第52話 不穏な話を耳にした
「田助様、雫さんと知り合いだったのですか?」
驚いている
「なるほど。そんなことがあったのですね。さすがは田助様です。素敵です。かっこいいです」
「惚れ直したか?」
「はい!」
衣子なら当然そう返してくると思いながらも、実際にやられると思いのほかこっ恥ずかしい。
「お、おう。そうか」
「具体的にどれくらい惚れ直したか、お伝えした方がいいですか?」
「あ、いや、それには及ばないというか」
「では、お伝えしますね?」
「俺の話聞いてた!?」
「もちろんです。私が田助様の話を聞き逃すわけがありません」
「だったら!」
「ですが、私の話を聞いて照れる田助様のことも私は大好きなのです! だから話します!」
「俺の嫁が俺のことを好きすぎる……!」
「世界で一番田助様のことを愛しているという自信がありますからね……!」
「もうやめて! 俺のライフはもうゼロだから!」
「いいえ、それは無理です!」
笑顔の衣子はかわいいが、こうやって追い詰めてくる衣子もやっぱりかわいい。
つまり、衣子は最高にかわいい。
……あれ? 何かがおかしいなと思うものの、まあいいかと結論を下してしまう田助は、すっかり衣子に飼い慣らされていると言えるだろう。
そんな二人のやりとりを驚いたような目で見ている人物がいた。
「あの、ここにボクがいること……忘れてますよね?」
雫である。
「まさかのボクっ娘……!」
お嬢様っぽい見た目なのに。ギャップがすごい。だが、それがいい。すごくいい。
呆気にとられている雫に気づき、田助は謝る。
「あ、悪いな」
「いえ、よく驚かれますから。大丈夫です」
「そっか」
「それで、えっと……衣子姉さんとあなたはどういう関係で? その、さっき『俺の嫁』とか聞こえてきたんですけど」
雫の疑問に田助が答えようとしたら、
「私に任せてください、田助様」
と衣子が言うので、任せることにした。
衣子と田助が結婚していること。
相思相愛を飛び越えて、地球上で一番しあわせな夫婦であること。
これからは銀河で一番しあわせな夫婦を目指すこと。
「いえ、銀河だけでは足りません。だって私は田助様のことを本当に、心の底から深く愛しているのですから……!」
「き、衣子姉さん、それ以上はやめてあげて!? 旦那さんが真っ赤になって床をゴロゴロ転がってるから!」
「まあ、かわいい」
「え!?」
と雫が驚き、
「え?」
と衣子が返す。
普通に考えれば雫の反応に共感を示すところだろうが、衣子ならこの感想は間違っていないと思う田助は、やはり衣子に飼い慣らされていると言えるだろう。
「そ、そうですか。本当に、その、お二人は夫婦、なんですね……」
雫が驚いたような、ショックを受けたような、そんな感じの反応を見せる。
まあ無理もないと田助は思う。
衣子があんなことになっていなかったら、田助と衣子は結ばれていなかった。
それくらい、田助と衣子は遠い世界に生きてきた。
雫の反応はもっともだ。
「それで、今度は俺が質問してもいいか?」
「あ、はい。どうぞ」
まだ若干、ショックが抜けていない感じだったが、雫は気丈にもうなずく。
「衣子と君の関係って何? 衣子のこと姉さんって呼んでたけど親戚か何か?」
「それは……」
なぜか口ごもる雫に代わって、
「私がお答えします」
と衣子が教えてくれた。
本当ならば衣子は雫の兄と結婚するはずだった。
雫の兄は水無瀬徹。
あのゴミである。
言われてみれば、雫とあの男、整った顔立ちが似ている気がする。
「そういうことなら――」
田助の声と表情から何を言いたいのか、衣子は察したのだろう。
「あの人にいい思い出はありませんし、むしろ今ではすっかり忘れていますが、雫さんは別です」
「別?」
「あの人の妹とは思えないくらい、とてもいい子なのです」
衣子が交通事故に遭って入院した時、あの男は見舞いに来るどころか婚約破棄を突きつけた。
だが、雫は違った。
衣子が交通事故に遭ったと知るや否やすぐに駆けつけた。
あの男が身勝手な婚約破棄を突きつけた時はあの男に代わって誠心誠意、謝った。
雫がそこまでする必要などまったくないというのに。
「あの人はどうでもいいですが、雫さんが義妹になる未来がなくなったのは残念です」
「衣子
「衣子姉さんですよ?」
「え?」
ぱちくりと雫が瞬きする。
「そんな他人行儀に呼ばないでください」
「で、でも……」
うれしい、だけどけじめを付けなければいけない。そんな顔をする雫だったが、
「衣子姉さんです」
「え、えっと……」
「衣子姉さんです」
田助は、自分が初めて衣子の名前を呼んだ時のことを思い出して懐かしくなると同時に、少しだけ笑った。
「衣子は一度言い出したら、絶対に譲らないぞ」
田助の言葉に、雫は今にも泣き出しそうな顔で笑った。
「知っています。……あの、衣子姉さん」
「はい」
衣子が笑えば、雫はいよいよ涙をこぼした。
