第23話
「やめて!!!!」
悲鳴のような切り裂く声に私は目を開けた。男の動きが止まる。その声は逃がした筈の葵だった。疑問と焦りが生まれる。何でここに?振り向くと葵は両手で私があげたスタンガンを震えながら持っていた。
「ゆ、由季から…は、離れて!!」
「どうしたんだよ葵?もうすぐこのクズを殺せるのに。もう洗脳されずに済むんだよ?」
さっきとは打って変わって男は穏やかに話し出した。葵は怯えている。
「な、なに…言ってるの?」
葵の問いかけに男はさっきの表情からは信じられないようににっこり笑った。
「分からなくなっちゃったんだね。そんな葵も可愛いよ。大丈夫。僕が分からせてあげる。……あ、そうだ!そういうのって強い刺激で思い出したり洗脳が解けたりすることがあるだろ?だから殺す前に僕がいたぶってやるから。よく見とくんだよ?」
男は優しく葵に言うと私を殺すような目付きで睨んだ。ただで殺す気もないのか、私を本当に悪者と考えている。ナイフをそこら辺に投げると男はまた私の顔を殴った。鈍い音と共に強い衝撃と強い痛みがまた私を襲う。
「葵を返せ!!おまえが!!おまえが全部悪いんだ!!葵をおかしくした!!許さない……!絶対に許さない!」
強い衝撃と痛みに腕で顔を守ろうと抵抗するもそのまま殴られて意味がない。本当にこのまま、殴り殺される。私は声をあげることさえできなかった。怒鳴りながら何度も殴ってくる男に本当に意識を失いそうになって、目に血が垂れてきたのか目が開けられない。そんな私の様子に男は私の髪を鷲掴んだ。
「おい!なに目つぶってんだよ!!起きろよ?もう終わりか?簡単に殺さねーぞ?おい?!聞いてんのかよ!!おい!!」
頭に声が響く。脳が揺さぶられて目眩のような感覚に陥る。もうだめだ。激しく揺さぶられるのにされるがままだった。
「おい?聞いてんのか?無視してんじゃねーよ!!おまえなんかなぁ…!!」
「もう本当にやめて!!!それ以上殴らないで!!…本当に死んじゃう!!!」
葵は泣きながら怒鳴った。男は制止して葵に顔を向ける。私から手を離してくれたおかげでやっと痛みから解放されるも意識がまだぼやける。
「葵?泣いてるの?泣くなよ葵」
男は心配からか、私から退いて葵に近寄ろうとする。ダメだ。葵が危ない。痛みに耐えながら起きあがろうとするも上手く起き上がれない。葵はスタンガンを男につきだしている。その顔は恐怖や不安に満ちていて涙が止まらない。
「もう本当にやめて!!」
「分かったから。葵、落ち着いて?泣かないでよ?僕が守ってあげるから。そんなものしまいな?危ないよ」
男は歩みを止めて安心させるように笑顔で言った。おかしい。本当にそう思った。葵を理解して葵のためにやってやったと本当に思っているのか、歪んだ想いに恐ろしさと怒りを感じる。
「由季に…酷いことしないで!」
「だから、葵は洗脳されてるんだよ。あいつがいなくならないと解けないんだよ?」
「意味分からないこと言わないで!!」
葵は叫ぶように震える声で言ってスタンガンを握りしめると男を見ながら私に近付いてきた。男は動かずに葵を見ている。葵は起き上がれない私の元まで来て一瞬目で私を確認するとそのまま私を守るように前に出た。守ってあげるつもりが守られるなんて、起き上がれない自分が情けなかった。
「もう、いい加減にして!」
「どうしたんだよ。さっきからそんなに怒って、葵らしくない」
「あなたなんかに……私のこと分かるわけない!」
その言葉に男の顔色はガラリと変わった。
「え?……はは、何言ってるんだよ。葵のことは僕が一番分かってるんだよ?ほら、写真を送っただろ?僕が一番君を見てるんだよ」
葵の言葉に強く動揺して焦ったように言い訳をする男。こいつの気持ちなんか報われる訳もないの哀れなやつだ。
「あんなの……気持ち悪いだけ!私の後を付けたり…あんな……手紙も。本当に…気持ち悪い…」
「なん、だよ……それ……」
言い切る葵にまるで絶望したような表情をして固まる。まずい予感がする。また逆上するかもしれない。冷や汗が垂れた。私はようやくふらつきながら急いで起き上がった。
「葵、逃げよう?今なら逃げれ…」
「……なんで?なんで?なんで?なんで?なんで!!!」
言いかけるもそれは遅くて男の大声に私と葵は驚く。男は大股で近付いてきた。鼻息は荒く、その顔は怒りに満ちていた。
