第7話 変態

「死んだはずだよ。おとみさん~♪」

 男が歌っているのだろうか、緊張した場に似つかわしくない、なんとも調子っぱずれな、昭和歌謡が寮全体に響き渡る。

「か、監督」

 信子が不安そうに、隣りでたかしを見上げる。

「う、うん」

 たかしにも緊張が走る。

 男の影はだんだん大きくなって来る。どうやら男も玄関の方に近づいて来ているようだ。玄関にいる一同全員固唾をのむ。

「お釈迦様でも知らぬ~、おとみさん~♪」

 男はこちらの緊張感など全く知らぬ様子で、上機嫌に歌い続けている。

「・・しかし、音痴だなぁ」

 繭は、緊張しながらもみんなの後ろで一人思った。

 だんだん男の輪郭がはっきりしてくる。男は腰にタオルを巻いただけの裸同然の格好だった。男はバスタオルで頭を拭きながら繭たちのいる玄関の方に、余裕たっぷりにゆったりとした足取りで近づいてくる。玄関の六人は、身を固くし、お互いの体を密着させた。

「あいつです」

 顔がはっきりと見えるところまで男が来た時、すかさず野田が指を差し叫んだ。そこには確かに、ボリュームのあるもじゃもじゃの髪に、無精ひげを生やした見るからに怪しげな男がいた。

「いやぁ、いい湯じゃった。風呂に入るなんて何年ぶりかのう」

 男はこちらの存在など全く気にする気配もなく、相変わらず上機嫌にタオルで頭を拭きながら歩いて来る。

「あ、昨日スタンドにいた人だ」

 繭は男の顔を見て驚いた。なぜここに?

「コラッ、何がいい湯だ。勝手に風呂入ってんじゃねぇ」

 その時、気の強い野田と仲田が男に食ってかかった。

「なんじゃ、なんじゃ騒々しいのぉ」

 男はタオルで頭を拭くのを止め、初めてこちらの存在に気付いたかのように、その細い目を広げ、野田たちを睨みつけた。睨まれたその一瞬の間、全員に緊張が走った。野田と仲田もさすがに勢いで言ったものの実際に男に相対し睨まれると、さすがに怖くなり怯んだ。

「・・・」

 一瞬の沈黙がその場に走り、全員が、男の次の言葉に、更に緊張し、息を飲んだ。そんな中、男はゆっくりと口を開いた。

「お前ら誰じゃ?」

「お前が誰だ」

 これには野田と仲田が同時に突っ込む。男から発せられた言葉はまるで、その場の緊張感などどこ吹く風で、全くのトンチンカンなものだった。

「信子さん警察」

 志穂が、その時、はたと気付き、信子さんに慌てて言う。

「う、うん」

 信子さんもそう言われて慌てて玄関脇に設置されている寮のピンク電話まで行って、その受話器を取った。

「あ、もしもし、あの、不審者が・・」

「警察呼んだからな」

 野田が男に思いっきり指差し叫ぶ。

「警察呼んだからな」

 仲田も続く。

「ぎゃーっ、ぎゃーっ、ぎゃーっ、ぎゃーっ、うるさいのぉ。全く」

 しかし、男は全く意に介する様子もない。

「なんて奴だ」

 大胆な男の態度に野田が更に怒りを募らせる。

「お前なんか警察が来たら・・」

 そんな男に、怒り心頭の仲田が食って掛かろうとしたその時だった。

「あっ」

 男が唯一身に着けていた腰に巻いたタオルがはらりと落ちた。

「ぐわぁ」

 目の前で、男の下半身をもろに見てしまった野田と仲田は、顔をのけぞらせた。

「監督。本物の変態ですよ。あいつ」

 野田が後ろのたかしの背中に隠れるように言った。

「監督もなんとか言って下さい」

 同じく反対側からたかしの背中に隠れる仲田も続けて言う。

 しかし、二人の問いかけに、たかしは呆けたように突っ立って、その男を見ているだけだった。

「監督ぅ」

 なおも二人が、更に激しくたかしに呼び掛ける。しかし、たかしは呆けたまま、その男を見つめたまま動かない。

「監督っ、どうしちゃったんですか」 

 野田が不審げに、そんなたかしを覗き込む。

「監督?」

 仲田もたかしを見上げる。

「先輩、熊田先輩じゃないですか」

 その時、たかしは突然、叫んだ。目には涙まで浮かんでいる。

「えっ?」

 そこにいた全員が、驚いてたかしを見つめる。

「おう、たかしか。久し振りじゃのぉ」

 熊田と呼ばれた男もたかしを見て笑顔で応える。周囲の人間は状況がうまく飲み込めず、ただ茫然とするばかりだった。

「先輩」

 たかしは今にも泣き出しそうに体を震わせ、熊田を見つめている。熊田はただやさしく微笑んでいた。

「監督?」

 予想だにしていなかった展開に、近くにいた野田と仲田がたかしを呆然と見つめる。

「せんぱ~い」

 たかしはついに感極まり、弾丸のごとく突進すると、素っ裸の熊田にそのまま正面から抱きついた。

「わっ」

 その光景に一同は驚き、目をむいた。

「は、裸に抱きついた」

 野田が驚きながら呟く。

「お、男同士で・・」

 仲田も目をむいて呟く。

「どうしてたんですか。先輩。心配してたんですよ」

 たかしは熊田に抱きつきながら、子供のように泣いた。

「がはははははっ」

 熊田はたかしに抱きつかれながら、ただ豪快に笑っていた。そんな光景を、他の女性陣が唖然として見つめる。

「ところで先輩。どうしてここに?」

 たかしは涙の滲んだ顔を上げた。

「がははははっ、また、お前が困っとるやないかと思ってのぉ」

 熊田がたかしを見た。

「じゃ、じゃあ、もしかしてうちのチームに?」

 たかしの目が子供のように輝いた。

「そうじゃ、今日からわしは、お前のチームのコーチじゃ」

「こ、こいつがうちのチームのコーチ」

 野田と仲田と志穂は驚いて顔を見合わせた。繭も驚いた。おっとりした信子さんまでが驚いて、その細いタレ目を見開いた。

「わしが来たからにはもう安心じゃぞ。たかし。がはははははっ」

 熊田はそう言うと、また一人豪快に笑った。

「先輩」

 たかしは心酔した目で、熊田を頼もしげに見上げた。

「がはははははっ」

 熊田はすると更に豪快に笑った。

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