第3話 マルダン共和国

地勢と気候風土


 マルダン共和国はディエラ地方の最北部、東へ伸びる大きなダルンセーネ半島の付け根のくびれた辺り一帯、休火山のコウン山をちょうど中心とした地帯を版図とする。気候は穏やかと言えるが、冬期には凍えるほどの厳しい寒さである。ただし降雪は多くない。寒さが厳しいのはこの国の北部以北からで、半島の北側のレムディーク(ヒュッポニュード)内海には流氷が流れ込み、文明の浸透を阻んでいる。

 地域一帯は冬には雪が降る。首都マルダンがある半島の付け根の南側、この国の南部には大河エルディー川が流れていて、冬は霧がかかるためか、流域は幾分暖かい。

 開拓は西方へ、つまりエルディー川の上流へと盛んに進行しているが、スティッカ・エルディー大森林とよばれる暗黒地帯のため、大きな障害となっている。逆にダルンセーネ半島にはマルダン共和国との承認協定の結ばれた封建的な小国家群、ランゴウタ諸武侯領が点在する。


創建と歴史


 1000年前には首都マルダンにさえ住む人はなく豊かな草原が広がるだけだった。ハイルダル帝国の圧制下、そしてエギナ統一帝国の破壊作戦のために行き場を無くして北へ北へ追い詰められていった人々が見出だした豊饒の地がこの地域である。やって来た開拓民がこの土地の土壌の驚異的な豊かさを発見する以前には、そこに流れる大河エルディー川自体が『黄泉の川』『血の川』とか呼ばれていたこともあり、通るどころか近付くことさえままならなかった。太古の遺跡と小さな城塞教会の遺構しかない閑散な土地であった。定住開始後もエルディー・デルタ、この土地一帯には呪いのかかっているとされた遺物が多かったという。

 ハイルダル聖王国が 980年のペディオンの乱で事実上滅亡し、ここに正統な後継を旗印とする辺境王朝が 996年に誕生すると、諸外国との戦争が繰り広げられた。この血染めの王権が三代続かぬうちに開拓民出身の貴族が蜂起し、1069年には王族を追放しマルダン共和国連邦が成立した。当時の辺境王の宮殿は焼失してしまったが、現在その敷地にはパーグガザリング・アゴラと呼ばれる議事堂が建っている。

国の規模

 都市は土塁と木柵で囲まれていたが、近年城壁が完成した。人口はマルダン市で35万人程度、共和国全体で400万人前後と推定される。面積は150万4590平方 ㍍であり、大部分が照葉樹林の森林である。人口密度は2.65人/平方 メートル。国土の利用は市街地0.6%、耕地9.1%、牧場0.7%、放牧地なし、森林83.2%、その他6.4%である。

 人種はエゼル人が多く、北方は同語を話すキューナ人が多い。僅かながらエギナ人もいるが迫害にあって生き延びている。彼らは同化を目指していて、一見して分からないものがほとんどである。2世3世のエギナ人でさえ迫害にあっている始末である。


近郊人口分布


(奴隷は含まず)

プリックヒュルテ 800人 酒造がさかん。人口が減った。最近は小麦畑が広がり奴隷が多くなった。

アルビューク 2000人 マルダン近郊で盛える。大麦畑や王葱畑が広がる。

ウィショップ 800人 木材を産出。主に建材に使われる。近年は廃屋を建材として再利用するのが普通となりパッとしない。

リタゥ 900人 権力競争激化のため潰れたパーグの別荘も点在。別荘の町である。

イルマー 800人 付近に果樹園が多い。大麦の栽培を行っている。

ブリューグ 700人 陶土を産出する。ここの土は建設にも使われるようになった。

アイデンソン 800人 湖を潅漑して小麦などを栽培。奴隷が増えた。

ルーエ 1700人 近年、湿地の干拓で豊かになってきたが疫病の発生が多くなった。

アルファン 1500人 旧鉱山を再開した。ガザリング所有。

ザーン 1400人 豚の飼育とアルファンの金銀の加工などで賑わう。人口が激増。オークの被害から立ち直った。

アーデン 700人 小麦や飼料を栽培。人口が減った。

ポォトウン 1800人 北部最大の町。奴隷人口が莫大なものとなる。アルファン上流を開拓している。

マゾン 500人 漁労が盛ん。また塩田で塩を生産。人口が増えている。

農業

 比較的温和な気候で、土壌は越えているが塩化している場合が多く、塩化土に強い大麦の栽培が盛んである。牧畜などは比較的少なく、とくに羊と山羊は一部にしか見られない。

 農耕用の牛やロバ、ラバの使用は多い。エルディー河、北方のアルフォン川の流域で盛んに農耕が行われている。山間部では果樹栽培が多い。

 エルディー河下流、首都周辺では商品作物となる野菜の栽培が盛んである。この一帯は土地が非常に肥えており、麦類の穀物栽培が盛んな大穀倉地帯でもある。作物は文明圏が広がるこの国の南へ、主にエイブルサックシティーのギルドに買い付けられる。