「なんで、僕の気持ちが分からないんだよ!!なんで?!!なんでだよ!僕が一番分かってるんだ!!僕しか理解できないんだ!!僕が……僕が……!!」
葵の前に出ようとするも男の方が早くて葵の肩を鷲掴みして怒鳴りつける。葵はあまりの恐怖にスタンガンを手放して完全に怯えてしまっていた。
「僕の気持ちがなんで分からないんだ!僕が一番君を愛して、僕が一番君を見て理解してるんだよ!絶対に!!絶対にそうなんだ!洗脳されてるから分からないだけなんだよ!」
「いい加減に葵から離れて!」
助けないと。私はその気持ちだけで肩を掴んでいた手を退けようとした。こんな意味の分からない戯れ言聞いていられない。
「くっ!!全部おまえのせいなんだよ!!」
「ぐっ!!」
「ゆ、…ゆき」
思い切り足を蹴られて地面に叩きつけられるように倒れる。痛みにすぐに起き上がることができない。葵は恐怖と不安で顔を歪ませている。男はなおもまた葵の肩を掴んで説得するように話した。
「こいつのせいなんだよ!こいつが洗脳してるんだ!葵を洗脳しておかしくしたんだよ!僕の気持ちが分からないなんて、おかしくなったからに決まってる!……僕が治してあげるよ……そうだよ、僕が治してあげれば葵も絶対に分かるから。僕がどれだけ君を想って愛してるか。僕が助けてあげる。大丈夫。大丈夫だよ、僕がこいつを殺してやるから」
「や、……やめて……」
目を見開いて怒っていたのに最後は興奮したように笑顔で言う様には恐怖しか感じなかった。本当に狂ってる。何もかもおかしい。恐怖に動けない葵から手を離して私を笑いながら見てきた。
「葵のために殺してあげるよ。僕と葵のためなら仕方ない。さっきはいたぶったけどもう意味がないなら僕がすぐに殺ってやる。なにも心配いらないよ」
次第に睨むように私を見る目には殺意しかなくて恐怖に身震いする。本当に殺される。その時視界にスタンガンが見えた。そうだ、これがある。今しかない。怖いけどやらないと殺られる。私が殺られたら葵はどうなる?唾を飲んだ。今ならまだ隙をつける。私は男から目を離さずに手を伸ばしてスタンガンを掴むと痛みも忘れて立ち上がりながら勢いをつけて男にスタンガンを押し付けた。男は私の予期せぬ行動に抵抗もできなかった。
「あぁぁぁ!!!」
バチバチバチという激しい電気の音と共に男は悲鳴をあげて倒れた。うつ伏せに倒れて動かなくなる男。気絶したのか?もう大丈夫なのか?少し男を見つめるも動く気配がない。ひとまず安心すると途端に痛みが襲ってくる。必死で痛みを忘れていた。
「…葵、警察呼んで。早く」
痛みに耐えながら冷静に言うと棒立ちで唖然としていた葵は私の声に我に帰った。
「え?あ、……あぁ、さ、さっき……逃げた時に…連絡したよ。すぐ…来るって…」
「そっか。良かった」
私はそれを聞いて今度こそ安心して男から少し離れて地面に座った。身体中が痛い。血が止まらなくて体が冷える感じがする。そんな私に葵は慌てて近寄ってきた。
「ゆ、由季?!由季!!あぁ……どうしよう!どうしよう!どうしたら…どうしたら、……あぁ、そうだ!!救急車!救急車呼ばないと!!」
葵はパニックになっているようで酷く狼狽している。泣きながら救急車、救急車と連呼しながら震える手で携帯を取り出して操作をするが手元が覚束ない葵を私はどうにか安心させたくて力なく笑って声をかけた。
「大丈夫だよ葵。落ち着いて。そんなんじゃ話も上手くできない」
「え?だって、由季が!由季が!血だらけで……」
「私は大丈夫だから」
力なく携帯を握る手を握ると震えはようやく止まって冷静さを少し取り戻したようだった。良かった。私はゆっくり手を離した。
「すぐに救急車呼ぶから、大丈夫だからね」
葵は泣きながらも冷静に言うと救急車に電話をかける。起きたことと場所を伝える。これでさらに安心はできた。後は倒れている男だけだ。全く動かないが私は先ほど手放したスタンガンを握る。警戒は怠らない。
「すぐにくるよ。もう大丈夫」
「あぁ、ありがと」
後は待つだけだ。私は少しため息をつくと葵が私を本当に心配そうに見つめる。
「由季、血がすごいよ」
