ゆく年くる年 あげあう二人


 短い秋はそろそろ終わりを迎え、冬の足音が聞こえ始めた頃。


 調整を続けていた仕事の電話を切り、控え室に戻る。玲はこのあとの打ち合わせの資料を読み込んでいた。隣の席に腰掛け、先ほど正式に決まった仕事のスケジュールを眺めながら彼女に話しかける。


「ラジオの仕事、決まったよ。年明けすぐから収録が始まる予定で、最初の本は来月あたりに定まるらしいです」


 世間にもよく知られた科学者のMと二人で毎回一冊の本を取り上げて話す、20分間のラジオ番組をやることになった。玲は若手の男性シンガーと交代しながら隔週でパーソナリティを務めるのだ。


「ラジオする玲、楽しみだなー」


 うきうきするマネージャーを前にして、当人の顔色はいまいちだ。


「妙にあなたがラジオのお仕事推してくるから受けたけど、私は不安だよ〜…」

「なぜです?」

「だって、ラジオって勝手が全然わからないし、話すのがうまいわけでもないのに、声だけなんて……」

「生放送でもないし、ラジオ慣れしてるMさんと一緒だし。話すトピックがあるからそんなに気を張らなくても大丈夫だよ。――ラジオってね、すごく人柄が伝わるの」


 普段私たちが日常的に行っている視覚も聴覚も使った情報摂取に比べて、ラジオは耳のみに頼っているので得られるものは少ないように感じられるが、その実、テレビよりもよほど"真実"を映し出すことができる媒体であると思う。


 発声の癖、間の取り方や相槌の打ち方、声の微妙な調子、笑い方、思考の機微。目の前にできない視聴者を想定して、どんな風に語るのか、語れるのか。どんな言葉を選び、どんなスピードで話すのか。

 そういったものから意外なほどに、話し手本人の姿勢や性格が聴き手へ如実に伝わってしまう。



 そんなようなことを話すと、彼女はますます顔を曇らせた。


「私の人間性が丸裸になるってこと…? ますますハードルが上がるようなこと言わないでよう…。怖いよー…」

「私は心配してないよ。君なら絶対に大丈夫。むしろもっとファンは増えると思う」

「なんで……?」


 不安げな玲に、確信を込めて笑いかける。


「人間性は私が保証する。もしも声から知って、それで君の姿を見たら好感度爆上がりだよ。

 ――たとえば。つけっぱなしにして流していたラジオで、本の紹介をしている。男の子が話し手の週もあれば、女の子が話す週もある。別にその番組を聴こうと思ってつけているわけではないから、ぼんやりと、女の子の存在を認識する程度。

 『Mさんは知ってるけど、この相手の女の子は誰なんだろう?』

 おもしろいものには素直に反応する親しみやすい性格、相手の話をきちんと聞いて自分の言葉でしゃべる頭、柔らかくて落ち着いた声質。声から推し量るだけでも十分に魅力的な若い人。わざわざ自分から調べはしないけど、なんとなく聴き続けているうちに、その子の素性がわかってくる。

 『へえ、この子モデルさんらしいな』

 ある日ふと、テレビや雑誌で彼女の姿を知る……。

『えっこれが"あの"玲ちゃん⁉︎ 美しすぎない⁉︎ 声だけでも素敵だったのに、何この迫力ある美女!? 女神だったんだ! 今まで女神のラジオ聴いてたんだ! すごいわー玲ちゃん。もう毎回ラジオ聴くわ〜断然応援するわ〜』

 ってなるよ、絶対」


 大げさな身振り手振りを交えてこう言うと、彼女も笑ってくれた。


 芸術品みたいな完璧な美しさをまとう彼女には、一見すると近付きがたさやある種の冷たさすら感じる。彼女のしゃべって動くところを見ればそんな印象も塗り変わることはわかっているが、テレビのバラエティ番組などに出演するのは現状では避けている。この子をテレビにおける"速さ"で消費されたくないからだ。

 その点ラジオは、ニューカマーを待ち構えて回転させ続ける消費者たちに食い尽くされることもなく、着実に素の彼女を知ってもらうことができるメディアだと考えている。


「今まで届かなかった層にも君のこと知ってもらえるチャンスだし。ラジオって、生活のいろんなシーンで聴くから、パーソナリティの人になんとなく親しみを覚えるんだよ。いやーいい出会いだよね。なんなら私もそういうパターンで玲を知りたかった」


