第六話 家守

第6話 家守 その一



 清美の実家は、ほんとに山奥にあった。昨夜、一泊したのはI県だが、となりのA県とのあいだの県境に位置している。奥羽山脈のもっとも深いふところだ。


「こんなところに、ほんとに人が住んでるの? 熊と鹿しかいないんじゃないの? 僕、悪魔は退治できるけど、熊に襲われても撃退できないよ?」

「すいません。はふぅー。この熊ちゃん、可愛いですねぇ」

「僕の熊に勝手にさわるなよ」

「あっ、熊はダメ? じゃあ、こっちの蜜蜂ブンブンでもいいですよ?」

「ミツバチもダメ!」


 目的地へむかう車内は、なんとも騒がしい。大人三人が荷物とともに乗りこむわけだから、それでなくても軽自動車では狭すぎるのに、その上、青蘭が大量のぬいぐるみを持ちこんだものだから、見ためも、にぎやか。青蘭と清美のかけあいも、にぎやかだ。


 青蘭は助手席にすわっているので、ぬいぐるみの大半は後部座席に置かれている。青蘭は清美がそれらを手にとるたびに目くじらを立て、よっぽど心配なのか、一番お気に入りのユニコーンは抱きしめて離さない。

 青蘭にこんな一面があるなんて、ほんとに意外だ。


「はいはい。二人とも。もうすぐ着くぞ。あっ、二又だ。どっちに行けばいいのかな?」

「右に行ってください。左側が痣人神社のある山頂に行く道です」


 清美に言われたとおりに進んでいくと、舗装もされていない細道のさきに、廃屋かと見まごう一軒家があった。昔は風情のある茅葺き屋根の古民家だったのだろうが、今はむしろ、ゾンビの住処だ。


 雑草のはびこる前庭に自動車を停め、とりあえず降車する。

 その家を見あげて、青蘭は言った。

「……愚民、ど貧乏なの?」


 龍郎が実家を青蘭に見られてコレを言われたら、けっこうへこむが、清美はへっちゃらな顔だ。

「えっ? 普通の小市民ですよ?」

「ふうん……熊、あげる」

「えっ? いいんですか? わあっ、ありがとうー!」


 どうも哀れに思ったようだ。青蘭は後部座席から熊をとりだして渡している。単純に喜んでいる清美は、なかなかの強者つわものだと、龍郎は思った。


 龍郎や青蘭にとってはお化け屋敷でも、清美には懐かしの我が家だ。熊をかかえて玄関まで走っていく。


「お父さん。お母さん。ただいまー! 友達つれてきたよー」


 龍郎は青蘭が失礼なことを言わないように、あわてて一歩前を歩いて、玄関に立つ。そのとき、どこか冷んやりとした空気を感じた。なんだろうか? この空気。悪魔の匂いとも、また違う。でも、家のなかに何かがいることだけはわかった。人ではない何かだ。


 青蘭もそれを感じとったらしかった。顔をしかめて、龍郎を流し見る。龍郎がうなずくと、うなずき返してきた。


 少し待ったのち、なかから人がやってくる。五十代なかばくらいの女性だ。眼鏡を外した清美をちょっとふくよかにしたら、こんな感じだろうか。まだ夕暮れ前だが、家のなかが暗い。そのせいか、陰影が深く見えた。


「おかえり。清美。お友達もいらっしゃい。どうぞ、なかへ入ってくださいね」

「ありがとうございます。これ、つまらないものですが受けとってください」


 龍郎が買ってきた菓子を渡すと、清美の母は頭をさげた。手渡しするとき、かすかにふれた手が冷たい。だいぶ冷え性のようだ。


「お母さん! この人ね。星流おじさんの息子さんなんだって。すごいでしょ? ぐうぜん、会ったんだよ。八重咲青蘭さん。こっちは青蘭さんの友達で仕事仲間の本柳龍郎さんだよ」


 清美は興奮して話すのだが、清美の母はたいして関心もなさそうだ。

「まあまあ、玄関先でなんだから、なかへどうぞ。今、お茶を出しますからね。今夜は泊まっていかれますか? 夕ご飯、何もお出しできないけど。清美が言っといてくれたら、町に買い出しに行ったのに」

「あっ、ごめーん」


 清美と清美の母がならんで家のなかへ入っていく。玄関は土間で、上がりがまちから囲炉裏のある和室につながっている。典型的な東北の古民家だ。それにしても、ずいぶん家のなかが寒い。真冬だからしかたないと言えばしかたないが、家の人たちは何も思わないのだろうか? 龍郎はすぐに風邪をひきそうだ。


「お母さん。寒いよ。家のなか」

「あら、そうだった? お母さんたちは慣れてるから。じゃあ、囲炉裏に火、入れるね」

 そう言って、清美の母は囲炉裏に火を入れる。そして、湯をわかすために裏手に消えていった。

 それにしても、すきま風も通るし、よくこんなところで清美たちは暮らしているものだ。


「そう言えば、清美さんは学生? おれより年下かな?」

 龍郎は聞いてみた。


「わたし、社会人だよ? ふだんはふもとの町に一人暮らしなんだ。税理士事務所で働いてる」

「えッ? 社会人?」

「税理士事務所?」

 思わず、龍郎と青蘭の声がそろう。

 清美は得意げに丸眼鏡を指で押しあげた。

「これでも司法書士の資格、持ってるからね」

「ぜんぜん……」

 途中まで言いかけて、龍郎はあわてて口をつぐむ。だが、龍郎が遠慮したというのに、青蘭はスッパリ言いきった。

「ぜんぜん、見えない」

「そうでしょ。そうでしょ。若く見えるねって、よく言われるんだ!」


 若くというか、頼りなさげというか、オタク感満載というか。が、清美は褒められていると思っているようなので、龍郎はそっとしておくことにした。


「そうかぁ。清美さん、おれより年上なんだ。おれは今年で卒業なんだ。いくつ?」

「女性に年を聞きますか……」

「清美なんて女のうちじゃないよ」と、これはもちろん、青蘭だ。

「うう、そりゃ青蘭さんにくらべたら、たいていの美女は降参しますよ?」

「何、自分を美女のくくりにしようとしてるわけ?」

「バレましたか?」


 言いあっているところに、清美の母が盆を手に帰ってきた。湯呑みに急須の中身をそそぎながら微笑む。とても嬉しそうだ。


「清美がうちにお友達をつれてくるなんて始めてです。どうぞ、これからも清美と仲よくしてやってくださいね」

「あっ、はい。もちろんです」


 龍郎は頭をさげたが、青蘭は妙な顔つきをしている。まあ、愛の告白をすれば嘘つきと返してくる青蘭だ。そこは、いたしかたあるまい。


「ところで、清美さんのお母さん。さきほども紹介されましたが、こっちの青蘭は星流さんの息子なんですよ。星流さんのことで、ちょっとお聞きしたいんですが」


 本題を切りだすと、清美の母は腰をあげた。


「すいません。わたしは星流さんとはほとんど会ったことがないんですよ。夕食の支度をしてきますので」

 逃げるように去る。

「あっ、待って。お母さん。わたしも手伝うよ」

 清美もあとを追っていった。


 二人になると、青蘭は厳しい顔をする。

「……何か変だな。この家。何がとは言えないけど」


 じわじわと違和感が積もっていく。

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