携帯をしまって彼女はタオルを取り出した。それは私が以前あげたタオルで葵は優しく顔の血を拭ってくれる。私はお礼を言いながらそのタオルを貸してもらうと刺された腕の上に置いて血が止まるように圧迫した。痛みに顔が歪むけど正しい処置だ。私はずっと泣いている葵に優しく声をかけた。
「大丈夫だよ。本当に大丈夫。」
「本当に?…心臓張り裂けそうだよ」
涙をポロポロ流している葵に申し訳なくなる。助けようとしたのに私が助けられたしこの様だ。死ななかっただけ運が良かったかもしれない。
「葵のおかげで助かったよ」
「ううん。…怖くて……助けようとしたのになにもできなかったよ……ごめんなさい」
「そんなことないよ。謝らないで。本当に助かったから、そんなこと言わないで?」
「だって…あんなに殴られて…私のせいだよ」
「違うから。もう泣かないで?」
頭を撫でたりしてあげたいけど体が痛くてあまり動きたくない。葵は私の手を優しく握ってきたから力なく握り返した。葵のせいではない。全てこの狂った男のせいなのだ。
しばらく座りながら待っているとパトカーと救急車が来て男は呆気なく捕まった。私は救急車に乗せられて、付いていきたそうにしていた葵は事情聴取もあるのかそのまま別れた。病院では腕の傷は大事には至らず幸い数針縫って終了したが後日精密検査を受けるように言われた。殴られた所も手当てをしてもらい輸血と点滴をされて病院を出た頃には深夜になっていた。
葵に連絡をしていた私は外に出ると迎えに来ていた葵に抱き締められた。かなり心配をさせたようだ。
「由季!大丈夫だったの?!」
「うん、後日精密検査を受けるようにとは言われたけど大丈夫だよ」
「良かった。本当に良かった」
心底安心したような声を出してキツく抱きついてくる葵の背中を優しく撫でていると見知らぬ女性が近付いてきた。控えめに頭を下げられる。
「はじめまして。私、葵のマネージャーの山下です。羽山さんですね?葵を守ってもらってありがとうございます」
「あぁ、そうでしたか」
人の良さそうな優しい感じの女性だった。葵が一旦離れると彼女は話し出した。
「今日は大まかな事情聴取で切り上げられましたが後日また事情を聞きたいとのことで葵と一緒に警察署に向かう予定になりました。怪我をしている所申し訳ないのですが羽山さんにも事情を聞きたいみたいなので羽山さんも体調次第で警察署に行っていただきたいのですが…」
「それは構いません。あの男はどうなったんですか?」
「ちゃんと逮捕されましたよ。訳の分からないことを言っているみたいですが」
「そうですか。良かった」
本当に良かった。これでもう悩まされることもない。心の底から安堵する。彼女はそれからいきなり頭を下げた。
「本当にありがとうございます。葵を助けてもらって何て言ったら良いか。私達が守らないとならないのに……」
「いや、良いんですよ。頭を上げてください」
驚いて慌てて言うも控えめに頭をあげて申し訳なさそうに続けた。
「こんなことはこちらとしても初めてですいません。葵もかなり今回の件で参っていてさっきも落ち着かない様子で羽山さんを迎えに行くと聞かなくて。……あの、今日は葵と一緒にいてもらえませんか?記者会見はしませんがこちらも色々と対応がありまして。申し訳ないのですが…」
私としても葵のことは心配だったからすぐに承諾した。あんなことがあって一人にはできない。
「分かりました」
「良かった。では、今日はよろしくお願いします。あと、これから少しの間葵の仕事も精神的な面も含めてキャンセルすると思いますので、できたら気にかけてあげてください。羽山さんのことはとても慕っているみたいなので」
「はい。分かりました」
「それと、警察の方から名刺を預かってまして、こちらに連絡をしてほしいとのことです。これ、渡しておきますね。じゃあ、私はこれで失礼します。明日は朝に葵を迎えに行きますので、すいませんがよろしくお願いしますね」
「はい、ありがとうこざいます」
彼女から名刺を受け取ると足早に去っていってしまった。色々とあるがまずは葵だ。
葵は強く服の袖を掴んでくる。あんなことがあったんだ、心に傷を負うには充分だ。言われなくても気にかけるつもりでいた。
それから私達はタクシーに乗って葵の家に向かった。
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