 うんうんと頷きながら話すこちらに、彼女はため息をついた。


「あなたがいなかったら、今の私はいないよ。……結局、あなたに丸め込まれちゃうんだよなあ」

「いいじゃないラジオ。いいよ、ラジオ。何より、与太丸さんにスタジオですれ違えたりするかもだし……」


 与太丸さんは、かつて私が愛聴していたラジオ番組の人だ。最近は平日に数時間の帯番組を持つようになって、もはやそれを追いかけて聴くことはできなくなったが、同じ局での仕事なら、ひょっとするとその姿を直接目にすることも叶うかもしれない。

 そういう私のファン心を知っている玲は冷たい視線を投げてきた。


「単なる私情じゃないですか」

「ふひひ、バレてる。楽しげなことは仕事でもどんどん貪欲に拾ってくよ」


 彼女は肩をすくめて、


「まあ、色んな経験をさせてもらえるのは私も楽しいから。頑張りますとも」


そうして手にしていた手元の資料へ再び目を落とした。




 私も今一度手帳をぱらぱらとめくり、新たに彼女へ伝えるべきことがないか探した。あ。


「それと、XXの仕事、クリスマスイブの日に決まったよ。XXビルだと思うから、K通りのイルミネーション見られるかもね」


 資料から顔を上げて彼女が思い出すように目を巡らせる。


「……ああ、あの有名なイルミネーションね」

「まあでも当日ならあそこらへん混んでるかもねー」


 しかも浮かれた恋人たちだらけだろう。

 幸せいっぱいの人間たちを思い浮かべて内心げっそりしていると、プライベートなトピックだからか、歯切れの悪い物言いで探るように玲が訊いてくる。


「あなたはイブも仕事してていいの? その……彼氏とか」


 そんな腫れものを触るような訊き方をせずとも、実態は丸わかりだろう。


「いないよ。いる素振り全くないでしょうよこれでいたらびっくりでしょうが。四六時中一緒にいてわからんわけないでしょ嫌味か。片腹痛いわ、ハッ」

「――ちょっと怒涛の勢いで言われて怖いんだけど」


 闇を放出しすぎたか、彼女を怯えさせてしまった。


「取り乱しました、ごめん」

「……彼氏は欲しいの?」

「んー……」


 今一度立ち止まって自分の現在の気持ちを検めてみる。


「――まあ、この年になるとねえ、周りの同年代は彼氏っていうより、もう結婚して子どももいて家庭があって、って感じで落ち着いてきてるから、なんていうか、逆に焦る時期は過ぎた。それに今は仕事も楽しいし、実際のところ別に彼氏とか……って感じかなあ」


 同じ年頃の友人たちはだいたいが皆、恋だなんだという時期はとうに過ぎて、家庭を設けて小さい子どもの世話に奔走したり、夫婦二人きりの温かな暮らしを楽しんだりしている様子を見聞きする。最近は合コンや友人同士で集まる機会はめっきり減って、人生のフェーズが変わったんだなとしみじみ思う。

 そんななか、忙しい毎日に新しいパートナーを探す時間も気力もなく、興味も薄れているのが現状だ。仕事に充実を感じている今ならなおさらのこと。


「楽しいんだ? お仕事」

「うん。君と仕事できて楽しいよ」


 嬉しそうにはにかむ玲に癒されつつも、一方でなんだかんだと常に頭の片隅にある不安がひたひたと押し寄せてくる。


「……でも、未来のことを考えずに仕事へ没頭してるうちに、もう少し年をとった時、独り身の寄る辺なさと心許なさにはたと気がついて、頭を抱える日が来るんだわ……きっと……」


 その日のことを考えると、今すでに頭を抱えてしまう。老後の恐ろしさに震えてうずくまったこちらの頭を、優しい彼女は撫でて慰めてくれた。


「……頭を抱えるようなら、あなたと一緒に稼いだお金で、私が面倒見てあげる」

「……なんと慈悲深きお方&イケメンな発言か」


 心打たれて見上げた先にいる、慈愛に満ちた表情の玲はまさにマリア様のようだ。しかもこのマリア様、養ってくれるという。与えてくれすぎ。思わず手を組んで見つめてしまう。


 そこでふとある懸念に遅まきながら気付いた。


「ていうかクリスマス、予定上はそんなには遅くならないはずだけど、玲こそ仕事入れて大丈夫だった?」

「……何も問題ないです」


 片手を上げて短く応じる玲。



 朝から晩まで側に付き従い、ほぼ生活をともにしているようなものだが、彼女に"それ"らしき気配はない。ストイックに仕事へ打ち込むのは、マネージャーとしては頼もしく感じる限りだが、彼女の人生全体を奪ってまで仕事だけをやってほしいとも思わない。


