第56話


それから本当に透を潰すためにアケミちゃんは飲みまくっていた。恋する乙女は無敵のようだ。それが健気でなんだか切なかったけど私は止められなかった。アケミちゃんには透を是非ゲットしてもらいたい。


「ねぇ、レイラ、私そろそろ帰るね」


私は透とアケミちゃんがどんちゃん騒ぎだした時にさっと帰る準備をしてお金を渡した。今ならさっと帰れそうだし今日はこの後行きたい所がある。


「え、もう帰るの?まだ飲み始めたばっかりなのに!」


いつも終電までか朝まで飲んでるからレイラは少し驚いていたけど適当に理由をつける。


「今日は寄らないといけないとこあって。悪いけどまた次飲も?」


「うん。分かったけど、気を付けてね?」


「はいはい。あと頑張ってね」


「うん!私が最後まで見とくね!」


レイラは頷いて手を振ると二人を煽りだした。この後は大変なことになりそうだけど私は店を出た。楽しそうで気になるけど、今日はどうしても葵に会いたい。やっぱり寂しくて葵に会いたくなってしまったから。



駅について電車に乗って葵の家の最寄り駅まで向かう。今日はセーブして飲んでいたから酔いもそこまで回っていないけど、いきなり葵の家に向かうのは初めてでなんだか少し緊張してしまう。さっき連絡したけど大丈夫だろうか。ていうか家に帰ってきているだろうか。葵は返信をしてきていない。


最寄り駅に着くと歩いて葵の家に向かう。前に家に勝手に来て良いと言っていたけど最近忙しそうだしもしかしたら迷惑かもしれないけど、どうしても私は葵に会いたかった。誕生日から何週間かしか経っていないけど葵が恋しいし寂しい。葵の顔が見たかった。それに私は、優香里のことを話してみようと思っていた。


そしてようやく、葵の部屋の前まで来た。緊張しながら鍵を開けて入ってみると部屋の明かりが付いていて葵が奥から小走りにやってきた。


「由季、いらっしゃい。さっき携帯見たよ?早く上がって?」


「う、うん。ありがとう」


葵は前と変わらずに笑顔で私を迎えてくれた。もう帰ってきていたようだし連絡も確認していてくれたみたいだ。

葵の顔を見たらなんだかほっとして、葵に会えたのが嬉しくて部屋に入って早々に後ろから葵を抱き締めてしまった。葵の匂いが懐かしく感じる。やっと葵に会えた。心はそれだけで満たされた。


「由季?」


「ごめんね、いきなり来て」


葵は私の抱き締めている腕を優しく握る。


「ううん、嬉しいよ。由季、鍵渡してから全然来てくれなかったから。……私のお願い聞いてくれてありがとう」


確かに前に言っていたお願いは叶えるつもりだったけど葵は勘違いをしている。実際、私が来たことでお願いを叶えた形になったけど今日は私の私情が大半を占める。


「ふふ、今日はそうじゃないよ?」


腕を離して私は不思議がる葵を他所に荷物を置いてテーブルの近くのいつも座る位置に座る。葵はそれによく分からなそうにゆっくり付いて来た。


「葵、抱き締めて?」


「え?」


近くまで来た葵を見上げて言うけど葵はよく分からなそうな顔をしている。それもそうか、私は普段こんなこと言わない。私はそれでもいつもみたいに笑って急かした。


「早く?ぎゅって抱き締めて?」


「う、うん」


葵は少し動揺しながら私の横に来ると膝立ちになって抱き締めてくれた。葵の温もりが気持ち良くて私も抱き締め返す。恋い焦がれた葵にようやく会えて触れられて、言い表せない幸せを感じた。


「今日は私がどうしても葵に会いたくて、寂しかったから来ちゃったんだ。我が儘言ってごめんね」


恥ずかしいけど本音を言うと葵は小さく笑った。


「ううん。由季の我が儘嬉しいよ?いつもなんにも言ってくれないんだもん」


「そうかな?……まぁでも、私は葵がいればそれで良いからなぁ」


「それでもだよ?もっと沢山言ってくれて良いからね?由季の我が儘聞きたいから」


葵に強く言われて微笑ましくなる。葵の優しいところが好きだなと実感する。


「うん、分かった。ありがとうね」


私が腕を緩めると葵は抱き締めるのを止めて隣に座った。葵の目線が愛しくて笑みがこぼれる。


「葵」


「なに?」


「キスして?」


「え?」


私は、早速我が儘を言ってみたのに葵は焦っている。そういえば、葵からキスをされたのは数えるくらいしかない。いつも私からしていた気がする。でも、今日はしてもらおうと思う。楽しく遊んでいたけど精神は弱っていたし元々甘えるために来たんだ。


