第四話 デビルズボックス

第4話 デビルズボックス その一



「あんたたち、困ったことしてくれたね。襖の改装には百万もかかったんだよ?」


 座敷わらしの出る宿で迎えた朝。

 宿の主人の錦戸さんは、さすがに仏頂面で、龍郎の壊した最新ドアロック付きの襖をながめた。


「すいません。ほんとうにすいません」

 平謝りする龍郎に反して、青蘭は不遜ふそんな態度をくずさない。

「そんなの弁償すればいいんだろ? これで、どう?」

 と言って、ポケットから財布をとりだしたが、そこに現金は残っていなかった。なぜなら昨夜、この宿に泊まるために、先約の客を買収したからだ。有り金を全部、使ってしまっていたのである。


 青蘭は白けた目を一瞬、それに向けたあと、財布をしまった。そして反対側のポケットから、今度は細長い手帳のようなものをとりだす。

 龍郎も現物を初めて見た。小切手帳だ。ほんとに、そんなものが、この世に存在するのか。それはどこか別世界にしか存在しないものだと、たった今まで思っていた。


「いくら欲しいの? 百万? 二百万? 三百万? あっ、そうそう。人形も壊したから、五百万でいい?」

 なにやら低姿勢で錦戸さんは頭をさげる。呆然としているのかもしれない。

「……はい。かまいません」


 青蘭はスーツの胸ポケットから万年筆をとりだし、キャップを口に挟んで外すと、サラサラと小切手に金額を入れた。


「これでいいでしょ? じゃ、帰るよ」

「お待ちください! これ、本物なんでしょうね? ほんとにお金になるんでしょうね? 詐欺じゃありませんよね?」


 錦戸さんはあわてふためいている。

 まあ、疑いたくなる気持ちはわかる。

 青蘭は愚民光線を錦戸さんに浴びせたのち、こう告げた。

「じゃあ、今から銀行に行こう。おまえがそれを換金するまで、そばにいてやる」

「……ありがとうございます」

 錦戸さんは大人だなぁと、その会話を聞いて龍郎は思った。


 というわけで、大手銀行の第一支店のある市まで、龍郎たちは行かなければならなくなった。


「あの、襖と人形が壊れたことは、わたしのせいでもありますし、わたしもいくらか出したほうがいいですか?」と、清美が言ったが、青蘭にとって五百万は端金だ。一般人の一日ぶんのオヤツ代みたいなもんである。ローソンでロールケーキを一個買って友達にあげたら「折半しようか?」と聞かれたに等しい。

「けっこう」と、一蹴いっしゅうする。


「えっ? でも、五百万ですよ?」

「だから?」

「えっ……わたしの良心が痛むというか」

「おまえ、地元の人間だよな?」

「地元……まあ、近くっちゃ近くですね。県内なので」

「じゃあ、美味しい店とか知ってるんだろ? 昼食おごってよ。レトロな感じの洋食屋がいい」

「わかりました!」


 朝食はとりあえず用意してもらったので、チェックアウトをすますと、龍郎たちは錦戸さんの車に先導されて、ふもとの市へ移動した。

 錦戸さんはだいぶ疑っていたようだが、小切手は問題なく換金された。

 ついでに青蘭はキャーケースいっぱいの現金をひきおろした。かつて見たことのない札束を見て、龍郎はめまいをおぼえる。


「それ、いくら入ってるの?」

「五千万。これだけしか現金の用意ができないって言われた」

「あっ、そう」


 龍郎は五千万を持ち歩いてると思うと気が気じゃないが、青蘭はなれたものだ。見たところ、身なりのいい旅行者が着替えの入ったキャリーケースを引いて歩いているようにしか見えない。


「ひさしぶりの街なかですね。もう山のなかには、ウンザリ。今日はここで泊まろうよ」と、青蘭は機嫌がいい。

「わかった。ホテル、探すよ」

 龍郎は近場の一流ホテルを検索し、電話をかけまくる。

 そのあいだ、あせったようすで清美もネットを調べていた。青蘭を満足させる洋食屋を探すのに必死らしい。


「青蘭。駅前のロイヤルホテルがとれた。とにかく、そこの金庫にそのキャリーケースを預かってもらおう」

「うん。まあ、重いですからね」

「いや、重さの問題じゃないけどな。おれが持つよ。手がふるえるけど」


 銀行を出たところで錦戸さんとは別れ、軽自動車に乗りこむと、ロイヤルホテルに直行する。

 ホテルは落ちついたふんいきの背の高いビルだった。おどろいたことに、フロントへ行くと、ホテルの従業員がみんな青蘭を見て、深々と会釈する。キャリーケースを預けたときも、フロント係は問いただすこともなく恭しく受けとった。


「こちらが部屋の鍵になります」


 電話ではシングルルームしかあいてないというから、そっちを予約したのに、渡されたのは最上階のスイートルームの鍵だった。


「なんで? みんな、青蘭を知ってるみたいだけど」

「そりゃ、年中、あちこちのホテルを渡り歩いてるからね。たいていのとこは顔パスだよ」

「なんだ。じゃあ、アポなし訪問でよかったんだ」


 荷物を部屋まで運ぶためにエレベーターに乗りこんだ。まわりに、いやに人が多いなとは思った。

 昼間の三時にホテルのエレベーターが満杯というのは普通ではない。通常なら昨日の客はチェックアウト済みで、今日の客はチェックイン前。ホテルとしては一番すいている時間帯ではないだろうか?

 大きなホテルだから、どこかで結婚式の披露宴でも行われているのだろうか?


 重量オーバーのブザーが鳴るんじゃないかと思ったが、やがてドアが閉まり、エレベーターは上昇する。


「なんで清美までついてきたの?」

「えっ? だって、スイートルームってどんなとこか、見てみたいじゃないですか。今晩、どんな豪華な部屋で、お二人がエッチするのかなぁって」

「昨日は誰のせいでできなかったんだっけ?」

「あれ? わたし、おジャマしました?」

 なんて青蘭と清美の会話を聞きながらも、龍郎はソワソワと落ちつかない。というか、人前で変な話をしないでほしい。


 すると、とつぜん、エレベーターがガクンと止まった。階についたわけではない。同時に箱のなかが真っ暗になる。停電だ。何も見えない。


 しかし、ものの十秒ほどもすると、明るくなった。二階と三階のあいだくらいだったが、箱も動きだす。非常電力に切りかえられたのか、停電じたいが一時的なものだったのかまではわからない。


「降りよう。停電なら、また止まるかもしれない——すいませんが三階押してもらえますか?」


 出入口付近の男に声をかけるが、一瞬遅く、三階を通りすぎてしまった。

「すいません。じゃあ、四階で」

 男はチラリと龍郎たちを見て、四階のボタンを押す。

 なんだか異様な風態の男だ。エレベーターのなかが暗いせいかもしれないが、顔立ちがハッキリ見えない。全体が黒く、目だけが異様に白い。


 龍郎はゾクッとした。

 イヤな感じがする。


 ——と、また、ガクンとエレベーターが階と階の途中で停止した。暗闇が周囲を包む。


 今回も数瞬で照明が点灯した。が、龍郎は気がついた。あきらかに、乗客の数が少ないことに。

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