で僕の方を振り返った。


「僕は見ないけど、まあ、気持ちは分かるよ」


 網タイツのサンタ服。冬にこんな際どい服を着る理由は。

 ミニスカートの婦警服。こんなの法を取り締まる者の服ではない。

 どこかで見たことある洒落た高校の制服。多分アニメか何かのだろう。


 こんなものを買い人がいるだろうか? そう疑問に思わずにはいられないけれど、買う人がいるから新作を作って、今もこうして売っているのだろう。


 ……こんなのを着るなんて、欲するなんて、自分とは違う世界の住人がいるんだなあ。なんだか変に感心してしまう。


「……ねえ、このナース服、ちょっと欲しいかも」


 と思ったら、居た。異世界人は案外身近に潜んでいた。

 

「……痴女?」


 僕が率直に感想を述べると、「違わい!」と華麗な突込みが。


「じゃあどうして欲しいのさ?」


「だっていっぺん来てみたくない?」


「ない」


「なんでよー」


「いろりさんはこれ着るの恥ずかしくないの?」


「恥ずかしいよ?」


「……恥ずかしいのに着たいの?」


「だから、一回だけ」


 ……分からない。分からなかった。


「っていうか、買い物はいいの? 天体観測用の道具とか買いに来たんでしょ?」


「……?」きょとんと首を傾げるいろりさん。「……あっ」


「…………忘れてたよね?」


「いやー? 忘れてないですよー?」


「……本当に?」


「本当ですよー?」


「……ならいいけど」


 そういう訳で、僕たちはいそいそと玩具コーナーから移動した。


「でも、どうして忘れるの? それ目的で来たんでしょ」


「だから忘れてないですー」いじけたように、唇を尖がらせるいろりさん。「……でも、もし忘れたとしたら、それが目的じゃなかったってことですよ」


「……うん? どういうこと?」


「つまり本当の目的は別にあって――――おっとお、私の口から語れるのはここまでです」


「……はあ」


 いまいち意味が分からなかったけれど、いろりさんが「この話はここで終わりっ!」とせかせか先に歩いて行ってしまったので、僕はそれ以上その意味について尋ねることはしなかった。


「……ねえ」


 と思ったら、いろりさんはすぐに足を止めて僕に声を掛ける。


「天体観測に必要な物ってなにかな?」


「……えっ」僕は閉口した。「…………それも分からないのに来たの?」


「うん、いや、だからそれはあくまで口実で――――っと、うん、この話は終わったんですよ。いいの、二幹くんは必要な物を考えて口に出すだけの機械になればいいの、今だけは」


 無茶苦茶なことを言う人だった。だけれど僕にも分かる訳がない。

 というか必要な道具なんて部室にある程度揃っているんじゃないだろうか?