経済と交通


 パーグ(貴族)と呼ばれる地主的存在の領主が耕地を持ち、その作物は彼等の耕区ごとに蓄積される。そのパーグらの地位は高く、マルダンの政治と経済を牛耳っている。

 エルディー河下流域の南部地方の大穀倉地帯と、北部地域の金銀の産出から資源は豊富である。近年、その両地方を首都と結ぶ街道の建設の着手に向かっている。しかし、街道建設の技術が未熟であるため、外国人技師を導入するかどうかで議論されている。

 近年は貿易が復興し、海の民カーゴ人による交易が盛んである。しかしマルダンの港は川の土砂の堆積による浅瀬であり、海上貿易は沖合に停泊した外洋船と港の間ではしけを渡している。

 内海沿岸地域が莫大な漁業資源や鉱山資源に恵まれていることから交易が盛んに行われ、北部の町は文明圏の門戸として栄えているが、しばしば海賊の襲撃があって発展は妨げられている。そのため、交易の多くはずっと南へ下り、最大の恩恵を受けるのはやはり南部にある首都マルダンである。


政治制度


 政治機構は簡単で、パーグらの投票による多数決で決議される。初めの開拓民によって投票による政治形態が採用された。あとからやってくる開拓民に対等な権利を与えたくはないが、権利を与えなければならなくなったために、投票権を後から来た者に加えて前からいた者にも全員に与え、以前の権利と重ねて行使して構わないとしたため、後の世代にややこしい状況を生んでいる。政務は彼らの中で順番にまわってくる国長が、決議の必要の判断と実際の政治を行う。パーグらの会議を「パーグ・ガザリング」という。

 パーグは家族単位で構成される開拓民の末裔の領主で、当初、パーグ政開始時には5票の投票権を持っていた。その10年後の法律によりその売買が認められ、5票中4票までの売却が許されることになった。投票権の売買が認められてからは、投票権と土地の保有を条件としてパーグと呼ばれる貴族階級が生まれ、財政上の特権が与えられた。そのため、パーグの中でも力を持つ大貴族が現れた。その大貴族も大きな事件で力を失ったり勃興するものがあって変動を繰り返している。投票は黄金製の板金の券を形状を照合していちいち確認する。複製されたら元も子もないが黄金のほうが投票の権利より安いので、複製するより買うのが普通だろう。それだけ数が流通している。

 現在は国長が決定権を持たない政治決定でも、パーグ・ガザリングが必要を認めなければ投票は行われなくなった。大きな勢力を持つ貴族同士が話し合えばことはすむからである。


政治の仕組み

 マルダンは国長を代表とし国家特別補佐室がそれを補佐する。

 パーグガザリングは金権議会で、鉱山、入国局、マルダン市長、共和国司令室に影響力を持ち、緊急自体の特別な場合を除いて民主的、金権的に投票によって議決し国政を支える。

 入国局は、港湾部、街道部、情報部を管轄。マルダン市長は、三神殿、各ギルド、裁判所を管轄。裁判所が刑務所を管轄。共和国司令室は、共和国軍治安科、共和国軍査問科、共和国軍消防科そして共和国軍第一課部隊という正式名称の正規軍を管轄する。

 共和国軍第二課部隊は各大貴族の直轄だが、名目上は共和国司令室の指揮に従うことになっている。オークハンターは共和国軍第一課部隊、第二課部隊のどちらかに指揮される臨時雇いの集団である。

宗教

 古く開拓民の時代からミスコーラ崇拝が行われてきた。メトル神というキューナ人の神と同一視され、土着の宗教とのつながりも深い。この宗教の拠点はエイブルサック市にある。カーゴ人のもたらしたラゲルプト神やアギーン神の信仰も多い。この三つの神殿が大きな力を持つ。各神殿の祭りも信者が中心となって開催されている。

人々と風評

 マルダン共和国は国家的な戦争を体験して来なかったため、常設の軍隊でも徴兵ではなく職業的傭兵で構成されている。それでもパーグ対パーグの内乱や国家を形成していない外敵の侵入などの事件が起こり、主にパーグの私設軍隊(第二課部隊)が戦いにあたった。

 半世紀前の1178~1233年の『ニプラケラス戦争』では、北部と南部の有力貴族の戦いが行われ、多くの民の命が犠牲にされた中、1232年には北部の町が大規模な海賊集団によって甚大な被害を受けた『マイドラ事件』で、内乱どころではなくなったことで、終った。北方交易に依存していた北方の半数近いパーグは没落した。その後、数は多いが力の弱い南部のパーグの、七大貴族と呼ばれる者たちに権力が集中した。1284年現在、メルデューク家、エルプイトス家、ベストック家、アグラテリオン家、ジュエリエン家、エテルフォス家、ボルガーン家の七つである。

 近年では見直されたエルディー川の上流への西方開拓によって好景気が訪れ、未知の上流へ探検隊が派遣されている。外交関係は南方の諸国家とも離れていることもあって安定しており目立った問題はない。

 特筆すべきことはマルダンでは、特に首都では『邪教徒』と呼ばれるセト教徒の迫害が行われていることで、そのヒステリックなやり方に戸惑いを感じる旅行者が少なくないことである。その点については「名物フェスティバル」を読んで頂きたい。

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