「早く?我が儘聞いてくれるんでしょ?」


「うん、でも……照れるよ。…してくれないの?」


しおらしい葵は恥ずかしいようだけど私はやるつもりはなかった。ただ笑って葵を見つめる。


「しないよ。葵からして?早く」


「……うん。じゃあ、目…瞑って?」


「うん」


言われた通り目を瞑ると葵が動く気配が感じられる。顔に手を添えられて、葵は優しく、ただ触れるだけの短いキスをしてくれた。


「……これでいい?」


「まだ。もっとして?」


「え?…もっと?……じゃ、じゃあ、まだ目…開けないでね?」


葵は焦っているようだけど私はそのまま待っていた。すぐ近くに感じる葵は緊張したような吐息をしたと思ったら、また優しくキスをしてくれた。何回かキスをするけど少しぎこちないキスは葵らしくて愛しく感じる。私は葵が唇を離してすぐに自分から啄むようにキスをした。何度かキスをすると葵は首に抱きついてきて私も葵を抱き締め返す。葵を感じられて本当に心が穏やかになる。


「ありがとう、葵」


「…うん。…でも、ちょっと恥ずかしかった…」


唇を離して至近距離で見つめ合う。葵はいつまでもよく照れていて、その姿がいつも通りで可愛らしい。


「キスよりももっと恥ずかしいことしてるじゃん」


「それとは違うの。……顔が……近いから、恥ずかしい…」


「なぁにそれ?本当に照れ屋の恥ずかしがりだね。そこも可愛いけどさ」


私はもう一度キスをして葵に凭れるように抱きついた。葵の鼓動が聞こえて何だか安心するし心が和む。細くて華奢な体は触れているだけで私を癒してくれる。葵は私の行動にまた恥ずかしがっていた。


「ゆ、由季?いきなりどうしたの?」


「ん?…葵にくっつきたかったから。ダメ?」


「ダメじゃないけど……ドキドキしちゃう」


「ふふふ、早く慣れないと心臓が幾つあっても足りないよ?」


私がからかうと、葵はそれでも軽く抱き締めながら言った。


「…慣れないよ。…大好きだから……いつもドキドキしちゃう……」


顔は見えないけどたぶん赤くなっていそうな葵の発言にこっちがときめいてしまう。


「嬉しいよ、ありがとう。私も好きだよ…」


そんな葵に癒されて、そのまま静かに抱きついていると私の様子がいつもと違うから控えめに葵は訪ねてきた。


「……由季?…あの、なにかあった?」


「……」


その問いにすぐに答えられなくて黙ってしまう。優香里のことを話すか話さないかここに来て私は迷っていた。話しても困るだろうしこれは終わった話だ。私の暗くて重い部分は前に少しだけ話したきりだけど葵に言っても大丈夫なんだろうか。引いて、気持ち悪がるだろうか……。私が悩んでいると葵は私の肩を掴んで真面目な顔をして見つめてきた。


「由季がなにか……悩んでたりするなら……私、力になりたいよ?あんまり……上手く意見とか、言えないかもしれないけど……頑張るし、由季のこと…なんでも分かってあげたいの。由季の気持ち、全部知りたいから。話したくなかったら、しょうがないけど……でも、なんでも聞くからね?」


控えめな葵が勇気を出したように言ってくるからそれが心に響いて少し泣きそうになった。葵は本当に変わった。私が促したり助けたりしなくても大事なことを言えるようになった。それが嬉しくて、私のために頑張って言ってくれた葵に勇気を貰った。


「…ありがとう葵。……ちょっと前から少し気分が落ち込んでたんだ。誰かといる時は忘れられるんだけど一人だと色々考えちゃって。最近ちょっと精神的に疲れてたっていうか…。少しね、色々あったんだ」


「うん。教えて?聞きたい」


「ちょっと重いし暗い話になるけどいい?」


「由季の話ならなんでも聞きたいから平気」


葵は私の手を両手で握ってきた。葵の優しさは本当に身に染みる。私はやっと決心をしてから優香里のことを話し出した。

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