「ありがとう、衣子姉さん……」
雫を衣子がやさしく抱きしめる。
そんな二人を見て、田助は思った。
先ほど田助と衣子が夫婦であるという話した時の雫の反応は、田助が想像したものとは違うのだろう。
本当なら義姉になるはずだった人が、もう完全に義姉になることはないのだと知って、ショックを受けたのだ。
「それで、雫さん。怪我をしたって聞いたけど具合は?」
衣子が尋ねた。
これまでの雫の様子から考えれば、それほど重い傷を負っているということはないだろう。
実際、
「大丈夫です。友だちが襲われそうになって。それを庇った時にちょっとだけ怪我をしましたけど」
ほら、ここです――と雫が見せてくれたのは、手のひらだった。
包帯が巻かれているのを見ると痛々しいが、
「すごいことになっているみたいに見えますよね。でも、かすり傷なんです。包帯の下には絆創膏が貼ってあるだけで」
雫が包帯をずらしてこちらに向けてくる。
デフォルメされた犬が描かれた、かわいらしい絆創膏が貼ってあるだけだった。
聞けば友だちが貼ってくれたものらしい。
「なら、どうして入院することに?」
衣子の疑問はもっともだ。
「怪我は大したことがなくても、たとえば倒れて頭を打ったとか? それなら精密検査をする必要もあるから」
田助の言葉に、雫が頭を振る。
雫が庇った友だちというのがこの病院の院長の娘で、大げさに騒ぐものだから入院することになったというのが真相らしい。
「……本当なら、こんな立派な病院に入院できるほど、ボクのうちには余裕がないですから」
そう言って雫は笑ったのだろうが、完全に失敗していた。
田助は思い出した。衣子の祖父、正和が水無瀬家に対して圧力をかけたことを。
身勝手に婚約破棄しておきながら、自分の都合が悪くなると再び衣子に結婚を迫ってきたあの男を野放しにしていた責任を取らせる形で。
水無瀬家はそれまで築き上げてきた地位も、財産も、名誉も、すべて大幅に失うことになったのだ。
「……そう言えば雫さん、少し痩せましたね」
雫を抱きしめていた衣子がぽつりと呟く。
「ダイエットしようと思っていたから、ちょうどよかったです」
雫の言葉は、強がっているようにしか聞こえなかった。
実際に強がりなのだろう。
いろいろと失ってしまうつらさは田助にはよくわかった。
シャルハラートの勘違いによって、人生をめちゃくちゃにされたからだ。
そのおかげでスキルを手に入れ、ダンジョンを堪能し、綺麗でかわいい嫁ができたが、それはそれ、これはこれだ。
雫の友だちが入院を勧めたのも、おそらく普通に手をさしのべても雫は受け取らないと考えたからではないだろうか。
今回のことをきっかけに、少しでも雫に元気になって欲しいと考え、無理矢理入院させたのでは。
「あの、田助様」
衣子が田助を見る。
大丈夫だというふうにうなずいてみせる田助。
「君は女の子だ。女の子の体に傷が残るのはよくないと俺は思う」
「あ、えっと。その、あ、ありがとうございます」
雫の顔がほんのりと赤くなる。
熱でもあるのだろうか。
ちょっとした傷でも細菌に感染し、最悪の場合、死に至ることもあると聞いたことがある。
「だから、これを飲んでくれ」
ポケットから取り出すふりをして、田助がアイテムボックスから取り出したのはエリクサーだった。
病院からの帰り道。
田助は衣子と手をつなぎながら歩いていた。
「今日はありがとうございました、田助様」
「別に、大したことはしてないから」
実際、田助がしたことはエリクサーを雫に渡して、飲んでもらっただけ。
あの後、エリクサーがポケットには入りきらない大きさであることに雫が気づいて、ちょっとした騒ぎになったが。
『これ、絶対にポケットには入りきらない大きさですよね……!?』
『そこに気づくとは……! ……ま、まあ、なんだ。俺はほら、魔法を使えるんだよ』
嘘は言っていないが、かえって胡散臭くなった気がする。
なのに、
『なるほど……!』
雫は納得してしまった。
雫の将来がちょっと心配になった田助であった。
「それより、雫ちゃん、気になることを言ってたよな」
「雫さんを怪我させた犯人のことですよね」
衣子の言葉に、田助はうなずく。
夜だったので、はっきりと見えたわけじゃないらしいが、襲撃した奴は肌が緑色した小さなおっさんだったというのである。
その他の特徴は禿げていて、鋭い牙みたいなものがあって、目が赤く血走っていて、着ていたのは腰蓑だけで……。
……はっきり見たわけじゃないと言っていたわりに、かなりしっかりと見ていると思うのは田助だけだろうか。
それはさておき、雫の言う襲撃犯に田助は心当たりがあった。
心当たりというか、見たことがあるというか。
どこで? ダンジョンで。
そいつの名前はゴブリンという。
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