「わかってるだろうけど、アイドルでもないんだから別に恋愛禁止とかではないからね。ただ、週刊誌とかに面白おかしく取り上げられて仕事に余計な支障をきたさないように、行動には気をつけてほしいかもってくらい。本当は有名人だって別におおっぴらに恋愛してもいいと思うし、そういう社会であってほしいけどね」

「……」


 きちんとプライベートの人生も楽しんでほしい、とマネージャーの立場から言える範囲で伝えたつもりだが、玲は微苦笑を浮かべている。


「あれ、なんで苦笑い? え、もしかしてマネージャーの目を出し抜いてすでに有名若手俳優やなんかと愛を育ててたりする?」

「してないってば」


 さらに苦笑を強めて否定する彼女をしげしげと見つめてその真意を探るもわからない。



 他人の恋愛事情というのは計り知れないものだ。いつの間に、とか、まさかあの二人が、ということは往々にしてあることで、こんなに一緒にいても、私の知らない時間や場所を玲は持っているのだ。ましてや誰もがスマートフォンを常に持ち歩くこの現代社会にあっては、人同士の繋がりなんてものは片手に収めることもできるし、他人からは見えづらくもなっているはず。


 その男は信用に足るのか、どれぐらいの確度でくっつけそうなのか、いやもうすっかり安定した関係性なのか、はたまた、まだちょっといいなって感じているくらいでまだまだ見極め段階なのか、二人でご飯は何回行ったのか、食べ物やお酒の好みは合いそうなのか、金銭感覚に大きな齟齬はないか、あるいは本当に別にいいお相手なんていなくて仕事に邁進中なのか……。


 それはもうかぶりつきでインタビューでも恋話でもしたいところだが、所詮私はマネージャーなのだ。

 単なる好奇心から聞き出したい気持ちも否定はしない(もしその端緒を得る機会があれば際限なく聞き出しにかかると思うし、ちょっとお酒飲みながら詳しく聞かせてよ! とさえ言うだろう)が、真に彼女を心配する気持ちが大きい。


 けれど、この立場をして私生活を根掘り葉掘り聞き出すのは、彼女のプライベートを制限したり、牽制したりするような意図を感じさせかねない。

 大いに人生と若さを楽しみたまえ、というのがこの年長者の心からの気持ちだとしても。



 だから、恋の進捗と内実を訊くのは控えておく。

 それでも、もしも暴露報道や何かが起こるようならば、事務所としての対応も必要になってくるので一応釘はさしておく。


「週刊誌経由で玲の熱愛発覚を知るのは嫌だから、愛が育ってきたら先にマネージャーに教えてよね」

「……育ててないって言うのに」


 少しむっとした様子で応じる玲に、この話は終わらせようと決める。セクハラになってしまう。


「じゃあまあとりえあず、イブだろうがなんだろうが問題ない私たちは全力で聖夜もお仕事しましょう」


 拳を握って連体感を示せば、彼女もこつんと拳をぶつけてきてくれた。




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 そしてクリスマスイブの当日。

 朝から缶詰状態だったスタジオを出ると、日もとっぷりと暮れて暗くなっていた。


 皆何か予定があるのか、現場の空気も夕刻が近付くとそわそわと落ち着きがなくなり、通常ならもう少し遅い時間まで予定が押すのが常だが、予定時刻ぴったりに解散が告げられるや潮が引くように散っていった。スタジオの綺麗な子たちが華やぐ気持ちを抑えきれずに足取り軽く挨拶して帰るのを、可愛らしいねえ、と内心にこにこしながら見送る。



 今日はこれで仕事も終わりだし、私は近所のスーパーマーケットでサンタ帽を被せられたパートタイムのおば様たちへ会いにゆっくり帰ろうかねえ、とぼんやり考えながら玲と車へ向かう。と、彼女がふと口にする。


「あ、あのさ、K通りのイルミネーション、少し見てから帰らない?」

「ああ、そうだね。たぶん光ってるよね今」


 日中スタジオに車で向かったときはもちろん点灯しておらず、わりと壮大なクリスマスらしい催しを見られる機会も忘れていた。

 光ってるなんて物言いからも滲み出る通り、私はあまりイルミネーションに興味はない。


「車で通り過ぎるには……ちょっと人が多すぎて無理そうだし、軽く散歩してく?」

「うん」


 嬉しそうに頷く玲に、少し意外だなと思う。彼女の趣味嗜好は全般的にさっぱりしていて、いわゆる乙女方向にはあまり興味を示さないからだ。

 駐車場へ向かいかけていた足を、駅方面に変えて歩く。


「ああいうの、まあ綺麗だけど、私はそこまで関心は持てないっていうか。玲は好きなんだ?」

「……私も別に好きなわけではないけど、あそこのイルミネーションって有名だし。見ておこうかなって」


 ご飯を食べて帰るのでもない限りは、マネージャーの私にも早く帰宅させようと玲は何かと協力的なので、帰りがけに時間を割くような提案は珍しい。興味のないような言い方をしているが、そこそこイルミネーションを好きなのではないかと推測する。女性らしくていいと思う。



