第97話 イグルナウス

 あの日、フィルモア公爵は皇太子からの呼び出しを受け、王城の謁見室に向かった。

 そこに居たのはキーセット公爵と、俗にキーセット派と呼ばれる五人の伯爵。

 その中にはあのドラスト伯も居た。


 彼は流石にその状況に一瞬入室を戸惑ったが、皇太子から声を掛けられては逆らうわけにも行かず、警戒しながら中に進む。

 すると。


「お久しぶりですわね。フィルモア公爵様」


 慎重に歩みを進める彼にそんな女性の声がかかる。


「ん? 誰だ?」


 足を止め、少し薄暗くなっている室内を見回す。


「私ですわ」


 声の主は居並ぶ貴族たちの後ろからゆっくりと姿を表した。


「まさか、ナリザ……様。どうしてこの様な場に」


 ダスカール王国では政治に置いては完全なる男性社会だ。

 今までこの様な場に女性が、たとえ王族であろうとも同席した事はフィルモア公爵の記憶にはなかった。

 なのに今、この何やら重大なことが行われようとしている場に女性が居る。


「キーセット公爵。失礼ですが、この様な場に奥方様をお連れになられるとはどういう了見か」


 フィルモア公爵はナリザ夫人の横に立つキーセット公爵を問い詰める。


 皇太子の呼び出し。

 謁見の間に集う貴族たち。


 つまり今この場では何やら重大な決定が行われると言うことだ。

 本来なら王が居てもおかしくはないが、現在、王は数日前より体調を崩され療養中と聞いている。

 政務で昨日まで王都外に出ていたフィルモア公爵は、明日にでも王城へ自ら出向き、王を見舞う予定だった。


 そこへ皇太子からの呼び出しである。

 彼の頭に最悪のシナリオが浮かんだとしても責められはしないだろう。


 最悪のシナリオ。

 それは王の崩御である。


 その可能性を十分含んだその場に女性を連れてくるなどありえないことだった。

 今後の国の未来を決めるであろう会議となる場所にだ。


 ドワーフ族は完全なる男性上位社会の様に見えて実はそうではない。

 この様な重大な決定の場から女性を遠ざけるのは、その決定のすべての責任をその場にいる自分たちで負うという決まりがあるからだ。

 男たちはその責任のすべてを命をかけて負い、たとえそれにより大きな災が起こったとしてもその家族には害を及ぼさない。 

 それが始まりであった。


 最近はその様な意識もかなり薄れてきているものの、それでも王城内では未だにその決まりごとは健在だ。

 だというのに――。


「キーセット公爵! 貴方はっ」


 思わず掴みかかろうとしたフィルモア公爵だったが、次の瞬間その怒りに満ちた顔がさらなる驚愕に彩られた。


「まさか、フォーリナ様まで」


 ナリザ男爵夫人の後ろの闇から小柄な少女が姿を見せたからだ。

 しかもその顔は、彼が知っている無邪気な笑顔をいつも浮かべていた顔では無く……。


「イグルナウス様、面倒くさいですからさっさとやっちゃってくださいな」


 そう告げる彼女の顔は、とてつもなく面倒臭そうな物を見るような目で。

 とてもではないが子供のようには見えなかった。


「ふむ。せっかちだな。その性格は誰に似たのやら」


 彼女の言葉にフォーリナの背後の闇から、その闇よりもなお暗い漆黒のローブを着た男が音も立てずに現れる。

 フィルモア公爵が謁見の間に立ち入った時、確かにこの部屋の中にはそんな男は居なかったはずだ。

 いや、それ以前にナリザやフォーリナの姿もなかった。


「いったいお前たちは何者なのだ! キーセット公爵! それにお前達は知っているのか!?」


 フィルモア公爵が声を荒げて立ち並ぶ諸侯に叫ぶが、そのどれもこれもが表情を一切なくした顔を崩さず微動だにしなかった。


「誰にですって? そんなのお父様に決まってますわ」

「ふむ……違いない」


 イグルナウスと呼ばれた男は小さく笑うと。


「ではさっさと済ませるとするか」


 その言葉と同時にフィルモア公爵に向けて、その右手から何か黒いものが放たれた。

 闇魔法による人心操作。


「ぐうっ……」


 公爵家の者である以上、様々な魔法に対する耐性は、小さな頃から訓練によって身につけている。

 通常の魔法であれば彼の精神を操るのは不可能のはずだった。


 そう、通常の魔法であれば。

 しかし今彼を闇へ引きずり込もうとしている力は、彼のその耐性をも上回る力を持っていた。


「あら? その魔法に耐えるなんて、さすが公爵様といったところですわね」

「ふむ、しかし少しの間意識を留めておるだけだろうが」

「本当に面倒くさい男。これだけ耐性があったから遠隔で洗脳出来なかったわけね」


 その場に倒れ込み、苦しみもがくフィルモア公爵を見下ろしながら、虫けらを見るような目でそう言い放つフォーリナ。


「キーセットの方も大概苦労したがな」

「あら、アレは光の巫女が邪魔をしていたせいじゃない?」

「あれは厄介だったが、それだけではない……」

「まあそんな事は今更どうでもいいわ。やっと『贄』と封印を解く『鍵』が揃ったんですもの。さっさと始めちゃいましょうよ」

「ああ、そうだな」


 イグルナウスはそう答えると、地面に横たわるフィルモア公爵へ近づき、その漆黒のローブから突き出した手を彼に向ける。


「お前たち、一体何をっ……」

「大した事ではないさ、気にせず眠れ」


 イグルナウスの言葉を最後に、フィルモア公爵の意識は闇へ落ちたのだった。


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