「じゃあ……十時さんに電話で聞いてみるってのは?」


「却下」


 却下らしかった。


「どうして?」


「なんか、良くないよそれ」


「具体的に」


「二幹くんと一緒に買い物に来てるのに、十時さんに聞いちゃったら、なんかよくないじゃん?」


 なんかよくないらしかった。


「これは私と二幹くんのミッションなんだよ。二人で必要な物を考えて、買って帰る。そういうミッションなの」


「はあ……」


「ほらほら考えて!」


 なんだか、最近いろりさんのテンションが妙に高い気がする。キャッキャしているというか、妙に元気というか。

 でもそれは当たり前かと直ぐに自己解決。出会ったばかりの時よりも打ち解けているのだから、見栄を張らずにきゃっきゃするのは当たり前なのだ。


「……じゃあ、そうだな」言葉で間を繋ぎつつ、僕は脳味噌をぐるぐるさせる。「水筒とか? ほら、夜って冷えるから、あったかい飲み物を用意した方がいいと思って」


「あーなるほど、いいです、それいいです! 合格!」


「ありがとうございます……?」


 だけれど、といろりさんは申し訳なさそうな顔をして付け足した。


「だけれど、私、水筒もう持ってるんだよねー……。ごめんね?」


「いや、別に……」


 言えって言われたからなんとか捻り出しただけで、僕自身は「水筒」というアンサーに何の執着も感慨も思い入れもない。


 その後も「必要な物を考えて口に出すだけの機械」としての役割を全うしたけれど、いろりさんの審査を潜り抜けたものは一つもなかった。


「防寒着」「うーん、今そんなに寒くないからなあ」

「懐中電灯は?」「それは部室にあったよ」

「……コンパス」「二幹くん、それ二幹くんも必要だと思ってないでしょ」


 こんな具合に。

 結局僕たちが買ったものは、天体観測の際に飲むためのインスタントココアとインスタントコーヒーを一袋ずつだけだった。


 その後も店内を宛てもなくぶらぶらと彷徨う僕たち。巨大なディスカウントショップというのは、それだけでテーマパーク的でもあり博物館的な要素もあるのだと僕は知った。


 そしてお店を出ると、世界は暗くなり始めていた。まだ明るいけれど、昼よりは明らかに闇に近づいている。驚いた。一体何時間、僕たちは店内にいたのだろう。

 それなのに千円も買って行かなくてごめんなさい、と少しお店に申し訳なくなる。


「ねえ、二幹くん」


 どちらから言い出したわけではないけれど、僕たちは駅に向かって歩いていた。そんな折、つぐみさんが僕の名前を呼んだ。顔は正面を向いたまま。


「どうしたの?」僕が訊ねるけれど、いろりさんは「うん」と頷いてなかなか次の言葉を発しようとはしない。僕は不思議に思いながらも次の言葉を待っていると、赤信号で足を止めたところで、いろりさんが僕の顔を見た。


「今日、楽しかった?」


「楽しかったよ」


 それは疑問の余地もない。楽しかった。

 何がどう楽しかったのかと掘り下げられたら困るけれど、楽しかったものは楽しかったのだ。


 どうも僕は合理的なきらいがあるらしく、必要のないことはしない、と考えていることがその最たるものだ。

 だから、こういう『当てもなくぶらつく買い物』と言うものを経験したことがなかった。


 僕の場合、買い物はただの『買い物』だ。例えばノートが欲しいとすれば、文房具屋へ行ってノートの売り場に直行してそれを買って帰る。それだけ。


 だけれど今日はそうではない。ノートを買いに行って、一緒にシャーペンも見て、このお店の近くに新しい喫茶店があったから寄ってみて、ついでに服屋も寄っちゃう。買い物を口実にその日を最大限楽しもう、そういう買い物。


 そしてそれは、率直に楽しかった。新鮮な経験だから楽しかった、普段からずっとこんな寄り道だらけだったらうんざりしてしまう、というのはあるだろうけれど、だけれど今日一日で言えば楽しいのは確実だった。


「そっかあ……」いろりさんは頬をわずかに緩ませた。「そっかあ……!」


「随分嬉しそうだね?」


「そりゃあそうですよ。一緒に居て楽しかったって言ってくれれば、そりゃあこっちは嬉しいです。こっちから誘った訳だし」


「……そういうものなのかな」


「そういうものなのです」


 人を遊びに誘う経験がほとんどない僕としてはいまいち分からなかったけれど、いろりさんが嬉しそうだったのであまり野暮なことは言わないようにする。


「ところで、いろりさんの家ってどこ?」


「この辺」


「ってことは、電車には乗らない?」


「乗らないよ」


「そっか」


「そうなのです」


 この横断歩道を渡って少し歩けば駅へ着く。そこでいろりさんとはまた明日だ。


「というか私の家はこっちの方じゃないのです」


「えっ、じゃあどうして」


「お見送りですよ」


「悪いよ、わざわざ」


「まあまあ。それくらいさせてくださいな」


「いやいや」


「まあまあ」


 いやいやまあまあ。そんな問答を何回か繰り返している内に信号が青へ。そのままいろりさんはなし崩し的に付いてきたので、そこで僕はいやいやを辞めた。

 わざわざ申し訳ない気持ちはあるけれど、せっかくの行為だから受け入れよう。


「天体観測、楽しみだね」


「うん、そうだね」


「どんな何だろう」


「きれいなんじゃないかな」


「そうだけど。そうじゃなくて」


「じゃあどうなのさ」


「それはー……うまく言えないけど」


「ふうん」


「ねえ、二幹くん」


「はい」


「そろそろわかりそう。なんか、違う場所にたどり着きつつある感じがあるの」


「……どういうこと?」


「青春の話。私、青春に近づきつつある感じがある」


「…………。それはよかった」


「うん、よかった」


「よかったね」


「よかったのだよ」


 そして僕たちはまた明日。急激に押し寄せてくる孤独感を、スマホのニュース記事に意識を向けることで誤魔化しながら、僕は電車の振動に身体を預けた。


*


 天体観測は明日です。

 不都合のある方は胡桃ちゃんへ。


 部室には、十時さんが残したと思われる書置きが机の上に置いてあった。紙パックのイチゴミルクを抑えに使っていたので、結露でべちゃべちゃになっていた。


 今日は雨だった。もちろん屋上に出れるような状況ではないので、十時さんは帰宅したのだろう。いろりさんは友達と遊ぶ予定があるとかで、今日は部室に顔を出さないらしかった。


 まあ、むしろ何をするでもないこの部室に来る方が変とは言える。しかし雨の日に遊びに行くとは、随分とたくましいことで。


「了解です」


 僕は誰もいない部室で頷いてから、びしょ濡れの置き書きをゴミ箱に放った。


 下駄箱で「おっと」、思い出してからいろりさんにメッセージ。明日天体観測らしいから、都合悪かったら諏訪部先生に連絡してください。それから僕はいそいそと帰路に着いた。

 久々の一人の学校だった。

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