 白い息を吐きながらイルミネーションを目指す。

 駅へ近付くにつれ人が増した。そしてだいたいが二人ひと組の人間たちだ。思わずため息も漏れる。


「はあ、クリスマスだねえ」

「カップルだらけだね」

「幸せそうで何よりだよ、はあ」

「穂高さんあんまり祝福感がないよ」

「いやあ、ほんと、ちょっとこんなに賑わってると思わなくて。カップルアレルギーの症状が出そう」

「どんな症状?」

「うーん、仲良くぴったり寄り添う二人の間に割って入ってしくしく泣きたくなる症状」

「迷惑このうえない」


 実際にはそこまで恋人たちに引け目を感じていないものの、悲しいかな、こういう時には道化じみた反応を示す振る舞いがすでに身についてしまっている。


「そんなことしてたら泣き疲れちゃうくらいにすごいカップル率だからやらないけどね」

「でも確かに思った以上の人出」


 まるでお祭りのようだ。ぽつぽつとイルミネーションの気配がしてきた通りでは、大勢の人が灯りを見上げたり、笑い合ったり、写真を撮ったりとにぎにぎしい。もし玲に気付いた人がいればちょっとした騒ぎになりやしないかと警戒していたものの、どうやら恋人たちは、お互いか灯りに夢中で周りなど気にもしていないらしい。


 暗闇のなか優しげに点る温かい灯りの色と、幸せそうにさんざめく人たちという景色に気取られているうちに、人混みのなかで玲を一瞬見失いかけた。慌てて腕を取ってはぐれないために体を寄せる。

 路上で通行人に正体を気付かれぬよう彼女はマスクをしてキャップを深く被っているが、この暗さと状況なら問題ないのではないかと思う。ぱっとキャップを取り去ってしまうと、彼女は驚いたように「えっ?」と声をあげた。


「この感じならきっと誰も気付かないよ。上を見るのにも邪魔でしょ?」

「うん」


 花の咲くようなよい笑顔を浮かべる玲にこちらも自然と嬉しくなる。

 普段外出するときに人目を気にして歩くというのは、なかなかストレスフルな日常だと思う。たまに出歩くときぐらい、そしてこんなお祭りのような日ぐらい、彼女にリラックスして歩いてほしい。


「とか言って、騒ぎになっちゃったらごめん。その時は走って戻ろ」

「あはは。それも楽しいかも」



 点灯が本格的な場所に差し掛かると、いよいよ人通りも増してくる。人混みは何かと気分が殺伐としがちだが、クリスマスというイベントは不思議なもので、その混雑すらも皆どこか楽しんでいるようだ。一帯は平和な幸福感に満ち満ちていた。イルミネーションの灯りもけばけばしい色などではなく、温かみのある色に統一されて道の奥までずらりと連なる光景はなかなか目にも愉しいものだった。


「思ったよりもいいもんだね。皆幸せそうだしさ。来てみるもんだ」

「うん。ていうか、あなた絶対めっちゃイルミネーションのこと侮ってたでしょ」

「まあ玲がお望みなら行くけど、うーん、イルミネーションかあ……くらいの熱量だったよね、正直」

「イルミも悪くないものだという新しい知見を得たね」

「おかげさまで視野が広がりました」

「……でも」


 ぽつりと漏らした玲に視線を向ける。


「仕事が終わった時間に、無理してまで言うこと聞いてくれなくていいんだよ?」


 やや困った顔をして言う彼女に苦笑する。


「別に無理なんてしてないよ。マネージャーだからと思って今来てるわけじゃないし。逆に君はそこらへんたまに気遣いすぎてる節があるから、もっと甘えてくれてもいいと思ってる」

