83 砂漠の夜明け

「もうっ! 冗談でも心臓に悪いよ! 突然カナメが消えて、すごくすごくすごーく心配したんだからね!」

「悪かった」

「もしカナメがいなくなってたら、僕は悲しくて目が溶けるまで泣いて、その後は魔界が塵になるまでブレスを吐いちゃうよ」

「怪獣かよ……」

 

 俺はリーシャンの前に正座させられた。

 リーシャンは空中を左右に行ったりきたりしながら、説教をする。

 蜥蜴族たちは俺たちの様子を伺いながらも、声を掛けてこない。

 リーシャンはステータスを隠蔽していないからLv.999の竜神だとすぐに分かる。おっかなくて普通は声を掛けられないだろう。

 

「ココナやマコトも、心配してたんだよ」

「ちょっと待て。真はともかく、ココナって……?」

 

 俺は聞きなれない人名に目をパチパチさせた。

 リーシャンの動きが止まる。

 

「え? ココナだよ? カナメの恋人だよ?」

「俺、恋人がいたのか……」

 

 砂漠で目覚めた時からの違和感は、恋人関連の記憶を失ったせいだと考えると、すっきり納得できた。

 

「本当に大丈夫?」

 

 リーシャンが俺の顔に近づいて、小さな前足で額を撫でる。

 

「熱は無さそうだけど」

「風邪じゃねーよ。なるほど、呪いのせいか……」

 

 昏い水底から「忘れなさい」と語りかけてきた女性の声は、今は聞こえない。

 聖晶神の杖を召喚した前後から、違和感は軽減していた。

  

「皆のところへ帰ろうよ、カナメ」

「……そうだな」

 

 俺の恋人だという女性が心配しているらしいし、いつまでも魔界にはいられないだろう。

 リーシャンが迎えに来たことだし、ここらへんが一人旅の潮時か。

 

「それで、真たちはどこにいるんだ? リーシャン、真たちに何か、目印アンカーになるような魔法のアイテムを持たせてるよな。そこに向かって転移すれば」

「……」

 

 俺が前向きになって問いかけると、突然、リーシャンはギクリと翼をこわばらせた。

 

「……忘れてた」

「何?」

目印アンカーを用意せずに、カナメのところへ転移してきちゃった!」

「はあ?」

「どうしよう! ココナたちのところへ戻れないよ!!」

 

 今度は俺が頭を抱える番だった。

 

「Lv.500以下の真たち、普通の人間が、Lv.500以上の猛者がうようよいる魔界に来てるのか? リーシャン、お前の加護も無しに?」

「あ、あはは……」

「しかも魔法的な目印アンカーもなくて、どこにいるか分からない?!」

 

 リーシャンが「ごめーん」と明るく笑った。

 

「最後に別れる時、武者修行でLv.999になって打倒カナメって言ってたから、たぶん大丈夫だよ!」

「ぜんっぜん、大丈夫じゃねえ!」

 

 危険な場所に行くって宣言してるようなものじゃないか!

 

 

 

 もう、災厄の谷が安全に渡れるという霰季ひょうきをのんきに待っている余裕はなかった。

 俺の仲間が危険にさらされているかもしれないのだ。

 それにリーシャンがいるなら、相手がLv.1000以上でも余裕を持って渡り合えるだろう。

 砂の中から荷物を引っ張り出して、中身を確かめていると、サナトリスがやってきた。

 

「もう行ってしまうのか?」

「爺さんのおかげで、災厄魔ディザスターも谷底の奴以外は、対処可能だと分かったからな」

 

 俺は、サナトリスの別れを惜しむような声に苦笑した。

 最初の険悪な出会いから考えられないほど、今は打ち解けている。

 

「そうか……本当に、カナメ殿には世話になった」

「お互い様だ」

 

 振り返って見たサナトリスの瞳はうるんでいた。

 俺は荷物を肩に掛けると、手を振る。

 

「じゃあな!」

 

 ちょうど、いつも吹いている砂嵐は止んでいた。

 遠くに見える黒い山を目指して、俺はリーシャンと共に砂の上を軽快に歩き出した。

 

 

 

 

 不思議な男だったと、サナトリスは小さくなっていく後ろ姿を見送る。

 最初は人間の男だと思った。

 しかし途方もない魔法のスキルから、普通の人間ではないと確信する。酔狂な魔族が人間のフリをして旅をしているのかと思ったが、そうではなかった。どんなに考えても、正体が分からずにサナトリスは密かに頭をひねっていた。

 

 判明した正体は、サナトリスの想像を遥かに超えていた。

 なんとカナメは神聖境界線ホーリーラインを作った神のひとりだったのだ。

 本来なら辺境の魔族では到底、会うことも叶わない、神魔あわせて世界最強に数えられるひとり。

 

 なるほど、軽くひねられた訳だ、とサナトリスは苦笑いした。

 カナメは身分を感じさせないほど腰の低い、話しやすい男だった。

 子供と泥遊びをするほど無邪気で構えるところのない性格だ。

 それが、コリドーの連れてきた災厄魔が地下墓地を踏み抜き、怨霊があふれだした時、別人のように凛々しい表情になり、一回の魔法で多数の怨霊を追い払ってみせた。

 不覚にも見惚れてしまった。

 

 カナメは、今まで会ったどんな男とも似ていなかった。

 この先、カナメのような男と出会うことは、一生無いだろう。

 立ち尽くすサナトリスの服の裾を、蜥蜴族の子供がくいっと引いた。

 

「良いの?」

「……何がだ」

「サナトリス、カナメ先生に付いていきたいんじゃないの?」

「……私には、族長の責務がある」

 

 サナトリスは子供の頭を撫でて、自分に言い聞かせるように呟いた。

 そこに、杖をつきながら、蜥蜴族の長老のひとりが歩いてくる。

 

「サナトリス。わしらは、この里が辺境の閉じた世界にあることを、つねづね憂慮しておった。こんな狭い里で、おぬしのような若い者は、欲求不満じゃろうと…」

「そんなことは」

「強い男を捕まえて、強い血を取り入れるのも族長の務めじゃ。広い世界を見聞してくるといい」

 

 長老は杖に寄りかかって、しわくちゃな頬をゆるめ微笑んだ。

 

「皆……」

「エンシェントタートルさまが、里を守ってくださる。カナメ殿の魔法で、尽きることのない水が沸き出しているし、里は大丈夫だよ」

 

 初老に入った、サナトリスの父親がそう言うと、他の蜥蜴族もうんうんと頷いた。

 サナトリスは腹の底から温かいものがあふれてくるのを感じたが、それが表に出る前に、ぐっとこらえた。

 

「……行ってくる!」

 

 武器の槍と荷物を背負い、砂の上を駆ける。

 どうせ道案内もないカナメたちは、砂漠の途中で迷うだろうから、サナトリスの助けが必要となるだろう。

 付いて行くと言ったら、どんな顔をするだろうと思うと、自然と口角が上がった。

 夜明けの砂漠の風は冷たく、湿気を含んで、サナトリスの髪をさらう。

 旅立ちを祝福するかのような青空が頭上には広がっていた。

 


 

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