「――そっか。ありがと」


 照れくさいのか、彼女は前を向いて短く答えた。

 基本的には構いたがり屋さんだが、変なところで律儀というか甘え下手な面があるので、意外と不器用な人だなと思う。それもまた可愛いんだけど。



 どこかにクライマックスを飾るツリーがある、という種類のものでもないので、しゃべりながら通りをゆるゆると歩く。


 マスク以外は変装らしい変装もせず街中を歩く玲は普段のその時よりも幾分解放された様子で、それだけでもここに来てよかったと思う。


 知らず気持ちは昂揚して、子どものようにクリスマスソングの鼻歌を口ずさんでしまう。


「♪ふんふんふーふふ、ふっふっふー、ふふ、ふーふふーふーふー」

「ヘーイ」


 鈴が鳴る直前で玲が合いの手を入れてきてくれた。にやりと顔を見合わせてから、しばらく鼻歌を小さく合唱して歩いた。




 冷え込んできたため、ある程度の距離を歩いたところで折り返して駐車場へ戻ることにする。玲に風邪でも引かせようならマネージャー失格だ。

 途中、人通りが絶えて、けれど遠くに淡く光の波が見える綺麗な場所があったので、マスクを外させた玲をスマートフォンで撮影した。


 遠くまでずっと連なる光を背景に、マフラーへ顔を半分埋めて柔らかく微笑む彼女は、その姿だけでもうクリスマスの奇跡。


「イマジンオールザピーポーな玲ちゃんが撮れたよ。ラーストクリスマスで、雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろうし、ウォーイズオーバーのジョンとヨーコだったよ」

「全然意味がわかんないよ」

「クリスマスどきに流れる歌が頭の中に氾濫してて」


 某写真共有SNSの玲アカウントで載せる写真の候補へ間違いなく含める、いい写真が撮れた。

 いつもであれば、投稿予選大会で玲審査員の目に触れるまで撮った写真は見せないのだが、あんまり天使な彼女が撮れたので、ほら、と自慢するように見せた。彼女はひとつ頷いて、


「じゃあ、二人でも撮ろう」


 何がじゃあだかわからないが、気分がよいので黙って、いや鼻歌を口ずさみながら彼女の横へ並ぶ。


「あなた自撮り下手っぴだから私が撮る」


 そう言って玲は自らのスマートフォンを取り出す。私より遥かに自撮りへ慣れ親しんだ世代である彼女の言葉にちょっと気分を害すけれど、今宵はクリスマスなので引き続き鼻歌を奏で続ける。


「結局またジングルベルの歌じゃん」

「うん。あ、じゃあ『ヘーイ』の瞬間に撮ろ」


 馬鹿げた提案に彼女も笑ってカメラを構える。寄せ合った顔の後ろできらめくのは、温かい灯りたち。


「♪ふんふんふーふふっ、ふっふっふー、ふふ、ふっふふーふーふーっ」

『ヘーイ!』


 腕を振り上げながら声を合わせたところで少し止まって写真を撮る。

 くすくす笑いながら写真を確認すると、


「全然後ろ写ってないし!」


 二人して噴き出す。




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 駐車場へ着く頃には体もすっかり冷えて、駆け込むようにして車へ乗り込んだ。

 さぶさぶ、と言いつつ暖房のスイッチを入れていると、玲が車の後部座先に体を伸ばして何かを持ち出す。そしてそれを渡される。


「えっとね、普段お世話になってるお礼」


 心底びっくりした。


「えっ、えー! そんな、まさかすぎる! 私何にも用意してない!」

「当然だよ、いいの。お世話されてるのは私なんだから。受け取って」


 予想だにしない事態にまごつく私を置いて、彼女はしごく冷静にぐいと紙袋を押し付けてくるので、素直にいただくことにした。


「わー本当にありがとう。開けてもいい?」

「うん」


 しかと拝観せねばと、運転席の灯りを点けてデパートの紙袋から中身を取り出すと、有名ブランドのロゴが上品にあしらわれた小さな箱。


「わお。まじっすか」


 しっかりとした頂き物に目をむいて確認してしまう小心者の私に、玲は無言で頷き返す。

 包み紙を丁寧に開いて箱を開ければ、繊細なカット模様が美しい、華奢なクリスタルのボトルが収まっていた。香水のようだ。


「うう〜〜むっちゃ美麗やん〜端整やん〜かわいい〜」


 取り出して手に持つと、流麗でありつつも凛とした巧緻な佇まいが、こちらの気持ちも引き締めてくれる。端的に言ってめちゃくちゃに綺麗で可愛くて品がある。


「素敵〜なんだよ〜いいね〜いいよ〜」

「たまにウッディの香り付けてるでしょ。これもウッディ系だけど、気に入らなかったら、綺麗なボトルだからインテリア代わりに置いてもいけるかなって」

「いけるいける〜! 今つけてみていいですか!?」

「ふふ、いいよ」


 興奮した犬みたいになっているであろう私の様子に笑って玲が許可をくれたので、手首に吹きかけ、擦り合わせた両手を耳の後ろにやる。トップノートはベルガモット系の爽やかな香りを中心にしたもののようだ。好みをわかられすぎている。


「好きな香りですよ〜もう〜玲センス光ってんな〜。ほら」


 首元をパタパタと扇いで匂いを届かせてみる。目をつむり身を寄せて香りを嗅いだ彼女が、きゅ、と小さく笑う。


「……うん。いい香りだね」


 忙しい合間を縫ってこれを選んでくれたと思うと、本当に感謝と嬉しさが募る。


「忙しかったろうに。なにほんと、嬉しい、やばい。ほんっとにありがとう」

「喜んでもらえてよかった」


 そう微笑む玲は、もし天使が実際にいるのならこんな姿をしているんだろう、と自然に思わされるような純真無垢といった様子で、一瞬惚けてしまう。彼女自ら光を発しているように眩しい。

 やばい、とってもクリスマスだ。地上に天使が舞い降りてきてる。私が『フランダースの犬』のネロだったらこのまま天国に連れて行ってしまわれる展開。



「でもこんな気遣い、マネージャー相手にわざわざしてくれなくていいんだよ?」


 ここまで素敵なプレゼントをいただいてしまうと、さすがに恐縮してしまう。だが彼女はきっぱりと首を振る。


「いいの。あげたかったんだもん」

「いい子すぎだよ。幸せなマネージャーだよほんと」


 改めて香水のボトルを目の前にかざして眺めてみる。暗い立体駐車場のここからイルミネーションの灯りが見えるわけでもないが、複雑なカットを施されたガラスがわずかな光さえ集めてきらきらと反射する様相は、先ほどの温かな灯りや、笑い合う幸せそうな恋人たちを思い出させて、なんだか気持ちが充たされる。

 思いがけずいいクリスマスを楽しませてもらった。



「ありがとう」


 重ねて玲にお礼を言うが、外に長居しすぎたか彼女の頬が少し赤いのに今更気付く。


「ほっぺた赤くなってる。外寒かったもんね」


 慌てて自分の首からマフラーを取って玲自身のマフラーの上からさらに強制ぐるぐる巻きの刑に処す。風邪を引かれたら大変だ。車の暖房を最大限にひねり、プレゼントを手早く箱に仕舞いなおして後部座席にそっと置く。


「早くお家帰ってあったまろ。今の時間ならスーパーの売れ残りチキンが買えるし!」


 バックを確認していざ発進、というところで、乱暴に巻かれたマフラーの間から彼女が遠慮がちに声を出す。


「……あ、の」

「ん?」

「大丈夫だったら、一緒にご飯食べてかない?」


 あら。あらあらこの子は。


「……ははあ……さては玲……」

「……」

「寂しいの?」

「…う、うん」

「……」

「哀れなものを見る目しないでよ」

「こんな天使みたいなべっぴんさんをクリスマスに寂しがらせてる世を儚んでる目だよ」

「もう、いいから。どっか行こうよ。あなたが甘えていいって言うから私今甘えてるんだけど」

「おお、さすが早速適応してくるねえ。でも、私だいぶスーパーの冷たい売れ残りチキンを期待する舌になってたんだよね」

「……」


 口を引き結んで小さい子どものように黙り込む玲へ愛しさが湧く。


「うそうそ! 行こ行こ! そんな拗ねないでよ! 温かい食べ物食べて美味しいワイン飲も!」


 軽く肩を小突かれて笑いながらラジオをつければ、クリスマスソングが流れてくる。

 今夜はもう少しだけクリスマスらしい夜を過ごせそうだ。




===============


 後日、遅くなったが玲にお返しのプレゼントをした。

 年が明けてお年玉みたいになってしまい、親戚のおばさん感を感じて妙に侘しくなる。だが、考え抜いた品々たちには自信がある。


「玲さん」

「はい」


 楽屋で台本を読んでいた玲の対面に座り、真面目くさった顔と声音で声をかける。移動とともに隣のパイプ椅子の上へ、お返しの品々を詰め込んだ紙袋をさりげなく準備したが、目端の効く玲はちらりとその存在を視野に入れて、でも気に留めない様子を示してくれながら、居住まいを正して返事をした。


「あけましておめでとうございます」

「なあに、今さら。おめでとうございます」


 頭を下げて年始の挨拶を改めて行えば、彼女もなんだかんだとぺこり、頭を下げてくれた。


「昨年は玲にはいろいろとお世話になり、そしてお世話をし、たくさん玲の美しさ、気高さ、尊さを味わわせていただき、どうもありがとうございました」

「こちらこそ、たくさんお世話してくださり、ありがとうございました」


 再びぺこり。


「そして年末には素敵なプレゼントをいただきました。そう、とても素敵な」


 そこで勘の良い彼女は話の行方を見て取り、黙ってにこりと笑む。


「遅くなりましたが、私からもささやかな贈り物をばと思いまして」


 ずい、と隣のパイプ椅子から紙袋を持ち出し、机の上に載せると、彼女は片手を上げ言う。


「本当にいいのに、お返しなんて。私の自己満だったんだから」

「いえ! わたくし本当に嬉しかったので。こんなに嬉しい気持ちになれるなら、玲さんにもそうなっていただきたいなと用意したまでです」

「……ありがとう」


 微笑みを深くして上品に笑う玲の顔を見られただけで、プレゼントの対価を私は得てしまっている。

 いや、本来は玲からもらったプレゼントのお返しをするための今回の贈り物であるわけで、今目にした微笑みは私がまた新たに玲から授かったものか。終わらぬ贈与の輪。


「ま、お年玉だと思って」

「わーい」


 無邪気に紙袋へ両手を伸ばす彼女を、冷静に押しとどめる。


「普通に開封されると、なんか恥ずかしいからプレゼンさせてもらっていい?」

「何それ」

「私意外とこういう時相手の反応とかすごく気になっちゃうタイプだから、いっそここはテレビ番組風にお品のひとつひとつを紹介させてほしい」

「俳優の端くれとして、嘘でも嬉しそうにしてみせるのに」

「演技されると、それはそれで寂しいものがある……」


 玲は笑って、


「うそうそ。素直に喜ぶと思うけど、プレゼンのお手並み拝見いたします」


と言ってくれたので、咳払いをひとつして背筋を伸ばす。




 取り出したるひとつめは、肌馴染みがよく、玲の顔色と相性のよかった下地。

 先日の撮影で使ったところ、するする伸びて彼女のブルーベースの肌をよく引き立てていて、内側から輝くような印象があった。

 まあいつだって彼女の魅力は化粧品がどうのではなく、自らの力のみで眩しく光り輝いてるんですけど。なので、プライベートでも使ってみればよろしいのでは、というヘアメイク担当からの提案のような品。


 ふたつめ。パッケージも美しく高価な美容液。

 これは私も使っているやつ。いわゆる神。翌日の肌の調子がまったく違う。肌がみんな童心に帰って沸き立っているような感じ。そんな元気いっぱいの肌につられてこちらのテンションも朝から上がる、そんな魔法の薬。


 みっつ目は、某スープ屋さんのレトルトパックをいくつか。

 美味しい。玲も気に入ってよく食べているらしいグリーンカレーのものも含めてある。


 よっつ目。腹巻。

 実体験に基づくレコメンド。私も持っています、愛用中です。つまりお揃い。これは本当にぬくい、そして肌触りが滑らかで心地よい。QOL爆上がり。私はこの腹巻によって人生が上向きました。ただし個人の感想ではあります。


 五つ目。目元を温めて疲れを癒す使い捨てのあのアイマスク。

 癒しは大事。忙しい日々にしっかりと休息の時間を設けるべしという私の暑苦しい気持ちもおそらく目元の温めに寄与する。



 ――以上が、健やかに生活してほしいというお母さん的観点を主軸に置いて選んだ品々。


「名付けて『いつまでも綺麗で健康な玲ちゃんでいてね、あったかくして疲れは溜めないようにねセット』です」

「わ〜欲しいっ! お電話はどちらまで!?」


 主に通販のテレビ番組風にお届けしたこちらに即して、玲もところどころで拍手をしたり、「なるほど〜」「え〜!?」などと観客らしき合いの手を入れてくれたりしていた。


「勝手にこちらから送りつけるのでお電話は不要です! そして今ならなんと……こちらもお付けしちゃいますっ!」


 勢いこんで言ったものの、手際が悪くて取り出すのにまごつく。そこには若干の照れもある。


「……はい、最後のお品はですね。前にV誌の撮影で使ったネックレス、気に入ってたでしょ。だから……でもごめん、予算の関係上あれを買うのはさすがに無理なので、あれによく似たデザインのものを見つけて。有名ブランド品とかではないんだけど。可愛いと思います」


 箱を開けて、ごくごく小さな一粒のパールを後ろから台座が抱き込むような、シンプルだけれど優雅さのあるそのアクセサリーを見せる。

 玲は口元に両手を当てて、目を丸くしている。


「え、え〜……気に入ってたこと、よくわかったね。ていうかあの撮影って結構前じゃない!?」

「今回のお返しのプレゼントとは別に、あの頃から似たやつをなんとなーく探してたんだよね。見つけたらあげよ、と思ってて。そしたら折よく見つかったから」


 照れ混じりにもそもそと言えば、玲は机に突っ伏してうめき声をあげた。


「う、う」

「え、どうした?」


 ばっと勢いよく顔を上げて、怒ったように彼女が言う。


「惚れてまうやろ!」

「ふっふ、惚れろ惚れろ、探した甲斐があったわ」


 彼女はそろりと箱からそれを取り出して、しげしげと眺めた。

 そして、熱に浮かされたかのごとく、うっとりと声を漏らす。


「ああ……好き……」


 美しい人の色っぽい声音に思わずどぎまぎしつつ、どうやら贈り物を気に入ってもらえたことに安堵の感情が湧いた。


「よかったよかった」


 彼女はそのネックレスを装着せんと腕を掲げて俯きかけ、だが、ついと顎を上げると、高慢に、


「つけてくださる?」


とお願い口調の下令を下してくる。テレビ通販のいち観客になりきっていた先ほどまでとは全く違う顔。

 自らの美しさと、それによって人を思いのままに動かすのが可能なことをよく知っているその表情は、憎らしいほど彼女によく似合う。


「仰せのままに、女王様」


 恭しくネックレスを受け取って、背後へ回る。

 アクセサリーがつけやすいよう、彼女は長い黒髪を前に流して首筋を露わにしている。

 白く輝くうなじに、崇高なものへ敬虔な気持ちからひれ伏して忠義の印に口付けたいような、ただ単にその艶めかしさに欲情をかき立てられて吸い付きたいような、そんな衝動を感じるが、もちろんぐっとこらえる。危ない危ない。


「はは、普段人にネックレスつけてあげることなんてないから、なんか照れる」


 邪な考えをごまかそうと口にした言葉に、しかし玲は答えず、ぽつりとつぶやく。


「――香水、つけてくれてるんだね」

「うん、君がくれたやつ。ラストノートの香りも好みだよ」


 なぜか留め具をはめるのに苦労している手を一旦止めて、後ろから腕を彼女の顔へ差し出すと、素直に香りを嗅いでくれる。


「あなたによく似合ってると思う」


 小さく頷いて言う。静かなトーンでそう言われると、背後からわざわざ自らの体臭を嗅がせている行為にふと気恥ずかしさを覚えた。



 髪をセットするときとなんら変わりなく背後に立っているのだが、いつもと何かがなんだか違う。

 こんな時に限って、彼女は背中がわりと大きく開いたセーターなどというものを着ている。視線がついそちらに寄せられる。あ、こんなところに小さなほくろがあるんですね、玲ってば。……



「整いましたっ!」


 アクセサリー装着完了の合図を少し声を張って知らせることで、妙な気分になってきたのを吹き飛ばす。


「ちょっと待ってて、鏡持ってくるから」


 彼女のすぐ近くに立っていることに耐えられなくなり、いそいそと化粧道具を詰めたメイクボックスへ小走りで駆け寄った。

 すぐに戻って、中ぶりの鏡を彼女に向ける。


「綺麗だね」


 白魚のようなたおやかな手で、大事そうにその贈り物を撫でられると、なぜだかこちらの皮膚が粟立ってしまう。


「どう?」


 先ほどまでの自信たっぷりの様子はなりを潜めて、期待と少しの不安が入り混じった表情で訊いてくる彼女は、なんだかちょっと幼く見えて。


「あの……なんていうか……玲さん、めっちゃ可愛いです……」

「っ、なんかじんわり言われると照れるじゃん!」

「だって……可愛い人だなあってじんわり思ったんだもん……」


 そう言うほかなく正直に述べると、彼女は眉間にしわを寄せて目を逸らした。


「これが似合うかどうか聞いてるのに、もう」

「そりゃもう似合うよ、似合わないわけない前提が揺るぎなくあるうえで、可愛いなあと」

「……ほんと誉め殺してくるよね」

「玲の可愛さが私に殺人教唆をしてくるの」

「唐突に物騒」



 少し黙ってから、彼女はす、と頭を下げる。


「本当にありがとう。どれも私のこと考えて選んでくれてるのがわかるよ。嬉しい」


 そう言って微笑むのは、通販番組の観客でも、傲慢な女王様でも、オーラに溢れたモデルでも女優でもなく、等身大の若い女の子の玲だった。

 その彼女が笑ってくれるなら、贈り物を用意した甲斐があったというもの。


「天使が微笑んでくれるから、私、貢いでしまいそうだわ」

「貢いでしまってもいいのよ?」

「どうやら天使の皮を被った悪魔だったみたい」



 笑い合う私たちに、今年もたくさん幸運が舞い込んでくるはず、福も引き寄せられてくるだろう、と根拠なく確信を抱く。

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